2―3

「大丈夫? 二葉ちゃん」

「これが大丈夫だと思うならもっと力入れて……あ~そこ、効くわー……」

 リビングにうつ伏せに寝そべってカズハのマッサージを受ける。恐ろしく間の抜けた状況だけど、どうか許して欲しい。高校一年生も終盤に差し掛かると……まさかこんなに忙しい、体力のいる身分だとは思わなかったのだ。

 授業科目ごとに教室を移動させられ、体育は一年生の内は毎日必修、学習内容も予習復習は必須で学内の図書館に出向いては資料のチェックが欠かせない。休めるのは昼休みの昼食の時くらい。学校が十七時に終わっても自分の勉強のために学校の設備を利用していれば……一日の時間があっという間に消費しつくされる。

 時刻は午後九時……就寝までの一時間くらいだらしない姿でいさせてほしい……。

「お客さん凝っていますね~」

「誰がお客さんよ……あっ! そこ、もうちょっと上……あ~~~~」

 イイトコ出身のクラスメイト達の趣味が「研究」って言っていた意味が今なら分かる。課題を設定・解決するために仮設を組み立て、資料や実験結果を収集し、それを成果としてまとめる。その課題解決能力が高等教育機関で必要になると英才教育を施していたのだろう。体育の方もきちんとジムにでも通っていたのか汗をかく事に抵抗が無い。私が通うだけで目を回してグロッキー状態なのと対照的に、彼らは爽やかに青春を謳歌しているように見える。

 あの飄々とした冷泉ですら、表向きはクラスメイト達とわいわい楽しんでいるように見えて――私には分かる。彼女のトレードマークであるツインテールの毛先が僅かに枝毛になっていた。上の身分であり続けるには追い付け追い越せ。確かにここではバイタルサインで造反者を探す必要が無い。誰もかれもが課題に追われて忙しく、精神状態はプレッシャーで常に乱れているようなものだ。これではご自慢の監視方法も形無しである。

「でもお姉ちゃん誇らしいなぁ……二葉ちゃんが頑張っているおかげで、こんな豪華な場所に暮らすことが出来るなんて思わなかったもの」

「……」

 豪華、ねぇ。

 学校は三学期制で、一学期ごとに総合成績が発表される。その成績次第ではシェルター内の未開放部分に入れる特権が与えられたり、ワンランク上の家族区画を与えられたりする特権が与えられる。

 特権というと大げさに聞こえるけど、その内容は貴重な紙の資料にアクセスしたり、研究棟の実験器具を自由に使えたり――私が自動運転車で入れなかったのはこの手の場所だったらしい――と実務に特化したもの。部屋だって確かに私の部屋だけでも三畳から六畳に、区画全体で言えば単純計算で2・5倍に拡張したけど、冷泉曰くどの部屋も最終的には学術書や資料で埋まるようになるらしい。限られた資源をやりくりするシェルター社会では特権といってもその程度。生活の質で言えば前時代の一般人の方がこれよりも広いスペースを享受していた。

 この内側には必要の先に特権が与えられるだけで、真の贅沢は出来ないようになっている。囚われている限り自由は無いのだ。

「……」

 どの特権も私は遠慮なく使わせてもらっている。高校でいい成績を取るためには幅広い資料が必要だし、広々としたふかふかのベッドで睡眠を取れば翌日にはバッチリ目覚める。だけど使う側としてはそれが豪華特典と思わない。この階層にすむ人間と同じで、必要に迫られて使わざるを得ないだけだ。

 ゆえに……これらの特権を真に贅沢に使っているのはひょっとするとカズハだけかもしれない。

「はい、マッサージ終わり。二葉ちゃん、違和感のある所はある?」

「……いや、無いわ」

「よかったー。このマッサージ法の本結構役に立つみたい。請求して良かった」

「……」

「体がほぐれた所でお夜食にしようか? 勉強のお供といえばアツアツのうどんだよね。この間借りた前時代の風俗本に書いてあったんだ。いま用意するね」

「……」

 六畳から十二畳に拡大したリビング。二人で使うには広すぎるここはいつの間にかカズハの生活の跡でいっぱいになっている。私が寝そべっていたマットをはじめとする各種マッサージグッズ。「そろそろ寒い季節だから」と秋口から始めた編み物。プリントアウトした物をバインダーにまとめたお手製の料理本。プリント食物のおかげで取り除かれたキッチンをガラクタを寄せ集める事で再現した調理場。カズハがやっている事こそ無駄の集大成。贅沢と言えるものではないだろうか。

 私の持つ権限は後見人であるカズハも同じように利用することが可能だ。通学のせいであれは自由時間を持て余しているのか、過去の風俗情報を検索してはそれを再現することが趣味になっているらしい。

 同志というか、前時代の風俗を再現・維持するのも中央の人々の仕事として存在しているようで、街の看板や服装もその手の人種によるものだ。そんな彼らも実のところ家に帰れば政府が推奨するスウェットに身を包み、プリント食物に舌鼓を打っているのだから夢が無い。ハリボテもはなはだしい、私がこの街に来た時の感動を返してほしい。今ではおしゃれして張り合う気すらない。

