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「で、その内容を告白してしまえば私はかなりの点数を獲得できると思うのだけど。二葉は言う気が無いの?」
猫の尻尾のようにしなやかにツインテールが揺れる。同時に「ポン!」と硬質な空気の音が跳ね上がり、バレーボールが宙に浮く。
「言うわけないわよ。そんな事告白したらアレは大げさに泣きわめいて私に抱き着いてくるに決まってる。『二葉ちゃん、私を捨てないで』ってみっともない表情を作って……考えるだけで気持ち悪いわ……」
落下したボールをトスで返す。短く乾いた音と共に、ボールはツインテールの主である冷泉の真上へ。
「もったいないよね。二葉はトラウマの宝庫なのに。柏木さんと違って適当な理由をでっち上げて泣く真似をしなくていいのは正直羨ましいよ」
私達はバレーボールラリーを続けながら、横目で広場の中心に輪を作っている集団を見た。
今私達がいるのはシェルターの第十三運動場。狭いシェルターでソーシャルディスタンスが推奨されている世の中だけれど、運動や集会が認められていない訳じゃない。通勤・通学時間が終わる十八時以降であればこの手の広いスペースを多目的に使用する事が出来る。ちょうど今カウンセリングミーティングが行われているように。
「私は家族に黙ってプリント食物を配給分より多めに食べてしまいました」
「私は通信教育中に好きなアーティストの動画を観てしまいました」
「私は仕事で大きな失敗を……納期に間に合いませんでした……」
輪の中で、人々は大なり小なりの自分たちが罪の意識を感じた事柄を懺悔している。次々と紡がれる言葉の奔流、中には他人の話なのに自分の事のように感情が極まって泣き出す人も現れ、その感情につられて人々は次々に泣き始める。告白の後半は自他共にむせび泣きが邪魔をして言葉の体を為していない。
かつて人類が外の世界にいた頃には半ドンという習慣があったそうだ。おもに義務教育の教育機関で行われていたそれは土曜日も学校に出席し、半日だけ授業を行うと言うもの。シェルター社会において人間は使い捨てでない重要な資源。人権に最大限に配慮したホワイトで健康的な環境を作り出すために土日は労働せずに、遊びや運動をする事を推奨されている。
そんな個人の自由な時間の半日を使って行われるカウンセリングミーティングとは一体何なのか。起源はシェルター社会の創成期において人類の団結を図る決起集会だったらしい。各種兵器の汚染で激減した人口、汚染を防ぐためのシェルター構築という重労働に体を蝕まれる人々。過酷な環境に耐えるために、人々は一つの目標に向けて連帯する事、精神的に繋がる事が必要だった。
それは確かに一定の効果があったのだろう。先人たちの団結のおかげで私達は今こうして清潔な内側で安全な生活を享受することが出来ている。
けれど、安定した社会において人間そう不安になる事は無い。初期こそ不安を殺すために大きな過ち――食料の強奪や殺人など――を犯す必要があったのだろうけど、平穏な世の中そう罪の意識を覚える機会は無い。さっきの告白だって、現在の人口であればよほどの量を食べなければ配給を圧迫する事は無いし、人によっては好きな物を見ながら勉強するほうがいい成績が出る。納期が遅れたって事だって……この社会で九十パーセントの労働者が就くのはエンタメ系のサービス業。資本主義時代と違って各サービスの競争は激しくない。個人がザッピング出来ないほどに趣味が多様化してしまったことでもはや競争の概念が成立していないのだ。多少納期が遅れようとも、クオリティが優先されるマニアックな世相。何だったら納期が年単位で遅れても出来上がりが最高であれば誰も気にしない。
「大したこと無い事を大げさに泣きわめいて、自分を集団に溶かす事が重要だと私は思わない」
打ち上げられたボールを私は冷泉に向けて軽くアタックを仕掛けた。「パン!」と弾む音と共にボールは真っ直ぐに彼女の腕に向かってゆく。
「確かに。でも、私達の場合はそう軽んじる事も出来ない、ねっ!」
見事なレシーブが決まってボールは天井すれすれまで高く飛び上がる。
「……まあね」
始まりこそ市民間の活動とはいえ、習慣化した行動を止める事はなかなか出来ない。シェルターの内側で生活していると気づきにくい事だけど、この建物は外部の脅威をギリギリで遮断している。もし内側で暴動なんて発生したら人類のゆりかごはあっという間に崩壊してしまうだろう。政府としては安定した内側を守るために一定以上の規模の集会を制限したいところだ。
そこでシェルター政府は発想を逆転させた。逆に一定規模の集会を行事として認めてしまえばいいと。
感染症対策のためにリモートワークなどで個人主義が幅を利かせるシェルター社会といえど、人間は定期的に他人と交流しなければ精神に変調をきたす。そしてストレスの原因である事柄を大勢の前で告白させることでリラックス効果まで図る。現在カウンセリングミーティングは市民のためのガス抜きの場として機能しているのだ。
加えて、政府の公式行事となればバイタルサインの提出が義務付けられる。集会の規模を一定地域に抑え、社会に対して不都合な思想を持つ者をあぶりだす事を容易にする。流石シェルター社会、監視の方法も最効率。
私はこのカウンセリングミーティングを江戸時代に起源を持つ「五人組」のように感じている。自分が抱えている不安も、罪も、嫌なことはさらけ出して良い。それはなんと甘美な言葉だろうか。でも、ただ生きているだけであれば不幸な目に滅多に遭わない安定した内側、後ろ向きになる要素なんてなかなか持てない。
「私は今週どうしても見たい配信があって、夜更かししてしまいました」
そうなると人間は義務化された告白のためにどうでもいい事でも不幸に仕立て上げないといけない。そんなのおかしいではないか。今幸せであるならば嘘をつかずに「私は幸せすぎて困っています」とでも言えばいいのに。少なくとも彼は私と違ってそれを主張出来るだろう。
詰まる所、人間は他人が自分よりも幸せである事に満足しないのではないだろうか。嘘でも不幸な点を見つけ出しては自分の方がマシだと思い込んでいたい。そのための不幸自慢大会。自分が他人よりも抜きんでている事を隠す最悪の相互監視体制。それがカウンセリングミーティングの正体だ。
「そんな卑しい事を……だから政府に付け込まれる……っ」
二、三歩前に出てトスの構え。私はボールに向けて三角形を打ち上げたつもりだった。
「……!」
けれど僅かに右の人差し指を強く当ててしまい、バランスを崩したボールはへなへなと大きく右にずれてゆく。
「おっと!」
冷泉はその動きをよく見ていた。丸メガネを着用しているにも関わらず、スライディングでボールの前に飛び込むと伸ばした左腕でレシーブを打ち上げる。
「どうした? 何か不安なことでも? 告白したいことがあればあの中に入っていく事をオススメするよ」
「……」
私は今度こそ打ち上げられたボールに会心のトスを決める。
不安な事……ね。
「うわあああああああああああ――」
ボールが指を離れる束の間に訪れる静寂、その中でカズハの泣き声は集団の中で良く通っていた。私に対する嫌がらせとでも言うように、周囲の涙声をノイズキャンセリングして真っ直ぐ、私に。
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