第四章:はざまに佇んで

4―1

「――ッ」

 覚醒と気絶とを断続的に繰り返している……。意識が落ちるごとにほじくり返されてゆく記憶の数々。これが走馬灯というものなのだろうか。

 耳の奥では相変わらず警告音が鳴っている。でも意識すればそう聞こえるだけでただの耳鳴りかもしれない。

『二葉ちゃ……』

『だい……じょ……ぶ……』

「……」

 大丈夫なものか。血液の凝固と防護服の自動修復が追い付いて多少マシになったとはいえ、絶体絶命である事に変わりは無い。ぼんやりと考える余裕が間延びしただけで、やはり私は死に向かっている。

「……」

 首を横に向ける。そこには折り重なる二つの頭部。一つはトマトのように半壊し、もう一つも吐しゃ物を吐いて絶命している。

 どうやら落下の際にこの二体が下敷きになってくれたおかげで私は一命をとりとめたようだ。妙に生暖かいクッション。それが徐々に冷たくなっていく様はゾッとするけど、彼らは最期まで文句を言わずに道具として尽くしてくれた。それには感謝したい。

「うっ……」

 けれど……落下の衝撃は減殺出来ても腹部を貫通する鉄パイプはどうにもならない。打撲のダメージが回復した所で、六〇センチ近く飛び出ているそれから一人で脱出するには無理がある。誰かに引き上げてもらう他に方法は無い。

『……』

『ご……めん……ね』

『助けは……くるよ……』

 こんな状況でもまだ私を励ますか。無意味な希望を言葉にするのは彼らの意思か、それとも姉の幻影か。

 毒猪が壮絶な最期を遂げたのだ。同じく落下した私達が追随しないはずが無い。視界の範囲内だけでも人の部品が周囲に赤い色彩を斑に散らかしている。残りの三体も間違いなく五体満足では無い。命じれば私のそばにやってくるのだろうけど、多分途中で力尽きて救命どころじゃない。私はもうこれ以上赤いものは見たくない。

「あーあ……」

 どんな状況に追い込まれようとも――たとえそれが死の淵だとしても――私の肉体は生きぎたなく覚醒を促している。体力などとっくに空になっているのに頭の方は妙に……冴えている。

 姉が見ていた景色はこんなものだったのだろうか。次第に指先すら動かなくなるのに意識だけは十全で……。

「い……や……」

 冗談じゃない。何がデザイナーベビーだ。新しい人類だ。そんな肉体、シェルターの道具でしかないじゃないか。死ぬ時くらい人間らしく潔く逝かせて欲しい。

 いや、別に私は積極的に死にたいって訳じゃない。でも考えてもみろ。クッションがあっても全身は打撲だらけで腹部は貫通。穴は何とか塞がっても汚染物質と異物が内部をグチャグチャに。バックパックの生命維持装置も破損。時期に新鮮な酸素も外気に切り替わって汚染を加速させるだろう。

 環境適応に特化したホムンクルスたちの平均運用期間は一年。それを出産ように改良した姉――そのクローンである私はどれだけ生きられる? どう考えてもこの状況は詰んでいる。

 冷泉たちの増援が来るかもしれないって? 確かに戦闘の痕跡は分かりやすいくらいにこの場所を示している。毒猪の破壊力に感謝だ。

 でも彼らはこの距離までホムンクルスにおぶさって急行する発想は無いだろう。見た目こそ間抜けだけど、あの移動方は彼らを正確に操作する能力がいる。少しでも力加減を間違えば彼らの腕の中でぺしゃんこ。それにまともな人間であれば道具である彼らに抱き着くなんてゾッとする事しないだろう。青白くて低体温気味な人形なんて君が悪くて仕方がない。

 牛歩でたどり着いた所でこの高低差。私を引き上げるのには相応の準備を整える必要があるから彼らは間違いなく引き返す事になる。それを待っていたら私は間違いなく死ぬ。通信機も不調だ。生存を訴える事は出来そうにない。この現場を見れば誰だって――私だって――「草薙二葉は汚染動物と刺し違えた」と断定する。

 そうなると最初にピックアップされるのは毒猪の方だろう。どれだけ巨体でも……この場合巨体であることに価値がある。シェルターはこの変異種を解析して新たなホムンクルスにデザイナーベビーに兵器を生み出して外の環境に適応しようとする。

「あ……」

 この高低差でも、擦れた視界の中でも、シェルターの姿だけはハッキリと映る。あの無機質な壁はきっとこの先も顔色一つ変えずに鎮座し、それこそ本邦の大地をすっぽりと飲み込むまで増殖を止めない。

 あのゆりかごの中で人類の存続という目的のために数千万の人口をさらに増加させ、必要とあらばホムンクルスを、奴隷を生み出して奉仕させる。私みたいに内部に発生したバグも外側に排出して有効利用。外側への原動力を利用して、シェルターに降りかかる脅威を排除させる――完璧じゃないか……。

 内側への反抗心をこじらせて、紆余曲折あったけどシェルターの外まで飛び出した。その目的自体は達成されたように思う。自然すら寄り付かない大汚染地帯、灰色のコンクリートの墓場は私が夢にまで見た荒野そのもの。そこで果てることが出来るのだから理想通りの結末だ。

 だけど、結局私は生きている限りあの内側から自由になる事は出来なかった。完敗だ。これ以上ないくらい、何が獅子身中の虫だ、私は結局爪痕を残せずにあの完璧な壁の一部に取り込まれたままだ。

 システムはたかが一人のニンゲンが壊せるほどに甘く無かった。そりゃそうだ。私一人がダダをこねて壊れるくらいであればシェルター社会は一五〇年も続いていない。

 だからって! その他大勢みたいに惰眠を貪るように小さな部屋に閉じこもってエンタメを貪り埋没する日常に満足しろと? みんな同じだよねと確認し合う粘度の高い仲良しごっこに納得しろと? 与えられた環境モノを自分の頭で咀嚼しないまま揺られるがままに過ごす文明人が正しい生き方だとでも?

「くっ……ヒュ――」

 ああこの環境においてシェルター社会はどこまでも正しい。きっと助け合うことが必要な環境では大勢の側にいることが正解なのだろう。人間を支配しようとしている冷泉が正しい。内側へ、内側へ進む事こそが安寧への近道だ。

 だからこそ、外側へ飛び出した私が惨めな最期を迎える事は正しい姿だ。この防護服は内側で作られた物。この肉体も内側の意図で造られたモノ。アイデンティティを捨て去ろうとした私が何もかも失うことは理に適っている……。

 くそったれ……まがい物の肉体でも、私としてはよく永らえた物だと思う。視界はとっくにゼロ、呼吸ももう息苦しい、痛覚もどっかにいって体は宙に浮いたように心もとない。

 最後に激しい頭痛が走ると世界が真っ赤に染まってゆく。

 すべてがノイズにまみれると――ああこれが死なのだと思った。

「お……ね……」

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