1―5
「――二葉!」
「⁉」
冷泉が着地すると同時にボールは私の真横を抜けて後方へ。どうやら彼女のアタックが決まったらしい。
「どうしたの? ボーっとしちゃって。二葉らしくない」
「別に、私だって悩むことぐらいあるわよ」
トン、トン、と音を弾ませながらボールはみんなの輪の中へ。あーあ、サイアクの方向に転がっていきやがった。
「悩み事があるなら輪の中へ吐きだしに行く事をオススメするよ。きっとスッキリするよ」
「まさか、絶対に御免だわ。私の不幸は私自身の物。あんなどうでもいい、レベルの低い中に並べる気は無い! それにうわべだけの慰めの言葉なんてかけられたら……くそったれだわ」
「君も昔は同じようにしていたんだよ」
「アンタもね。学級委員長サマはこんな落ちこぼれとバレーボールしていて点数は大丈夫なのかしら?」
「そんな君も学級副委員長なのにね。別に私は大丈夫。不良生徒を説得する名目でバレーしているから。君の方こそもう半年だよ。そろそろ参加しないと点数に響くと思うけど」
「……私も大丈夫よ」
確かに高校受験を控えている立場としては少しの減点も気にすべきだろう。だけど私の場合家族をまるまる失ったということでバイタルサインが安定しないことが政府のお墨付きで許容されている。カウンセリングミーティングは基本的に参加だけれど、体調不良等を理由に見学参加が認められていない訳じゃない。私という異物が入り込んで彼らのお楽しみの場を荒らす事の方がよろしくないだろう。誰だって気の合う仲間たちと輪を作る事こそが気持ち良い。
それに――私にはカズハという優秀な代打が存在するし。
「おーい! 二葉ちゃーーん‼」
「……」
カズハは紛れ込んでしまったボールを抱えると、ブンブン、と右手を大きく振っては私を見つめてくる。
「ほら二葉、お姉さんが読んでいるよ」
「……冷泉ッ!」
「まあまあ、そう怒らないで。クローンだろうとそういう立場であれば分け隔てなく接する。それが政府に推奨された対応だからね」
「チッ……あとで覚えときなさいよ」
カズハの笑い声が紛れ込まなければ冷泉のコースは十分対応できるものだった。全く私らしくない。やっぱり私にとってコレは私のあらゆる物事を邪魔する存在としか言いようがない……。
なるだけ集合体の空気を吸い込まないよう足早に、私はカズハの下へ向かう。私が近づくごとに彼女は瞳をだらしなく垂れさせて「えへへ」と笑顔を。アンタは犬か。犬ならアンタの方が私に向かって走って来いよ。
「はい、二葉ちゃん」
「……」
私は無言でボールを受け取る。真っ直ぐに注がれるカズハの視線――それと有象無象の目、目、目。やはり異物が輪の中に近づくべきじゃない。居心地の悪さと非難を訴える無言の圧力が私に迫ってくる。
別にこの程度の悪意なんて気にしない。どうでもいい悩みしか無い、内側の世界で恵まれた「普通の人間」達。私と彼らとでは立場がまるっきり違うのだ。会話も思考も噛み合わないと分かっているから私はそれを無視できる。
……無視できないのは、その圧力が私だけでなく、カズハの背中にも及んでいる事。こいつらは自分達がやっている欺瞞に私が気が付かないとでも思っているのだろうか。それとも分かっていて無視しているのだろうか。
「みんながみんなのもの」、だなんて口には出しているけど、一皮むけば彼らの中にもクローンに対する立派な差別意識が残っている。別に私はいい。私は社会を否定している。そんな私が都合よく他人の善意を期待する事の方が間違っている。
でもカズハは違う。カズハは政府公認の私の後見人。その身分は人間と変わらないし、彼女自身も人間であろうと努力している。それにも関わらず人間達がカズハに向ける目は一体何なのだろうか。私は当事者だから、カズハを否定する、非難する権利は私だけの物だ。決して、アンタたちに許されたものじゃない――
「――ッ‼」
「「「⁉」」」
少し睨んだだけで俗物たちはたじろぐ。子供に見透かされたくなかったら、最初からカズハを否定して、私みたいに輪に入れなければいいのに。
「二葉ちゃーん! バレーも良いけど、気が向いたらいつでもこっちに来ていいんだからね!」
冗談じゃない。私がカウンセリングミーティングで吐きだす事なんて何も無い。出せてせいぜいシェルター社会への文句だけ。そんな事言ったら参加者のバイタルサインが乱れてこの地域の人間が全員収監されるのがオチだ。
私がいない方が丸く収まる。それを証明するように私と彼らの距離が空くごとに輪のボリュームは広場中に広がっていった。
「ねえ冷泉、私とあなた、立っている場所を交換しない?」
「おいおい『バカたちの顔が見たくない』って理由で彼らを背にし始めたのは二葉の方じゃないか。それとも、私のボールを受け止める自信が無いのかい?」
「まさか、さっきのボールだってカズハの声が聞こえなければ返せていた。冷泉こそあの輪に入るのがそんなに嫌なのっ?」
きつめのサーブを冷泉に向ける。ボールは真っ直ぐに、冷泉の体のやや左側に抜ける方向に飛んで行った。
