1―2
午前九時前後は政府が推奨する労働開始時間。大人たちの多くは感染症対策のために各家庭からリモートで、どうしても職場に移動しなければいけない一部の人はそれぞれの職場に出勤してそれぞれの仕事に取り掛かる。
十四歳で中学生の身分を持つ私もこのタイムテーブルとは無関係じゃない。子供の仕事は勉強する事。私は三畳の自室に戻るとベッドに腰を下ろし、それに備えつけられたサイドテーブルを展開させて映像紙の壁に画面を表示させる。
「皆さんおはようございます」
画面中央に一際大きく表示されたのは中学の担任。そしてその周辺を私含む二十の小さなウインドウが囲い、それぞれが「おはようございます」と返事を返している。
「どうやら皆さん今日も全員お元気そうで何よりです。おや、柏木さん。血圧が低いようですが睡眠不足ですか?」
「すみません。昨日どうしても見たい配信があって、夜更かししてしまいました」
私達の腕に装着しているスマートウォッチはバイタルサインをリアルタイムで政府に送信している。そしてその情報は公僕である教師にも筒抜けになっている訳で、こうやって周囲と少しでも違う値が出た場合晒しものにされる事もある。
「いけませんね。人のプライバシーにあれこれ口出しするつもりはありませんが、午後十時以降は政府が推奨する睡眠時間です。その意味が分かる人はいますか?」
私はテーブルに映し出されたキーボードで解答の意を示そうと手を伸ばした。しかしそれよりも先に「はい」と良く通る声が広がり、それを聞いた担任が声の主のウインドウを自身と同じサイズに拡大した。
ツインテールに丸メガネの愛嬌のある顔がデカデカと広がると、彼女は待っていましたとばかりに口を開く。
「終末戦争が発生した事によって私達シェルターで生活している人類は前時代と比べて極限られた資源の下生活しなければいけません。電力もその一つです。そして昼型の人類が夜更かしする事は生物学的にもリズムに逆らう、資源を浪費する行為と言えるでしょう。よって午後十時以降は省力化のために消灯と睡眠が推奨されているのです」
彼女はよどみなく教科書通りの答えを口に出した。教師はそれに満足するとカタカタとパネルを操作して彼女の画面に点数を表示する。
「冷泉さんに十点差し上げます。皆さんも初等教育で学んでいるとは思いますが、この限られたシェルター社会においては一人一人が社会リソースである事、みんながみんなのために行動することが何よりも重要です。子供はもちろん、大人も休息時間に遊ぶ事は結構ですが、それは推奨される時間内で済ませることこそ市民的であると言えるでしょう。
柏木さん、この後あなたがどうするべきか分かりますね?」
教師は冷泉のウインドウを元のサイズに縮小すると、自身のそれも生徒のサイズに縮小させ、代わりに映像紙いっぱいに柏木さんのウインドウを拡大させる。
「はい……今ここに皆さんの資源を浪費した事をお詫びすると共に、この内容は今週末のカウンセリングミーティングで話します」
壁面に柏木さんの申し訳なさそうな顔が広がり、それに追従するように彼女を囲む小窓が神妙な表情を作る。私も点数が必要な生徒である手前、同じ表情を手早く作ったけど内心は勘弁してほしい。この手のつるし上げと同調圧力はどうにも慣れない。
「柏木さん、あなたの真心は、反省は伝わりました」
ウインドウの中で担任は生徒それぞれに向けて真っ直ぐ視線を向けているように見える。多くの生徒が私と同じような状態で授業を受けているのだから、額面通り受け取るならこの教師は熱血教師に見えるのだろう。
けれど私と、それと冷泉は担任がチラと視線を下に向けた動作を見逃さなかった。スマートウォッチは私達のバイタルサインをリアルタイムで送信している。何が真心が伝わっただバカバカしい。彼女は柏木さんが本当に反省しているのかをどこまでも冷徹に科学的観点で分析しただけのこと。データを見て、反省しているパターンが出れば良し。そうでなければ担任は真摯な表情の裏で彼女の点数を引いている。
「おっと、柏木さんの教育をしている間にかなりの時間を使ってしまいました。今日のお知らせは皆さんにメールでお知らせします。それでは皆さん、今日も時間割通り、勉学に励んでください」
