4―3
「――っ……ここは……」
いつの間にか私は立っていた。ここは一体どこだ……?
状況を知ろうと首を揺らそうとする。けれど頭部は頑として動かない。まるで私の意識が何か鋳型に押し込められたような……。
『ホムンクルス特型に草薙一葉の記憶を』
行動を促され、私の肉体が前へ動く。眼前に広がるのはホムンクルス用の並列化装置。そこで私はここがカズハの記憶の中である事を悟った。
普段使っている彼らと比べると驚くくらい鮮明な記憶……彼らの場合数百という記憶と経験を混ぜ込んでいるせいかノイズが酷くて短い応対で精いっぱいだった。彼らに比べるとカズハは純粋なのだろう。お互い無防備な領域で殴り合うだけのつもりが、どうやら予想以上に深い領域にまで飛び込んでしまったらしい。
『うー……』
一歩一歩ゾンビのように前に進むカズハ。この状態だと製造後のホムンクルスとなんら変わらない。まっさらな人型にデータを注ぐことでようやく動けるようになる。
カズハの場合は姉の記憶。なるほどそれならばコイツの行動が一々人間臭い事の説明がつく。姉をベースにすれば私という存在に奉仕する存在を手っ取り早く作り出せる。相変わらずシェルターは押しつけがましい事を……。
『うー……』
頭部に今私が被っているようなヘルメットが装着される。いよいよ並列化、もとい姉の記憶がカズハに。
「……‼」
再び視界が暗転する。脳に響く雑音の数々。彼ら特有の幻聴のノイズ、並列化。名も無いホムンクルスがとうとうカズハへ――
『二葉……ちゃん……』
「‼」
聞き慣れたカズハの声……いやこの衰弱時の擦れ方と懐かしさを覚える口調は……。
『痛い……苦しい……』
これは姉の死の直前の記憶だ。
「お姉ちゃん!」
深くもぎりすぎて叫んでも届かない。それにここはあくまで記憶の中、亡くなった姉に今さら触れられるわけでもないんだ……だからこそ……もどかしい。
『でも……きっと二葉ちゃんはもっと苦しむ事になるんだろうな……』
「お姉ちゃん……」
『私が中途半端に病気だから……中途半端に二葉ちゃんを妹として、人間として扱ってしまったから二葉ちゃんを提供の事で宙ぶらりんにして苦しめてしまった』
「そんな事無い! だって私はそのために生まれてきて……でもできなくて……私は……お姉ちゃんに使われたかった! これはシェルターに植え付けられた役割なんかじゃない。私は……私の事を人間として扱ってくれたお姉ちゃんの事を心から尊敬しているもん!」
『きっとお父さんたちは……二葉ちゃんの事を無神経に私の代わりとして育て始める……。それは正しい事かもしれない。だけど、病院に閉じ込められていた私だから分かる――二葉ちゃんはきっとこの内側の矛盾に気がついてしまう……』
「それは――そうだけど……」
『それは苦しい。二葉ちゃんはどこにも馴染めずに色んな所で迷ってしまうかもしれない』
『だったら』
堅い口調と共にノイズが止む。
『私が草薙一葉の意思を継いで――二葉ちゃんの居場所になる』
カズハの視線が十四歳の私を捕える。
『二葉ちゃんが賢くなりたいのなら、私は喜んで知識を与えよう』
私の前に大量の紙の資料が置くカズハ。感謝の言葉を碌に述べず、勉強にのめり込む姿を見てもカズハは憤慨しない。それはホムンクルスゆえの無感動では無く――彼女の記憶に潜り込んでいるから分かる。口元の歪み……カズハは努力に励む私を見て笑っているのだ。
『二葉ちゃんがみんなに対して恐怖を覚えるなら、私は喜んで盾になろう』
場面がカウンセリングミーティングの広場に変わる。バレーボールを私に返すカズハ。表情こそ普段のバカみたいな笑顔だけど、対照的に背筋に凄まじい悪寒を感じる。あの日私が見たクローン人間・カズハに対する差別的な視線……カズハの記憶のベースがお姉ちゃんであれば彼女が人間の悪意に気付かない訳が無いのだ。
