第34話『嘘』

 秀生の靴箱に、気の悪い紙が入っていたことに稀は憤慨した。

 あんなにも真面目で良いヤツに対して『嘘つき』とはどういうことだ。許せん。

 本来稀の性格的、あまり怒りを溜め込む質ではない。大抵のことは一晩経てば忘れてしまうことばかりだ。

 だけどこればかりは一晩経ってもムカつきが腹の中で居座り続けた。

 これはもう犯人を見つけ、そして……どうしてくれようか。

 グラウンドうさぎ跳び十周の計。空気椅子で三時間。それとも全校舎の窓ガラスを全て磨かせてやるべきか。

 犯人に課す恐ろしく罰を黙々と考える稀。

 一番重く酷いものを、秀生に選んでもらおう。

 そんなことを考え、ひとまず自分の中のムカつきを発散させながら学校へ向かうが、学校に着いて靴箱を見ると、すぐに収まりかけていたムカつきが燃え上がる。


 紙を見つめて青褪めた顔をする秀生が昨日そこに立っていた。

 その姿が今も鮮明に思い出せた。


「(柵木にあんな顔をさせるなんて……ムカつく)」

 そう思うのと同時に、稀は秀生のあの表情が気になっていた。

 紙を見つめて動けなくなっていた秀生の表情から、紙には稀の想像では及ばないほどの罵詈雑言や、秀生を傷つける言葉がびっしりと書き連ねているのかと思ったが、書かれていたのは一言『嘘つき』だけ。

 だからあの紙を見たとき、正直なところ、稀は拍子抜けした。

 秀生はどうしてこんなにも動揺しているのかと、秀生を見上げると彼は相変わらず真っ青な顔のままだった。

 稀にはわからなかったが、秀生はあの言葉に酷く傷ついたのは事実だった。

 気が付けば稀は秀生からあの紙を奪って破り捨てていた。


 でもあの表情を思い出して、稀は考える。

「柵木は誰かに嘘を付いているのか」ということ。

 一体どんな嘘をついてしまったのだろう。


 そんなことを悩むが、到底わかるはずもない。

 稀は靴を履き替えると、教室へ向かう。

 一年の教室は昇降口から遠く、校舎の最上階だ。

 稀が階段をのろのろと登っていると、後ろから「才明寺、おはよー」と声がかかるので足を止めて振り返ると細江が登ってくる。

「おはよう」

「今日は一時間目から現国の漢字テストあるなあ」

「うわあ、思い出したくなかったわ。自信ない」

 細江の言葉に稀は肩を落としてがっかりする。稀の言葉に細江は、じゃあどれなら自信あるのか、という顔をするが「もう朝から暑い。衣替えいつだっけ」と呟きながら階段を上がってくる。細江が来ると、稀も合わせて階段再び登りだす。

 並んで階段を登る二人には、不思議と会話がなかった。でも別に険悪という感じはない。単に、会話のネタがないのだ。だってこれまでは二人には秀生が一緒にいた。

 稀は秀生と友達のつもりだし、細江も秀生と友達のつもりだった。稀と細江の間にはクラスメイト以上友達未満の関係しかないのだ。

 一階分黙って登っていたのだが、不意に稀が口を開く。


「ねえ、細江。『嘘つき』って言われたらどんな気分?」


 稀はやっぱりあの言葉の真意が気になり、手近な細江に問う。

 細江は稀の雑なネタ振りに怪訝そうな顔をするが、すぐに「逆に訊くけど、生きてきて嘘を付かなかった人っているのか?」と問う。

「……私、昨日母さんに中間試験の結果聞かれて、ちょっと良い風に言ったわ。……秒でバレたけど」

 稀がそう白状すると細江は声を上げて笑う。でもすぐに声を出すのを止めて自嘲すると「俺も昨日剣道場行って、久々過ぎて帰り遅くなって怒られたから、道場の時計が止まってたんだーって言ったわ。俺も秒でバレた」と白状する。

 稀も細江も、自分とそして相手が昨日ついた嘘を『くだらない』と思う。

 だけど稀は思う。私たちが口にするはこんなくだらないものだかりだ、と。

 それなら……。

「『嘘つき』って言われて傷つく人ってどんな嘘をついたのかしら」

 稀は呟く。

 その言葉に細江は何だか面倒な気配を察するが、少し考えるように首を傾けると諦めたように口を開く。

「嘘つきって言われて傷ついたってことは、嘘をついてる自覚があって、その嘘は人を傷つけるものであることを自覚してるって気はしなくもない」

 細江の言葉に稀は天啓を受けたような気分になり、思わず細江の顔を見る。

「確かに。そう言われればそんな気がするわ」

「で、結局それって」

 誰か特定のヤツの話なのか?

 そう細江は続けようとするが、既に稀は細江から意識が反れていて「どんな嘘をついちゃったのかしら」と呟くので、細江は途中で言葉を途切れさせてしまう。けれど稀の言葉を聞いてすぐに「俺が知るか」と返した。


 さて。

 稀と細江が階段を上がり切ると、二人は此処まで道程に大きく息を吐く。

 だけど二人が登校してきた時間がまだ比較的に早いせいか、二人の大げさな行動を見て反応を返す生徒はいなかった。

 今日って体育あるけど、何するんだろ。

 稀がそう呟こうとしたが、不意に一年の教室が並ぶ廊下に視線を向けた瞬間、その呟きは音にならず消え去る。

 廊下には男子生徒が一人いた。

 他には誰もいない。知らない顔の男子だから、クラスも違うはずだ。

 別に男子生徒が一人廊下にいるくらい不思議なことじゃあないし、普段なら稀も気にも留めなかっただろう。


 ただ、その男子生徒は壁に何かを貼り付け、そしてそそくさと廊下を去っていった。


 掲示板に何か貼り付けたのだろうか、と思いながら掲示板を見るが、稀自身あまり掲示板を真面目に見る方ではないから何が増えたのかわからなかった。そのまま前に視線を戻そうとしたが、掲示板の隣りに貼られている今回の中間試験の順位に視線が釘付けになった。

 順位の、一位、柵木秀生の名前の横にA4用紙が貼られており、そこには『嘘つきのカンニング野郎』と書かれている。

『嘘つき』

 その言葉に稀は昨日秀生が持っていた紙を思い出し、瞬間湯沸かし器のように顔を怒りで赤くして、その紙を睨みつける。恐らく、今しがた此処にいた男子生徒が貼り付けたのだろう。

 貼られている紙に気がつかずそのまま歩みを進めていた細江だったが、途中で稀が足を止めたことに気が付いて「才明寺?」と声をかけつつ振り返るが、その瞬間稀は怒りに身を任せた様子で廊下を走り出す。


「アンタ、ちょっと待ちなさいよ!!」


 そう叫びながら真横を通り過ぎていく稀の背中を見て、細江は混乱気味に立ち止まる。だけど稀が向かった先で悲鳴や怒声が聞こえくるので、細江は慌てて稀を追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る