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 私とカズハを取り巻く問題は一人の少女の不幸を起源にしている。

 それは私の実の姉である一葉お姉ちゃんだ。

 私よりも四歳年上だった一葉お姉ちゃん。お姉ちゃんはシェルター社会発足一五〇周年記念計画である「外界奪還計画」のために遺伝子操作を施されたデザイナーベビーだった。私の両親はランダムに選抜された夫婦の中から自分たちが選ばれた事を最期まで誇りに思っていて、私にお姉ちゃんの出自についてよく語ってくれた。「一葉は、お姉ちゃんは選ばれた子供なんだ」と。

 三〇〇〇グラムで生まれたお姉ちゃんは皆の期待に応えるように三歳まで順調に成長した。けれど定期健診で不幸が見つかる。遺伝子操作の影響なのか、お姉ちゃんの内蔵は徐々に機能不全を起こし始めたのだ。

 感染症対策のために極限まで医療技術が発達したシェルター社会。移植のための臓器はあっという間に培養できるし、スマートウォッチのバイタルサインを解析することで市民の中から最適な臓器を検索するのも秒で済む。なによりお姉ちゃんには両親という最も身近な血縁者がいるのだ。臓器移植という些細な問題はあっという間に解決する、そのはずだった。

 けれど、どの臓器もお姉ちゃんに適合する事は無かった。遺伝子操作の影響で免疫系統が暴走した事で他者の臓器はもちろん、お姉ちゃん自身の細胞をクローニングして培養した臓器すら肉体に馴染まない。お姉ちゃんの体は人々の手助けを拒むように既存のあらゆる治療を拒絶し続けた。

 シェルター社会ではみんながみんなのもの。人間は貴重な社会リソース。そのスローガンは病弱な四歳児の一葉お姉ちゃんにも適用される。政府としても肝いりの政策で生まれた存在を無意味に失う事を良しとしなかった。

 一葉お姉ちゃんを、デザイナーベビーを救うための研究は昼夜を問わず行われ、そして研究者たちは一つの結論にたどりついた。「完璧に操作された臓器がダメなのであれば、自然の乱数に任せた臓器であればいいのでは」と発想を逆転させたのだ。

 両親からその言葉を聞いた時、私はそれが何を意味しているのかまったく分からなかった。今でも分からない。どれだけ細胞を遺伝子レベルでいじろうと子供が生まれること自体乱数みたいなものだし、適合する臓器を探すことだって乱数みたいなもの。この世で乱数が関わらないものなんて存在しないじゃないか。科学者たちは自分達が生み出した存在が完全無欠ではない事が認められずに、壊れてしまったのではないだろうか。

 とにかく、彼らはお姉ちゃんを救うために「乱数」を求めた。彼らはお姉ちゃんの細胞と、お母さんの卵子を材料に臓器提供者になり得る胎生のクローンを作ろうと画策し、事実それは成功した。

 その存在こそ私、草薙二葉だ。

 彼ら曰く、私こそあらゆる確立の中から生まれた完璧な提供用臓器らしい。姉の免疫攻撃に耐える事はもちろん、外の世界の汚染にだって防護服無しでもある程度耐えることが出来る。

 私は本来であれば生まれた瞬間に死ぬことが決まっていた。臓器がある程度成長すれば――それは物心がつく前で充分――解体されてお姉ちゃんの中に納まる。そのために製造された存在。

 だけど、幸か不幸か――一葉お姉ちゃんにとっては間違いなく不幸な事に――私の臓器がお姉ちゃんに移植される事は無かった。お姉ちゃんの病状は年々悪化し、とてもじゃないけど手術に耐えられる体力は無くなってしまった。行けるかと思った時も、それを拒むように容態が急変。手術室にぶち込まれては何も無かった体験は記憶する中で三度。

