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次々と流れてくるベルトコンベヤー。その上にはコンクリートブロック、木片、鉄塊など様々ながらくたが右から左へと絶え間なく流れてくる。
「……」
私はその中から文明の残滓が残っているであろう物を見定め、掴みとってはケースに保存する。
部屋には私と同じように宇宙服めいたボリュームのある防護服に身を包んだ人間が十人ほどいて、同様の作業に従事している。ここは各種汚染を遮断するための分厚い最終防衛ライン。シェルター内では最も外側に近い場所だ。
高等教育機関では目安として三年間の教育過程が設けられている。けれど、優秀な成績を収めれば大学課程、もしくは就職への飛び級が認められていた。私と冷泉は出身こそ上の下。だけど、野心であれば彼らが施されて来た英才教育よりも強烈だと自負している。何事も、やらされるのではなく主体的に、ハングリー精神のあるやつには敵わないというやつだ。冷泉は秩序に食い込むため、私は秩序から脱するために粉骨砕身努力して二年間で卒業に必要な単位を取り切り、晴れて自由の身を手に入れた。
自由の身とは言えど、政治に食い込もうとする冷泉と私では進むべき道のりがかなり異なる。彼女はすでに大学という名の党員養成所に通っている。高校生の内にどの大学のどの派閥に入れば最短距離で政治の中枢に食い込めるのか。級友たちとへらへら笑う裏でそんな恐ろしい事を考えていたのだから恐ろしい。何が私の顔が肉食獣だ。アンタも可愛い顔で立派に舌なめずりしているじゃないか。定期的に連絡は取っているけど、法律の勉強に議員インターンにかなり多忙に過ごしているようだ。
私といえばこんな中途半端な場所で流れ作業に従事していた。就職するにあたって最大の障壁は年齢要件。みんながみんなのものであるリソース意識の社会において子供は未来を担う宝物。保護の対象だ。十八歳までは法律上、就業を認められていないのである。
飛び級とは本来、自分がやりたい研究を前倒しで行うために使われる制度。それを就職のために利用する人間は滅多にいないそうで、しかもそれが外の世界に関わる仕事となれば尚更研究者として実験のために従事するのが普通。人類は未だに外の汚染を克服できていない。体積を二、三倍に膨らませる防護服を着てようやく一息、数時間活動できるのが関の山である。そんな危険な環境に子供を送り出す事はシェルター社会の倫理観が許さないらしい。私の身分は一時期宙ぶらりんになりそうだった。
「なるほどね……そういうことなら何とかなるかもしれない」
そんな状況を前に進ませたのは冷泉のコネだった。冷泉は私が「地上奪還計画」の被検体――正確には姉の遺伝子構造を持っている事をお偉方に売り込み、研究者の作業助手としてのインターンを斡旋してくれた。
「これで貸し一ね」
「……」
あの化け猫に借りを作ると後が怖いと思いつつ、しかし他に手段の無い私は彼女の提案に乗る他無かった。
ややあって、私はこのベルトコンベヤーの空間での労働に従事する事になった。
「……」
ベルトコンベヤーの上をひたすら流れてくる瓦礫。その中から手づかみとは、シェルターの内側はなんでも自動化されているのに時代遅れも甚だしい。しかしながらどのガラクタが文明の残滓を残しているか、それを機械に自動判定させる事は一五〇年経った今でもかなり難しいようで、一周周って人間の目と手を使った方がかえって効率的だと彼らは主張する。インターンに従事して一週間、私はこんな中途半端な場所で瓦礫の山とにらめっこしていた。
「……!……はぁ」
「これは……っ……」
大人たちは血眼になって瓦礫の山を睨み、失望を繰り返している。瓦礫は主にシェルターの周囲で採取された物。シェルターの増改築に伴い、工事作業が地上の都市にぶつかったり、拡張予定の場所をドローンで視察した際に発見したりした物をかき集めてはこの空間にぶち込んでいるらしい。
「……」
仕事であればどんなにくだらなくてもやり遂げる。私にも仕事に対するプライドと、仕事を紹介してくれた冷泉の顔を立てる義理人情は持っているつもりだ。
