第17話16 暗い街道 2

 平原が闇に沈んでしばらく経った。東へと伸びる街道を通る者は誰もいない。

 西の方角のラガースの町からは、暖かそうな明かりがまたたいている。

 リザは心の底から孤独を感じた。

 この暗く広い空間に、自分はたった一人で立っているのだ。

 しかし、今は大切な友人を守らなければならない。下を覗き込むと、ニーケは体を丸めて痛みをやり過ごしているようだ。

 リザは次第に焦りを覚えていた。最後の陽の名残も消えた街道に旅人が現れるとは、さすがのリザにも思えなかったのだ。

 

 いつまでもニーケをこのままにはできないわ。町から人を呼んでこよう。

 手配書は回っているけど、一晩くらい帽子を被って少年の振りで押し通せるかもしれない。


「ここに突っ立っていても、仕方がないわ! ニーケ、私、町まで戻って人を呼んでくる!」

「……リザ様っ!」

 ニーケが何か叫んだようだが、リザは振り返らずに町へと走った。一刻の猶予もない。


 早くニーケの手当てをしないと! もし、骨が折れていたら……。

 全部私のせいだ! 私が逃げ出したりしなければ何も問題は起きなかったのに。


 わずかな明かりを頼りにリザは街道を走った。しかし、思うように進めない。ここで自分まで怪我をしたら、もうこの旅はおしまいだろう。

「もう少しよ! リザ、頑張って!」

 遠かった町の灯がリザの額にまで届くようになった時、東の方角からひづめの音が響いてきた。


 ──誰か来る!


 振り返っても、暗くて何も見えない。

 しかし遠くに小さな灯りが上下している事はわかった。蹄の大きな高鳴りは市民や商人ではない、訓練された馬の足音だ。

 リザはもう何も考えずに、道の脇にけ、馬が近づくのを待った──が待つほどのこともない。

 馬はあっという間に近づいてきた。それも一頭だけではない。大きな黒い影のかたまりは、まるで物語で読んだ怪物のようだった。遠かった蹄の音が間近で響き、荒々しい息遣いまでも伝わる。馬をよく知らないリザには恐ろしい光景だ。

 しかし、躊躇ためらうゆとりはなかった。四、五騎の騎馬隊がすぐそこまできている。先頭の騎馬が乗馬用のカンテラを持っていた。

「お願い! 待って! 待ってください!」

 馬が駆け過ぎるのに並走しながら、リザは叫んだ。しかし聞こえないのか、それともリザなど無視するつもりなのか、騎馬隊はどんどん通り過ぎていく。

「待って! 待ってぇ! 怪我人がいるんです!」

 地響きを立てて最後の馬がリザのすぐ横を通り過ぎていく。彼女の足ではとても追いつけそうにもない。リザは生まれて初めて本気で走った。

「あっ!」

 小石につまづいて盛大に転んでしまう。

 膝を打ったらしく痛くてすぐに立ち上がれない。これではニーケの二の舞だ。それでもリザは土くれを掴んで必死で叫び続けた。

「お願い! 気づいて! 私はここよ!」

 その時──。

 蹄の音に紛れて「止まれ!」と叫ぶ、男の声が聞こえたような気がした。

 道に両手を突きながらリザが茫然としていると、町の灯りを背景に、列の中程の騎馬がゆっくりと馬首を返す様子が見えた。

「……助けてください!」

 答えはない。


 カツカツカツ


 乾いた響きを立てながら、大きな騎馬がリザの方にやってくる。

「あ……」

 その人馬はものすごく大きかった。地面にいつくばっていたので、余計そう思ってしまったのかもしれない。

 しかし、その姿に勇気を得て、リザは地べたに両手をついたまま叫び続けた。

「お願いです! 連れが怪我をしてしまったのです。どうかお助けください!」

「……ラガースの子どもか」

 リザからほんの二ルーメルメートル先でとまった大きな影から低い声が降ってくる。風除かぜよけに立てたマントの襟のせいか、声がくぐもっている。他の馬が町の灯火を受けて赤茶色に見えるのに対し、その人馬はどこまでも黒かった。

「いいえ! た、旅の者です。私……僕の主人が溝に落ちて足を怪我してしまったんです! どうか、お助けください」

 少し落ち着いてきたリザは、低く聞こえるように声を落として言った。

「夜旅か、感心せんな。セロー、見てやれ」

「は!」

 前方からもう一騎やってくる。若い男のようだ。

「立てるか?」

 最初の男は馬から降りてリザの腕を掴む。あっと、思う間にリザは立たされていた。まるで操り人形にでもなった気分だった。

「怪我はなさそうだな。怪我人はどこだ?」

「こっちです……きゃあ!」

 リザは素早く気持ちを切り替え、暗い街道を戻ろうとしたところ、腰をさらわれて馬に乗せられてしまった。すぐに男が背後にまたがり、支えてくれる。

 セローと呼ばれた男が素早く前に出た。この青年がカンテラを持っていたのだ。灯火は、暗闇に慣れた目に意外なほど明るく、暖かく思えた。

 その時わかったのだが、男達は一様に略式のよろいとフード付きの分厚いマントをつけ、大きな剣をたずさえている。どうやら地方の騎士のようだ。

 王宮の兵士と似ているが、彼らとはまとう空気が全然違う。例えるなら飼い犬と野犬の違いだろうか。

「あ、ありがとうございます」

 二騎はリザが懸命に走った道をあっという間に引き返した。

「ここです」

 リザはニーケがいるはずの側溝を指して叫ぶ。

「お嬢様、親切な方をお連れしました!」

「リオ? リオなのね!」

 ニーケはリザの偽名を呼んだ。

「大丈夫ですか?」

「ええ。でも、ごめんなさい。道まではとても登って行けそうにないの」

「どうしたら……え?」

 リザが困っている間に、するりと馬から降りたセローがカンテラを置いて側溝に滑り込む。下で何やら低く囁いていたようだが、あっという間に彼はニーケを横抱きにしてのしのしと斜面を登って来た。

「……」

 リザは思わず、背後の男を見上げた。

 同じ鞍にまたがっていても非常に背が高い。しかし、旅人用の鍔広帽子トラベラーズハットを深く被り、マントの襟を立てているため、整った鼻梁びりょうの線しか見えなかった。

「お嬢さん、一旦下ろしますね。でも、立たないでください」

 セローがニーケをそっと地面に下ろし、置いてあったカンテラを取り上げた。

「エリツ様、お連れしました」

 エリツと呼ばれた男は黙って馬を下り、リザにも手を貸して下ろしてくれる。地面が見えるのでもう安心だった。

「あ、ありがとう、ございます……」

 その時、揺れるカンテラの灯りを拾った帽子の奥に、ちらりと緑の光が見えたような気がした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る