 それでもお姉ちゃんは長く生きたと思う。全身が免疫不全に侵されても十七年の生涯を全うしたのだ。「デザイナーベビーは外の世界の過酷な環境に耐えられる。お姉ちゃんはその事を証明したんだ」。両親はお姉ちゃんを振り返るとそうよく言っていた。

 本当は、私がお姉ちゃんのために、お姉ちゃんの代わりに死ぬべきだったのに――家族の、私の人生は一葉お姉ちゃんが死んでしまったことですべてが狂い出した。

「二葉、今日から君が一葉だ」

「…………⁇」

 私は臓器保管庫として生まれたにしてはかなりいい待遇を受けていたと思う。みんながみんなのもの。シェルター社会はベースが人間であれば満足な食事、温かい衣服、十分な教育に社会参加をさせてくれる。初等、中等教育を受け、カウンセリングミーティングの中で社会性を身に着けて来た私は生まれ以外人間と変わらない。

 そんな私でも両親のその言葉は理解しがたいものだった。確かそれは一葉お姉ちゃんが亡くなった直後だったと思う。あの時私は泣いていた。お姉ちゃんは私がただの臓器保管庫であるにも関わらず、元気な時は本を読んでくれたり、おままごとに付き合ってくれたり、勉強を見てくれたり、両親よりもよっぽど私の事をお世話してくれた。一葉お姉ちゃんは私にとって全てで、それは私なんて存在を生み出した両親だって同じはずだと、私はその時はそう思っていた。

「「うわあああああああああああ……ぐすっひっく――」」

 心電図が止まって「ツー」と一定の電子音が病室にこだました瞬間だったと思う。両親は同時にピタリと泣き声を止めて、一葉お姉ちゃんに一瞥もくれずにその言葉を口に出したのだ。

 そう、私は一葉お姉ちゃんの内蔵のスペアなだけでなく――万が一の場合は私自身が一葉お姉ちゃんという存在そのもののスペアである事を求められていた。

 みんながみんなのもの。誰かの役割が空いたのであれば、そこに代わりの役者を配置すればいい。

「いただきます!……ごほっ……げっ……お父さん! お母さん! これ何⁉」

「ああ、それは人間用の食事だよ。今まで二葉に食べさせていたのは移植のために内臓に優しい、調整を施していたプリント食物だったからね。ほら、今までと皿が違うだろう」

「二葉はこれから人間として生きるんだから、今までと違って一段と精を付けなきゃ。なんてったって私達の自慢の娘なんですから」

「………………え……」

 振り返れば違和感というものはそこら中にちりばめられていた。他の子供が家族の区画で安全に過ごしているのに私だけ通院のために頻繁に外出していた事。通常のリモート教育プログラムの後にドナー用の講習プログラムが追加されていた事。食事とは味が無く、完璧な内臓を維持するための純粋な補給行為である事etcetc……――

 豊かな色彩がある事を知ったからといって世界がいきなり鮮やかに認識できるようになるわけじゃない。現実はむしろその逆で、眩いものがくすんで見えたり、メッキの下に隠れている錆びたなまくらに敏感になったり、物事をより卑屈に認識する補正が強くなるだけだ。

 臓器保管庫から晴れて私は人間になった。安全なシェルター社会の中で私は死の恐怖に脅かされることなく安穏に生きることが出来るようになったのだ。姉の死をきっかけにして。

 この世のすべてが嘘で出来ているようにしか思えなくなった。だってそうだ。姉のクローン・偽物である私が何食わぬ顔で人間を名乗っているのである。味に量に恵まれた食事を摂って、流行りの服で着飾って、皆とウインドウを並べて勉強して、カウンセリングミーティングの輪の中で笑っている。これは全て一葉お姉ちゃんが享受すべきもので決して私のじゃない。

 そして一度狂った歯車は連鎖的に物事を狂わせていく。

「……嘘でしょ――」

 普段通り自室で勉強を済ませて十六時。私は気が進まないながらも「家族」の義務としてリビングへと顔を出した。当時十三歳だった私はかわいい事に両親の「子供」として彼らを喜ばせようとしていたと思う。一葉お姉ちゃんの代わりでは無く、二葉として両親を結果を出せば自分自身の価値を認めてもらえる。そんなふうに。

