第39話38 東の領地 4
リザが入浴を終えて部屋に戻ってくると、テーブルには二人分の夕食が用意されていた。
焼いた肉とゆで野菜、それからパンとスープだ。飲み物は水を入れた首の細い壺が置かれている。
「まぁお肉! すごくたくさんあるわね。食べきれるかしら?」
めったに見られない豪華な料理に、リザは嬉しそうに言った。
本当のところは、量だけはふんだんだが、肉は
しかし、リザには十分なもてなしのように思えた。
「お城なのに、お給仕などはつかないんでしょうか?」
今日到着したばかりなのに、二人きりで食事をさせるというのも変な話だ。
「それに宿屋でさえ温かい食事を出してくれたのに、これ全部冷たいですわ」
「お給仕なんていらないわ。それにここまで運んでるうちに冷めたんでしょ。昔、結婚式の時、専属のお給仕が二人も付いたけど、食べたくないものばかりあれこれ置かれるので、かえって食欲をなくしてしまったわ。これがイストラーダの習慣なのよ、きっと。いただきましょう」
「ですけど、水を飲もうにもカップがありませんわ」
訓練された召使ならあり得ない失態に、ニーケは不審そうにしている。
「きっと忘れたのね。スープの
リザは何でもないように言った。
「エルランド様はまだお見えにならないのでしょうか?」
ニーケが冷めて硬くなった肉を苦労して切り分けながら訪ねる。
「きっと、長くお城を空けたのできっとお仕事がたまっているのよ」
「そうかもしれませんね。でも、さっきのお風呂は大きかったですねぇ。あれは私もいいと思いました」
アンテに案内されて入った浴場は、リザが初めて見る大きさだった。
二十人は一度に入れるほど大きく、石を組んでつくった浴槽があった。湯は城の地下に沸く水を鉄樹で焚いて沸かすのだと言う。その湯は厨房や洗濯場でも使われるということだった。
「これも全て鉄樹を見つけてくださったエルランド様のおかげです」
アンテは誇らしそうに言っていた。
浴場の手前に布で仕切られた空間があり、そこで服を脱ぐ仕様のようだ。
リザ達が入った時、数人の女達が入浴をすませた直後なのか、服を着こんでいたが、よほど驚いたらしく、会釈もそこそこに慌てた様子で出ていった。
「今は夕飯の支度で忙しいので人が少ないのです。女の使用人は主に厨房係と、掃除や洗濯係に分かれていて、料理女たちは午前中の
「わかったわ」
リザは素直に頷いた。今は言うことを聞いておくべきだと思ったのだ。
「この籠に服を入れてお入りください。
「石鹸は持ってないわ」
「では、今日は石鹸なしでどうぞ」
そう言ってアンテは出て行ったが、石鹸がなくても湯がたっぷりあったので、リザは生まれて初めての浴槽を楽しむことができた。湯は少々熱いが、水槽もあるので時々覚ますことができ、二人は旅の汚れや疲れをすっかり落とすことができたのだった。
「あれは贅沢だったわね。やっぱり鉄樹の産地だから燃料が豊富なのね」
リザはさっそく明日も入ろうと思いながら言った。
「石鹸や香油などがあればいいのですけど」
離宮にいた時は、たまにそういうものが買えたのだが、それらは全部置いてきてしまったのだ。
「ないものを数えたって仕方がないわよ。そのうち、私にもできることを見つけてお金を稼ぐことができるかも」
領主の奥方がどういう存在なのか、よく知らないリザは冷めたスープをすすった。肉やパンは食べきれなかった。
「それにしたって、なんだかちょっとこのお城は変じゃないですか?」
「私の知っているお城は白蘭宮だけだから、そこと比べたらかなり様子が違うわね。ちょっと陰気で、石ばっかり」
「それもありますけど、なんだかいつも誰かに見られている気がするんです。実はお風呂のときから感じてたんですけど」
「気のせいだといいんですけど……」
「多分見られているのよ」
リザはあっさりと認めた。
「えっ!」
「私たちはここでは新参者よ。辺境を放っておいた王家のことを悪く思う人だっているかもしれない。エルランド様はともかく、私たちはまだ信用されていないのよ、きっと」
「か、監視されているということでしょうか?」
ニーケはおそろしそうにあたりを見渡した。部屋には覗き穴などはない。
「エルランド様はそんな指示をしそうにないから、聞いた通り最初は親しみにくい人たちなのよ。とにかく、少しずつここに馴染んでいくしかないわ。堂々としていれば、その内気にならなくなると思う。私たちは何も悪いことはしてないのだから」
「は、はい」
「ニーケ、昼間はなるべく一緒にいましょうね。ごちそうさま」
二人で食卓を片付けていると、廊下からノックの音がした。ニーケが扉を開けると、エルランドが立っていた。
「入ってもよいか? 二人で話したいのだが」
リザが頷くと、ニーケは盆をもって下がっていく。
「どうぞ、エルランド様」
エルランドが敷居をまたいだ。
彼も旅装を解いてゆったりとした白いシャツと、渋い色の
不意にリザは、さっきの額への口づけを思い出し、頬が熱くなった。
何を動揺しているの、リザ。あれにそんな深い意味はないわ。
私の立場をお城の人に知らしめるための、ちょっとした形式。それだけのことよ。
「陰気な城で驚いたろう? 使用人たちは打ち解けにくいだろうが、俺の時もそうだった。だが一旦信頼してくれると、とても頼もしい人たちなんだ」
「そ、そう思います。どうぞ座ってください」
「風呂に入ったのか。顔が赤いな」
リザの微妙な心の内に気が付かない夫は、勧めに従って椅子に腰を下ろす。
窓の隙間から秋の風が忍び込んで蝋燭の炎を揺らした。
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