「もちろん。あんなヒステリーな人たちの中に入るのはまっぴらごめんだね。だからこそ、私は中央の高校に入学しようとあれこれ頑張っているの、さっ」
冷泉は横に軽く三歩踏み出して片手でレシーブを決める。ツインテールがしなり、崩れた姿勢から返されたにもかかわらず、ボールは真っ直ぐ上に飛び、私の両腕へ放物線を描いて落下を始める。
「チッ、器用な奴。ところであの噂は本当なの?」
レシーブ。冷泉の狙い通り、綺麗に収まったボールは綺麗に「ポン!」という音を弾ませて私の両腕を離れた。
「あの噂って?」
冷戦がトスを上げる。これもまた角度、高さ共に完璧に調整された軌道。私はそれに誘導されるようにジャンプし――
「中央に行けばカウンセリングミーティングが免除されるし、外に出られるって噂よッ!」
アタックを決めた。冷泉はその軌道を見て舌なめずりをする。丸メガネの奥のネコ目が悪戯っぽく微笑み、一瞬瞳孔が広がっては獲物を狙う狩人の視線。「狙い通りだ」。愛らしさで隠しているけど、私には彼女の本音が見えた。
「――⁉」
しかしボールの軌道は直前でブレ出す。私が放ったのは無回転ボール。空気の抵抗を受けてボールはでたらめに暴れ出す。はははは! 何もかもアンタの誘導に乗せられると思ったら大間違いだ!
「あー」
冷泉が諦めると同時にボールは床にバウンドしていた。点を決めるとなかなか気分がいい。
「これで同点ね。次で一点決めて勝ってやる」
「いや、勝負はこれで終わりかな」
スマートウォッチが一斉に鳴り出す。広場に響くブザーめいた音は帰宅の合図。カウンセリングミーティングの終了を知らせる物だ。
「これで二十四戦中十二勝十一敗一分けか。今のところ私のリードだね」
「まだ半年ある。冷泉に勝ちこさせたままでいる私じゃないわ」
「うーん、学級委員長としてはその情熱をカウンセリングミーティングに向けてくれるとありがたいんだけどね。ま、私としてはいい運動が出来て助かっているよ」
それじゃあまたね。そう言うと冷泉は帰宅する人々の群れの中へ入り混じろうとする。あれだけ涙声をあげて盛り上がっていた集会も、たった一回のブザーの前にスイッチを切ったように無表情。夢から醒めたようにその足取りはしっかりしている。
「待ちなさい冷泉! 私は答えを聞いていない!」
私の言葉に冷泉は慌てて引き返してくる。しなやかなフットワークで人混みを華麗にツインテールをなびかせる様子はインドア派の多いシェルターの中で稀有な能力であると惚れ惚れする動きだ。
「ちょっと二葉! 覚めた状態の彼らの前でその事は言わないでよ。もしバイタルサインが流れたら……集会外での暴動だなんて手が付けられない。上の下まで息苦しくなったらたまった物じゃないよ……」
耳元で冷泉にしては珍しく狼狽した口調で告げる。まさか演技で呼吸を乱す事は出来ないだろう――
「噂は本当なのね」
「噂じゃ無くて実体験ね。ウチの両親は中央出身で、仕事で
身内の実体験。ゴミのような情報で溢れかえるシェルター社会においては一周周って信頼性が高まる。
何もしなくても大学教育まで家族区で終えられる現代において何故受験というものが存在するのか意味不明だったけど、なるほどそんな特典が存在するのであればやらない手は無い。この中にも中央行きを狙って密かに勉強している奴らはいるはず。きっと泣き顔を作りながら内心はカウンセリングミーティングを馬鹿にしているのだろう。やっぱりこの世は欺瞞で出来ている。
「というか冷泉、アンタよく私を誘ったわね。受験っていうと競争が付き物なのに。美味しい噂は自分ひとりの中に仕舞って、少しでもライバルを減らすのが定石じゃないかしら」
「いや、流石の私もそこまで鬼じゃないというか……二葉の世界観殺伐すぎやしないかい?」
眉間のしわすげー。冷泉はおどけた口調でそう呟く。殺伐、ねぇ……私としては、倒すべき敵を目の前に飄々としていられる冷泉の肝っ玉の方が理解しがたいけど。
「ま、モチベーションっていうの。高い目標を設定してもさ、一人で頑張るのって限界があるっていうか、辛苦を分かち合える同士が欲しい……みたいな」
冷泉のネコ目が私を覗き込んでくる。いつか彼女は私の目付きを「襲う直前の肉食獣」だと評していた。普段でもモニター越しで視線を合わせてくる器用なそれは、彼女こそその称号にふさわしいのだと思うのだけれど。
「アンタの仲間が欲しいっていう気持ちは理解したわ。でも、それに私が付き合うと思ったら大間違い。受験枠争いなんだから、やるからには徹底的に叩き潰す。私を誘った事、後悔しないでよ」
「そう来なくっちゃ。私は二葉のモニター越しに伝わるその目が好きなんだ。今の二葉はライバル。うん、今はそれで充分だ」
うんうん、と一人で何かを納得して「じゃ、今度こそ帰るよ」とツインテールをなびかせ去っていく。冷泉とは何度も勝負しているけど、肝心な所がかみ合っていない気がする。状況をひっかきまわして楽しんでいるというか、アイツは本当に真剣勝負がしたいのか?
