第56話55 客人 1

 一年で一番豊かな季節は、エルランドがイストラーダ城主となってから初めて開く宴をもって、最高潮

 となる。


 それは秋の終わりの素晴らしい晴れた日だった。

 午前を過ぎた頃から、城に客達が訪れはじめる。

 今夜は大広間での晩餐会。明日は一日をかけてた森での狩猟。そしてその宵から夜にかけて、城を上げてのうたげとなる予定だった。

 跳ね橋から四頭立ての大きな馬車が乗り付ける。

 イストラーダの南、ノルトーダ領主であるナント侯爵家の紋章が見えた。迎える客達の中で一番の重要人物である。

 ノルトーダは極東のイストラーダよりも位置的に王都に近く、土地の様子も違う。

 昔、東からの攻撃を受けた時は、当時の東方領主達が同盟を組んで敵を押し返した。しかし、当時のイストラーダ領主は戦死、以降貧しいこの地を治める人物は出てこず、王室領となった。

 一方ノルトーダは、代々ナント侯爵家が治める州である。土地は比較的平坦で、良い耕作地が広がっていた。花から取れる香水や香油、織物も有名である。数は少ないが宝石の産地でもあった。同じ東方とは言っても、かなり豊かな地方なのだ。

 その、ノルトーダ領主、ナント侯爵アーレンベルグが今、馬車を降りてくる。

 エルランド初め、主だった召使は皆、居並んで敬意を表していた。リザもエルランドの横でやや緊張の面持ちで立っている。

「久しぶりだの、キーフェル殿。息災か」

「は、お陰様にて」

「よいよい」

 侯爵は鷹揚おうように微笑んだ。年の頃、五十過ぎの白っぽい金髪の持ち主である。その時、馬車の中から女性の声が聞こえてきた。

「お父様ったら、一人でさっさと降りるなんて酷いわ! 私だって早くご挨拶がしたい!」

「おお、すまぬすまぬ」

 侯爵は振り返って馬車の扉に向かって腕を差し出した。暗い馬車の中から広い腕がさっと伸びると、きらきらしたものが滑り降りてきた。

 ──少なくともリザにはそう見えた。


 すごい……金色のお姫様だわ!


 ナント侯爵の一人娘、ウルリーケはすらりと背が高かった。

 一番目を引くのは、波打つ豪華な金髪。全部は結い上げないで、後ろ髪を滝のように背中に流している。晴れた空のような青い目は、ぱっちりと見開かれ、エルランドを真っ直ぐに見つめていた。