だけど、この大人たちはシェルターの成り立ちを理解しているのだろうか。自然災害、とりわけ地震が頻発する本邦においてシェルターは地盤のしっかりとしたかつての地方都市に建設された事に。海外の主要都市がジオフロント型――地下に落ちのびたのと対照的に私達は地上を建物で覆うことで住環境を獲得してきた。
となれば、シェルターの周囲で文明的な物を採集するのは効率的とは言えない。シェルターから地上の首都まで約一〇〇キロ。それくらいの道のりであれば渋滞の無い荒野を簡単に行き来できるのではないだろうか。
「シェルターの外で活動する⁉ とんでもない! そんな事は命を粗末にするようなものだ。シェルター市民としてそのような蛮行は出来ないよ」
「それに我々の研究はあくまでシェルター外縁の文明史だからね。わざわざ命を失うリスクを冒してまで研究に打ち込もうと思わないよ」
「君のように優れた体を持っているのであれば将来的にはその方向の研究も出来るだろうが、今の我々はシェルターと共にある。これに関わらない事は考えられないねぇ」
前に提案した時の答えがこれだ……くだらないサービス業が九割、そしてこの社会を動かす重要な研究職が一割。そのパワーバランスが聞いて呆れる。研究は己の知的好奇心を満たすためにあらゆるリスクを冒しても真理に噛り付こうとするものではないのか。ひょっとしたら彼らは高等教育機関出身では無いのかもしれない。いや、私だって研究員の卵としては失敗作だけど、外側に出るために努力はして来たつもりだし、冷泉は今も政治の中枢に関わろうと政敵たちとしのぎを削っている。他のクラスメイトにも根性のあるやつらはいて、彼らもまたシェルターをより良くしようと研鑽を重ねている。
だけど現実は……外側という最前線、そこで働いている人間がこのざまだ。何が「地上奪還計画」よ! 口では偉そうな事言っておいて、誰も本気でやろうとしない……。それどころか……私の体が優れている……っ、ええそうでしょうよ私は姉のための臓器保管庫、常に新鮮な部品を提供するために体組織は頑丈に造られている。加えて姉の遺伝子情報を持つクローンですもの……少なくともモヤシみたいなアンタたちよりも外の環境に適応している!
アンタたちがそんなんでどうするんだ! やるやる言っておいてそのアリバイ作りにデザイナーベビーを無責任に生み出して……失敗したらお払い箱――姉は、私は一体何のために生まれてきたんだ――‼
「………………っ!」
今手に持った瓦礫でぶん殴れば、多分手近な大人は死ぬだろう。別に体が歪むほどに殴打する必要は無い。防護服のどこかしらに穴が開けば汚染物質が仕事をしてくれるし、シェルターに依存している彼らの事だ――パニックを起こしてショック死してもおかしくない。
「……」
いけない。あまり単調な作業が続くとろくな想像が働かない。私は職を持つ大人、例え上司がデカイ子供でも癇癪を起すのはみっともないではないか。
「⁉……あった! あったぞーーーーー‼」
作業開始から七時間後、作業のチーフが久しぶりに人間らしい言葉を口に出した。両手を大振りに大げさに山を掻き分けて、現れたのはひしゃげた空き缶が一個。
同時に大人たちの歓声が部屋中を満たす。砂漠の中から砂金の粒を発見する作業と言うとやりがいがあるんだか前提として徒労なのか。私も一応「わー」と一言合唱に付き合う。
少なくとも明日はベルトコンベヤーと向かい合う必要は無さそうだ。めぼしいものが発見されると彼らはその来歴を調べるために資料を漁る。明日明後日くらいは内側での作業になるだろう。流れ作業よりは楽しそうだ。
彼らも口には出していないけどベルトコンベヤーとのにらめっこにはうんざりしているようで空き缶を封印したらすぐに撤収作業に取り掛かった。やっぱり自分たちがやっていることが非効率だと気づいているじゃないか。探すよりも片付ける方が何倍もテキパキと様になっている。
「……」
ゾロゾロと部屋を出てゆく彼らを尻目に私はまだこの場所に残っていた。シェルターの限られたスペースでは女子更衣室を作る余裕が無いらしく、この研究に関わる人間が私以外男性で、私は彼ら程度にロッカーで着替えているシーンを見られたくない。
「……」