反省、もといつるし上げを印象付けさせる嫌味を残して担任のウインドウが消える。同時に映像紙に受信したデータがポップアップ表示され生徒たちの固まった顔が一斉にそちらに向く。みんな――とりわけ柏木さん――はうんざりした表情でメールの中身をチェックし始めるけど、ログアウトする前にリラックスするのはどうかと思う。柏木さんあなたは迫真の表情で乗り切ったと思っているでしょうけど、多分あなたはもう担任が攻撃するための絶好の的としての印象を固定されている。
私は無表情のままホームルームをログアウトしようとした。大人数が一斉に同じ時間で授業する風習は物理的には密になるし、勉強という個人作業を集団で行う意味は私には疑わしい。通信教育では時間割通りに学習して成績さえ出せば単位を獲得できる。だから長々とホームルームに留まる意味は無いのだけど――
「☆」
「……!」
ツインテールのメガネの奥がウインクしたのを私は見逃さない。抗議しようと表情を作ろうとした所で相手の方が先にログアウトしてしまった。
冷泉一美、狭き門である中央の高等教育機関への入学枠を争う彼女に今日は点数を取られてしまった。現状ではトータルで三点冷泉がリードしている。人の足を引っ張るのは趣味じゃないけど、綺麗ごとじゃのし上がれない事は私が一番知っている。
「ふう……今日のところは譲ってあげるわよ」
私もログアウトをして一息。別に点数を稼ぐ方法はホームルームだけじゃないのだ。学生の本分は勉強、一番基礎的な所で頑張ることが最終的には効率が良い。
「……げっ」
五時間分の時間割の中には歴史の小テストが入っていた。私と冷泉の予想では一週間先はテストなんて無いと思っていたけど……だとすると抜き打ちか。
どの時間でどのように勉強するのか、それは生徒にゆだねられている。決まった時間にみんなと同じように勉強するのは小学生まで。だから私は大人らしく自分の頭で本日一番の山である小テストから取り掛かる事にした。何だって、面倒くさい事を排除すれば後が楽だ。
「……ふぅん」
テストの内容はホームルームでつるし上げられたのと同じ、このシェルター社会の成り立ちと、社会の展望についてまとめるもの。柏木さんには気の毒だなと思いつつ、私は冷泉に取られた点数を取り戻すいい機会だと思いキーボードを叩く手に力が入る。
前時代、正式には西暦と呼ばれていた時代。強力な感染症の蔓延がきっかけに先進諸国が抱える経済的閉塞感、行き詰まりを見せた人種問題など人類が抱えていた種々の問題が顕在化し、それは人々から冷静な判断を失わせた。
そして二〇XX年、とうとう正気を失った人類は核兵器を筆頭に他国はもちろん自国にすら被害をもたらす数々の兵器を暴発させた。後に終末戦争と呼ばれる勝者の無い大量破壊、それには日本もいやおうなしに巻き込まれる事となる。元々ウイルスによって人の行き来は国際的に制限されていたが、終末戦争後は国交そのものに打撃を与え、どの国も自国の復興すらままならない状況に追い込まれ、輸出入が成り立たなくなった。
核兵器による放射能汚染に細菌兵器の蔓延。地上はこの世の地獄と呼ばれる不毛の地となり、人類はそこでの生活を追われることとなる。かろうじて生き残った人類は文明社会を立て直すために、汚染から身を守るためのシェルターを建築し、日本では各地方に一つ、合計七つのシェルター社会が誕生する。
シェルターの増改築を繰り返す中、同じような方法で生き残った人類は衛星通信を利用して国際社会は自分達が生存している事を確認し合った。後に新暦と呼ばれる国際シェルター社会が誕生したのである。国際シェルター社会は終末戦争の反省から地上に放たれた各種兵器の情報を開示・分析し、それに耐えうるシェルターの素材に、増改築方、とりわけ狭い環境でも効率的に過ごせる方法などを徹底的に議論した。
この議論で特筆すべき事は国際シェルター社会の透明性と公開度の高さである。旧時代では、国際社会はそれぞれが持つ科学技術を秘匿し、それが牽制となって各国のパワーバランスを生み出していた。しかしながら、その結果が終末戦争である事、輸出入が止まった事で起死回生の一番の資源が情報である事を理解した人類は汚染された大地で生き残るためにようやく国家の垣根を超えて協力することが出来るようになったのである。
そして新暦一六八年の現在、人類は大幅に人口を減らしたもののかつて地上で行われていたような生活を取り戻すことが出来るようになった。日本では人口は一万二千にまで回復。まだまだ資源には乏しいが、ようやく安定した社会を構築できるようになったのである。
