第33話『急転直下』
結論から言うと、今日だけで今回の中間試験の間違い直しは終わらなかった。
とはいえ、一から教えるようなことはなく、どの箇所に躓いたのか、どのように解くべきだったのか、そういうことを説明していくだけだった。
それで才明寺がすんなり理解できた問題もあれば、そもそも解き方を忘れている問題もあったり。それでも最初の頃に比べると、少しずつできるようにはなっていた才明寺の様子にほんの少し感動した。
だがしかし。
正解している箇所よりも間違っている箇所が圧倒的に多いのも事実。
今日だけ何とか半分は終わらせることができたが、明日以降も小テストの直しと並行して続けるしかないのだろうな。
……先は長そうだ。
俺は既に傾いた空を廊下の窓から見ながら少し欠伸を漏らす。才明寺も少し眠そうに目を細めながら、今日終わった分の答案用紙を見ていたが不意に口を開く。
「……順位的には全然駄目だったけど、私ってそれなりに頑張ったと思うの、中間試験」
そう言い出す才明寺に俺は眠気のせいかすぐに才明寺の言葉が飲み込めず、一拍おいてから「まあ、そうだな……」と返す。
確かに今回下から十三番目であったものの、鉛筆転がして運を天に任せて入試に合格した時点の学力を思えば、一応順位に絡めるだけの学力が備わってきたことを思えばかなり頑張ったと言えるだろう。でも、いきなり何だ、話の意図がわからん。
だけど眠気と疲れがあるせいか、その意図に思考が巡らずただ黙って才明寺の次の言葉を待つ。
才明寺はすぐにまた口を開く。
「でも正解よりも間違いは多いし、柵木の答案は圧倒的に丸が多かったじゃない?」
「まあ、そうだな」
俺が相変わらず鈍い思考で同じ返事をすると、才明寺は答案用紙を掲げたまま俺に顔を向ける。
「柵木はすっごい努力してきたってことね」
そう言って笑う才明寺。
彼女の他意のない真っ直ぐな言葉に俺はそれまで鈍いながらも少しずつ働いていた思考が完全に止まる。
違う、そうじゃないんだ。
俺は、それしかしてこなかった、ただそれだけのことなんだ。
お前等が勉強以外の、友達との関係作りとか、趣味とか、部活とか、そういうものに注いでいた時間を勉強を言い訳にして拒否してきていただけなんだ。
お前に褒められるようなことは何もない。
……でも、これからはそういう努力もちゃんとしたい。
きっとその第一歩が、才明寺とちゃんと向き合うことなのだ、きっと、きっと、きっとそう。
そう自分に言い聞かせて俺は意気込んで才明寺に声をかけようと口を開く。
だけどタイミングが最悪で、才明寺の方が一瞬早く「あ」と声を上げる。
気が付けば俺たちは靴箱と昇降口まで来ており、才明寺は靴箱近くにある飲料の自動販売機を見ていた。
「喉渇いたからジュース買ってくる。先に靴履き替えてて」
才明寺はそう言うと俺が返事する間もなく自動販売機の方へ行ってしまう。
言えなかった。
俺は遠のく才明寺の姿に肩を落として自分の靴の場所へ向かう。
いや、校門で別れるが、それまでまだ話せる時間はある。そこで何としても。
俺は自分にそう言い聞かせながら、自分の靴のところまで来る。
そこで俺は、自分の靴の上に置かれた折り畳まれた紙に気が付いた。
何処にでもありそうなコピー用紙を雑に畳んだように見えた。
何だこれ。
そう思いながら俺は紙を手に取り開く。
そこには一言、『嘘つき』と書かれていた。
明朝書体の文字がA4サイズの紙の真ん中にほどほどの大きさで印字されていた。
嘘つき。
その言葉に思わず血の気が引く。
間違いなく俺に告げられた言葉だった。
青褪めたように血の気の引いた白い紙に綴られた、底が見えない穴を思わるような暗く重い文字。
俺の取り繕った外面の内側を見透かした的確な言葉。まるで『俺』の人を偽り続けてきたこれまで知っているのではないかと思える程に鋭い言葉。
俺はその紙を見つめて動けなくなった。だけど脳内はさっきとは比べ物にならないくらいぐるぐると巡る。
誰がこれを置いたのか。
どういう意図で置いたのか。
そもそもこれは俺に宛てられた言葉なのか。
この言葉は俺のこれまで行動を指して書かれた言葉なのか。
これを書いたヤツは『俺』のことを知っているのか。
誰が、何と為に、これを作って、わざわざ靴の上に、置いたのか。
目的は何なのか。
言葉としては、悪意があるように取れる言葉だ。
この紙を置いたヤツは俺に悪意や敵意があるということか。
とはいえ、入学してからの約一ヶ月半でこんな紙を貰うほど人と関わってきた覚えがない。
理由がわからない。
何か俺に対して気に入らないことがあるということなのか?
考えて考えて、でも『誰が』というところまで来て思考は止まってしまう。
本当にこの一ヶ月、殆どのクラスメイトとまともに接してこなかった。それ故、こんな紙を貰う心当たりがまるでないのだ。
にも関わらず、この紙からは強い感情が確かにあった。
思考が息詰まると残るのは不安ばかり。
俺が紙を見つめていると、突然横から紙を覗き見る影。
「何見てんの」
才明寺だ。
紙パックのジュースを片手に横に立つ才明寺に驚き、俺は思わず紙をぐしゃりと握り潰す。だけど既に才明寺は紙に書かれていた文字を見ていたようで、不愉快そうな顔で俺を見ていた。
「何それ」
「俺にもわかんね」
「何処にあったの」
「……俺の靴の上」
「誰から」
「わかんね。書いてなかった」
「ふーん」
才明寺の言葉に俺はしどろもどろになりながらも答える。才明寺は冷ややかな表情で頷くと俺が握っている紙を奪いそれを広げてもう一度まじまじと見つめる。三秒ほど見ていたが、才明寺は俺を見上げて「これ、必要?」と訊いてくる。
「いや、要らない。意味わかんねえし、あっても困る」
「うん、そうね」
才明寺は頷くと、容赦なく紙をびりびりに破ると近くのゴミ箱に突っ込む。その行動の速さに俺はただ見ているだけしかできなかった。
才明寺はゴミ箱の方から戻ってくると、不機嫌そうな顔で俺の前に立った。
「何あれ、柵木が試験一位だったから妬み? あれ入れたヤツの性格の悪さがえげつないわね」
憤慨という様子で言い放つ才明寺。
紙を送りつけれた俺よりも怒っていることに俺は置いて行かれた気分になる。
そんな俺を更に置いてけぼりにして「あんなの気にしちゃ駄目よ!」と言いながら才明寺は靴を履き替える。
俺も靴を履き替えながら「ありがと」と呟く。
才明寺は漸く笑みを浮かべて「柵木、甘いもの食べれる? 寄り道しない? アイスを食べて帰るの。素敵じゃない?」と言う。
それは確かに、素敵だ、と思って俺もつられるように笑って頷いた。
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