それに、私の権限ではここが最も外側に近い。触れた分厚い防護壁の向こう側に外の世界が存在するのだ。ベルトコンベヤーの装置を破壊すれば、あの真っ黒な洞から外に出ることが出来る。流れ作業は御免だけど、ベルトコンベヤーの持つ境界性は嫌いじゃない。何かきっかけがあれば、例えばこの機械で搬入出来ないほどの文明の証拠が出てくれば腰の重いシェルター市民も外に出る気になる……はず。
「はぁ……」
今の私はそんな僅かな可能性に賭ける他無い。研究職に鞍替えした所で、彼らのように外の世界に関わる実践的な研究に携わってもこの場所が限界なのだ。今は辛抱の時か……。
ロッカールームに誰もいなくなった事を確認して装備を手早く脱ぎ捨てる。除染技術の向上でシェルターの内側に出るのに熱と紫外線と風の部屋を通過するだけでいいのだから驚きだ。この手軽さをぜひ外側でも体験できるように冷泉には頑張ってもらいたい。
「ふぅ……」
軽く呼吸を整える。新鮮な空気が肺いっぱいに満たされる感覚。シェルター内は感染症対策のために常に換気されている。防護服の無い無防備をさらけ出した状態での呼吸がこんなに楽だとは、作業に従事するまでは気づけなかった。
結論を言ってしまうと私が理想とする外側はこの世に存在しないということだ。内側に押し込められず、煩わしい人間関係も無く、呼吸に重さを感じない場所。私はその理想を外に求めていた。アウトサイダーである私が、不良品だった私が存在を許される場所はそこしかないとイキっていた。
でも現実はどうだろう。例え遺伝子レベルで強化されていても防護服無しでは満足に呼吸一つ出来やしない。生存のため、外――正確には半端な境界線――に出る度に内側を構築して自分から息苦しさを纏わなくてはいけない。こんなに滑稽なことが他にあるだろうか。
「はぁ……」
こういう最低な気分の時、かつての世の中の大人であればアルコールを入れて嫌なこと全てパーッと忘れるのだろう。だけど私は知っている。シェルター社会という優しい内側にアルコールだなんて有害物質は存在しない。品行方正である事を疑わない社会において酔うことは必要ないのだ。そう言えば、あの空き缶には「BEER」とラベリングされていた。上司たちも流れ作業のストレスから案外酔いたかったのかもしれない。
ならば食事で気晴らしはどうだ? 中央には再現されたレストラン街があって、下層の人々よりもはるかにストレスを抱える中央の人々の舌を楽しませるために腕を振るっている事は知っている。この前冷泉に連れて行ってもらったところは味がした。悪くは無い。
でも、再現といってもプリンターで出力したまがい物。見た目こそ凝っているが、あれは料理では無く調理だ。ネタが分かってしまえば退屈極まりない完全食品。
「あああああ~」
大人になって――厳密には未成年だけど――やれる事は各段に増えた。少なくとも自動運転車で私が行けない場所はこの中央に無い。資料も政策に関わる極秘の物を除けば上司と同じレベルでアクセスできる。給料も入ってもう遺産に頼ることなく自活できる見通しが立っている。私は一体、今の自分の何が不満なんだ――
「……っ!」
ストレスが溜まった時、人間は原始に還るのだろう。人間を形作るのは己が肉体。これを酷使すれば「何かをやった気」になれる。外縁から中央直通の地下鉄までの灰色で無人の道のりを私はやけくそに駆け抜けた。
流石に地下鉄の中ではおとなしくする他無い。だから、ひとたびプラットフォームを降りたらネオン街の中をひたすら真っ直ぐに家族区画に向けて駆け抜けた。何人か前時代の奇抜な服装をしている人たちが驚いた目つきで私を見たけど気にしない。何が再現だ。そんなもの所詮偽物。最先端は政府が推奨するあの灰色のスウェットじゃないか。安定した社会を構築するための、機能性に優れた、パジャマみたいに無防備な服装。それこそがこの社会の本質――
「はぁ……はぁ……」
スマートウォッチをかざして部屋の中へ入る。最近の私はどうにもおかしい。働き始めてからまだ一週間ちょっとでこれだ。こんな繊細なんじゃ残りの人生神経がどれだけ太くてもあっという間にすりつぶされてしまう。
「残りの人生……ね……」
姉はとっくに死んで、私もあんなくだらない場所で意味なく余生を過ごせって? そんなことが許されるとでも……。
「あ! 二葉ちゃんお帰り!」
姉が……いやカズハだ。カズハが私を迎えにトテトテと軽い足音で向かってくる。
