第55話54 収穫の市 3

 翌日から、大急ぎでリザのドレスの採寸と裁断、そして仕立てが始まった。仕立て屋は最近王都から移民でやってきた若い姉妹だ。

「こちらでは仕事が多くなると伺いまして」

 姉のイラナはたくさんの上質の布を見て、目を輝かせている。

「まぁ、姉さん。奥様のお腰は都の貴婦人よりも細いですわ!」

 リザの腰回りを図っていた妹のカリナが感心したように首を振った。

「これからもっと食べて太るようにするわ」

「そんなこと言ったら、少しでも腰を細くしようと苦労している都の貴婦人達ににらまれますわよ。でも、そうですね、もう少し体の線にメリハリがあった方がいいかもしれません。適度に食べてくださいませ、あと軽い運動も大切です」

 採寸に立ち会っていたパーセラが言った。その言葉に姉妹はうなずきながら採寸した数字を手帳に書き込んでいる。

「リザ様、仕立て屋さん達にはドレスができるまで、城にとどまるようにとのエルランド様のお言葉です」

 ニーケが言った。彼女も何枚か仕立ててもらえることになっている。リザがそう望んだのだ。

「宴までは五日ありますわ。町や村から裁縫の上手な女の人を集めて手伝わせましょう。そんなに凝った形にはできませんが、なんとしても、宴に着るドレスだけでも仕上げないと!」

「はい! 是非とも!」

「別に今のままでいいのに……」

 女達の盛り上がりに、リザはややたじろいでしまった。

 やっとのことで採寸が終わり、皆は大量の布地を仕事部屋となる部屋に運んでいく。しばしリザは一人になった。


 急にいろいろなことが起きて、なぜだか自分でも起こしてしまったけど……私はちゃんとついていけているのかな……。

 変に浮ついていないかしら?

 今が楽しいからと言って、多くを望んではいけないのはわかっている。

 エルランド様は、私の立場を尊重して優しくしてくれるけど、何かあれば私なんて、いつでも元に返される存在なのだから、しっかりわきまえなくてはいけないわ。


「失礼します」

 入ってきたのはアンテである。

「お茶ですわ」

「ありがとう。でもターニャは?」

「仕立て屋の手伝いに駆り出されています」

 アンテは感情のこもらない声で言いながら、お茶をいれる。以前と違い、熱いお茶で香りも豊かだったが、使っているカップはやはり無地のものだった。

「やっぱり、少し無粋かもしれないわ……」

「なんですか?」

「いえ、宴も近づいていて、アンテも忙しいのでしょう?」

「ええ。今回は大切なお客様がいらっしゃるので」

「お客様。それはどなた?」

「隣のご領主、ノルトーダ州のナント侯爵様と、その御息女ウルリーケ様ですわ」

「侯爵様なのね」

 侯爵とはかなり高位の貴族の称号だ。

「はい、東部地方では一番身分の高いお方です。そしてエルランド様の重要なご友人であられます」

 アンテは誇らしそうに言った。

「親方様と侯爵様とは古くから交流があるのです。今までもこちらに何度かいらしてくださって、様々な援助をしてくださいました。ウルリーケ様のご訪問は今回が初めてですが、イストラーダにとっては恩人とも言える方々です」

「そうなの……だから大切におもてなしをしないといけないのね」

「左様でございます。なのでリザ様」

「はい」

「ニーケ様のお部屋を下へ移っていただいてもいいでしょうか?」

「ニーケの部屋を?」

「はい。ウルリーケ様は多分侍女を大勢お連れになりますし、そうなると、こちらの棟がいっぱいになってしまいます」

「ウルリーケ様と侯爵様のお部屋はどこに用意するの?」

「まさか侍女様達とご一緒というわけにはいきませんので、四階の方にご用意をいたそうかと」

「四階?」

 四階の中央にはエルランドの部屋がある。

「もちろん、リザ様がお嫌と言うなら、こちらの部屋を使っていただきます。しかし、ウルリーケ様はともかく、ナント侯爵様やお付きの方には、女ばかりのこの棟だと、気をお遣いになると思うのです」