それなのにカズハは笑顔の仮面をかぶり続けて、周りに合わせてでっち上げた懺悔を口に出す。アウトサイダーが周囲に馴染めるはずが無い。退屈と居心地の悪さがカズハの底でわだかまっていく。それでも彼女がバカのフリして会合に参加するのは私のため。社会から外れてしまった私を人間の悪意から守るためにカズハは戦っていた。
『二葉ちゃんがこれ以上傷つかないように、二葉ちゃんが感じる理不尽の原因は私にあるように……二葉ちゃんの不満を全て受け入れよう』
再び場面が切り替わるとそこはカズハが積み上げたキッチンの中。彼女の記憶を共有してもどの機械がどのような働きをしているのかさっぱり分からない。
けれどその中で一つだけ、私が根強く覚えているものが飛び込んできた。
『うーん……どうしよう』
カズハが悩まし気に持っているのはあの日両親が私にプレゼントした「人間用」の食物プリンターだった。
『結局、このプリンターから都合よく味のデータだけを抜き取る事は出来なかったなぁ……』
映像紙にプリンターのスペックが表示される。それと通常のプリンターとを比較してカズハは改めてため息を一つ――
「なんなのよこれ……」
感覚を共有していても――私はため息どころじゃ無かった。
両親が私に告げた「人間らしい味」。それを構築するのは恐ろしいまでのカロリーと化学物質の塊。
その構成に最も似ている食品は外の作業で支給されるカロリーバーだろう。ホムンクルスとの通信と肉体労働で消費するカロリーを補うためのそれは明らかにシェルター内の生活に限定すると過ぎたもの。端的に言って毒だ。
『ま、味付けについては大分ごまかせるようになったし。料理文化が復興したら私はシェフになれるだろうな』
そう言うとカズハは鼻唄交じりで料理を始める。相変わらずどの機械がどのような作業を請け負っているのかさっぱり分からないけど、一つだけ理解できるものがある。
『ふー。ふー』
それは味見だ。カズハの資料を盗み見した時に見た覚えがある。味付けの細かい調整を行うために一口分舌の上に乗せる行為。
『……うん……いいんじゃないかな……』
ゾッとした。陽性であるカズハに似合わない、落ち込んだ、自信の無い声。そしてはっきり「薄味」と感じた味覚……。
デザイナーベビーは先天的な疾患持ち。冷泉が視覚であれば……お姉ちゃんの場合は味覚。クローンである私達はその特徴を完璧に引き継いでいた……。
振り返ってみれば、プリント食物は完全食品だ。出力されたものが何であろうと栄養価は共通。臓器保管庫である私の場合少し調整が必要かもしれないけど、味覚をいじる必要は全くない。病院食は薄い。どこで仕入れたか覚えていないけど、そんな社会習慣が脳に刷り込まれていたから私は「薄味」という概念を知ってしまった。
仮に味覚を求めるあまりブーストがかけられた「人間用」のプリンターに手を出していたら……今は外に出ているからいいけど、シェルターに留まる人生であれば世にも珍しい生活習慣病で死ぬ事になっていただろう。私は食べ物程度に殺されるところだった。
せめて二葉ちゃんが成人するまでは――カズハは私が、私達が抱える決定的な異常を隠すために行動を起こした。両親のプリンターを隠し、帳簿をごまかしてプリンターを買う余裕が無いとごまかし、挙句の果てにはこんな大それた前時代のキッチンを作り上げて……。
『うん、これならまぁ……二葉ちゃんも及第点はくれるかな』
「何が及第点よ……」
『二葉ちゃんが喜んでくれるの……楽しみだなぁ……』
「何が……何が楽しみよ……」
クローン・ホムンクルスにも感受性がある。そんな事彼らにさんざん潜って理解していた。だったらカズハには? 自らを「二葉ちゃんのお姉ちゃん」と定義しては私の奴隷のように振る舞っていたカズハ。私の世話をする事を喜んで、悪意に不満を覚えて、味覚がないことに葛藤を抱えて……カズハはただの人形なんかじゃない。私と同じように悩んで前に進む人間、私の――
「お姉ちゃんの……バカ‼」
ああ認めよう。草薙カズハはどうしようも無いくらいに私のお姉ちゃんである事を。
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