第三章:内側を離れて
3―1
「――ッ」
強烈な頭痛と共に目が覚める。何かろくでもない夢でも見たのだろうか。最近の起床パターンが大体これで寝ざめが悪いったらありゃしない。
「お目覚めかい」
「――ッ冷泉……」
部屋に差し込む光の隙間、それが徐々に広がると見慣れたツインテールが眼前に迫る。
「近い」
「ごめんごめん。ちゃんと生きているかなって、気になって」
「……」
顔をそむけるために反対側へ寝転がると時計と目が合った。時刻はデジタル表示で05:49。酷く中途半端な時間。
「今日の頭痛は冷泉が原因か」
「今日の、ね。起床時に必ずと言っていいほどバイタルサインが乱れているからどんなものか気になったのだけど、予想以上だ」
「何がよ」
「君、気づいていないかもしれないけど寝言が酷いよ。何か叫んで、急に謝りだしたと思ったら今度は怒って。二葉って無感情じゃないけどクールでダウナーなイメージだったからさ。まさか無意識のうちにストレスを吐きだしていたとは。人間分からないものだね」
「……バカにしに来たの?」
「まさか。部下の健康を気遣うのも上司の仕事の内」
「モーニングコールまでしてくれる上官を持って私はなんて幸せなんでしょう」
くだらない会話のおかげか頭痛は次第に収まって来た。私は冷泉の頭部を押しのけながら起き上がって「ちょっ、痛いって」下着の上に仕事着を着込み始める。
「あー痛てて……化粧崩れる……。しっかしまぁ……相変わらず殺風景な部屋だねぇ」
冷泉はずれた丸メガネの位置をクイッと中指でキザったらしく補正をかける。
「そうかしら。シェルターの下層市民も似たようなものだと思うけど」
六畳一間のワンルーム。その半分は除染済みのガラクタやライフル、拳銃といった各種兵器、仕事着が数着詰まったロッカーで雑に埋まっている。残り半分もスペースのほとんどがベッドで埋められて足の踏み場は総面積一畳も無いんじゃないだろうか。メガネの奥を動かさなくても私の部屋は容易に見渡せる程に狭い。
「まあそうかもしれないけど……ここはなんていうのかなぁ、持ち主の、人間生活の匂いがしない」
そりゃそうだ。私はここを道具置き場、倉庫だと思っている。私自身を含めてあらゆる道具を収める場所なのだ。いわゆる文化的な生活の匂いはしないだろう。
「この辺の火器とか部屋に持ち込む必要はあるの? 地震とかで一発でも暴発したら火薬庫じゃん」
「安心して、
「だったら尚更片付けなって。武器なんていつでも好きなヤツ支給されるんだからわざわざ持ち帰る必要もないだろうに」
「……」
私は手近な自動小銃を手に取ると冷泉の目の前で解体し、組み立て直す。一連の動作にかかる時間は約四十秒。
「わーお」
「おかみが用意したのをそのまま使うとたまにジャムるのよ。それで部下を無駄に使い潰した。自分の武器くらいは自分で整備しておきたいの」
「なるほどね。それは理に適っているや。でもガラクタの方はいいんじゃないの? 出撃の度に何か拾ってきているみたいだけど、そのペースで集めていたら足の踏み場もなくなるよ」
「……」
ガラクタに関して言えば私も冷泉と同意見だった。私も自分がどうしてこんなことをやっているのか。
逃げるようにインターンを辞めて、私にも申し訳ない気持ちが無いわけじゃない。外の世界に関わる新たな職に就いて、そこでかなりの確率で前時代の文明の残滓を獲得できるようになったので、せめてもの罪滅ぼしとしてこの手の物を提供しようと拾い出したのがきっかけだった……はず。
まあ私の提供は上層部に却下される事になったのだけど。この仕事に従事する者はシェルター社会の下位の権限しか持たない人間とコンタクトを取ることが禁じられる。高等教育機関を卒業して、大学まで出ている研究者であればシェルター内部においてアクセスできない情報なんて無いと思っていたけど、外側に関しては情報が殊の外統制されているようだ。彼らもそれがあるからベルトコンベヤーなんて回りくどい手段を取るしか無かったと、今では同情する。
