第59話58 狩り 1

 夜のうちに少し降った雨は翌日には晴れ上がり、秋の終わりの素晴らしい一日となりそうな夜明けだった。

 リザは初めて眠った大きな寝台から身を起こした。

 暖炉をつけていない部屋の空気は肌寒むかったが、布団は羽毛をたっぷりつめた最上のもので、パーセラが選んでくれたのだろう、暖かい敷布も、寝台の上掛けも上質で気に入っている。


 この寝台は昔、結婚式の夜エルランド様と過ごした寝台にとてもよく似てる。大きさとか、柱の螺旋らせん模様とか……。

 違うのはたった一人で寝た事だけど。

 

 その寝台は、エルランドが苦労してあの夜とそっくりな寝台を用意したものだったのだ。

 そんなことを知らないリザは、そろそろと体を起こす。

 体がほんの少し気怠けだるい。

 その日起きたことを色々考えているうちに、真夜中を大きく過ぎてしまったのだ。

 階下からはまだまだ果てそうにない男たちの声が、聞こえてきていた。その内雨が降り出したところまでは覚えていた。


 雨の音を聞きながら眠ったのね。でも今朝はよく晴れている。こう言う日を狩り日和というのかしら?


 寝台を降りて窓を開けたリザは、ぶるっと体を震わせた。

 窓には布か掛けられていないので、朝の冷気がするりと足元に入り込んでくる。この城で迎える冬はもうそこまできている。暖炉はいつ頃から炊くのだろう?


 鉄樹は高価な品だと言うから、無闇に使わないのかもしれないわ。でも、私はこう言う冷たさは嫌じゃない。


 窓からは東の山脈と大森林がよく見渡せた。リザの好きな緑の大地が広がっている。このずっと東には別の国があるのだろう。リザと同じ黒い髪を持つと言う、異国の民の住む国が。

「リザ様、おはようございます。あら、ずいぶん冷えると思ったら窓をお開けに?」

 ニーケが浅の湯を持って入ってきた。

「ええ。朝の風が気持ちがいいわ」

「ですが、寝巻きでは冷えますわ。さぁ上掛けを、朝食はどちらで? すぐにターニャが運んで参ります」

 パーセラが選んでくれた、暖かそうな毛織りのショールをリザの体に巻きつけてニーケが尋ねる。

「昨日エルランド様は部屋でゆっくり食べなさいって言ってくれたの。着替えたら居間に行くわね」

 貴婦人なら一人で着替えたりしないという常識は、リザにはない。自分でできることは常に一人でやってきたからだ。

「かしこまりました」

「……そう言えばエルランド様は?」

「昨日は遅くまでお客様とお酒のお付き合いに。今朝も早くから狩場の視察に行かれたと聞いています」

「……」

 リザは南側の扉にちらりと目を向けた。あの扉の向こうにはもう誰もいないのだ。

「今日はこれをお召しになってくださいと、パーセラさんからお預かりしています」

 ターニャの差し出した服は、先日収穫の市でエルランドが買った布を仕立てた乗馬用の服である。

 それは美しい藍色をしていた。上着はぴったりとリザの体に添い、スカートはそれほど長くなく、軽快な意匠デザインの服だった。

「まぁ、こんなにいつも新しい服を着てもいいのかしら?」

「いいんですよ。なんたってリザ様はご領主様の奥方なのですから。もっともっと贅沢をなさらないと、下のものに示しがつきません……って、コルさんが言ってました」

「リザ様、おはようございます。お食事です」

 ターニャが朝食の盆を持って現れる。

「ありがとう」

 夕べほとんど食べられなかったリザは、粥の匂いを嗅ぐと急に空腹を感じ、牛乳仕立ての粥に手をつけた。温めた野菜も添えられている。

「暖かくて美味しいわ」

「それにしても、立派な暖炉があるのに、火はまだ入らないのかしら? 大広間には入っていたわよね? これからはもっと寒くなるのでしょう?」

 ニーケがターニャに尋ねた。

「そうですね。お部屋で使う薪のことはアンテさんが采配しているから……昨日確認しなかった私が悪いのです」

 ターニャはすまなそうに言った。彼女がリザの侍女となった事をアンテは快く思っておらず、この頃ほとんど口を聞いてくれないのだ。

「今日にでも、尋ねてみます」

「いいのよ、急がなくても。今夜は夜通しの夜会があるってことだし。皆忙しいのよ。私、このくらいの寒さは平気だわ。離宮では冬の寒い夜には、ニーケと二人で眠ったものよね」

