人の死とは

ヘイ

現代社会的な話題

 人は死を軽く見る。

 人を殺したのだから、死んでも良い、だとかですね。

 けど、それは個人的に愚かな話だとも思います。

 法によって。

 死刑と言うのはいわば合法的な殺人です。普段、人は人を殺せない。それは悪人であってもです。たとえ、相手がどれだけの悪人であっても人は人を殺すことに躊躇いを覚えます。倫理的、道徳的に。

 けれど死刑制度に至って、そうならないのは何故でしょうか。実際、その死刑囚が死んでも精神的な損失がないからではないですか?

 自分は悲しまないし、社会的にも地位が下がることがない。

 悪人は裁いて当然。

 自分は正義なのだ。

 そう言い聞かせて、自分が手を下すわけでもないというのに殺意を正当化してしまうんです。

 民意という言葉で片付けられるでしょうが、言い方を変えれば、死刑制度に賛成し、死刑にすべきだなどと言うのは、殺人と何ら変わらないのではありませんか。

 国民はその殺人の共犯者です。

 それを決めるのが裁判官だとしても。

 死刑かどうかは裁判官が法の下で決めることであるはずですが、死刑にならなければ、何と言うのでしょうか。

 個人的には死刑制度に関して、良いとも悪いとも思ってなどいないのですが、死刑にするべきだと軽々しく口に出すのは違うと思います。

 

 

 

 何て言えば、次は私が叩かれる可能性が高いでしょう。

 いや、でも、現代社会の授業でこう言う話ありましたよね。死刑制度、賛成か反対か。

 AIに任せればいい。

 なんて意見もありますが、人のことは人が決めるのが一番だと思います。

 AIに委ねるという選択肢を取った瞬間に、人の死は何よりも軽く、機械的なものになってしまうと思いますので。

 生物的じゃない、と言いますか。言葉にするのが難しいですね。

 殺人という行為が軽くなる。命の重さがなくなってしまう。そんな気味の悪さを感じてしまうんです。

 あくまで個人的な意見です。調べもないですし、単純にこう感じただけです。異論、反論は沢山あると思います。

 私にはそれを否定する術はありません。

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人の死とは ヘイ @Hei767

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