「ま、趣味みたいなものよ。飽きたら適当に処分するわ」
適当に会話を続けていきた所でアラームが午前六時を告げる。本来の起床時間。
「ところで未来のシェルター代表がこんな所で油売っていていいの? まさか私の部屋のリフォーム相談のために来たわけじゃあるまいし」
「もちろん。私のスケジュールは分刻みで決まっているからね。でもちょうど空き時間が出来たから、たまには友達と二人でゆっくり朝食でもどうかなって」
「ああそれなら間に合っているわ」
私はロッカーの中からカロリーバーのパッケージを取り出す。お尻の方を思いっきり叩くとバリッと先から半分が姿を現す。
「……」
「もっもっ……ああ、アンタの分がまだだったわね。食べる?」
自分の分を口にくわえたまま、ロッカーからもう一本取り出して冷泉に向けてお尻を叩く動作を見せる。
「いや、遠慮しておく……それのカロリー殺人的だし。てか、毎日それで済ましているのかい……?」
「味がするし、これで半日は保つ。前に休憩時間で食べたらその後の戦闘で中身を吐きだしそうになった。それから食事は朝夕二食でこれね」
昔冷泉に誘ってもらったレストランよりは劣るけど、私の場合は味がするというだけで食べ物の評価が上がるみたいでこれにはそれなりに満足している。それに戦闘の前には栄養補給や消化効率が重要視される。文明的な余分を楽しむ事からはどうしても離れがちになってしまうのだ。
ま、今回は冷泉のたじろぐ表情が見られたから大収穫。引きつる目じりを肴にカロリーバーを一気に齧りきる。
「なるほど……二葉を食事に誘うなら夕食がベストかな」
「ふぅ……そうしてちょうだい。というか何? 私に純粋にアプローチ仕掛けてきたってだけなの……?」
私と違って冷泉はシェルターの内側の人間。彼女はそのトップの座を手に入れるために今も政治家の道を迷いなく邁進している。同じような野心を持つ同輩を蹴落とし、上司に取り入ったと思えばいつの間にか下剋上、その立場を乗っ取っては椅子取りゲームで勝利を続ける。私すらも道具としてシェルター政府肝いりの「地上奪還計画」に指をかけたところだ。
そんな純粋に打算だけで出来ているような人間が、ねぇ……。
「意外」
「おや。私だって人間だよ。恋愛の一つや二つするさ」
「私に粉かけても出世に繋がらないわよ」
今の私は内側から無視されている特殊ユニット。権限だけで言えば高級官僚に匹敵出来る情報にアクセスできるけど、政治的影響力は皆無に等しい。
加えてシェルター社会において同性婚は推奨されない。社会を維持するためには子を成すことが必須で、どの家庭がどれだけの子供を産むのかまで厳密に規定されている。リソース意識的には子供を成せないパートナーは資源の無駄遣いというわけだ。
「ああ、その程度の事。それなら心配していないよ。私がトップに立ったらこの目が黒いうちに地上を取り戻してシェルターから人々を解放するつもりだからね。だから今から二葉にアタックする事は無駄にならない」
ものすごい大言壮語。政治の中央に殴り込みをかける勢いで肉迫していると思っていたけど、まさかこの社会そのものをポジティブにぶっ壊そうとしているとは……。メガネの奥の瞳は爛々と夢に向かって輝いていて、その中に私まで含まれているのはこそばゆいというか……コイツならやりかねん。
「それに地上を奪還できなくても二葉の事を愛人として囲うことは出来るからね。どちらにしろ私が二葉を手に入れる事に変わりは無い」
「おい!」
ブレない表情で言っているけどさっきの情熱的な夢はどこに行った。言っていることが一八〇度みみっちくなっているぞ。
