エピローグ:ゆりかごの先へ

エピローグ

 シェルター社会に火葬の風習は無い。巨大な火葬場をこしらえるよりも住居区画の拡充が第一、そんな台所事情なので死体は喪が明け次第処理場でドロドロに溶かされる。

 私は身分が身分なので葬式をあげようと思わなかった。おそらく彼女の死体は処理場に直接送られるだろう。あるいはカズハの場合ホムンクルスゆえに研究のためと称して解剖されたり、可能性は低いけどより従順な兵隊を作るために彼らと並列化されたりするかもしれない。確かにカズハであれば――私限定だったかもしれないけど――人間を上回る運動能力を持っていたとしても「二葉ちゃん、私力持ちだから雑用は何でも任せて!」なんて言いそうだ。引きこもりの多いシェルター社会、彼女をメイドとして運用するのは悪くないかも。

「お姉さんとの今生の別れだって言うのにずいぶん元気だね」

 私と冷泉は病室からカズハの遺体が搬送されるのを見送っていた。

 五か月という長い入院期間、私はここでただ横になっていたわけでは無く冷泉から依頼されたホムンクルスの運用指導をしたり、新兵器の実験についてあれこれ提言したりと肉体労働が出来ない代わりに頭脳労働に励んでいたのだ。

 そのおかげで病室には大量の資料が足の踏み場もないほど散らばっていてすっかり自室と化していた。匂いも消毒に混じって生活臭……とりわけカズハの甘い匂いが今もほんのりと漂っている。私が絶対安静を理由に整理を放棄し、その度に彼女が狭い部屋の中を縦横に掃除していたのだから当然といえば当然か。

 そして……私の傷が完治すると同時に、すべての仕事が終わったと言わんばかりにカズハは寿命を迎えた。

 ホムンクルスの死体といえば凄まじいものだ。基本的に無表情な彼らも死の間際だけは表情を歪める。汚染動物との戦闘で傷ついた個体はもちろん、五体満足でも汚染の蓄積が原因で寿命を迎えると今までため込んでいた物を解放するように苦痛を表す。

 それと比べるとカズハの死に顔は綺麗すぎた。羽毛の如く純白に染まった髪に包まれ、ベッドに横たわる私の上へ体を横たえたカズハ。いい夢でも見ているんじゃないかと錯覚するほどの満足そうな笑顔で、揺り起こそうとその身に触れた所でようやく彼女の肉体が冷たくなっている事に気が付いた。

 ストレッチャーの音と共に匂いの元が離れてゆく。じきに私もここを去る。この場所に私達がいた痕跡はすぐにでも無くなるだろう。

 でもそれでいい――

「ええ。カズハと別れるのは悲しいけど、今日は私の退院日でもあるもの。早く復帰して働く。それがカズハへの最高の供養よ」

 患者衣から仕事用のボディースーツへと着替える。今までなんとなく着ていたそれ、袖を通すとなんとなく背筋が伸びる気がする。ヘルメットを被れば今にもカズハの「頑張れ」が聞こえそうだ。

 今まで私は嫌な場所から逃げ続ければ自分の場所が見つかると思っていた。うぬぼれる訳じゃないけど私はどんな場所でもそれなりにやっていける能力がある。そうやって力に任せて目的通りに外に出られて……だけど外に出た所で――どんな場所にたどり着いても――嫌なことはそれなりに存在する。まぁ、流石に化け物に襲われるのは予想外だったけど。

 けれど、逃げる事だけじゃ無くて、安心できる場所を持つことも必要だとカズハは教えてくれた。カズハそのものは稼働時間を終え、おそらく二度と会うことは無いだろう。

 でも、彼女が見せてくれた記憶、与えてくれた愛情、残してくれた場所は今でも私の中にあるのだ。これさえあれば私はどんな場所にいたって疎外感に苛まれない。カズハは死にざままで人生に悔いの無い満足した事を示してくれた。こんなひねくれた子供の……私の存在を肯定してくれたんだ。それがある限り私は前を向いて戦える。

「ま、二葉が平気ならそれでいいや。明日からまた作業員としての復帰頼んだよ」

「了解。しばらくは勘を取り戻すのに時間を使いたいから戦闘は勘弁ね」

「善処するよ。ところで来週辺り暇が出来そうなんだけど一緒にディナーでもどうだい?」

「カズハがいなくなったからって露骨すぎない?」

 人に人道を説いておきながらその身代わりはなんなんだよ。相変わらず野心に忠実と言うか……冷泉、アンタが政界で嫌われるのそう言う所よ。

「やめておく。内臓をやっちゃっているし、当分は味気ない病院食で過ごすつもりよ。この仕事体が資本ですもの」

「どうやらお姉さんは死してなお二葉のことを守っているみたいだね」

「もちろん。私は冷泉の事嫌いじゃないけど、私の事がどうしても欲しいのならトップになってからにして欲しいわ。私は自分の事を安売りするつもりはないもの。特に、今は夢が出来たしね」

「夢?」

 冷泉のツインテールが疑問に揺れる。たまにホムンクルスがするフリーズの表情に似ている。何だ、私が夢を語ることがそんなにないか。

「『地上奪還計画』。お姉ちゃんが出来なかったそれを私なりにやってみたくなったのよ。このくそったれなシェルター社会を破壊するには地上を取り戻すのが一番いいでしょ。それにあの緑だらけの地上も気に入らない。私が本気を出せばホムンクルス達を使って何もかも破壊できる事は証明済みだし、ここで生き残ったのも何かの縁よ。私のためにシェルターを使ってやろうじゃない」

「で、自分が色々やるために私がトップでいてくれた方が都合がいいと」

「元々外の事は私を使って色々やるつもりだったんでしょ。私もアンタの計画に乗ってあげるんだからアンタも私に協力しろ」

「手厳しいねぇ。二葉を手に入れるまで一体何年かかるやら」

「私が引きこもっているだけの愚図には興味無いの知っているでしょ。私の一番になりたかったら偉くなる事ね」

 冷泉が勝手なら私だって勝手だ。こんなのいわゆる恋愛のプロポーズにはならない。どちらかといえば共犯者になる事を宣誓している、どこまでもビジネスライクな関係性。

 けれど冷泉はそれで満足する。ツインテールの毛先をふりふりと揺らしては背を向けて手をふる。「だったらすぐにトップになろう」彼女の背中はそう語っていた。

 さて、冷泉も出て行った事だ。私も病室を出よう。散らかした資料は誰かが片付けてくれる。シェルターのそう言う所だけは評価しても良い。

『行ってらっしゃい』

「――⁉」

 ヘルメットを持っていたせいなのか、一瞬生命維持装置が光る錯覚を見た気がする……。遺体はとっくに去っているのに……残留思念?

 新時代、幽霊なんてものはとっくに信じられなくなっているけど、もしかしたらカズハなら心配性が原因でなっていてもおかしくないか。いや、何かの資料で正体は記憶が作り出す錯覚って話も……。

「まぁ、なんでもいいか」

 せっかく彼女の声が聞こえたんだ。確かにこのままこの場所を去るのは少し味気ない。ホムンクルス部隊の編成に、私が目指す地上奪還計画とこれからやるべきことはたくさんある。人生の新たな門出を祝うのであればそれなりの言葉が必要だろう。

 すでに去った姉に、託され私に勇気をくれた姉、二人との決別にふさわしい言葉はもちろん――

「行ってきます」

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ゆりかごの先へ 蒼樹エリオ @erio_aoki

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