第二章:世界の中心へ

2―1

「げぇっ……おえぇぇっ……ごほっつげほっ……」

「二葉ちゃん大丈夫。ほら、出すもの全部出しちゃって。お昼ご飯もったいないけどこの際出しちゃってスッキリしちゃおう」

「うるさ――げぇっ……」

 私は高校受験を制し、今春三月末に見事あのしみったれた上の下の区域から上の中、すなわち中央へと進出を果たした。

 面倒なあいさつ回りに移転の手続き、高等学校進学のための上位権限へのID書き換え、その他もろもろをカズハに押し付けて、私は悠々自適に新居の自室で荷ほどきをしていたはずだったのに。

「まさか二葉ちゃんがなんてこれはお姉ちゃん予想外だったなぁ~」

 うるさい! と一言否定したいことろだけど実際どうしようもない状態なのでぐうの音も出ない。

 中央生活一日目、私は大変情けない事に新居のトイレで吐いていた。

 ここまでの道のりは大変順調だったと思う。かつての家族区画から自動運転車で揺られる事三十分、人気のない普段の灰色の四角で構築された世界を抜けた先が色彩の国だと知らなかったのだ。

 資料でしか見たことの無い看板広告にネオンサイン、物理的な装飾で飾られた建物はもちろん、街の人々が着ている服装も映像紙製でない本物の洋服をバッチリに着こなしている。機能性重視のスウェットを着て出歩く人間なんて一人もいない。運動をしている人たちもそれぞれの動きに合わせたスポーツウェアを身に纏い――ここには個性というものが生き残っていたのだ。

 今まで生活していた場所がいかにがらんどうだったか。実際無駄な物が排除されて省スペースだったというか、あの場所はかなり広々としていたと思う。翻って中央は装飾過多で日中であるにも関わらず出歩く人々が多い。空間を埋め尽くさんばかりに広がる情報の大洪水。昔の言葉を引用するのであれば「おのぼりさん」。私は完全に酔っていた。

「――ふぅ……」

「スッキリした?」

「……もう大丈夫よ」

 吐いてスッキリ、なんて単純にはいかない。脳裏にはまだ鮮烈な街並みが焼き付いてしまっている。これがまたいつフラッシュバックするのか、正直怖い。

 でも、私はこれからこの街で生きていくのだ。であれば、いつまでも引きこもってなんかいられない。せめて新居を自分色で染め上げないと、自分を保つ個性を創り上げないとここまでのし上がって来た意味が無い。

 私は今度こそ自室に入って荷ほどきを始めた……のだけど、作業は五分とかからずに終わった。

 部屋の造りは以前の家族区画と変わらない。ベッドの上と収納が存在するだけの三畳の部屋。私の持ち物といえばスウェットの上下と下着くらい。日常のあれこれはネットの中にあって、それはスマートウォッチと連動している。部屋に私の情報を同期させてしまえば映像紙の壁紙が保存してきたあれこれをあっさりと表示してしまった。

「……マジか」

 自分を示すものがここまで味気ないものだとは思わなかった。いや、資源が限られているシェルター社会において省エネルギー、省スペースを実現させるデジタル資源こそ新たな現実だと政府は推奨している。

 それではこの場所の、資源の無駄遣いと言える環境は一体何なのだろうか。あれだけ多くの人々が街を歩いていたら感染症をばら撒いているのとなんら変わらないのではないか。この対照的な生活パターンの源泉は一体何なのだろうか。

「……」

 私はサイドテーブルを操作して生まれて初めてアドレス帳を開いた。とはいっても登録しているのは五本の指に収まるだけの人物しかいないので検索もなにも無いのだけど。

「…………」

 私の指は「冷泉一美」の前で止まっている。果たして私は彼女の持つ情報に頼るべきなのだろうか。彼女が言う所の「同志」として辛苦を分け合うべきか――

「……はぁ……」

 裸にでもなった気分だ。癪だけど、私はタンスの肥やしにしていたカズハの映像紙製のワンピースに着替えた。スマートウォッチと連動し、適当なパターンを表示させるとにわかに落ち着いたような気がする。

 ようやくスイッチに手を伸ばせた私はコールの間表情を作るのに努めた。私と冷泉はあくまで対等。これは弱音をさらけ出すのではなく情報収集活動。冷泉を一方的に利用するためのものだ。

 ポン、と音を立てて冷泉のウインドウが表示される。まだ三コールもしていないのに即レスだ。

「――どうしたの⁉ 二葉から連絡なんて珍し……ぶっ、あははははははははは――」

「ちょっ! いきなり何笑っているのよ! 失礼な奴ね!」

「だって……二葉自分が今どんな格好しているのか分かっているのっ――ははははははははははははは」

「はぁ⁉」

 冷泉が笑うような恰好をしているつもりはない。私はただ映像紙のワンピースの表面を自分が最も落ち着く灰色にしているだけだ。複雑なパターンを出すのは趣味じゃない。シンプルイズベスト。

「いや、それはダサい。その服はランダムなパターンを表示させ続けるのが面白いのに寄りにもよって灰色。スウェットみたいな色じゃん。ぷっははははは」

「あんまり笑うようだったら切るわよ……」

「ごめんごめん……ふう、もう落ち着いた。って、掛けてきたのはソッチじゃん。どうかした?」

「……」

 何から話すべきか。出鼻をくじかれてしまったのでどのようにして話を続けるべきなのか分からない。ファッションセンスを馬鹿にされた手前、そこからさらに自分の弱さをさらけ出すのは冷泉に一方的に美味しいようで、それは嫌だ。