「エルランド様!」

 さやさやと絹のドレスがさざめく。

 ウルリーケの瞳が空なら、まとったドレスは、リザが絵でしか見たことがない海の色だった。

「お久しぶりですわ! ずっとお会いしたいと思っていたのです! 長いことノルトーダにいらしてくださらないので!」

 金と青の令嬢は、当然のごとくにエルランドの腕を取った。

「お久しぶりでございます、ウルリーケ嬢」

 さっと半歩下がったエルランドは、うやうやしくその手の甲に唇を落とす所作をした。手足の長い彼は、その気になれば非常に優雅にふるまえるのだ。

「お招きいただき、ありがとうございます。早くこちらに伺いたいと思っていたのですよ! 嬉しゅうございます!」

「相変わらず、直視できないほどのお美しさでございますな」

「まぁ、エルランド様なら、ずっと見つめてくださって構いませんのよ。イストラーダで初めての収穫の宴が催されると聞いて、楽しみにしてきましたの!」

 その微笑みには砂金を撒くような光がある。そして仕草の一つひとつが実に蠱惑的こわくてきだった。

「このような田舎の宴など、王都を知るウルリーケ嬢には、とてもご満足いただけますまいが」

「まぁ、そんな言い方をなさって……エルランド様のご采配さいはいは素晴らしいと、ノルトーダにも鳴り響いておりますわよ」

「悪い噂でなければ良いが」

 エルランドは礼儀正しく相手をしているのだが、親しく語り合う二人は、まるで物語の騎士と姫君のようだと、リザは思った。

 二人とも背が高く、体格的にも釣り合っていて健康的な肌の色をしている。また態度にも言葉にも自信に満ち溢れていた。

「これ! ウルリーケ。分をわきまえなさい」

 ナント侯爵が親やかに娘をたしなめた。娘と同じ青い目はリザを見ていた。

「私たちはまだ、キーフェル殿の奥方様にご挨拶を致していない」

 そう言って侯爵は、リザの前に進み出て、先ほどのエルランドと同じように腰を折った。

「お初にお目にかかります。ミッドラーン王家第五王女リザ殿下、私はナント侯爵をたまわっております、アーレンベルグ・ディルラシル・ナントと申す、王家の忠実なしもべにございます」

「ご丁寧なご挨拶いたみいります。我が妻のリザでございます。事情があって長いこと離れて暮らしていたが、このたび、ようやく我が城に迎えることとなったのです」

 ウルリーケの腕をすり抜けたエルランドがリザの背中を支える。その大きさと温もりに、リザはひるんでいた己を立て直すことができた。

「……初めまして、ナント侯爵様。お目にかかれて嬉しく思います。私にはミッドラーン王家の籍は既にございません。ですのでどうぞ、リザ、とお呼びくださいませ」

 ほとんど貴族と関わることのなかったリザは内心冷や汗をかきながらも、なんとか腰を折る。

 今着ているのはパーセラにもらった木綿の空色のドレスだ。市場で買った服地は今夜の晩餐と、明日の夜のために今大急ぎで仕上げをしてもらっている。

「これはなんと、初々しく愛らしい姫君であることか! 人妻とはとても思えませぬ初々しさだ!」

 侯爵はやや大袈裟すぎるのでは? と、リザが感じるほどの態度で賛辞をくれた。

「これは私の娘、ウルリーケです。今年で二十二歳になりますから、リザ姫よりも少し上になるのかな? 全く、じゃじゃ馬で困っておるのです」

「嫌ですわ、父上。そんな言い方をなさって、リザ様が驚かれるじゃありませんか」

 そう言ってウルリーケも前に進み出た。

「初めまして。リザ様、ウルリーケと申します。お会いできて光栄ですわ。エルランド様とはお隣同士のよしみでずっと交流していたのですけれど、こんなに可愛らしい奥方がいらっしゃったなんて……」

 青い目は美しい微笑みを浮かべているが、目が合ったほんの一瞬だけ、敵意のひらめきがあったようにリザには思えた。

「しかも王女様だなんて、驚きですわ。私も冬は王都で過ごすことがありますけれど、王宮ではお会いしたことはありませんでしたわね」

「事情があって私は離宮で暮らしていたのです」

 リザは用心深く言った。口ぶりからすればウルリーケは王宮によく招かれていたらしい。

「まぁ、そうなのですか? でも、似たような年頃ですから、お友達になってくださると嬉しいですわ。よろしくお願いいたします」

 ウルリーケはドレスを持ち上げて腰を屈めた。それでも視線はリザより高い。

『東の領地の方々は、男も女も背が高くて立派ですわ』

 以前ニーケが言っていたが、本当にそうだと今更ながらリザは実感する。

「もちろん、私で良ければ」

「ありがとうございます!」

 ウルリーケは愛嬌たっぷりにくるりと回る。この分ではどうやら舞踏も得意そうだ。

 布をたっぷり使ったウルリーケの青いドレスは、リザのすんなりした水色のドレスを飲み込んでしまいそうに見えた。

「あら! アンテ! いたのね」

 ウルリーケは後ろに控えていたアンテに声をかけた。アンテは嬉しそうに一歩前に進んで深く辞儀をする。

「お久しぶりでございます。ウルリーケ様」

「以前エルランド様がノルトーダにいらした時依頼だから、半年ぶりかしらね。元気だった?」

「はい。おかげさまで。さぁ、お疲れでございましょう? お部屋を用意してございますから、ご案内をお願いいたします。ご領主さま」

「そうだな。ではリザ、行こうか」

「はい」

「こちらです」

 エルランドはリザに手を差し出し、ナント侯爵父子に先だって歩き始めた。


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