4―2

「んっ……」

 視界が白んでくる。宙ぶらりんだった五体の感覚も神経の一つ一つが行き渡って……眩しい。死後の世界って言うのはこんなに目に悪いものなのだろうか――

「またくそったれな……――ッ‼」

 腹部が真っ赤に染まる激痛――あの世にも痛覚なんて存在するのだろうか。だとしたらシェルターよりもクソな設計じゃないか! 私はようやく内臓を姉に返せるのに、その内臓が私の中で暴れてどうするんだ!

「あーあーいきなり動かない。二葉は本当に頑丈だね。入院してまだ一日しか経っていないっていうのに」

「……その声……冷……泉?」

 あの世に冷泉がいる訳が無い。アイツは私程度が死んだ所で後追いするような繊細なヤツじゃない。私が駄目なら他の女をナンパして野心のままに夜明けのコーヒーでも飲んでいる奴だ。

 だとしたらここは――

「……無事だったの?」

「全治五か月の全身打撲に、一生ものの腹部の傷を差し引けばまぁ、無事といっていいのかな」

 取りあえず生きているよ。冷泉はそう言うと私の事をベッドに押し付けた。どうやら絶対安静ということらしい。代わりにリモコン操作で上半身を起き上がらせてくれた。

「……何で――」

 生きているの。続く言葉は酷くぼやけている。どう考えても私は死んだはずだ。いや死んでいないとおかしい。

 資源の限られているリソース社会。外側に弾かれた私をわざわざコストをかけて救出する意味が分からない。回収されるべきは毒猪で、こんなボロ雑巾みたいな私なんかじゃないだろう。

「そうだね……まず二葉が納得する説明から述べるとしよう。

 未知の強敵相手にホムンクルスたった二〇体前後の消費で撃破した成果を上層部は大変気に入ったらしい。あのイノシシ――回収したホムンクルスの脳には毒猪ってネーミングが記録されていたけど――それをそっちのけで今回の功労者である二葉を救助して急いで緊急治療を施したってわけさ。

 ホムンクルスにだっこされて曲芸する羽目になるなんて思いもしなかったけど、まあそのおかげで二葉を手早く回収できたわけだし。私、命の恩人なんだぜ。畏れ敬いなさい。ああ、お礼は退院後にデートでいいよ」

「ありがとう、助かったわ……って!」

 コイツさらりととんでもないこと言わなかったか⁉

「冷泉、ホムンクルスを精密操作できるの⁉」

 冷泉はネコ目の愛らしさをマシマシに微笑むとベッドの下から私のボロボロのヘルメットを取り出した。

「もしかしたら気づいているかと思っていたんだけど、私って君のお姉さんと同じデザイナーベビーなんだよね」

「……マジで」

「そ、マジ。二葉のストーキングついでに脳波パターンを分析して、これからの私達が外の世界で効率よく作業できる方法を仕事の一環として研究していたってワケ。ホムンクルスの声っていうのは分からないけど、二葉程じゃなくても私にも彼らを自在に操れてね……あのスーツはいい。ジェットコースターさながらのスピードでの救出作業はなかなか楽しかったよ」

 私の不安も幻聴も何もかもがバイタルサインとしてシェルターに提出される。それを使う側の人間の何と傲慢なことか。冷泉も冷泉で特殊な生まれなわけだけど、自分の特技をこうも得意顔で使われたのは命を救ってくれたとはいえ腹立たしいぞ。

「そして二つ目の理由はもちろん私が二葉を愛しているからさ」

「嘘つけ! 私はアンタの退屈を満足させるための道化じゃないぞ!……っ……」

 再び冷泉が私をベッドに押し付ける。

「そう怒るなよ……傷口が開くって。確かに二葉を見ていて飽きないって思うことはあるけど――」

「そこは否定しないのかよ……」

「もちろん。私は自分の欲望に正直だからね。一つ生々しい話をしよう。君のお姉さん同様、デザイナーベビーっていうのは遺伝子操作の影響で肉体に先天的な悪影響が出てしまっている。私の場合はほら」

