第15話14 逃避 3

 東の城門で、二人はオジーと別れた。

 オジーは、幼い頃に王宮を追い出されたリザを助けてくれた、数少ない友人と言ってもいい存在だ。

 出会った頃はそばかすだらけの少年だったが、今ではリザより頭一つ背の高い青年になっている。

 彼と別れるのは辛いことだった。

 しかし、日暮れ前に王都郊外の宿に着くためにはぐずぐずしてはいられない。

「オジー、今まで本当にありがとう。おじいさんやおばさんによろしく伝えてね」

 リザはオジーの家族に迷惑がかからないように、自分たちの逃亡を家族に伝えることを禁じていた。どうせ遠からず兄の使者に見つかるのだ。

「本当は俺も一緒に行きたいんです」

 オジーはリザの手を取って言った。

 彼はもう一人前の庭師だったが、王宮の庭師にも位があり、彼は低い方の家の出だった。家には足を悪くして引退した祖父と母、幼い弟妹がいて、オジーが彼らを養っている。

「だめよ、それは。家に迷惑がかかるわ。何度も話し合ったじゃない。それよりオジーの方が心配だわ。私たちの逃亡を助けたってことで、後から罰を受けるなんてことないかしら」

 リザ達は知恵を出し合い、兄王からの使者が到着する前の晩まで、オジーが離宮に忍び込んで窓際に明かりを灯すことになっている。偽装のためだ。また、置手紙にも偽りの日付や内容を記していた。

 ヴェセルはリザのことを知恵の足りない娘だと思っているようなので、時間稼ぎくらいはできるかもしれない、そう思って。

「大丈夫。俺はなんとでもなります。そもそも仕事以外では、誰も俺のことなんて気にかけてないし。だから心配しないでください、リザ様」

「いいえ、これからはリオよ。僕はリオだ」

 リオとは、リザが少年の格好をする際の偽名である。城壁を出てすぐのところにある、オジーの祖父の古屋で二人は変装する予定だった。

「まだ、女の子ですよ」

「すぐに男の子になれるわよ。私は痩せっぽちだし」

「わかってないようだけど、リザ様はお綺麗なんですよ」

 あっさりとしたリザに、オジーは真面目な顔で言う。

 ろくに食べられなかった子どもの頃とは違い、今のリザは華奢ではあるが、年相応に柔らかい曲線を持っていた。華やかに咲き誇る大輪の薔薇ではなくとも、月光の元で露を含む白百合の風情があるのだ。

「男の子の格好をしていても、親しげに近づいてくる男には絶対に気をつけてくださいね」

「わかっているわ」

 わかっていない子どもが言うように、リザは受けあった。

「ニーケ、ニーケだけが頼りだから」

「ええ、オジー。私が絶対にお守りする」

 ニーケは大きく頷いた。

 しかし、誠実な茶色の目の奥には不安な色が隠しきれていない。自分たちがあまり世間のことを知らないと言うことを知っているのだ。本当は最後まで逃げ切れるかどうか自信がない。

「しばらくは手紙も出せないわ。元気でいてねオジー……今まで本当にありがとう」

 さすがに涙をにじませ、リザはオジーの手を取る。

「本当にお気をつけて……くれぐれも無茶だけはしないでください」

「わかった」

「本当にダメだと思ったら……戻ってきたっていいんです。本当に、本当ですよ……いざとなったら、俺がリザ様をお嫁さんにするから」

 最後の言葉はリザの耳元で囁かれ、頬に唇が触れた。

「まぁ、オジー!」

 ニーケが咎めるようにオジーの袖を引っ張る。

「いいのよニーケ。私だってオジーが大好きだわ。捕まったら今度はオジーと逃げようかな?」

 リザは泣き笑いの顔で言った。オジーの目にも涙が浮かんでいる。

 今まで何くれとなく助けてくれた少年なのだ。

「ありがとう、オジー」

 明日何が起きるのか見当もつかない。世間知らずの甘い考えを後悔することになるのかもしれない。


 でも、今は進むしかないのだわ。

 私は自分で決めたのだから。


「行くわ」

 リザは、弱気な考えを振り払うように言った。

「またね、オジー」

 手を振るオジーを残して二人は歩き出す。城門の人の往来は激しく、オジーの姿はすぐに見えなくなった。二人は行き交う人々に紛れて城門を出た。

「ここからが本当に外なのね」

 街道はまっすぐ東に向かって伸びている。

 今日一日でリザの世界は、大きく広がったのだ。


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