内側を安定させることが出来たことで人類は次の目標を見据えることが出来るようになった。それこそが「地上奪還計画」であり、人類の悲願である。その方法は大きく二つのアプローチにまとめられ、一にシェルター内部を構築した技術を応用して地上を汚染から浄化する方法。二に人類を汚染や感染症から守って来た医療技術を用いて地上の環境に適応した人類を作りだす――
「……はぁ……」
地上の環境に適応した人類を作り出す……ねぇ……。
「その結果がこのざまなのに」
ここまで書き上げて、デリートキーに指が伸びる。心の中ではこんなくそったれな部分消してしまいたいところだけど、政府が推奨する政策を記入する事は点数的に高得点であり、ここに関しては予習の範囲で提出すればさらなる点数の獲得が期待できる。冷泉であれば――メガネが曇るかもしれないけど――確実に記入する。
――方法。これらによって人類は再び地上を取り戻し、復興させ、次こそは真に平和な国際社会を作り出す。それこそが次の世代への贖罪とレガシーとなるだろう。
私は最後の二行を追加して叩き付けるように送信ボタンを押した。こめかみを押さえて数分すると採点が返ってくる。私は九十七点、掲示板に表示された冷泉の点数は九十四点だった。
軽い満足感とそれを上回るストレスに微妙な気持ちなる。満点じゃない、とりわけ冷泉が私よりも低い点数だということは、テスト中に記録された不適切な感情が送信されたのだろうか。だとしたらアイツにもかわいらしい所がある。
「ほんと……くそったれだわ」
いけないいけない。私の方もあっぴろげに感情を出すとそれがバイタルサインとして向こうに送信されてしまう。私はこれでも中学では優等生で通っているんだ。勉強で、社会で過ごすコツは余計な事を考えない事。作業で脳を満たしてしまえば反社会的な態度を取る暇も無く、バイタルサインもフラットになる。私は残りの時間割を開いては、添付されたテキストや授業映像、課題を次々とこなしてゆく。
「……」
「……」
「……」
「……」
「…………ふう」
「終った?」
「⁉」
甘い、それでいて良く通る声。カズハが見計らったように部屋のドアをノックしている。
「いきなりノックしないでよ! 向こうに音が届いたらどうするのよ!」
「だって二葉ちゃん扉ロックしているじゃない。意思表示の手段ノックしかないし。それに二葉ちゃんの事だから誰かにプライバシーを漏らすような真似はしないんでしょ」
ちょうど今みたいにさ。カズハは扉越しに文句を言う。何よ、分かってんじゃない。いくら授業中に、仕事中に画面で家族が入り込むことが日常になっているシェルター社会だって身内の恥じは映したくないものだ。
まあ……私の存在そのものも似たようなものだけど。
「……はぁ」
私は扉のロックを操作してカズハを部屋に入れてやる。スライドと同時に広がる笑顔の輝き。彼女の表情は今朝別れた時のままの純度百パーセントの笑顔だ。
「何か嫌なことでもあった?」
「別に。レベルが低すぎて飽きていただけよ。特に何も無いわ」
「そんな事言って、お姉ちゃんに隠し事しても無駄だぞ~。二葉ちゃん本当に不機嫌な時の顔していたもん」
「……」
コイツはどうして見透かしたように私の事をずけずけと言ってくるのだろうか。今からでもカズハに小テストで私が書いた内容を突きつけてやろうかしら。誰だって、自分のアイデンティティに関わる問題を突きつけられたら狼狽するに決まっている。
いや……カズハにそんな事をさせても無意味だろう。ポーズとして悲しがったり怒ったりこそすれ、私はこれが笑顔以外を表したところを見たことが無い。カズハから笑顔意外を引き出すのは徒労だと言える。
それに……デザイナーベビーのアイデンティティは一葉お姉ちゃんのもの。そのクローンであるカズハのものじゃない。そして、わたしのものでも――
「――で、そのお姉ちゃんが何の用なのよ」
カズハとしゃべる時はこれを人だと思ってはいけない。彼女の存在は私の後見人兼お世話係。それ以上でもそれ以下でもない。だってクローンは人間以下の存在と社会が決めているのだ。私もそれにならって、主人として振舞わないといけない。
「そろそろお昼にしようかなって。もう一時だよ」