 そう言うと冷泉はトレードマークの一つである丸メガネを外した。初めて見るすっぴんの彼女の顔。見慣れたネコ目は私に注がれているのだけれど、瞼がドンドンすぼまって行く。

「……見えないの?」

「メガネが無かったらほとんどね。可愛い二葉の顔もこの状態だと輪郭が見えるか見えないか」

 再びメガネをかける冷泉。中指でクイッと格好つけた動作でポジションを決めると今度こそ焦点の合った瞳が私に注がれる。

「各家庭にランダムで配布されたデザイナーベビーの出生権。二葉曰く愚鈍なシェルター市民はみんなのために喜んで産んだわけだけど、生まれた子供は先天的な障害持ちだらけ。シェルターでは駆逐したはずの病気を持った子もいれば――私なんて両目で済んでいるからラッキーなものさ――中には死産もあった。

 で、今の今まで優秀であれと望まれたはずの子供たちの中でここまで上り詰めたのは私と二葉だけ。立った二人の家族みたいなものでしょう。私はそこに運命を感じた。仮に二葉が事故か何かで脳無しになっても捨てる気は無いよ。不倫はするかもしれにけど、死ぬまで面倒見る程に君にぞっこんなのは証明済みだろう」

 確かに、今こうして何とか生きているのは冷泉のおかげなのだろう。こんなヘラヘラしているように見えて、私一人を助けるのに政府にあれこれ働きかけたのは間違いない。「家族」って表現は受け入れられないけど――

「私と付き合うんだったら不倫は許さないわよ。私は誠実な人が好みなんだから……」

「それはOKって事でいいのかな?」

 冷泉はおもむろに私の手を取ると顔の前まで持ち上げた。なんだ誓いのキスでもしようとしているのか。調子に乗りやがって……感覚が無いとはいえ打撲だらけの体を触られるのは気分が良いものじゃない。

「ふざけろ。アンタがてっぺん取ったら考えてやっても――」

 肢体を視認したのが刺激になったのか、血流が一気に駆け巡る感覚が浮上する。手指、腹部と激痛が走ると両足に圧迫感。

「……カ――⁉」

 私の両足の上にはくずおれる……カズハの姿が。

 ありえない。このブロックはシェルター社会から弾かれた、もしくは双方を行き来できる権限を持つ人間だけがいられる場所。生まれながらにしてシェルターの道具であるカズハがたどり着けるはずが……。

「そうそう、事務的な事をもう一つ述べると、つい先日シェルター政府あてに親族からの面会請求があってね。外部追放者への面談だなんてシェルター市民は興味が無いし、請求権自体は存在しているけど内側に外の事を持ち込まないために一定レベルの市民には権限を与えていない。だけど彼女は二葉が持っていた高等教育機関卒業時の権限を後見人の権利を主張してフルに活用して一年かけて正攻法でここまでたどり着いたわけさ。

 寿命前のホムンクルスと言えど戸籍上は君の姉に当たる。シェルター社会はみんながみんなのもの。市民の請求には必ず応えなくちゃならない。

 お姉さんの愛情は私も頭が下がるよ。ちょうど二葉がここに運ばれた時だったかな『二葉ちゃんに会わせないんだったらシェルター憲章違反で政府を訴える』ってね。お偉方はまさかホムンクルスが反抗すると思わなかったし、あの人たちは保守だから彼女の言葉を額面通りに受け取ってしまった。彼女は持てる全てを使って君に会いに来た」

 冷泉は私から手を離すとそのまま治療室の外へ向かって立ち上がった。

「いい機会だ。ちょうどお姉さんの寿命も限界を迎える。二葉にとって苦しみの象徴である家族と向き合うのか、それとも付き合うのが楽な私の方に逃げるのか。どうせしばらくはベッドから離れられないんだ。じっくり考えるといいよ」

 覚悟を決めてね、つぶやきと共に冷泉の腕が扉を開く。私は彼女を掴もうと腕を伸ばすもそこには一向に力が入らない。お尾を引くツインテール、その軌道に顔を向けるのが精いっぱいで隙間から溶け出すように彼女は去ってしまった。

