第38話37 東の領地 3

 連れて来られた部屋は、階段を上がり幾つも廊下を曲がった奥にあった。城は迷路のような作りで、廊下には窓もないが、南向きなのは確かだった。

「こちらです。お付きの方はお隣のお部屋です。中でお休みを」

 有無を言わせないアンテの言葉に、リザはニーケに目配せをした。ここは素直に従っておくようにという合図だ。

 上部がアーチを描く重い木の扉を開けると、中に小さなテーブルがあって、ロウソクが一つだけ灯されている。

 ここがこれからリザの暮らす部屋となるのだ。

 部屋の壁はやはり石でできていて、冷たい感じだが、タペストリーが何枚か掛かけてあり、防寒と装飾の役割を果たしている。

 窓は一つだけで硝子ははまっておらず、木製の二枚扉がついていた。その横に寝台がある。床にはむしろが敷き詰められていたが、寝台の下にだけ毛織物が敷かれていた。

 調度は小さなテーブルと椅子が二つ。あとは古くて大きな木製の衣装箪笥たんすだけだった。

 壁には暖炉があり、その上に棚板がはめ込まれている。

「これでも贅沢にご用意させていただいたのですよ」

 リザの沈黙をどう受け取ったか、アンテはつけつけした調子で説明した。

「こちらは王宮ではございませんので、王都から来られた方にはみすぼらしいかも知れませんが」

「十分よ。ありがとう」

 廃墟のような離宮の片隅で住んでいたリザには別に驚くことではない。ただ、もの珍しかったから見渡していただけだ。

「食事はここでするの?」

「そうしていただきます。お付きの方と一緒に」

「それはありがたいわ。でもお付きの方ではなくて、ニーケと言うのよ。名前で呼んでちょうだい」

「かしこまりました。奥方様」

 アンテがリザの名を呼ぼうとしていないことには気がついている。

「お風呂は、申し訳ありませんが、共同のものを使っていただきます。お城に一つしかありませんので」

「お風呂? そういえばさっきエルランド様が言っていたわね。このお城にはお風呂があるのね」

 離宮では夏に泉の水をんで水浴びをするだけで、風呂には滅多に入ったことがなかった。湯は貴重品だったからだ。たまにオジーの家で大樽のお湯に入らせてもらう時はあったが、普段は冬でも大鍋一杯の湯を暖炉で沸かして髪を洗い、濡らした布で体をふくだけだった。

「厨房の横にございます。ですが、そこは共同浴室で、使用人も使います。一人用の浴槽はございませんし、お湯を運ぶ人手もありませんから」

「……よくそう」

 浴槽のことは知っていた。一度兄の私室の一つで見たことがあったからだ。人が一人入れる大きくて長い容器の下に、猫足という台がついていて、そこに体を浸けて洗うのだという。

 しかし、リザには縁のなかったものだし、共同浴室と言っても本で見たことがあるだけだったのだ。

「ニーケも私も浴室を使ったことがないんだけど」

「行けば誰かに会うでしょう。聞いたら教えてくれるかと」

 アンテは素っ気なく言った。

「ですが、夜九時から真夜中までは男達が入浴する時間ですから、お気をつけください」

「わかったわ。早速入ってみたいのだけど、いい?」

「結構です。王宮のお姫様は、毎日お風呂に入られるんでしたね」

「そうかもしれないわ。でも私はよく知らない。それから私は姫じゃないの」

 リザは意を決して言った。大きなアンテがリザを見下ろす。

「これは失礼しました。奥方様」

「それも、なんだか自分じゃないみたいに聞こえるわ。私のことはリザと呼んでもらえないかしら?」

「……」

「旦那様……エルランド様は奥方様を敬うように皆に命じされました」

「そう。でも、敬うなら名前で呼んで欲しいの。私はリザよ」

「……ではリザ様。こちらへ。お着替えはありますか?」

 アルテはリザの男物の服をじろじろ見ながら言った。

「あるけど、もうどれも綺麗じゃないの。服はほとんど置いてきてしまったから」

「ではこちらを」

 そう言って、アンテは箪笥を開けた。

 そこに美しくも多くもないが、一生懸命に集めたのだろう、女物の服が吊るされていた。

「その下には下着があります」

 箪笥には底板がなく、床の上に蓋つきの行李こうりが置かれている。蓋を開けると、木綿の清潔な下着がたくさん入っていた。

「まぁ」

「絹でなくてすみませんね」

「こんなにたくさんの下着を初めてみたわ」

 リザは素直に驚いていた。

「嬉しい! 早速ニーケと一緒に行ってみましょう」

「……」

 リザが着替えを持ってニーケを迎えに出ていくのを、アンテは眉を潜めて見ていた。さっきから困らせるようなことばかり言っているのに、このお姫様からは斜め上の反応ばかりしか返ってこない。


 なんなの、このお姫様。

 ミッドラーン国の末姫様じゃないの?

 粗末な格好をしていたのは、悪者に目を付けられないためだと思っていたんだけど、なんだか貧乏くさい人だわねぇ。

 まぁいいわ。今は珍しくて浮かれているだけよ。

 目新しさがなくなったら、きっと帰りたいと言い出すだろう。敬うようにとは言われたけれど、こんな小娘をエルランド様がまともに相手するはずがない。

 ここが奥方様用の部屋ではなくて、お客人用の部屋なのが何よりの証拠だわ。

 イストラーダの女主おんなあるじになれるのは……。


「ウルリーケ様だけよ」

 アンテはニーケを連れて出てきたリザに、ついてくるようにと視線を送り、先に立って歩きだした。


 

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