第24話23 辺境騎士と王 3

 たった一度訪れただけだが、エルランドは王宮の構造をよく覚えていた。

「俺は今夜、この城の奥に忍び込む。白藤宮という離宮がある」

 部屋に運ばれた夕食を取った後、彼は自分の行き先を三人の従者に告げた。三人とも何も聞かず、ただ頷くのみだ。

「確かめたいことがある。もし誰かから使いが来ても、疲れて寝たとか適当にごまかしておくように」

 そう言い置いて、エルランドは部屋を出た。

 あてがわれた部屋は一階で、屋外に出るのに苦労はない。

 主要宮の壁づたいにエルランドは広い王宮の裏側へと進む。陽は既に落ちていたが、夜目の利く彼は迷うことなく、奥へ奥へと進んだ。

 白蘭宮を抜け召使用の居住区になると、建物の規模はどんどん小さくなり、やがて完全に途切れた。

 ここから先は奥庭となり、更にその奥に使われなくなった離宮があるはずだった。

 「あった。ここだ」

 記憶に間違いはなかった。

 かつては美しかった離宮がほとんど廃墟となって、昇り始めた月光に浮かび上がっている。

  

 あの時は朝靄の中だった。

 

 エルランドは恐れげもなく闇に沈む離宮の内にのしのし入り込むと、壊れた門をくぐり、鍵もかけられていない正面扉を抜けた。五年前、彼はこの扉の前でリザに別れを告げたのだ。

 入ってみると、中は真っ暗で予想通り人の気配はない。

 王は嘘をついたのだ。

「……やはりな」

 白蘭宮の一室にリザがいるとは最初から思っていなかった。子どものリザを無下むげに扱ったヴェセル王が、今さら庶出の末の妹を大切にするとは思えない。リザを哀れむ気持ちなど、彼には微塵もないのだ。

 ホールを入ってすぐの部屋が居間だった。入ったことはないが、そこから侍女と思しき娘が顔を出したからだ。

 エルランドはそこでふと足を止めた。


 あの侍女……背が高くて茶色の巻毛だった。

 

 そんな娘に彼はつい最近出会っている。

 

 まさかな。それに、あの二人は東から来たのだろうし……。

 

 エルランドはすぐに嫌な予感を否定する。それにかつて見た侍女の顔はよく覚えていなかった。

 見ると窓際にランプが置いてある。月明かりに透かしてみても油も濁っておらず、ガラスの火屋ほやも埃を被っていない。つまり、つい最近までこの部屋を使っていた者がいると言うことだ。

 注意深く見渡すと、物が少ない割りに部屋は整えられており、荒れた感じはしなかった。


 まさか!


「リザ! いるのか⁉︎」

 思い切ってエルランドが声を発した時、庭の方から人の気配がした。直ぐに部屋の扉の陰に移動し、様子を窺う。何者かは知らないが、その気配は忍ぶ様子もなく、すたすたとホールを進んでくる。靴音からして男のようだ。

 そいつが居間の扉を潜った瞬間、エルランドの腕が伸びた。

「うわっ!」

「お前は誰だ」

 オジーは驚愕のあまり腰を抜かしそうになっていた。いきなり暗闇から出てきた腕に羽交はがい締めにされたのだから当然だ。

「だっ、だっ、誰だって……あんたこそ誰だ! ここは誰もいない離宮だぞ!」

 その言葉に、肩を締めつける腕が少し緩んだことにほっとしたオジーは尚も叫んだ。

「ひょっとして泥棒か? ここには何もるものなんてないぞ!」

「どうしてそれを知っている」

 するりと腕は解かれ、オジーが振り向くと背の高い男が立っていた。部屋が暗いので輪郭しか見えないのがかえって不気味だ。

「いったいあんたは誰なんだ? 俺はオジー。王宮の庭師をやっている」

「……庭師」

「そうだ。そしてあんたはなぜ、こんなところにいる?」

「俺はエルランドと言う」

 エルランドは低く名乗った。

「エル……ランド?」

 オジーは繰り返してみたが、その名に聞き覚えはなかった。リザはニーケ以外に自分の夫の名を口にしたことはなかったのだ。

「知らないな。でも泥棒でないのなら、ちょっと待ってくれ。今明かりをつける」

 オジーは持ってきた鞄の中から、火種が入った缶を取り出すと、窓辺のランプに火を灯した。その動きは、この作業に慣れている様子だと、エルランドは考えた。

 部屋が明るくなると、二人の男はそれぞれ相手を見定めようと向き合う。

「あんた……騎士なのか?」

 オジーはエルランドの腰に下げた剣を見て言った。

「そうだ。お前はなぜこの離宮に忍び込んだんだ?」

 エルランドもありふれた背格好の青年に警戒を解く。

「温室の花に水をやるためさ。姫様に頼まれたからな」

「花に水だって?」

「ああ、俺と姫様でこの奥に温室を作ったんだよ。温室といっても、壊れた部屋を利用しただけだけど。姫様は珍しい花の苗を育てて市場で売ってたんだけど、旅に全部は持っていけなかったんで、後の世話を頼まれてた」

「おいちょっと待て」

 エルランドは面食らっていた。オジーの言うこと全てに理解が追いつかなかったのだ。

「姫様と言うのは……リザ姫のことか?」

「そうだよ。他に誰がいるんだよ」

 オジーはさも当たり前のように言ってのける。

「それで……お前の話では、リザ姫はここで花を育てて売っていたと言うのか?」

「ああ、そうだ」

「……なんでそんなことを」

「食べていけないからさ」

 あまりにあっさりしたオジーの言葉に、エルランドは言葉を失うばかりだ。

「食べて、いけない、だと……?」

「そうさ。王様があんまり何もくれないんだ。今に始まったことじゃない。数年前から姫様は花を売ってその金で食べていたんだよ」

「……」

「一度どっかの領主と結婚したんだけどね。そいつも姫様をほっぽり出して無しのつぶてさ。手紙の一つもよこさない。だから、姫様は自分でなんとかしようとしたんだよ」

 エルランドはもはや言葉を失っている。

「でも姫様は……姫って呼ばれるのが嫌だったようだから、ニーケも俺もリザ様って呼んでた。だけど、やっぱり俺にとっては姫様だ。お綺麗でお優しくて」

「ニーケ! ニーケだって⁉︎」

 それはつい昨日のことだ。

 足を痛めた娘にセローが名を尋ねていた。

『ニケと申します』

 娘は確かにそう言った。ニケとは、ニーケという本当の名をごまかしたものだとしたら?

「まさか……」

 娘は常に従者の少年を見ていた。常に帽子を目深に被り、彼の方を見ようとはしなかった少年の方を。

「あれが……あの少年が……」

 エルランドはようやくすべてを理解した。


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