3―5

『二葉ちゃん‼』

 声が聞こえた瞬間私の体は横に飛んでいた。どうやらホムンクルスの一体が私を突進から逃がしてくれたのだろう。だからって両腕を巻き込んで腰に抱き着くのは邪魔臭い。回避できたのだからとっとと離して――

「――⁉」

 ホムンクルスは姉の笑顔で微笑んだまま――下半身を失って絶命していた。

「グルルル……」

 二〇〇メートル程行った所で押し込んだ木々が邪魔になり、動きを止めたイノシシ型。足跡は地面を抉るように緑を剥がし、巻き込まれた小動物は真っ赤なインクとなって彩りを添えている。軌道を推測するに、ホムンクルスはあの突進の衝撃に掠った程度だろう。それで下半身が吹き飛んでいるのだから……。

「滅茶苦茶じゃないの……」

 勢いが強すぎたのか、頭部を地面にめり込ませているイノシシ。間抜けな絵面だけどつま先から背中までの高さは圧巻の三メートル。紫色と黄色がマーブル上に広がる毒々しい毛皮は尋常でない存在である事を雄弁に物語っている。

 今まで私達は二~三メートル級の汚染動物を狩って来た。でも目の前のそれはそんな蓄積をあざ笑うかのようにスケールが違う。

 斑熊一頭倒すのに五体……いや、そんな単純な比較なんて出来ない。体積比で実力なんて予測できるもんか。目の前の爆発力を見ろ! もしあんなものがシェルターに突撃したら……。

「……っ構え!」

 私はホムンクルスたちに無防備な脛に集中して弾丸を打ち込むよう指示を出した。今の手持ちの装備ではどう考えても毒猪どくししを殺せない。三〇口径の弾丸を打ち込んだ所で分厚い肉に遮られて内臓への損傷なんて狙えない。

 ならば少しでも動きを削がなくては。方々の地点に散った二十六体を集約させて、骨の一本でも砕ければ勝機はある!

「頼むわよ冷泉!」

 信号弾を二発撃ちあげる。危機を知らせる黄色と、遅れて強力な装備を求める赤色の光が空を照らす。ここまで来ると通信の質が悪いし、強張った自分の口で今の状況を説明できるか――

「⁉ ピギィ‼」

『二葉ちゃん!』

 イノシシってね、強そうに見えるけど案外繊細なんだって。姉の言葉がフラッシュバックした瞬間毒猪は頭部を持ち上げていきなり反転した。どうやら閃光弾が気に障ったらしい。再び、発信源たる私めがけて突進を仕掛けてくる。

「くそったれ!」

 ホムンクルスの身体能力を活かしてもう一度彼らに私を抱かせて突進を回避する。でも今回は無駄遣いしない。驚くのは止めだ。軌道と速度さえ分かればホムンクルスの能力で充分回避できる。

「これでも喰らえ!」

 これだけの巨体でも生き物の弱点と言うのは共通している。回避の間際、私は三〇口径を相手の右目に向けてぶっ放した。弾丸は瞳に命中し眼球を灰色に濁らせては相手の視覚を奪う。ガイドなしでこの成果、我ながら会心の一撃だ。

「ギヤアアアアァァ‼」

 この生き物は間違いなく森の主であり……人類への脅威だ。とにかくここで足止めしないと。こんなものが存在してみろ。シェルターの人間なんてどうでもいい。でもあそこが無くなると冷泉と私――

『二葉ちゃん避けて!』

「⁉」

 死角にいたはずなのに突進⁉ いや、嗅覚⁉ あのスケールの生き物が小粒みたいな私を正確に⁉

 ホムンクルスから別のホムンクルスへ私の体はキャッチボールのように飛び交う。剛腕から放たれる気分はサイアクだったけど文句を言っている暇はない。投げた本人は毒猪の突進の前にすでにペースト状になってしまった。

「こんなのどうしろって言うのよ……」

 残り二十五体。回避の度に数を失ってはこちらが消耗するばかり。体格差が絶望的過ぎる。もう一つの眼球を破壊した所で嗅覚が精密じゃどうしようもない。くそっ! 調子に乗ってぶっ放すんじゃ無かった。

 アイツが再び頭を持ち上げるのに一分……それまでにどうするのか考えないといけない。私はまだここで何も出来ていない。何も出来ていないまま森の養分になるなんてそんなの嫌だ!