「そう……」

 アンテの説明にリザはうなずく他はない。

 イストラーダ城は広いことは広いのだが、古い砦を修復しながら使っているために、貴人が宿泊できる部屋が少ないのだ。

 エルランドが自分の城よりも、領地のために利益を使ってきたためでもある。

「どう致しましょうか、リザ様。お客様がご自分よりも上の階に宿泊されるのがお嫌と言うのであれば、リザ様のお部屋も上にご用意させていただきますが」

 アンテの声には僅かに挑戦的な響きがあった。

「私は別に構わないわ。遠くからのお客様に、いいお部屋を用意してちょうだい。あなたも大変だろうし、私はここでいいの。でも、ニーケには了解をとってね」

「かしこまりました。ではごゆっくりお茶をどうぞ」

 アンテはそう言い置いて部屋を出ていく。

「よっぽど大切なお客様なのね。あんなに張り切っているアンテを初めて見るわ」

 リザは濃く入れられたお茶を一口啜った。

 それはほんの少し渋い味がした。


 扉をしっかり閉めてからアンテは笑った。


 せいぜい今の内にちやほやされているがいいわ! なんの能もない王都の痩せっぽち姫。

 あんたなんかより、よっぽど素晴らしい方がいらして、その方こそエルランド様に必要だということを私がわからせてあげる。

 まずお部屋を美しく整えなくては。

 そのために私は今まで準備をしてきたのだから。


 アンテはうきうきとした気分で階段を上がって行った。


「この階に部屋を用意するだと?」

 エルランドは怪訝けげんそうに言った。城の最上階は主として領主や、その家族ののための空間だ。

「はい。ですが、三階の客間はお供の方々でいっぱいになりますし、正直まだ整備されてない部屋もございます。と言って二階には設備の良いお部屋はありません。それに召使い部屋の真上で騒がしくなるかもしれませんので……」

「……」

「……リザ様には了承を得ました。お客様には一番良い部屋をご用意してほしい、とたってのお望みで」

「リザは、そういう娘だ。自分からは何も望まない。だが……よろしくないな」

 エルランドは難しい顔になった。

 城主の部屋は最上階の中央にあり、東に張り出した大きな見張り台が付属している。この城で一番重要な部屋だ。

 そしてそのすぐ北側には、領主夫人となる人のための部屋がある。王宮でも貴族の屋敷でも正夫人の部屋は、夫の北側という慣習があり、それに倣ったものだ。

 エルランドはここ数年、その部屋の調度を自分で選び、少しずつ中身を整えてきた。

 

 俺がリザを夜手元に置かないのは、俺からリザを守るためだったが、これでは侯爵に対して外聞がよろしくない。

 まるで俺がリザを軽んじているように見えるし、この上誤解されては俺が困る。


「アンテ、それならリザの部屋も上に上げる。俺の隣の部屋だ」

 しばしの沈黙の後、エルランドはきっぱりと告げた。

「エルランド様⁉︎ 本気ですか?」

 アンテが目をいたが、エルランドは今更何を驚いてるのだ、というような一瞥いちべつを向けた。

「俺はリザにゆっくり俺やイストラーダに馴染んで欲しかったから、あえて部屋を離した。だが客人を迎えるとなると、そうも言っておられない。アンテ、多忙なところすまないが、俺の隣にリザの部屋を準備しておいてくれ。家具類はほとんど揃っているが、婦人用の小物や布物など、俺などにはわからないこともある。金はいくらかけても構わないからウィルター殿やパーセラ殿から買い付けなさい。よもやこの間、俺が言ったことは忘れてはいまいな?」

 エルランドは、呆然としているアンテに続けて言った。

「それから侯爵の客間は、俺の部屋から一番離れた、南の突き当たりの部屋を使うように。あそこなら日当たりもいいし、広さも十分だろう」

「……かしこまりました。お部屋のご用意は、全てこのアンテが取り仕切らせていただきます」

 アンテはゆっくり一礼すると、長い石の廊下をたどって一番南の部屋の扉を開けた。


 イストラーダ城は東をにらむ南北に長い城である。かつては国境を守る城塞の役目も果たしていたからだ。

 南の棟はほとんど使われておらず、部屋は並んでいるが、ほとんど放りっぱなしになっている。最南の部屋周辺を除いて。

「……」

 重い扉を開けると、アンテがこれまで密かに用意した調度や、装飾品で囲まれた立派な部屋が現れた。床も壁も織物に覆われて、これからの季節に備えている。

 天蓋つきの大きな寝台は元からこの部屋にあったものだから、ここは領主につながる身分の高い人物──おそらくその両親や兄弟の部屋だったと思われる。

 長い間手入れがされていなかった立派な寝台を、アンテはこつこつと磨いたり、天蓋布を洗ったりしてきたのだ。寝具も最上室のものを入れている。

 本当は正夫人の部屋をこうしたかったのだが、放置していたとは言え、エルランドの妻が王女だという事をアンテは早くから知っていた。だから、表立ってはできないことを、この部屋で密かに実現させていたのだ。


 全てはいつか、正夫人となられるウルリーケ様のために。


 この部屋には、そういうアンテの夢と努力が詰め込まれている。

 それに対し、正夫人用の部屋は、エルランドが今まで誰も入ることを許さなかったので、アンテはどんな部屋なのかあまり知らなかった。


 いいわ。奥方用の部屋なんてにわかごしらえで構うものか。

 どうせエルランド様は、二つの部屋を見比べることなど、決してなさらない。ご自分が任せた相手の仕事を信用する方だもの。

 みすぼらしくない程度に整えたら大丈夫よ。あの商人の女には南の部屋には入らせないわ。

 いつか、ウルリーケ様を奥方用の部屋にお迎えする時、私が一からご準備すればいいのだし……。


 そこまで考えて、アンテはうっすらとほほ笑んだ。




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