第58話57 客人 3
その晩は大広間を使っての晩餐会となった。
今までウィルターら商人を招いての、それほど
いつもの兵士や召使でにぎわう大広間は、見違えるように様子を変えていた。
壁や天井には
木製のテーブルは新しい
テーブルには秋の花と商人から仕入れた珍しい果物が山と盛られていた。
おそらくこれから出る料理も、今までとは比べ物にならないほど豪華なものだろう。
金を使って農民や商人を養い、客をもてなすことは領主たるものの、大切な仕事なのである。
エルランドとリザは、上座に並んで座っていた。
間にコルとアンテが給仕のために立っている。エルランドの隣はナント侯爵、リザの隣はウルリーケである。
上座は四人だけで、あとの騎士や商人たちは三列に並んだテーブルに収まっていた。
リザのドレスは、この日のために仕立てられた内の一枚で、若草色の柔らかな木綿が体にまつわりつく清楚なものである。伸びかけた黒髪には秋の花を飾り、収穫を祝う宴にふさわしい雰囲気だ。
だが、その横に座るウルリーケのドレスは、高価な赤い染料を使った深紅の絹だった。
深く
「リザ様のドレスはとても素敵ですわね。私はそういう大人しめの色が似合わなくて嫌になりますわ。王都の夜会でもいつも目立ってしまって」
「とてもきれいな服だと思います。お昼間着ておられた服は海のようでしたが、今はお日様のようです」
リザは大人しく答えた。
目の前には前菜が置かれている。いつもより凝った盛り付けのそれは、あっという間にウルリーケの口の中に納まった。見ると、ほとんどの客たちが美味そうに平らげ、次の皿を待っている。
リザは
「私は王都で数年間、暮らしていたのですわ」
ウルリーケは葡萄酒を一口味わってから言った。
「王宮の夜会に招待されたこともあるのですが、リザ様をお見かけしたことが一度もございませんね。ナンシー殿下とは、光栄にも親しくさせていただいたのですが」
「……」
リザは言葉に詰まった。
リザのすぐ上の姉ナンシーは、兄王に劣らず、いつもリザをカラスと呼んで馬鹿にしていたのだ。
ナンシー自身も庶出だが、母には身分があり、王家の金髪を受け継いでいるから、リザとは全く違うという事を言いたかったのだろう。
昔、たった一度参加するように言われ、恐る恐る出かけた夜会では、リザを妹と紹介もせずに、居並ぶ淑女たちの前で見すぼらしい娘だと物笑いの種にして
あの夜の記憶があるからリザは、夜会というものに対して気が重いのである。
「申し上げたように、私は離宮で育ちましたから」
リザは言葉少なに答えた。
「ああ! そういえばナンシー殿下から聞いたことがあるような気がいたしますわ! 離宮に風変わりな妹がいるって」
「ええ……それが多分私です」
リザにはわかった。
ウルリーケは『風変わりな』という、当たり障りのない言葉を使ったが、あのナンシーが自分をそんな
多分、ナンシー姉様は私の出自のことや、離宮で放りっぱなしにされていることを、ウルリーケ様に伝えたのね。
だからこの人は、私に対して、どこか高圧的なのだわ。
「ねぇ、リザ様?」
「なんですか?」
「エルランド様はお優しい?」
「え? ええ。そう……そう思います」
リザは曖昧に答えた。
エルランドはいつもリザを尊重し、優しく振る舞ってくれている。
「まぁ素敵。リザ様はご存知かどうか知らないけれど、エルランド様は王都でも、とても人気だったのですよ。無敗の傭兵、辺境の黒い狼などという二つ名があって。特に女性の憧れだったのです」
「そ、そうなのですか? そんな呼び名が? 初めて聞きました」
「奥方様なのにご存知ない? 南方国境での戦は全て勝利に導かれましたし、野性味
「……貴婦人たちが周りを」
「ええ。無論私も」
ウルリーケは頬を染めながら言った。
そんなこと私、何にも知らなかったわ……。
リザの前には、ほとんど手がつけられないままの皿が並んでいた。
「リザ」
気がつくと耳元で声がする。エルランドが席を立ってリザの方に
「どうした? ほとんど食べていない」
「え? あ……ええ。ちょ、ちょっと緊張してしまって……」
「いい。無理をするな、気分が悪いなら退室したっていいんだ」
「いいえ。大丈夫。このスープちょうどいい熱さになったわ」
リザはそう言って、濃くて赤い肉のスープをひと匙口に入れた。
「まぁ、エルランド様、リザ様のおっしゃる通り、本当にお優しいのですね」
横から身を乗り出しているのはウルリーケだ。彼女はエルランドが声の届くところに来たと、目を輝かしている。
「妻がそんなことを?」
その言葉にリザの方が真っ赤になってしまった。彼が自分のことを直接人に妻と言うのを、初めて聞いたからだ。
「ええ。たくさんの貴婦人を泣かせてきた狼さんも、さすがに王女様がお相手となると、気を遣われるのですね」
「私はすべてのご婦人を敬愛しているつもりです」
挑発とも聞こえる言葉に、エルランドの返事は丁寧だったが、いささか素っ気ないものだった。
「まぁ、では明日の狩りには、私とご一緒していただけません? こう見えて私、乗馬は得意ですの」
「お父上が許されるのでしたら」
「お父様! 明日の狩りには、エルランド様が私と一緒にいてくださだるって! いいでしょう?」
ウルリーケが杯を何倍も重ねてい父親に向かって声をあげる。
「ああ、いいとも。国一番の戦士が護衛だとは贅沢だ。よろしくお願い申す」
テーブルの向こうで他の騎士たちと話が盛り上がっていた侯爵は、娘の言葉に一も二もなく頷いた。
「ね? これで決まりですわ」
ウルリーケはにっこり笑った。
「リザ様は乗馬はお得意ですの?」
「……いいえ。練習を始めたばかりです」
「まぁ! やっぱり王宮の姫君ともなると、お育ちが違うんですのねぇ。私はいつもお転婆で、馬や狩りが大好きなのです。じゃあ、明日の催しではエルランド様をお借りしてもよろしいかしら?」
「お、夫は主として、お客様をもてなす義務がありますわ」
リザも始めてエルランドを夫と呼ぶ恥ずかしさに、
「ありがとうございます。リザ様はとても素晴らしい
「そんな……私はまだ慣れなくて」
「まぁ奥ゆかしい。でも、考えてみれば王女様ですもの、それは当然ですわね」
「……いえ」
エルランドは苦々しい思いでそのやりとりを聞いていた。
リザは明らかに
ウルリーケはリザを
「リザ、ナイフを貸しなさい。肉を切ってやろう」
「あ、ありがとう」
大きく焼かれた肉が、リザが食べられる大きさに切り分けられるのを、リザは黙って見ていた。明日の狩りは娯楽の一環だとしても、それは重要な行事だった。
自分たちが肉を食べられるのも、誰かが森で動物を狩ってきたお陰なのだ。
「初めての森で狩りだなんて……明日が楽しみですわ! ねぇ、リザ様。私、間違いなく立派な獲物を手に入れますわ!」
ウルリーケがリザに向かって微笑みかけるのを、リザは不思議な思いで見つめていた。
彼女の狙いがどこにあるのか、この時はさっぱりわからなかったのだ。
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