『二葉ちゃん逃げよう』

『逃げていいんだよ』

 うるさい。私は逃げないぞ……。外まで私を拒絶するんだったら上等だ。私は自分の足でここまでやって来たんだ。たかがイノシシ程度、障害なら社会システムよりも生き物の方がシンプルで良い。ぶっ殺して取り除いてやる――

『でも二葉ちゃんが心配なんだよ』

『意地張っていないでたまにはお姉ちゃんの言うこと聞いて!』

『逃げよう!』

「ああうるさい! アンタたちなんて……アンタなんて私のモノなのよ! モノが私に口を出すな!」

「グルル!」

「――ッ!」

 大地を震わせてながら頭部が持ち上がる。もう時間が無い。さあどうする。このままパス回しの要領で援軍が来るまでじり貧になるか。正面切ってぶつかってぺしゃんこになるか。どのみち手持ちの装備じゃ相手に有効な一撃なんて与えられない。

「……全軍! 回避しつつ進め!」

 私はホムンクルスに抱かれたまま森の奥へと突っ込んだ。遅れて、指示を受け取った部隊も鬱蒼と茂る中へ追随してゆく。

「ギィ?」

 どうやら茂みの中だと嗅覚が鈍るようだ。相手の嗅覚は開けた所限定らしい。

「それじゃ困る」

 私は閃光弾の銃身を毒猪に向けて引き金を引いた。ガイドのおかげもあって狙いは真っ直ぐ正確に、残った左目の前で爆発する。

「ピギイイイイイイィ⁉」

 イノシシは神経質。狙い通り毒猪は錯乱してブルドーザーのように突進を始める。

 私は決して姉の弱腰に同調して逃げ出したわけじゃない。手持ちの装備では絶対に勝てない。その前提は覆らないし、だからってベースに向かって逃げた所で援軍にシェルターもろとも全滅するのがオチだ。

 確かに毒猪の突進の威力は驚異的だ。でも森の木々をクッションとして利用すればその勢いを減殺することが出来る。

「グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァ――」

 森を跋扈する汚染動物は――虎の威を借りる狐の形になるのは腹立たしいけど――相手の脅威を利用して無視できる。私達の目の前の障害物は純粋に森そのもの。ホムンクルスにおんぶにだっこしたままで移動するのは屈辱的だけど、今はプライドよりも作戦。相手が私の匂いを感じ取るギリギリの距離をキープしながら森の茂る方へ狙いを散らしつつ、武器のあるポイントまで誘導する。それが私の正面から逃げる戦術だ。

「グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァ――」

 メキメキと森が悲鳴をあげながら緑が沈んでゆく。人類が重機で苦労して切り開いている作業を目の前の化け物は一瞬で完遂させている。あれを上手く家畜化出来ればシェルターを覆う緑の問題は解決できないだろうか。

『二葉ちゃんそんな事』

「分かっている」

 いや、無理だ。断言できる。野生動物の家畜化には長い年月がかかる。毒猪は巨体過ぎてホムンクルスのように脳へ電極を埋め込むのも難しいだろう。障害はやはりを使って排除するしかない。

「……ビギュッ」

 振動が止まる。毒猪はめり込んだ面を上げると咳払いのように鳴き声を上げてつまらなそうに四足をぶらつかせる。

「……アイツまさか」

 相手はそのまま踵を返して開けた道をのろのろと歩き始めた。おそらく、私達がしつこく逃げまわるものだから追いかけるのを諦めたのだろう。

 ……野生のくせに、外を自由に、その力を、暴力を存分に振るえる立場でザコ相手に逃げるのか? 私が欲しいものを全て持っておきながら――

『二葉ちゃん止め――』

「ふざけるな‼」

 再び閃光弾を――最後の一発を毒猪の頭部に打ち上げる。どれだけ神経質だろうと刺激には慣れるのか先ほどのような大げさな興奮は起こさない。せいぜいハエが通り過ぎて不愉快に顔をゆがませる程度。