 そんな彼らとカズハは連絡を取っているようで、何を血迷ったのか既存の道具で前時代の風俗の再現、とりわけ料理は鬼門らしく熱心に取り組んでいるみたいだ。

「二葉ちゃんできたよー」

「……!」

 熱気と共にお出汁のおいしそうな匂いがリビングに広がる。いつの間にかお腹が、グウ、と音を鳴らして――

「あ! お腹が鳴っている! それ美味しそうなものを目にしたときの反射らしいよ。実験はなかなか順調ですな」

「……今回は大丈夫なのよね」

 風俗再現のためにここまでスペースをいじっているのは中央といえどウチくらいのようで、実証実験はカズハしか行えない。そして、その被験者は自動的に私になる。

「多分大丈夫だよ。雰囲気は完璧だし」

「……雰囲気で判断しないでよ」

 へいお待ち。そう言うとカズハはテーブルにうどんを乗せる。おつゆと麺だけのいわゆるシンプルなかけうどんというやつだ。

 これまたどこで見つけたのか磁器のどんぶりにいっぱいに注がれたそれはモクモクと湯気を立ち上がらせている。手をかざしただけで熱い。

「ふふん~♪」

 会心の出来と言った表情でカズハは微笑みかけてくる。勘弁してほしい。食べるのは私。外見こそ普通のうどんだけど、得体のしれないものには変わりがない。これは食事では無く、実験なのだ。

「……いただきます」

 麺を数本お箸で掬って、とりあえず普通にすすってみる――

「熱っ‼ 何これ! 口に入れる温度じゃないわよ!」

「ああ……そうだった、ふーふーして、って言うの忘れてた」

 ごめんね、とてへぺろを一つ。オイオイ、愛らしい顔が武器だと思っているらしいけどそんなのに絆される私じゃないぞ!

 マッサージでボーっとしていたのが良く無かった。よく見ると湯気の量は普段見るプロント食物のそれよりも濃い。白い立体映像といってもいい。器だって触れればやけどする程。これが本当に料理? 罰ゲームか何かの間違いじゃないだろうか。

「昔の料理はガスとか熱伝導で食べ物を直接加工していたから、いまのプリント食物みたいにあらかじめ食べやすい温度になっていないんだって。だから熱かったらふーふー、らしいよ」

「そういう重要な事は先に言いなさいよ!」

「いや、それを言ったら実験じゃ無くなっちゃうもん。出来るだけ生のデータが欲しいし。それに私としては凝り固まっている二葉ちゃんの色んな顔が見たかったし」

 コイツ……確信犯じゃねえか……っ。どこまでがデータとして提出されるのか知らないけど、私のリアクションがそのまま実証結果になるのなら研究そのものを潰してやろうか!

「で、味はどう? 結構自信作なんだけど」

 これは私のそんな怒りを気にせずにマイペースにテーブルに着いた。ドンブリの中の熱湯を引っかけてやろうか。

「……おつゆはマシだけど、麺は薄い」

 でも私はそんな事せずに「ふーふー」と冷ましつつうどんをすする。これはやけどするのがバカらしいのであって決しておつゆの味に屈した訳じゃない。

 言うと調子に乗るから口に出していないけど、振り返ればカズハの料理のスキルはかなり上達してきた。薄味の確立は三割程、とりわけキッチンが出来てからは味はともかく見た目の向上が著しい。盛り付け方に、食器に、かなりセンスが上がっている。

「う~ん。二葉ちゃんのグルメを満足させるのはまだまだ改良の余地ありありだね。お料理って難しいなぁ……」

 そう言うとカズハは両手で頬杖ついてぶーたれる。なんとなく、尖らせた唇辺りが不細工だなと私は麺をすすりながら見下ろす形になるのだけど――

「………………」

 私はいつの間にカズハを見下ろせるようになったのだろうか。成長期を迎えた私は彼女と出会ってから五センチ程背が伸びた。シェルター社会では嫌われる一六〇センチ前後。ここでは男女共に、コンパクトな背丈が好まれる。

 そしてカズハは……姉は病気が原因で成長が阻害されて一五〇前後だったか。病床にぴったりとあつらえたように収まる肢体。やせ細った矮躯が今ではすこしふっくらとして料理を振るえるまでになったけど――

「今度は何を作ろうかなぁ……二葉ちゃん、何か食べたいものある?」

「……なんでもいい」

「えー。主婦的にはその手の答えが一番嫌なんだよね~。後になって『アレが良かった』は無しだからね」

「どうせ薄味なんでしょう。だったら、何を食べても同じじゃない」

「えー、同じじゃ無いよ」

 そう、同じじゃ無い。クローンをベースに人間として生まれた私と、期限付きの人工生命として生まれたカズハでは決定的な差異がある。

 私には成長があるけど、カズハにあるのは終わりだけだ。肉がついてもそれが養分となる事は無い。贅肉として蓄積されるだけだ。

 残り四年の寿命の中で趣味にうつつを抜かすカズハ。私は確かにこれに雑用を押し付けているけど、手続きの内容が分からないほどもう子供じゃない。その気になればもう、私一人で生活を維持することが出来る。

 そうなると、はたして目の前のこれの存在意義は何だ。姉の亡霊はなんで私の目の前で、姉以上に人生を謳歌している。

「…………ごちそうさま」

「はい、お粗末さま」

 なんでこれはいつも私に笑顔を向ける。姉の顔で、姉の仕草で、私の役に立とうとする。

 私はこれを道具として使い潰す事に決めていた。けれど、ひょっとしたら、もう――


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