第16話15 暗い街道 1

 出発して丸一日、意外にも何事も起こらず、二人の娘は王都の東、ラガースと呼ばれる町までたどり着いた。

 このかん、花を売ったお金で慎ましいながらも食事と宿にありつけたし、通りかかった農家の荷馬車に乗せてもらえたので、行程は意外にもはかどった。

 ミッドラーン国土は、王都から南や西の地方が豊かである。気候は温暖で平地に大きな川も流れているため、交通の便もいい。

 しかし、北や東に行けば行くほど土地は貧しくなる。

 ラガースの町はまだ王都に近いため、さほどでもないが、それでも王都では三階建てが普通だった町並みは二階建てになり、公共施設の建物の規模が小さくなっている。

「リザ様! あれを、あれを見てください!」

 ニーケが指差したのは役所の入り口だった。横の掲示板にはいくつかの張り紙がある。よく見ると、その一枚にはリザの似顔絵が書いてあった。

『尋ね人。行方不明の娘。発見せし者には相当額の謝礼これあり。特徴は黒髪黒目、痩せ型、身の丈……』

 似顔絵の下にはリザの容姿が事細かく示してあった。誰がこんなに自分をよく知っていたのかと、リザは変なところに感心してしまう。

「これ案外私に似ていると思わない? きっとあの嫌味な侍従の仕事だわね」

「ですが、どうして……猶予としては、あと一日あったはずなのに……」

 兄王が離宮に迎えをよこすといった日は明日である。

 リザは自分が兄に、あなどられていると思い込んでいた。

 王宮の門を抜ける時も、王都の城壁を抜ける時も誰にもとがめられなかったのだ。それが幸いし、二人はニーケの大叔母が住んでいるという、ハーリの村まで後一日の道のりを残すのみとなっていた。

 あとから思うと、世間知らずの二人の娘は、旅の出だしがあまりにうまく行ったことに油断していたのかもしれない。

 どう言う訳か、二人より先に捜索願いが回ってきている。それはまだ新しく、のりが乾いていなかった。

「兄上も案外やり手と言う事なのかしら?」

 こんな時ながら、リザは兄王のやり口に感心してしまった。リザはリザで、自分のことを知恵が回らないと思っている兄をあなどっていたのである。

「リザ様、どうしましょう。この分では、行く先々に役人がいると思いますわ」

「大丈夫よ」

 リザは念のため、都を出てから帽子を被って少年の姿になっていた。

 以前より豊かになった胸のふくらみは、オジーからもらった厚めのシャツと上着を着ることでごまかした。

 そして傍目はためにはニーケが主人のように振る舞っている。そして捜索願いにニーケの顔はなかった。リザの特徴を記した最後に、連れの娘一人と記されているのみである。彼らはニーケの顔も名前も覚えていなかったのだ。

「さすがにこの町には入れないから、迂回うかいして反対側に出ましょう。この辺り一帯は多分牧草地よ。きっと家畜小屋か何かがあるのじゃないかしら?」

 リザは平原の植物群に目を凝らした。

「行ってみるしかないわね」

 二人は疲れを押して歩き続ける。

 町に着いたのが夕刻だったので、迂回して反対側の町はずれまで来た時にはすっかり日が暮れていた。

「ニーケ、向こうにぼんやり見えるのは民家ではなさそうよ。藁塚わらづかのようなものもあるし、納屋か倉庫じゃないかしら? 今夜はあそこで休ませてもらいましょう」

「仕方がないですね。鍵が開いていて休めるような場所ならいいですが」

「宿代が節約できると思えばいいわ」

 幸い、まださほど寒い気候ではない。雨の気配もないし、今夜はそうするしかなさそうだった。夕日の最後の名残が消えていく。

「ロウソクくらい買ってくればよかったわね。こんなに急に真っ暗になるとは思わなかった」

 身近な目的ができたので二人の足が早くなる。

「急ぎましょう。今夜は曇っていて、月も星も見えないわ」

わだちが深いから気をつけないと……あっ!」

 リザの目の前でニーケの姿がいきなり消えた。

 空を見上げていた時、道の縁を踏み外した彼女は街道の脇の深い側溝そっこうに転がり落ちてしまったのだ。

「ニーケ!」

 リザは斜面を滑り下りた。家畜が逃げ出さないように掘られた水のない側溝だった。

「ニーケ! 大丈夫? 怪我は」

 溝の底でうずくまってニーケは体を丸めている。どうやら足を痛めたようだった。

「だ、大丈夫です」

 ニーケは痛みに耐えながら言った。額に汗をかいている。

「どう? 立てそう? 肩を貸すわ」

「……すみません」

 埃だらけになったニーケは、なんとか上体を起こすと、リザの腕につかまって立とうとした。

 しかし──。

「痛っ!」

 なんとか立てることは立てたのだが、左足に重心が乗ってしまっている。右足首を捻挫したのだ。

「ニーケ!」

「大丈夫ですから!」

「とてもそんなふうには見えないわ。脂汗をかいているじゃない。一旦座りましょう」

 リザはニーケに肩を貸しながら、溝の反対側の平らなところにニーケを座らせた。

「ここはどう?」

 暗くてよく見えないので、靴の上からそっと触れてみる。

「う……だ、だいじょう……んんっ!」

「痛いのね。触った感じではかなり腫れてる。これって捻挫と言うものかしら。骨が折れてないといいけれど……」

「私は大丈夫ですから、リザ様、どうか私を置いてあの小屋まで行ってください」

「そんなことできる訳ないわ! ここにいてちょうだい。私は誰か通りがかる人がいないか、道に戻って見てくるから」

 そう言うと、リザは斜面をよじ登って道の上に立った。しかし、街明かりを透かしてみても、見渡す限り誰もいない。

 散々目を凝らしてからリザは肩を落とした。

「なるほど……これが現実というものなのね」

 振り返ると、平原に最後の夕陽が消えていくところだった。


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