 けれどその機会は永遠に訪れない。

「受け入れがたいと思いますが現実です。草薙二葉様、あなたのご両親は自動運転車の事故により帰らぬ人となりました」

 私は政府の通信を信じることが出来なかった。多くの人間がそれぞれの家族区画に引きこもっている時代、シェルターを走る自動運転車は整備された人通りの無い通路を最効率で走る。人もモノも安全に、私も病院に行くのにもう何度も使っている。子供でもガイドに従って乗れば百パーセント安全なそれは事実一六七年間無事故だった。記念すべき――不幸な――ことに私の両親が初めての死者となった。

 政府の職員は事故を偶発的なものだと私に告げた。でも私は思う。今家にあの皿が無いのは事故当時両親が持ち出したからじゃないか、と。家の中にはお姉ちゃんを示すものがいくつか無くなっていた。はじめから両親は自殺するつもりで、自動運転車に何か細工をして、そして死んだ。

「それで……私はどうなるんですか……」

 気を紛らわせるために義務感で口を開いたのか、それとも両親が亡くなった事で自分の身分が再び変わる事に恐怖したからか、現実があやふやになった私はとりあえず職員に質問する事にした。

「ご安心を。このような時のために一葉様からの遺言を預かっております。その効力がご本人様とご両親の死後に発揮される事と、二葉様が人間の身分を獲得した事とで条件が満たされましたのでその内容を実行させていただきます。手続きに一週間程度お時間をいただきます。それまでお一人で生活する事は可能でしょうか」

 職員は淡々と感傷も尊厳もないことを告げる。前時代の汚染によってヒトの平均寿命は最長でも六十歳前後に。必然的に大家族を作れなくなっている社会において私の身よりは両親だけだった。全てを失った私ははたしてどこに流れ着くのか。感染症対策のために家族区画に親族以外を入れる事は禁じられている。私みたいな孤児はかなりのレアケースと言える。

 今度は一体どんな役割を演じされられる事になるのだろうか。幸いな事に内臓に優しい食物プリンターは残されていたし、使い方も分かる。服も洗濯できるし、各種配給の受け取り方も――区画の受け取り口から物資を受け取るだけだ――全部習うこと。十三歳の子供が自活できるほどにこの内側は恵まれている。

 だから私は、むしろ放っといて欲しかった。誰かに預けられて、別の誰かの前でまた違った役割を演じる事を求められる。両親の前で良い子供を、カウンセリングミーティングで悔い改める人を演じる事に一体何の価値があるのだろう。私が果たすべき役割を叶える機会はもう二度と訪れる事は無いと言うのに。

 だから一人きりの一週間は人生の中で最も穏やかな期間だった。喪中を言い訳に誰とも会わなくていい。自分のペースで着替えて食べて勉強して、バイタルサインの提出も特別な事情があれば停止してもらえる。私は一週間、誰にも邪魔されない平穏を思いっきり楽しむ事にした。

 ピン! ポーン!

「………………⁉」

 だから私は遺言が実行される瞬間こそこの世の終わりだと思った。だってそうでしょう? 本来そうあるべきものじゃないのに、偽物の立場を演じ続けなくちゃいけない。この世にそれ以上に苦しいことがあるだろうか。

「お邪魔します……。じゃなくて、ただいま! かな?」

 へーこれが私のお家かぁ、そう呟きながら女性は玄関をまたいでリビングへとずんずん我が物顔でやって来た。

「……なんで」

 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで――

 シェルター社会において家族区画に無関係な人間が侵入する事は禁じられている。不特定多数の他人と直接交流する事は感染症を拡大させるし、なにより不法侵入は窃盗や殺人など社会の混乱に結びつく。他人を家に招くためには役所に申請を出してスマートウォッチに仮のアカウントを登録しなければならないのだ。その作業はホストとゲスト両者のアクションが必要で、私はまかり間違っても他人を招待していない。

