第41話40 城の暮らし 1

 エルランドは、その二日後に領地の視察に旅立った。


 秋が深まるこの時期は、収穫の時期でもある。

 領民が一年間懸命に働いてやっと迎えた実りの季節だが、それを狙って野盗や、もっと悪くて、傭兵崩れのならず者が出没する時期でもあるのだ。

 エルランドは総勢五十人の騎士を連れて村々の警護を見回る。一年で一番豊かな時が一番危険な時なのだった。

「行ってくる」

 その朝早く出立する一行を、跳ね橋まで見送りに出たリザにエルランドは言った。

「気をつけてお仕事してください。そしてご無事でお帰りになられますように」

 それはリザが家臣たちの前で、妻として夫にかけたはじめての言葉だった。その言葉にエルランドは一瞬目を見開き、少し笑って頷いたのだ。

「約束する」

 そう言って、彼はリザの額に口づけた。二度目のそれは少し長く、しっとりとリザの額に吸い付いた。

「待っていてくれ」

 それはいつか交わした約束と同じもの。

 しかし、その意味合いは昔と変わっているとリザは思いたかった。


 彼が去った瞬間からリザの城での生活が始まった。

 ニーケと二人の日常だ。正直に言って離宮にいた頃とほとんど変化がない。

 つまり、どこにもいけないし、何もさせてもらえないのだ。

 毎日朝起きて身支度を整え、庭を散歩してから簡単な朝食を二人でとる。正午過ぎに入浴して部屋に戻ると、朝と同じような内容の昼食が用意されている。それを食べたら夕食まで何もすることがないのだ。

 これでは、離宮で花の世話をしていた時の方が充実しているくらいだった。

 二日間、我慢していたリザだが、三日目の朝食後、ついに食器を下げにきたそばかすの娘に、アンテのところに連れて行くようにと言った。

「今からよ。いい?」

「わ、私にはわかりません」

 そばかすの娘は食事を運んで下げる役割のようで、リザが一番多く顔を合わす召使いだ。

 彼女はいつも、話しかけられないように顔を伏せ、急いで食器を上げ下げするので、今まで「ありがとう」と声をかける以外は遠慮していたのだが、ついにリザは一歩踏み出すことにしたのだ。

「あなたの名前はなんというの?」

「タ、ターニャです。奥方様」

「そう? ターニャ、可愛い名前ね。私はリザというのよ。いいわ、私からアンテを探しに行きます。あなたは自分のお仕事をしてちょうだい。ニーケ、行きましょ」

「はい」

「お、お待ちください!」

「なぁに?」

「アンテさんには、リザ様をなるべくお部屋から出さないように言われてます」

「そう? ターニャがそう言って私を止めようとした。と、アンテには伝えておくから大丈夫よ」

 そう言ってリザはニーケを伴って部屋を出る。アンテはおそらく階下で仕事をしているだろう。


 アンテがいても、いなくてもいいわ。

 部屋から出るな、なんてエルランド様は言わなかった。その辺を少し見て回るくらい構わないはずだわ。


 リザはどんどん進み、正面ホールに出た。吹き抜けの天井の高い空間で土間になっている。何人かの女が掃除をしていた。別に汚れてはいないから習慣なのだろう。

「こんにちは」

 挨拶すると皆一様に驚いている。

 リザは構わずに表に出た。庇の下の段を降りると前庭から跳ね橋へと続き、そこには敷石が敷いてある。数日前にエルランドを見送ったところだ。

 リザは跳ね橋を渡って、南側から堀沿いに城の周囲を回ってみることにした。これなら内壁の中だし、村人の多くは使用人や兵士の家族だから、城から出たことにならないだろう。

 南側はさすがに日当たりが良く広い畑になっている。そこには男が数人いて、農作業をしていた。芋や豆などの野菜を収穫している。

「こんにちは」

 思い切って声をかけてみると、一番近くにいた男が振り返った。コルだ。エルランドが古くからの仲間で城の執事のような役割だと言っていた初老の男である。

「これは奥方様! どうしてこんなところへ?」

 帽子を取りながらコルはリザに駆け寄ってきた。

 綺麗にはげ上がった頭が日光を反射している。禿頭をあまり見たことがないリザはそれが珍しかった。

「何か私に御用でしょうか? 奥方様」

「リザと呼んでちょうだい。少しお城の外側を見てみたいと思ったの」

 リザはいつものように名前を名乗ったが、コルはアンテのように彼女をとがめるつもりはないようだった。

「言ってくだされば、私がご案内いたしますのに。リザ様」

「本当? 私は決まったところにしか行けないものだとばかり思ってたわ」

「そんなことはありません。あなた様はこの城の女主でございます。エルランド様が禁止されたのは、外壁を出たり、地下に行くことだけです。後は自由に歩き回っていいんですよ」

「そうは思っていたのだけれど……」

 リザは難しい顔で首を傾げた。

「……ああ、アンテのやつか」

 コルは思い当たったように小さく頷く。

「アンテはエルランド様がこの城に入った時から、貴重な女手おんなでとして尽くしてきた奴なのです。イストラーダの女を集め、城で働けるように教育したのもあいつです。いわば、今までアンテがここの女主人だったようなものなのです」

「……そうなの。それなのに私が突然きてしまって、アンテはきっと面白くないのね」

「そんなこともあるかもしれません。でも、よく働くし、決して悪い奴ではないんです」

 すまなそうにコルは頭を下げた。

「悪くなんて思わないわ。でも、私だって何かすることを見つけないと、いつも退屈なんですもの。畑仕事なら手伝えるかもしれないわ。離宮ではお花を育てていたのよ」

「まさか、畑仕事をリザ様に手伝わすわけには行きますまいが。エルランド様に叱られてしまいます」

「なら少し見てもいい。この赤い野菜はなぁに?」

 リザは足元の畝を見て言った。

「赤芋ですよ。東から苗を取り寄せたものです。痩せた土地でもよく育ちます。いろんな調理法があります」

「これは? とげとげしているわ」

「針豆です。この針はサヤで、中はほら」

「まぁ、こんな綺麗なお豆、初めて見たわ」

 いかにも不味そうな、ごつごつしたサヤから出てきたのは平たい真珠のような豆が五つ。

「これはすりつぶしてスープにします。栄養があって熱々がとても美味しいです。今日の夕食の一品になるかと」

「楽しみ」

 リザはここに来てから熱いものなど食べたことがなかったが、これは言わずにおいた。

「皆さん、美味しい野菜をどうもありがとう」

 リザが男達にお礼を言うと、リザに注目していた男達は一斉にあたふたしている。中には顔を赤くしている若者もいた。

「何をなさっているのですか? リザ様」

 鋭い声にリザが振り向くと、アンテが立っていた。


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