 全く……気が利くのか利かないのか……どこまでも自分勝手なヤツ……。

「私はアンタのおもちゃじゃ無いってのに……」

 遅れて指先が反応しだす。少しずつなら、それは牛歩に等しいけど体を動かせるようだ。自分の肉体が誇る不死性が今では頼もしい。痛みに耐えながら少しずつ、少しずつ体を動かして、ようやくリクライニングのリモコンに手が届いた。

「ふー……」

 何をするにも体が痛い。ベッドの角度を九〇度に上げるだけでも激痛が走る。そうやって距離を詰めてようやく……カズハに手が届く。

 同じ姉という存在から生まれた私達。人間としての役割を与えられた私が掟を破って外に出たというのに……道具であるカズハがシェルターの力を借りて内側からたどり着いた。この違いは一体なんなんだ……。

「アンタは私の何なのよ……」

 一年ぶりにカズハの顔を見る。最後の記憶と比べても白髪が増えた。毛髪の半分は白い束に、残る黒髪も灰色がかっていてこれが彼女の残り時間を示しているのだろうか。

 対照的に私の足を掴む手指と乗せられた頬には皺ひとついない。いきなり寿命を迎えるホムンクルスの老化、その歪さが現れているようで……。

「そうか……ホムンクルス……」

 外での労役に就く彼らと、私の後見人たるカズハとではその運用目的が大きく異なる。私はヘルメットを通して彼らの思考を幻聴のラジオ放送として受信することが出来るけど、それは彼らの脳に命令受信用の電極が埋め込まれているからだ。

 同じホムンクルスでもカズハにシステムが組み込まれているとは限らない。けれど、だったら彼女の寿命はどうやってコントロールされている? ホムンクルスの……彼らの寿命が一年前後なのは汚染された外という過酷な環境に晒されるためであり、体組織が人間と変わらないカズハは内側でもう五年も生きながらえている。私達は一時同じ完全食品を食べて、整った空気、過度な運動の必要のない環境の下甘やかされて育ってきた。少なくとも環境要因で彼女が劣化する事はありえない。

 私とカズハの違い、当たり前すぎて意識していなかったけど――カズハはスマートウォッチを装備していない。シェルター内においては奴隷の鎖であり市民の権限を保証し、外においては生存を示す命綱であるそれ。彼らの腕にはそんなもの巻かれていない。脳内の電極が全てをまかなってくれるからだ。

 カズハが腕輪無しに生活出来ていたのは彼らと同じだからでは……六年と正確に寿命が決まっているのも体内に仕込まれた電極が彼女に内部から死をプログラミングしているからではないか……。

「ん……二葉……ちゃん……」

「………………………………」

 私はヘルメットから接続用のコードを伸ばし、医療機器に接続して電力を賄う。生命維持装置のモニターが一瞬ショートした。こんなに小さな道具でも命のやり取りを補助する最新鋭の精密機械。消費電力は半端じゃ無いようだ。

 そう、命のやり取りだ。どうせ私は口を開けばカズハの文句しか出せないし、カズハもまた私相手に強く出る事は出来ない。表層意識において私達は決定的にすれ違っている。きっと彼女が目覚めても、今まで通りなあなあで――冷泉が望む決着だなんて夢のまた夢。それならば……コイツの頭の中に直接乗り込めば存分に殴り合うことが出来る。

「――」

 意を決してヘルメットを被る。割れた画面が起動し慣れ親しんだアイコンが浮かび上がると体が戦闘状態にシフトしてゆく。

 背後で医療機器のノイズが響く。ガーガーピーピー五月蠅い‼……いや、同じ道具というルーツを持つもの同士、あの機械群が私の命を維持しようと必死で動いているのは分かる。でも今私に必要なのは回復では無くて、戦う力。

 私の取り柄はしぶとく真っ直ぐに突っ走る事だ。あれだけ酷い目に遭っても私は生き残った。これだけ回復したのなら少しの間装置が止まろうともダイブできる確信がある。

「だから――!」

 弾けショートのる音と同時に視界が暗転する。この一年で脳に焼き付いたホムンクルスの視界を乗っ取る感覚が眼前に広がると――


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