映像紙に目を向けるとデジタル表示は13:00を示していた。五限分を相当集中してこなしていたみたいで、緊張が解けた肉体が遅れて空腹を訴え始める。
「それだけ?」
「もう、二葉ちゃんは欲しがりさんなんだから。ちゃんと言われた通りにデザートも用意していますよ」
そう言うとカズハはシェルター社会では貴重な、紙で印刷された書籍をドサリとサイドテーブルの上に置く。
資源の抑制と省スペース、効率化の名のもとに大半の情報はデジタルでやり取りされるけど、研究資料など中には紙で出力することが好まれるものも少なくない。「みんながみんなのもの」意識の社会、貴重な資源も申請さえすれば――時間と手間はかかるけど――閲覧できるのは美点だと思う。
「あ~重かった。でもこんなに大量の資料何に使うの?」
カズハは塔のように積み上げられた書籍群を見下ろして愚痴をこぼす。そんな大儀そうにしているけど、いやいやそれを私達住む家まで運んだのはドローンだし。疲れなんて感じていないだろうに、玄関から私の部屋に持ってきただけで大げさなポーズだ。
「……」
私は答えずにリビングへ昼食を摂るためにテーブルに着く。そこにはすでにプリント食物――きつねうどん――が出力されていて美味しそうに湯気をあげている。
「ずるずる……それをアンタに答える義務はある訳?」
見た目こそ旧時代の美味しさを再現しているけど、やはり我が家のプリンターで出力されると味が薄い。まあ、もう慣れたからいいんだけど……。
「まぁ、二葉ちゃんったら絶賛反抗期!」
カズハは「プンプンだ」と頬を膨らませて大げさにリアクションを取る。仮にも「姉」としての役割を持った人間がぶりっこ――外見のせいでまあまあ似合っているけど――をするのは見ていてキツイ。
ふっ……「反抗期」ねぇ。一体誰のせいで私がこんなになってしまったか、このお人形は理解しているのだろうか。
「プライベートなことには立ち入らない。それが一葉お姉ちゃんのクローンとしての、アンタに課せられた制限だと思うのだけど」
「アイター……そこを言われちゃうとお姉ちゃんキビシイ」
再びカズハは大げさなリアクションを取ると、席についてうどんをすすり始める。「ずるずるずる」とうどんをすするもその視線は私に悪戯っぽく注がれている。これは絶対にロクな事を考えていない表情だ。
「ずるずる……じゃあこうしよう。二葉ちゃんのアカウントは子供レベルで本来であれば今日もらった資料にアクセスする権限が無い。それでも資料を持って来られたのは『後見人』である私が請求したから。
年齢制限で閲覧する事を推奨されていないものを当該児童に見せる場合、保護者はその目的を知る必要があると思うんだけどなぁ~」
「うっ……」
とぼけた口ぶりで痛いところを突いてきやがった。確かに、そういうふうに言われてしまえばこちらも理由を言わなければいけない。休憩中とはいえ今はまだ政府が推奨する労働時間。反抗的なバイタルサインを送信してしまったらそれは私の減点に繋がる。
「……大分私の事分かって来たじゃない。まぁ、この家に来て一か月もすれば私の癖も分か――」
「二葉ちゃんの事でお姉ちゃんに分からない事は無いよ」
被せるなよ。これはもうとことん自分の事を姉で通すらしい。
「はぁ……じゃあ後見人さんのために言いますよ。言えばいいんでしょう」
「わーい。二葉ちゃんの事が知れて私嬉しい」
「……」
こんな無邪気な笑顔の前に私の野望がさらけ出されるのだと思うと泣けてくる……。流石はシェルター社会が誇るバイオテクノロジーの結晶。一葉お姉ちゃんの聡明さをかなりの割合で引き継いでいやがる。
「……はぁ、高校に行くためよ。そのためには与えられるだけの資料じゃ全然足りないの」
「高校? 高等教育であれば今まで通りリモートで受けられるじゃない」
確かにカズハの言う通り、シェルター社会においては日常のあらゆることがプライベートな屋内で完結している。教育過程も初等から大学まで、その気になれば与えられた区画の中で学ぶ事は可能だ。
でも冷泉が教えてくれた。自由が欲しければ、私を囲うこの狭い世界から抜け出すためにはより多くの事を学んで力を手に入れる必要があると。シェルターの中央に存在する唯一の通学可能な高等教育機関。そこに通えるようになれば子供のアカウントでも――カズハの力を借りずに――紙の資料にアクセスできるようになる。