 それなのに目の前の女性はテーブルに着くと椅子に座り、大きく伸びをして深呼吸。まるで自分の家のようにくつろぎ始めた。

 ……いやある意味ではこの家こそ彼女の本来の居場所なのだろう。彼女の顔は……一葉お姉ちゃんそのもので……確かにこの家はお姉ちゃんの物だけど――

「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで――」

 なんでお姉ちゃんがここにいるの? 死んだはずのお姉ちゃんがなんで――私が死ぬことで救われるはずのお姉ちゃんがどうして……私は相当に混乱していたと思う。この家に入れたということは目の前の存在は政府が正式に登録している市民である事を示している。であれば少なくとも不審な存在では無い。

 だけどそれは相手が死んだ一葉お姉ちゃんと全く同じ顔をしている事の説明にはならない。いや、顔どころか美容院でケアできずに伸ばしっぱなしで荒れ放題になった黒髪に、寝たきりに点滴漬けでやせ衰え骨ばった肢体、病院の雰囲気をそのまま纏ったような消毒や各種薬品の体臭。目の前にいるのはつい一週間前にベッドの上で亡くなった一葉お姉ちゃんそのものではないか。あの後奇跡的に息を吹き返してその足で退院してきた。そう表現してもいいほどに、目の前の存在は一葉お姉ちゃんだった。

「二葉ちゃん……だよね。私はカズハ、でいいのかな、今のところは」

 姉を名乗る不審者は私の目を見てそう告げた。

 彼女の口から一葉カズハと言葉が出た瞬間、私のキャパシティーは限界を迎えたと思う。

「シェルター社会法十七条により、家族区画内における未成年者の一人暮らしは認められていません。本来であれば草薙二葉様は親族に引き取られるが適当ですが、該当する親族はおらず、また当該生活地区で後見人として適当な市民も存在しませんでした。

 二葉様が置かれた環境は特殊なものであると判断せざるをえません。本来であれば政府がその身柄を保護するべきところですが、亡くなられたご家族はこのような状況を想定していたようなので草薙一葉様の遺言を実行することで二葉様の生活の現状維持を図る事にしました。

 遺言の内容を一部抜粋すると『もし二葉ちゃんが独りぼっちになったら私のクローンをそばに置いて欲しいです。どんな形でも私は二葉ちゃんの事を見守りたい』との事。だから私は二葉ちゃんが大人になるまでオリジナルの代わりに二葉ちゃんの事を――」

「…………くそったれ――」

「二葉ちゃん⁉」

 すらすらと暗記していたであろう政府のお言葉も、お姉ちゃんのものまねも何もかもがうんざりだった。

 だってこんな滑稽なことがこの世にあるだろうか。シェルター社会は本当に優しい。どうやら私は新しい嘘の役割を演じる必要は無い。代わりに、嘘で出来上がった姉を寄越したのだ。いや、遺伝子的には百パーセント一葉お姉ちゃんだ。でもオリジナルじゃないクローン、そして私も一葉お姉ちゃんの遺伝子を持つクローンもどきで嘘! 嘘! 嘘! 嘘だらけ! この世界に本当の事なんて何も無い!

 目覚めると私は自室のベッドの上だった。はじめにやったのはスマートウォッチでドアにロックをかける事。もうこの区画は私だけの物じゃない。私は外界、いやシェルターという内側から自分の身を守る必要がある。このくそったれな世界から身を守る必要が。

 その日から私は強烈に自我に目覚めた。目標は「息苦しい嘘だらけの優しさが蔓延する内側を抜け出す事。クローンと言う存在が自分の力で外へ出る能力がある事を証明する事」。

 私は全力で内側を否定する。そう決めた――


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