「もうその頃とは違いますわよ」

 ニーケはお茶を淹れている。ターニャは盆を片付けながら振り向いた。

「それにしても、あのお嬢様! 昨夜リザ様が下がられてからも、今朝もわがまま放題だったって! お部屋掃除の子が言ってましたよ」

「そぉ?」

 リザはあまり聞きたくはなかったが、ニーケが興味津々な様子なので、黙って傾聴することにする。

「やれジャムがあんまり甘くないだの、蜂蜜が足りないだの。それをまた、お付きの侍女さんやらアンテさんがいちいち叶えて差し上げるんですわ。そんなに豪華な朝ごはんが食べたいなら、ここじゃなく都に行けばよかったのに!」

「アンテさんの姿が見えないと思ったら、お客様にかかりきりなのね」

「そうですよ、ニーケさん。すっごい下手に出てて、別人みたい!」

 あんなにアンテを恐れていたくせに、ターニャは今ではすっかりリザの味方である。

「それに、あのお嬢様にはなんだか、いわくがあるらしいんですって……」

「え? なんですか?」

 ターニャの言葉にニーケが身を乗り出した時、パーセラが入ってきた。

「おはようございます。まぁ、乗馬服がよくお似合いです! リザ様」

「少し派手ではなくて?」

 リザは昨日のウルリーケと比較し、自分などがこんな色を着ていいものかと思っていた。

 実はパーセラも、暗めの色はリザの顔色を悪く見せるのではないかとエルランドに言ったのだが、彼はこの色がいいと譲らなかったのだ。

 しかし今、リザを見てパーセラは思った。


 色づいた森の中で、この色はとても映えるわ。エルランド様はそれをわかっていらしたのね。


「でも、リザ様。この部屋にはまだ調度類が少ないですわ。窓に帳も掛かっていません! 私、アンテさんに言われたものは全て揃えたのですが、まだ足りないわ……お布団はいかがでした?」

「ええ、とても暖かかったわ」

「あらでも、まだ窓の覆いなどが足りませんわ。まだ、色々飾るものが必要ですわね。早速用意しなくては!」

 パーセラは辺りを見渡して、足りないものを数えている。

「私のことより、パーセラさんの体調はどう?」

「ええ、こちらのお城に来てからとてもいいのです。気候が合っているのかしら。でも、この催しが終わったら王都に帰らなくてはならなくて、今も準備中なのです……」

「寂しくなるわね。でも、赤ちゃんは王都で産むのがいいのかも。いつ頃生まれるの?」

「夏の初めには、多分」

「見に行きたいわねぇ」

「ぜひ、お二人でいらしてくださいな」

 パーセラは熱心に言った。

「でも、もしかしたらリザ様こそ、赤ちゃんを授かるかもしれませんわ」

「……どうやったら授かるのかしら?」

 リザの小さな呟きは、一番近くにいたパーセラにしか聞こえなかった。ニーケもターニャもそれぞれの仕事をしていたからだ。

「……リザ様?」

「あ、エルランド様が戻っておいでのようですわ!」

 扉から顔を出していたターニャが、階下のざわめきを聞きつけて言った。

「皆様、すっかり支度をして集まっておいでです。あ、ウルリーケ様が派手な服で駆け付けられました! リザ様もお急ぎを」

「さぁ、お靴を。これを持ってまいりましたのよ」

 パーセラは真新しい乗馬靴をニーケに手渡した。

「……もうすぐ狩りが始まるのね。私、まだ馬に上手に乗れないのよ。だから隅っこで大人しくしているわ」

「大丈夫ですわ。きっとエルランド様がうまく取り計らわれますよ」

「ええ……」

 遠くから澄んだ角笛の音が聞こえる。

 間もなく狩りが始まろうとしていた。


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