第25話24 不吉な知らせ 1

 リザは逃げ出したのだ。

 自分を閉じ込め、ないがしろにする王宮から。

 ──あの少年は自分の妻だった。

 

 エルランドはそう理解した。

 おそらく長い間、密かに計画を立てていたのだろう。自分にできることは何かを探しだし、花を育てて売り、収入を得ることで周到に準備していた。

 兄王からの支援はなく、夫からは見捨てられたと思い込んで。

 エルランドが送った手紙も品も金も、一切リザには届いていなかった。

「俺はなんてことをしてしまったんだ……」

 送るだけ送って確かめることをしなかった。まさか王、あるいはその周囲がすべて握りつぶしているとは思わなかったのだ。

 これは確信だったが、暗い街道で出会った時、リザはすぐに彼に気がついたのだ。だから、顔もろくに見ようとせずに不自然に彼を避けていた。


 一体どんな気持ちで俺を見ていたのだろう……。


 エルランドはぎしりと拳を握り込んだ。国境地帯では百戦錬磨の傭兵たちを率い、次々襲いかかる南方の攻撃を打ち破ってきた男の胸がずきりと痛む。

「あんた、どうかしたのか? すげぇ怖い顔をしているぜ」

 黙り込んだエルベルトに、オジーが胡乱うろんげなまなざしを向けてきた。

「そういえば、あんたは何でこんなとこにいるんだい? ここは俺以外ほとんど誰も来ない忘れられた場所なのに」

「俺は……」

 エルランドは、生まれて初めて自分について語ることに羞恥を覚えた。

 しかし、この正直そうな少年に語れなくて、どうしてリザに自分の犯した過ちを償うことができるだろうか?

「俺はリザ姫の──夫だ」

 エルベルトは恥を忍んで声を絞り出す。

「夫⁉︎ ええっ! じゃあ、あんたが、なんとか公爵様かい?」

「公爵? 俺はそんなものじゃない。一体何のことだ?」

「いやさ、ちょっと前にリザ姫様に王様からの命令が来たんだ。それによると、一度も会いにも来ない前の夫と離縁して、西の方の偉い公爵と結婚しろってことになったんだ。あんたはそうじゃないのか……そういえば公爵はすごい金持ちって言うもんな。あんたはあんまり金持ちには見えないし」

 オジーはエルランドの服装を無遠慮に見て言った。

「確かに俺は金持ちではない。だが、毎年リザ姫には手紙と金を送っていた……王宮で不自由することのないように」

「毎年? じゃあ、あんたはもしかして……」

「そうだ。俺は一度も会いに来てやれなかったリザ姫の最初の夫だ。もっとも離縁証明書に署名はしていないから、今のところはまだ夫ということになる」

「あんた……あんたがそうだったのか……でも、リザ姫は金なんてもらってなかったぞ。五年前に誰かからもらったって言う金貨で、珍しい花の苗を買って、それを増やして売っていたくらいだから」

「その金を渡したのも俺だ……」

 エルランドの声はますます苦い。その足元へオジーは唾を吐いた。

「なんで……なんでもう少しだけでも気にかけてやらなかったんだよ! あの王様は妹のリザ様に何もしてこなかったぜ。その上、勝手に次の結婚まで決められて……だから姫様は未来に絶望したんだと思う。俺の服を着て男になって出ていった」

「……」

 あの時、転んで街道に這いつくばっていたリザは、細くて髪も短く、少年にしか見えなかった。本来なら大切にされているはずの貴婦人──王女なのに。

「ここまでだとは予測していなかった……完全に頭がどうかしていた」

「目も曇っているようだしな」

「その通りだ」

 自分よりも、よほどリザのことを気にかけてくれたのだろうオジーを前に、二人の立場が完全に逆転している。

「今ならよくわかる。あの王はリザを利用する事しか考えてなかったってことがな。だが、それは俺も同じだ。待っていてくれと言っておきながら、手紙と金を送るだけで一度も会いに来なかった……」

「……」

「でもさ、姫様は俺にあんたのことを何も話さなかったよ。あんたに会いたがったり、恨んだりしてる様子はなかった。ニーケには話してたかもしれないけど……」


 それはとっくの昔に、俺はいないものとされていたからだ。


 エルランドは宿屋でのリザの様子から、自分がとっくに彼女の心から切り落とされている事を悟った。

「だから、姫様が逃げ出そうと思ったきっかけは、自分の兄貴よりも年上の男に嫁がされることだったと思う。いくら金持ちでも、後妻だし、自分より年上の子供が大勢いるって言うし」 

「西の公爵とはシュラーク公爵家のことだな」

 シュラーク公爵家は王国の次席公爵で、ミッドラーン国の中でも指折りの名家だ。

 豊かな穀倉地帯を持ち、水運なども整備された恵まれた領地を持つ。成人した子女は数人いるが、本人は滅多に表には出てこない。


 確か去年、奥方が亡くなったと聞いているから、さっそくリザを輿入こしいれさせて、王室との繋がりを強固にしようと思ったのだろう。あの王の考えそうなことだ。

 だが──。


「……全部は思い通りにはさせない」

「え?」

 オジーには低い呟きが聞き取れなかった。

「よし!」

 エルランドはぐいと頭をあげた。おのれのするべきことがわかったのだ。

「オジーと言ったな。俺はリザに会わなくてはならん。いや、実はもう会っているのだ」

「はぁ⁉︎ あんた、なに言って……」

「だが、その前にあのクソ王に言ってやりたいことがある」

 エルランドはオジーが思わず一歩下がってしまうほど、剣呑な顔つきで言った。

「今夜中にな!」


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