 でも私にはその程度の反応で充分だ。

「こっちを向け!」

 三〇口径を左目にもお見舞いする。

「ギヤアアアアアアアアアアアァ――――‼」

 両目というデリケートな部位を潰されて激昂しない訳が無い。相手は残った感覚――嗅覚をフルに使って自分を惨めな目に遭わせた私に復讐しようとするはずだ。

『二葉ちゃんなんてことを……』

 姉の忠告なんて気にしない。誘導地点まであと一キロ。もうあと少しで逆転できるのだ。この程度のリスク、背負ってやる!

「グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァ――」

 再び突進を始める毒猪。怒りのエネルギーが頂点に達しているのか突進に磨きがかかり頭部をめり込ませずひたすら真っ直ぐに緑をなぎ倒してゆく。

 なんだやればできるじゃないか……なんて感心している場合じゃない。目標地点に近づくごとに木々はまばらに開けてくる。ホムンクルスの脚力もここにきて限界を迎え始める。いくら外の環境に適応しているとはいえど、ベースは人間。動かせば動かす程に彼らは汚染に侵され寿命を縮めてゆく。

『二葉ちゃんごめんね……』

「……」

 寿命が短い順に私をパス回しさせてゆく。限界を迎えた彼らはその場に倒れたり、突進に巻き込まれたりして一体、また一体とその生涯を終えてゆく。

『大丈夫だから……』

『二葉ちゃんの事信じている』

『私達の事、使ってくれてありがとう』

 ――ねえ二葉ちゃん。お姉ちゃんは二葉ちゃんの役に立てたかな。

「――っ……」

 最後のは彼らの言葉じゃない。それこそ本当に幻聴……。

 どんな目に遭おうと彼らは恨み言一つ言わない。姉の言葉が代表するかのように私に言葉を託してゆく。

 ……アンタたちを使い潰しているのは私だって言うのに。

「グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァ――」

「⁉ ヤベっ――」

 障害物の無い開けた場所、目標地点は目前だけど私達は丸裸に。

「間ーにー合ーえー‼」

 本当は毒猪だけ突っ込ませるつもりだったけど、相手をその気にさせ過ぎてしまった。こうなったら私ごと飛び込んですべてを終わらせるしか――

 パス回しは佳境に、目の前には先頭を走る五体が。

「行けーーーーーー‼」

 私達は緑の淵を思い切り蹴って飛び込んだ。

「ピギャ⁉ ビイイイイイイイイイイィ――――」

 遅れて毒猪の悲鳴がしてくる。

 誘導地点は高低差地上三階分の切り立った崖。汚染が酷いのかぺんぺん草一つ生えていない前時代の文明が姿を残す灰色の大地。

 インターン時代に見た瓦礫がどこからやってくるのか、この仕事に就いてシェルターの周辺地図を隈なく調査して発見した森のエアスポット。風化したビルディングは先端が鋭利な形に崩れていて、これに突き刺されればあの巨体も無事じゃいられまい!

 狙い通り毒猪は重力に導かれ、盲目も相まって横倒しに四足が虚しく宙を掻く。無防備になった横っ腹にビルの先端が突き刺さり、深々と肉を抉っては貫通する。

「ギャ――」

 落下の勢いは止まらない。衝撃を受け止めきれなかったビルはそのまま崩れ落ち、毒猪は続いて瓦礫の山の中へと墜落していった。残るは静寂のみ。あれだけ恐ろしい化け物も終わりは案外あっけないものだった。

「やった――」

 でもそれは私とて同じだったのかもしれない。

 相手の最期を見届けると同時に私の視界も天地がひっくり返る。

 遅れて気づく。そう言えば私の装備にはパラシュートもロープも無い。

 毒猪の終わりをなぞるように自由落下が加速を始める。

 勝利の余韻に浸る間も無く、私の視界は暗転した――

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