私は自立がしたい。ただ時に流されるまま大人になって、与えられたものに満足するような生活だけはしたくない。自分の力で生きてみたいのだ。
「……ぐすん。二葉ちゃんがそんな立派な事を考えていただなんて……。うわあああん二葉ぢゃああああん……‼」
「ちょっと! こんな程度の夢誰だって一度は思いつくでしょうが! 泣くな抱き着くな顔を押し付けるなせめて鼻水だけは止めて!」
軽く説明してやっただけでこれだよ! まったく、だから何も説明したくなかったのに……っ。
スウェットの胸元はカズハが顔面から出したあらゆる種類の体液でぐちょぐちょになってしまった。せっかくうどんで温まった腹部に別の湿度が追加されてかなり気持ち悪い。人間の体液というのは案外臭い。このにおいを三畳しかない自室に持ち込むのはいくら換気が利いているからっていやだ。
「はぁ……」
自室からリビングへと勉強のスペースを移すために拭き掃除に、資料の運び直しをする。紙束の塔は腕の中でなるほど持っていて億劫になる質量を主張している。でも外の世界ではこれなんかよりも重いものが数多く存在するらしい。だったら私はこの程度の重量で絶対に文句を言わない。
「……無いわね」
「……」
「……これもハズレかしら」
「……」
「……何よ」
「いや、せっかく借りたのにパラパラとめくるだけで全然読まないから。何しているのかなって」
「何って……」
紙の資料の弱点は電子と違って単語検索が出来ない点だ。あらすじなどの書誌情報ではそれっぽいことが書かれていても実物では重要な点が数ページしかない事もしばしば。そうなるとどうしてもパラめくりの速読スタイルになってしまう。
「なるほどね。要はこの山の中から二葉ちゃんが欲しい情報を抜き出せばいいわけだ」
「簡単に言ってくれるわね。言っておくけど文字の海の中から必要なものを抜き出すのは結構きついわよ。アンタの感動しすぎる頭で情報が処理出来るわけ?」
「もちろん。私は二葉ちゃんのお姉ちゃんだもの。それに後見人の仕事ってお世話が終わっちゃうと暇なことが多いし。この作業はちょうどいいよ」
本音は絶対後半だ。このお人形は動画やネットサーフィンで時間を潰す事を知らないのだろうか。人間でない彼女であれば、バイタルサインに怯えなくて済むのに。
リビングに出てしまったことが運の尽き。結局私はカズハと一緒に政府が推奨する就寝時間まで本の山の中を掻き分ける事になった。
抜けているように見えてカズハの情報処理能力は――一葉お姉ちゃんから引き継いだのか、それともそういうふうに作られているのか――本物で、三日くらいかかると思っていた作業を一日の内に終わらせることが出来たのは良かったと思う。
「ねえ二葉ちゃん。お姉ちゃんは二葉ちゃんの役に立てたかな」
私が資料から目を離した隙を逃さずに、カズハは上目遣いで訴えてくる。
「……」
これが犬や猫みたいなペットであれば相当に可愛らしい仕草だ。瞳を潤ませて縮こまって畏まると同時に愛嬌もにじませている。その愛らしさをまともに受ければどんな人間もイチコロだろう。
でもカズハは犬猫じゃない。シェルター社会では動物の姿は動物園でごく限られた種類の物しか管理されていない。ペットが欲しければ今や映像紙の中にそれぞれの好みに最適化された真に従順なモノを愛玩出来る。
相手が人間であれば、ヒトはその好意を素直に受け取る事は難しい。同じ種類の、思考する生き物であるならば、相手にだってその愛らしさの裏に打算がある事にすぐ気が付く。ましてカズハのようにクローンであれば、その外見がどのように私に作用するか――
「…‥ええ、アンタは役に立ってるわ」
カズハは理解しているのだろうか。私が独り立ちすることがどのような意味を持つ事になるのか。
カズハの後見人としての稼働時間は私が成人を迎える二十歳まで。最長で六年。
けれど就職するなりして政府に独り立ちした事を認めさせればカズハはその存在意義を失い廃棄処分される。
私がやろうとしていることはカズハ、あなたの存在を全力で否定する事。
「…………」
「……?」
私は、私を覆うシェルターと、それが生み出した社会、その象徴であるカズハを許さない。何が立派な事だ。私がやろうとしているのは自分の出自を呪った末の、くそったれな内側の否定なのだから。
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