それに――
「私はアンタの物にならないわよ」
「ふーん。でもシェルター嫌いの二葉がこの社会の男性と男女関係になる未来は予測できないな。内側には少なくとも君好みのシェルターから自立した異性はいないと思うよ」
「その意見には同意するとしてそれが冷泉を選ぶ理由にはならない」
「二葉は押しに弱いだろう。それに自立的な人間――とりわけそれがシェルターに対して――であれば心が動く。それならこのままアプローチを続ければいつか私の手の中に墜ちる」
「結果不倫する事になっても? 不誠実だわ」
「政治の中枢に入れば入るほど爛れた人間関係を見ることが出来るから面白いよ。私もその文化の影響にのまれてしまうくらいに刺激的だ。
おっと! そんな目で睨まないでくれ。もちろん二葉が望むなら最善の道を征くまで。でも二葉には私が君の事を一番欲している事を意識しておいて欲しくてね。そのためなら仕事の斡旋だろうが地上の解放だろうが何だってする。君が望むなら冷泉一美は神にだろうと悪魔にだろうとなってやるつもりさ」
野心的な場所に身を置き続けることで人格にまで影響を及ぼし始めていやがる……。チェシャ猫が立派になったものだ。獅子身中の虫が化け猫とは――いや、冷泉は元々こうだった。自由に動ける身分と権限を手に入れたことでようやく本性を発揮できるようになったと言うべきか。
私も……似たようなものだし……。
「アンタいつから私の事が好きなの?」
「君が実のお姉さんを失ってから、かな。あの日から君の瞳に映る荒野というものに興味が湧いた。社会を、人間関係を自分の生まれすら否定して無人の荒地へ進もうと挑むその無鉄砲さを私は愛おしく思うよ」
「……」
だったら――
「その割にアプローチが遅いんじゃなくて? あの日からもう四年経っている。本気で私の事を欲しいと思うなら、あの日の冷泉でも行動に出ていたんじゃないの?」
「もちろん行動はしたよ。君に高等教育機関を受験する事を勧めて、高校では良きライバルとして、そして今では上司として、だ」
「回りくどい」
「回りくどくしか行動出来なかったんだよ。子供の時にはバイタルサインが常に監視されていたからね」
そう言うと冷泉はスマートウォッチを外して右の人足し指でくるくるとウォッチの輪を回し始める。これも彼女の権限の一つなのか、どうやら自由時間には時計を外すことが出来るらしい。
「それに今が絶好のチャンスなんだ。君のそばにお姉さんの幻影という最大の障壁がいない今こそ、私の言葉が君に届く」
「……っ」
冷泉は「見たいものが見れた」と勝ち誇った顔で微笑むとわざとらしくスマートウォッチを装着して私の顔を覗き込む。
「あの人の動きは逐一チェックしている。情報が欲しかったらいつでも私に聞くといい。私なら、二葉が欲しいものを全て与えることができるんだから」
それだけ言うと満足したのか、今度はディナーで、と耳元に言い残して去っていく。文句の一つでも言ってやろうかと迫るも、ツインテールの尾のランダムに描く軌跡に惑わされてつかみ損ねた。
「なんでも与えられる、ね――」
冷泉は何でもは与えない。私の瞳の中の荒野を気に入ったのならば、アイツは私の飢えを、反抗心を解消するに至るまで尽くす事はしないだろう。自分のおもちゃが手のひらの中で足掻き続ける事を楽しむ悪趣味な女。それもまた冷泉の一面だ。
――結局私は自立するしかない。自分の足で立ち続けるしか、前に進むしかない。誰かに救済を期待しても、そんなものこのゆりかごの中には無いのだ。
「……――ッ」
だから私はあれの名前を口にしない。反抗して否定し続ける。その果てにこの場所にいるのだから。
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