「一美さん帰っちゃったの?」
「……カズハも残っていたの?」
「もちろん。家族なんだから一緒に帰るものでしょ」
冷泉まで帰宅すると広場にはいつの間にか私とカズハだけが取り残されていた。冷泉が私とバレーボールをやる理由が分かる気がする。いくら運動が推奨されているとはいえ、個人主義が徹底化されると誰も広場で運動なんかしようとしない。そもそもプリント食物とスマートウォッチの合わせ技で肥満体型は出来上がらないようになっているし、みんなだらだらと内側にこもり始めているのだろう。
「私達もやる? バレーボール」
「そもそもカズハって運動できるの?」
「う~ん……」
カズハは私からボールを受け取るとアンダーサーブを決めようと真上にボールを投げた。
「やあ!」
振り上げた右腕は見事に空を切り、ボールはポーン、ポーン、と虚しく弾んで去っていった。
「ま、なんとなくわかっていたけど」
「そんな~練習すれば私だってラリーできるようになるよ」
レシ~ブ! トス! スパイク! カズハは気の抜けた声でバレーの真似事を始める。彼女は気づいているのだろうか。一葉お姉ちゃんから引き継いだ肉体が軽く動くだけで悲鳴を上げている事に。映像紙製の服でもごまかせない細いシルエット、それを形作る骨格が軋んで運動になんて全然耐えられていない。姉の時間はすでに止まっている。これ以上の先は無い。
「無駄なことしてないで帰るわよ。せっかくの自由時間なんだから勉強しないともったいないわ」
「無駄じゃないよ。二葉ちゃんが勉強で頭脳を磨くなら私だって何か新しい事に挑戦したいもの」
黙れ。姉の顔でお姉ちゃんが出来なかった事を口にするな――
「アンタにはやんなきゃいけない仕事が山ほどあるの。今日も資料探し頼んだわよ。やることが無いんだったら後見人として、私の勉強の役に立ってもらうんだから。土日だろうと休みなしにこき使ってやるんだから覚悟しなさい」
「もう、二葉ちゃんったら人づかい荒いんだから。ま、私は二葉ちゃんのお姉ちゃんですから。かわいい妹の頼みであれば何でもかなえちゃうんだから」
やめろ。私はお前にそんな事は望んでいない。姉の代わりなんて、この世のどこにもないのだ。お前は道具。それ以上の働きは認めない。
「……くそったれ……」
「? どうしたの?」
「……」
真っ直ぐ、無遠慮に覗き込んでくる造りモノの瞳。
「……なんでもないわ。帰るわよ」
「うん!」
ああ駄目だ。カズハの笑顔はどこまでも姉そのものでそこに一点の曇りもない。流石外の世界を征服するための技術。医療技術もここまで来れば魔法に近い。少なくとも他人の死を克服する事は実証している。
でも……だからってそれが私の中の姉を復活させた事を意味しない。やっぱりカズハといるとおかしくなってしまう。私は早くこの地を去るべきだ。自分の力でまずは中央へ。冷泉の情報も、カズハの存在も全て利用して前へ、先へ進まないといけない。
外の世界は何も無い荒野ばかりの場所だと教師たちは言う。だとしたらそれは私向きの場所だ。内側の景色の中で私が一番好きなのはカウンセリングミーティングの後の無人の広場を歩くこと。この世で人間は私一人。自分で歩いている足音だけが響く場所こそ私が目指す理想郷だ。
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