第37話36 東の領地 2

 かつては砦として使われていた古い城はとても大きかった。

 城壁は二重になっていて、東側の城壁は東を向いて南北に長く伸びているため、黒い帯のように見える。

 城下の村があるのは城の西側だ。最初は内側の城壁内にしか家はなかったのだが、最近人口が増え、外壁を越えて村は西へ南へと広がってきていると言う。

「建てられた頃は、ほとんど人は住んでいなかったのだろう。俺たちがきた頃でも、やっと家ができ始めたという感じだったから」

 領主のお膝下なのだから、この辺りでは一番大きな村のはずだが、二階建ての家は一軒も見当たらず、道も全ては舗装されてはいない。

 しかし、家は存外多く、建設中の家もたくさんあった。切り出したばかりの木材や石材が村の至る所に積まれている。数年後には立派な町になっているだろう。

 ここは発展途上の土地なのだ。


 そろそろ日が暮れる時刻だからか、往来を歩いている者は少なく、たまに見かけても男たちばかりだった。兵士の姿もある。

「どうですか? イストラーダの城下村は?」

 セローがくつわを並べて尋ねた。

「思ったより大きな村だわ。何もないところだって想像していたから」

「最近は良質の燃料や粘土が発見されて、産業ができたから人が集まってきているんですよ」

「鉄樹ね」

「ええ。よくご存じですね」

「……教えてもらったから」

 今までわずかな本しか読めなかったし、教師もつかなかったから、リザの教養は非常に限られている。これからここで多くを学ばなければいけない。

「だが、産業が生まれ、人が増えればよからぬやからもやってくる」

 エルランドが真面目に言った。

「リザは慣れるまで当分城から出ないほうがいい」

「……」

 通りにいた者達が領主を見つけ、作業の手を止めて帽子をとると丁寧にお辞儀をしている。

 気難しいとのことだが、純朴で礼儀正しい人達のように見えた。彼らはリザを目で追っている。少年の格好をしている娘が珍しいのだろう。

「リザ、緊張しているのか?」

 いよいよ内門をくぐるとき、エルランドが声をかけた。

「……ああ、これは!」

 高く分厚い壁に囲まれた城門を抜けた時、いきなり現れた巨大な壁。

 それがイストラーダ城だった。

 青黒い石を何層も積んだその巨大な建造物は、リザの知る壮麗なミッドラーン王宮とは比べ物にならないほど、いかつく堅固な姿である。優美な尖塔も彫刻もない。

 もともとは東の国境を守る砦としてつくられたものだから、攻撃や防御の設備は城壁の東側にあるのだろう。こちらは西側なので、夕陽も当たらず、城は陰気な影に包まれている。

 壁の内側にも古い小さな村があった。ここが元々の村で、村長やいちの立つ広場もこの中にある。

 薄闇に沈んだ村を抜けると、川から引いたという深い堀があり、領主の帰りを待っていたのだろう、吊り橋が既に下されていた。

 五騎の騎士達がその上を渡っていく。全員が渡り終えると橋はごろごろと不気味な音を立てて閉じた。橋は内壁の城門をも兼ねている。

 渡りきったところに数十人の男女が待ち構えていた。その向こうに扉が黒く口を開けている。

「エルランド様」

「お帰りなさいませ。ご無事で何より」

 エルランドはさっと馬から下りると、いつものようにリザに手を差し伸べる。

 旅の間、何度もしてくれた行為だが、普段ならリザの手を支えるだけなのに、今日は両手で腰を抱いてそっと地面に下ろしてくれた。

「今戻った」

 エルランドは並んだ男女をゆっくりと見渡した。それからそっとリザの肩に手を添える。

「皆、伝達は聞いているだろう。この姫がリザ、ミッドラーン王家の血を引く俺の妻だ。訳あって今まで離れて暮らしていたが、これからはこの城で暮らす。皆そのつもりで俺にするのと同じように仕えてくれ」

 領主の言葉に居並ぶ人たちは一斉に頭を下げた。リザの目にはそれが少し異様に映る。

「リザ姫様、ようこそお越しくださいました」

「初めまして」

 農夫のような服装のがっちりした男と、襟の詰まった服を着た茶色の髪の女が進み出た。

「部屋の準備はできているな」

「はい」

「リザ、これはコルとアンテだ。二人とも城を取り仕切ってくれている有能な者達だ。コルは父の代から俺に支えてくれていて、今では執事の役割も担っている。アンテは女の使用人達を管理する。王宮でいえば女官長だな」

 紹介されて二人は丁寧に頭を下げた。

 コルは初老で、この薄闇の中でも光る見事な禿頭だ。アンテは大柄な三十過ぎの女で、髪を背後でまとめ、長身なのにさらに背筋をぴんと伸ばしている。

「長旅でリザは疲れている。すぐに休めるようにしてやってくれ」

「かしこまりました。では奥方様、こちらへ」

 アンテが慇懃いんぎんな態度で道を譲る。

「オクガタサマ?」

 リザにはそれが自分を指す言葉だとは、しばらくわからなかった。ぼんやりしている内に手を取られ、前階段のまで連れられていた。

 ほとんど真っ暗に見える城の扉の中を見て、リザは急に不安になる。とにかく城の雰囲気が暗くて怖いのだ。

「あ、あのっ! ニーケも一緒じゃないのですか?」

 見ればニーケも両手を組み合わせて怯んでいる。

「ああ、もちろんですとも、お嬢様もこちらへ」

 コルがニーケを振り向いて笑った。ニーケはほっとしたようにすぐにリザの後ろに従う。その様子をアンテは無表情に眺めていた。

「さ、参りましょう、奥方様、お付きの方も」

「ええ、ありがとう」

「お礼など不要です」

「……わかりました」

 気丈に見せたが、リザはアンテに歓迎されていないことをなんとなく感じ取った。

「大丈夫だ。二人は隣同士の部屋にしてある。俺も後で様子を見に行くから、風呂にでも入って休んでいてくれ」

 リザの不安を汲み取ったエルランドが安心させるように、リザの顎に触れた。

「え?」

 急に目の前が暗くなったと思ったら、額に優しく触れるものがある。エルランドの唇だった。

 これにはアンテやコルはじめ、居並ぶ者召使や騎士たちも驚いた様子で目を見張っていた。

「後で、リザ」

「……はい」

 エルランドに見送られ、リザは洞穴のように思える城の中に入っていった。


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