第14話13 逃避 2
東の市。
それは王宮の東の小門からほど近い通りにあり、古くからの堅実なが商人が多く、幅広い道の両側には様々な店が並ぶ。
多くは午前中に店じまいをするため、簡単な木組みに布を張っただけの店がほとんどの市場だったが、今日も多くの人で賑わっていた。
「お花はいかがですか? 長持ちしますよ」
リザは初めて店の表に立っていた。
最初のうちこそ、大きな声を出すことに戸惑っていたリザだったが、オジーに励まされ、一生懸命に声を出す。こんなに声を出すのは初めてだった。
「リザ様、上手ですよ!」
「ありがとう、最初は恥ずかしかったけど、慣れたら楽しいわ」
リザの頬は真っ赤になっている。この日のために今まで育てた苗や花を全て持ってきたのである。できるだけ売り切りたかったのだ。
絵を描く道具は持ってこれなかったが、最後に書いた花の絵はいくつか額に入れて店の奥に飾っている。
「ここを出ていく」
リザの決心に最初は反対したニーケも、今は隣に立って呼び込みをしてくれている。
「久しぶりだね、お花屋さん! おや、今日は可愛い売り子さんが二人も! じゃあこれとこれを十本ずつ分けて縛っておくれ、今夜店に飾ろう」
「ありがとうございます!」
花は次々に売れていった。最初は切花よりも株を買う人が多かったが、時間が経つにつれて切り花の方がたくさん出るようになってきた。
買うのは主に夜の商売をする店の人たちのようだ。
「この分では午前中に売り切ってしまいそうですね」
ニーケが嬉しそうにリザを振り向く。
「そうね。
使者が来た翌日、リザとニーケは丸一日話し合った。
兄王から迎えが来るのは五日後、それまでは放って置かれるのは今までのことからして間違いない。市の立つ日は三日後だから、リザに与えられた猶予は二日だった。
リザが自分で考えて逃げ出すなどと、兄は思いもしないだろうから、この二日をできるだけ有効に使わねばならないのだ。
「一緒に来ることはないわ、ニーケ」
リザは精一杯強がって見せた。
「いいえ、私も一緒に参ります」
ニーケの声にも目にも迷いはない。
リザより一つ年上のこの娘は、リザの母親が生きていた頃からリザに仕えてくれた、唯一の侍女なのである。彼女にとっても一番近い身内であった祖母が死んでからも、給金も払えないのにリザと共にいてくれた。リザにとっては友人とも姉ともいえる無二の存在だった。
「でも、どうなるかわからないのよ。ニーケまで私の巻き添えになることはないわ」
「私の
ニーケはきっぱりと言った。
「それよりも、これからどうなるかを考えましょう。リザ様が逃げたと知ったら、陛下はきっと人相書きを作らせて捜しにかかりますよ。シュラーク公爵と言えば王室に次ぐ家柄ですし、公爵様の面目をつぶすわけにはいきませんもの」
「だったら逃げる時には男の子の格好をするわ。そしてニーケの従者ということにする」
「そんなことできませんわ!」
ニーケはとんでもないと言うふうに首を振った。
「できるわ。私はもう、なにもできない十四の子どもじゃない。働くことは好きよ。それに、もし捕まったって殺されたりしないわ。無理やりお嫁入りさせられるだけよ。その時はニーケだけでも逃げてね」
「そんな! 私はいつまでもお傍に!」
「いいのよ、そんなこと。もしもの話より、今の問題はどこに向かって逃げるかだわ。あてもなく逃げ続ける訳にはいかないし」
リザは真剣だった。
「それなら、王都から東に二、三日くらい行ったところのハーリ村に、私の亡くなった祖母の妹──大叔母が住んでいます。ラガースと言う町の先の小さな村です。最近は年に一度の手紙のやり取りぐらいしかありません。でも、いい人ですし、しばらくそこに身を寄せられては?」
どんどん現実的な方向に話を進めるリザに、ニーケも腹を
「まぁ、東の村に大叔母様が⁉︎」
「はい。私も子どもの頃に、何回か祖母と一緒に訪問したことがあるだけですが、大叔母は確か仕立て屋のようなことをしていたようです」
ニーケの話では、祖母が亡くなってからはニーケがリザの離宮に詰めっきりになってしまったので、手紙以外の交流は途絶えていると言うことだった。
「仕立て屋さんか。私にもできる仕事を見つけられたらいいんだけど……」
「仕事、ですか?」
ニーケは心もとなさそうに言った。リザの裁縫の腕は、みられたものではなかったからである。
「ええ。私だって、仕事をしないと食べていけないことくらい知っているわ。私は教養がないから難しいことは無理だけど、掃除婦とか皿洗いなら」
「姫さまが掃除婦!」
ニーケは久しぶりに姫という称号を用いた。普段はリザが嫌がるので姫と呼ぶことはなかったのだ。
「ええ、そうよ。それくらいしかできることが思いつかないもの。それに私は」
「姫じゃない、ですわよね。でも、リザ様にはミッドラーン王家の血が流れているんですよ!」
「半分だけよ」
「それでもです! 第二王女様だって庶子だと言いますけど、立派なところにお嫁に行かれたと聞きます」
五年前の宴で会ったその姉は母親が地方の伯爵令嬢だと言うことで、兄と同じ美しい金髪を持っていた。だから、大切にされたのだ。
「私だってそうよ。もっとも、もう……離縁されるけど」
リザは自嘲気味に笑った。
「でもね、いいのよ。たった一度会って、それっきりの縁だった……と言うだけよ」
リザはニーケから目を逸らし、住み慣れた離宮を見渡した。
古びてあちこち崩れかけ、住めるのは居間と二人の寝室くらいである。二階の天井は一部抜け落ち、石の階段はひびが入っているから登ったこともない。
苦心して作った温室の扉を閉ざし、裏の母の墓に最後の花を備える。
──これだけが私の許された世界だった……。
『イストラーダ地方はミッドラーン国の最東にある。そこはミッドラーン国でも一番貧しい国土で、今までその地を治めた領主がいなかった。また、これと言った産業もなく、人口も希薄だ。よって非常に危険な土地だ』
かつてのエルランドの言葉がよみがえる。
「……リザ様?」
ニーケに呼ばれてリザは我にかえった。にぎわう市場のただ中である。
「どうされましたか? お疲れに?」
「いいえ、大丈夫よ」
物思いから覚めたリザは、改めて辺りを見渡した。
「どうやらお花はあらかた売れたみたいね……そろそろお店を閉めて出発した方がいいのかしら?」
リザが市場を見ると、ぼちぼち店じまいを始めているところがある。
そろそろ正午にかかろうとしていた。
売れ残った花は道ゆく子どもに配って、三人は店をたたみはじめる。
オジーは王都の城門まで送ってくれる手筈だが、家族も仕事もあるから連れて行かない。三人は黙々と作業を続けた。
ふと見ると、リザの描いた絵が一枚売れ残っている。
珍しいが小さな花を緻密な筆致で描いた作品だが、花が地味なので目立たなかったのだろう。
「こんなの誰もいらないわね」
……私みたい。
リザはその絵を前掛けで包み込み、荷物の底にそっと入れた。
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