「今日は早かったんだね。お仕事は?」
「――」
早上がりよ。私はそんなふうな事を言ったと思う。相当参っているのか、口元も、足元もしっかりしない。
「? 何かあった? 怪我とかはしていないみたいだけど……大丈夫?」
察しが良いのか、それとも目に見えて弱っているのか、カズハは私の体を点検するように一通りはたいては最後にきつく抱きしめてきた。普段は鬱陶しく感じる感触も、今では支えに感じるから不思議だ。
彼女の手に導かれるまま私はリビングへ、改築の果てにダイニングキッチンと化した場所へとたどり着く。彼女の牙城と化したそこは積み上げられた部品がどのような役割を果たしているのか見当もつかない。資料でしか見たことの無いガスコンロに、シェルターではご禁制の長い刃物である包丁、個人では加工が難しい各種調理器具と一揃いある。
「今日はちょっと早いけど夕飯にしようか。二葉ちゃんはそこでゆっくり待っていていいからね」
何かそっけなく返事を返したと思う。私は無意識にスマートウォッチをいじって映像紙の壁に適当なチャンネルを選んではウインドウを縮小表示してはまた新しいチャンネルを張り付けていた。資料を探す能力がどれだけ上がっても、自分が興味を注がれるものはネットの中に存在しない。これだけ情報に溢れているのであれば「地上奪還計画」、とりわけクローンやデザイナーベビーに関わる物が一つでもあっておかしくないのに、総スルー。自分たちの生活に関わる重要な情報は抜け落ちたまま宙ぶらりん。姉の、私達の存在もこの社会の中から浮いてしまっている。
「お待たせー。今日は豪華にカレーライスに挑戦してみたんだ。刻んで炒めて焼いて煮て炊飯も。これなら二葉ちゃんも美味しいって言ってくれると思うんだ」
なんってったって金曜日だからね! そう言ってカズハは鼻を鳴らす。金曜日とカレーに何の関係があるのかさっぱりだ。
テーブルに並べられた二つの器。容器になみなみと盛られたカレールーは相変わらず火傷を連想させるほどに湯気を出している。こんなものに触っていてもカズハの手は傷一つ無いのだから驚きだ。
「手と手を合わせてほら、いただきます」
カズハの真似をするように私もそう呟いてスプーンを手に取った。口に運ぶ。ルーは美味しい。コクがあって、辛くて、熱くて、目が覚めるような不思議な気分だ。
けれど肝心の具材がその刺激を盛り下げている。ジャガイモも、人参も、玉ねぎも、食感はいいけど水っぽい。そして器の半分を占めるお米の味が致命的に薄い。手順も、見た目もいい。けれど肝心の味の部分でカズハの料理はぼやけてしまっている。
「……どう?」
カズハの両目が覗き込むように向いてくる。私はぼんやりと、いつものように一言、薄い、と返した。
「うーん……どうすれば二葉ちゃんに満足してもらえるご飯が作れるのかなぁ……」
むしろ四年間も一緒にいて味のある料理を作れない時点で料理の才能は諦めるべきでは。私の脳は文句だけはすらすらと出力するらしい。流石にこれは料理に生きがいを見出しているカズハに酷だから言わないけど。
「………………?……」
見下ろすカズハの頭頂部、そこに何かが光ったような――
「あ」
バツが悪そうにカズハは両手で頭を隠す。「エヘヘ」と微笑み愛嬌も忘れない。いかにもな仕草で照れ隠し。
でも私はバッチリ見てしまった。カズハの頭頂部に白髪が数本混ざっているのを――
「ひぃっ――⁉」
「二葉ちゃん⁉」
椅子ごと後ろに倒れる。足がもつれて前後不覚。いきなり飛び跳ねる奴がいるか。私の体は無様にもんどりを打っては床にたたきつけられた。
「二葉ちゃん大丈夫!」
視界にカズハの足が入り込んで腕が差し伸べられて心配そうな表情で覗き込んで――
「やめて!」
「……っ⁉」
私はそれを反射的に払いのけた。平衡感覚をがむしゃらに取り戻すとこれと距離を取るために壁へ、部屋の奥へと移動し、
「二葉ちゃん……?」
やめて。
「一体どうしたの?」
やめて。やめて。やめて。
「今日の二葉ちゃんは何か、変だよ……。そんなにご飯が美味しく無かった? ごめんね私料理へたっぴで」
やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。