「あれ、アンタの部屋レイアウトがおかしくない?」

「ん?」

 冷泉はなんてこと無いように私の視線に合わせて後ろを向いた。ウインドウの中、彼女が背景にしているのは図書館に収められているような物理書籍の群れ。ぎっしりと詰まった本棚だ。今までオンラインのホームルームでは私や他の生徒たちと同じようにベッドと白い壁だったのに――

「アンタも引っ越ししたの?」

「いや、まあ……引っ越しといえば引っ越しになるのか?」

「煮え切らないわね。実際のところどうなのよ?」

「うーん。実家って言えば正確なのかな」

「あら、祖父母が生きていたのね。珍しい」

「いや、この区画は両親の本来の居住区画。私も初等教育を受ける前までは中央で暮らしていたから。進学を機にこっちで暮らそうと思って」

「……はぁ⁇」

 私があまりに要領を得ないので冷泉は自分の来歴を語ってくれた。

 この世界の職業の九割を占めるのがサービス業。それは上の下以下の地域の人々が就く物とされている。そして残りの一割、シェルター社会を真の意味で支える重要な仕事は中央の人間が負っている。

 その一つである社会研究に冷泉の両親は携わっている。ご両親の仕事は「社会行動学」。上の下以下の人間が一体どのような風俗で生活し、価値観を構築しているのか。彼らの活動がシェルター社会にどのような影響を与えているのかを観察し、悪い兆候が現れたら中央に通報する。研究員と監視員を兼ねた仕事だそうだ。

「だから何かと中央に詳しかったわけね。何で言ってくれなかったのよ」

「二葉みたいなピーキーな子がシェルター社会の核心を知ったら暴走しかねないからだよ。もし下層の環境に一人でも不満を抱いて、それがカリスマの手で伝播してしまったら長い間築いてきた安定が壊れてしまう。上位層としてはそれだけは避けたい。っていうのが両親の意見だったから」

 なるほど、この社会をこんなくそったれにしていたのは中央の人間だったのか。自由を手に入れたつもりが、ところがどっこい敵の懐の中に飛び込んだ形に――

「で、冷泉はよく私みたいな不穏分子を中央に誘ったわね。カリスマだかなんだか知らないけど、獅子身中の虫を自分たちの陣営に入れるだなんて酔狂がすぎないかしら?」

「逆だよ。むしろそういう人材の方がこっちの風俗にドはまりする傾向にあるから。両親の仕事には良くも悪くも能力のある人材の発掘も含まれている。現に二葉はそれを高校入学という形で証明してくれた。両親もポイントアップで助かったらしいよ」

「……」

 なんだか話だけ聞くと上位層、いや冷泉の手に平の上で踊らされているようでコイツの方がよっぽどヤバい才能に思える。社会はともかく、彼女は一体私の何に期待しているのやら。腹の中が全く読めない。

「まあ、何がともあれ二葉はこの上の中、中央区画を楽しんでみるといいよ。君ならきっとこの階層を必ず気に入ってくれる。入学式まであと一週間あるし、それまでにはおのぼりさんを治すことが出来るんじゃないかな」

「なっ⁉ なんでその事を‼」

 たじろぐ私を見かねるように、冷泉は画面の中でやれやれと大げさな動作で肩をすくめると人差し指を自分の唇の端へ持ってゆく。

「……吐いた跡、残っている」

「⁉」

「ファッションセンスはおいおい身に着けるとして、身だしなみには気を付けた方がいい。これからのコミュニケーションは対面の物が中心になる。今まで見たいにリモートのノリでいると恥じをかくことになるから気を付けてね」

 私は下層の殺風景を見て酔ったことがあるから二葉も頑張って慣れてね。冷泉はそう呟くと勝ち誇ったような笑い声と共に唐突に通信を切断した。

「はは……ははははは――」

「二葉ちゃん大丈夫? 酔い止めか何か用意する?」

 ドア越しにカズハの声が響く。冷泉と話し込んでいた事を部屋で寝込んでいるのと勘違いしたのだろうか。相変わらず甘ったるい声が耳障りだ。

 でも――

「カズハ、出かけるわよ」

 私はスマートウォッチを操作して――冷泉の手のひらの上は居心地が悪いけど――アドバイス通り服のパターンをランダム再生に切り替えた。

 そしてそのまま部屋を出てカズハの手を取る。

「ちょっと! 今外に出るのは二葉ちゃんの体が……」

「だからこそよ。負けっぱなしなのは私のプライドが許さない! 何が『殺風景に酔った』だ。難易度なら、情報量なら私の方が上よ。今日一日で街並みに慣れてやる!」

「よく分からないけど荒療治がすぎるよ~」

 ご忠告御苦労様。でも私はアンタの言葉を聞くつもりはない。

 私の存在がこの社会において不穏分子である事を期待されているのだったらとことん反抗してやる。カリスマだか何だか知らないけど、望み通り滅茶苦茶にしてやるんだから!

 その日私は自動運転車を一日乗り回して中央の街中を爆走した。街は予想以上に狭く、おかげでこれから通う事になる高等教育機関はもちろん、街の大体の場所を頭の中に叩き込むことが出来たと思う。

 ただし、やけくそな行動はそれ相応の負担を要求するようで、翌日私は一日中寝込んでしまった。獅子を倒せるようになるのはまだまだ先になりそうだ。


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