「私には二葉ちゃんみたいに立派な目標は無いし、それを叶える強い心も、行動力も無いかもしれない。でも、二葉ちゃんのお姉ちゃんとして、ダメダメなお姉ちゃんみたいだけど、二葉ちゃんの役に立ちたいんだ。だから……もし私に出来ることがあれば全然……っ頼って欲しいんだ! 私だって話だけなら聞けるかもしれない。不安な事はさ、吐きだしちゃえばきっと楽に――」
やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて。やめて――
「やめてよ! もううんざりなのよ‼」
「でも――」
ぼんやりと温かい映像紙の壁。内蔵されたスピーカーから伝わる振動が不愉快に心臓を揺らす。ここはもう壁際。もう私には逃げ場がない。ここで打ち止めだ。
壁にはりついた両手を握りしめて、足元も踏ん張る。情けない事に一々覚悟を決めなければ目の前の矮躯を一瞥することが出来ない。
別に白髪程度、ストレスがかかれば誰でも出来る。高校時代にも何人か頭頂部に白を作っては冷泉にからかわれていた。「おやおや、お疲れですなー」、みたいに。私も彼女にベリーショートの一本を抜かれたことがあったっけ……。
でもこれがカズハの事となると話は別だ。もう四年経っている。私が成人するまでが彼女のリミットだ。それをもう半分越し始めている。彼女はあの日の姉の姿を残したまま、グロテスクに老化を始めている……。
「はは……」
そう言えば私は十八歳。あの日終わった姉の人生をすでに一年超えてしまっている。だとするとどうなんだ。同じ姉の遺伝子を備えたクローン。成長と老化、どちらが姉の、オリジナルが辿るはずだった人生なんだ――。
「はっははははははははははあははははははは――」
「二葉ちゃ――」
「うるさい! やめてって言っているでしょ!」
「――っ……」
今度こそカズハの口が閉じられる。もごもごと内側で言葉を紡ぎたくも、私の命令に忠実にグッと堪えている。
そう、カズハは私の後見人。彼女の存在理由は全て私のためにある。「もし二葉ちゃんが独りぼっちになったら私のクローンをそばに置いて欲しいです。どんな形でも私は二葉ちゃんの事を見守りたい」。違う。カズハは決して姉なんかでは無い。姉の形をした便利な道具。死んだ姉をモチーフに造られた別の生き物だ。
そしてこの生き物は「私のために」とほざきながら死に始めていた。あの日の姉の姿をとどめたままもう一度、私の前で死のうとしているのだ。こんなグロテスクなことがあるだろうか。
いや、グロテスクなのは私だって一緒だ。本来道具なのは私、それが立派に人間の真似事をして就職までして大人の仲間入り。姉に与えるはずだった臓器どころか、健康であれば獲得していたはずのこの背丈も運動能力も、頭脳も、顔も、彼女の人生まで丸ごと奪っては生きてしまっている。
「気持ち悪いのよ……」
「……」
「アンタが姉だって言うなら本気で怒ってみなさいよ。なにが『みんながみんなのもの』だ! 上からの効率的な支配のお題目を拝んで、こんな命を弄ぶようなことして、アンタだって被害者でしょ! 今まで不条理な目に遭って、私からも――っ何か怒ってみなさいよ!」
「……っ」
さっきの「黙れ」の命令が有効なのか、カズハのなかで矛盾が起きているのか分からない。一つ言えるのはそもそも道具であるこれが反抗するはずが無いということだけ。本当最悪だ。私なんかよりも立派にリソース意識を守っている。
そう、アンタは内側の人間。だから、私はもう――
「――っ」
「⁉ 二葉ちゃん!」
一緒にはいられない。
多少ふっくらしてきたとはいえカズハの肉体は発育不良の姉のもの。軽く小突いただけで大げさにひっくり返る。
「二葉ちゃん!」
起き上がる音がしたけど振り向くな! ここで振り返ってしまったら、あれの顔を見てしまったら先に進めない。姉の幻想を振り切るには今すぐにあれから、この内側から逃げ出す必要がある。
最初からこの社会に私の場所なんて用意されていない。出方は分かる。汚染物質が満ちた荒野だろうが関係ない。今すぐにでも外側へ、外へ、逃げるんだ!
「ああああああああああああああああああああああああああああああああ――‼」
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