第32話『願うことは』

 結局俺は細江に連れ戻されて、細江・俺・才明寺という並びで順位の前で写真を撮らされた。順位を見に来ていた他の生徒から奇異の視線を向けられてただただ居た堪れない気持ちだったが、スマホの画面の覗き込んで楽しそうに笑う才明寺と細江を見ているとどうにも気持ちがそちらに引っ張られてしまい嫌味の一つでも言ってやろうと思ったがどうにもそう言う気持ちではなくなってしまった。

 それから何とか二人を引っ張って教室まで帰ると、俺は漸く弁当箱を開けることができた。

 その日はそれから何人かが俺のところに来ては、一位のことを祝いに来た。

 おめでとう。凄いね。

 同じクラスのヤツもいたが、あんまり話したこともないようなヤツもそんな言葉を俺に投げていった。


 正直なところ、どうにも落ち着かない気分だった。

 勉強のことにしろ、何にしろ、俺を褒める存在はいつだって家族だけだった。

 中学までは只管頭を低くして生きてきた。

 通っていた中学校は、この高校のように試験の順位を貼り出すようなことはなかったし、教師たちも『成績は良いが協調性のない目立たない生徒』と思っていたのかもしれない。

 協調性のなさは今も大して変わっていない気もするが、中学の時よりも人と話すようになった気はする。主に才明寺や細江だが。

 二人が俺のことをやたら褒めるせいか、どうにも足元が覚束無いような感覚に襲われる。

 ふわふわするような気分。

 俺は、家族以外の人からこんなにも褒められて、やっぱり嬉しいと思っているのだろうか。友達、と言ってもいいのかまだ躊躇するけれど、そんな人達が俺のことでこんなにも喜んでくれるのが嬉しい、と思っているのは烏滸がましいことなのだろうか。

 どうにもふわふわする。

 それは食後の程よい満腹感に似ている。

 腹の中が満たされる感じだ。昼休みの弁当はもう消化されているはずなのに、まだ温かさだけが残っている感じに、何だか少しどうにも落ち着かない。

 そんな気分で午後の授業を終え、最後のホームルームで答案用紙の返却が行われた。

 既に全教科の答案を個別にまとめてくれており、答案用紙とは別に各教科の点数と学年の順位が記載された紙も付いていた。

 大森先生は出席番号順に名前を呼ぶと、答案用紙を返却していく。


 才明寺が呼ばれて前へ答案用紙の束を取りに行くが、あまりの間違いの多さに青ざめた顔で席に戻る。大森先生から「期末に巻き返しましょう」と励ましを受けるが、才明寺の顔色は死んだままだった。

 順番に名前が呼ばれ、漸く前の席の細江が呼ばれる。

 細江は珍しく緊張した面持ちで前へ向かい答案用紙の束を受け取る。大森先生が「数学が苦手と言ってましたが頑張りましたね」と頑張りを称える。その言葉に細江は数学の答案を見ながら少し笑っていた。

 細江が席に戻るととうとう俺が呼ばれる。


「柵木くん」

 そう呼ばれて俺はそそくさと前へ向かう。

 答案用紙を俺に差し出して大森先生は「流石ですね。出来る力があってもやり遂げるのはとても困難なことです」と呟く。俺は答案用紙を受け取りながら少し小さく会釈して自分の席に戻る。

 席に戻ると、次のヤツが呼ばれて席を立つ。

 俺は自分の席に戻ると、答案用紙と一緒に渡された点数と順位が書かれた用紙を見る。そこに間違いなく書かれた、『順位・1』を見つめる。

 家族じゃない人からもらった明確な評価。

 それを見ながら俺は何とも言えない暖かさにほんの少しだけ泣きそうになる。

 大森先生の『出来る力があってもやり遂げるのはとても困難なこと』という言葉を思い出す。

 今まではそもそも『出来る力』があるかどうかに懐疑的だった。

 だけど今回、一つの結果を出して、もしかしたら俺にも何か『やり遂げる力』があるのだろうか、なんて考えてしまう。

 それは一体どういうことができるだろうか。

 こっちへ越してきて、今までの自分と変わりないと思うばかりで、実のところ大して何もできていない俺だけれど、変化を強く望むのであるならやっぱり『やり遂げたい』と考えることが重要なのかもしれない。


 結局、俺は才明寺に謝れなかった。

 それが、歯と歯の間に挟まった何かのように俺の中で主張し続けていた。

『変わりたい』を実現させるなら、才明寺への謝罪は絶対にしなくてはならないことだと思った。そうしてやっと一歩進めるのだ。

 俺は自分に言い聞かせるように小さく頷くと、その瞬間、机の端がノックするように叩かれて驚いて顔をあげた。

 顔を上げると才明寺がおり、既にホームルームが終わったようで他のヤツらは帰る準備だったり喋ったりしていた。

 才明寺はホームルームが終わったのに座ったまま動かない俺を不思議に思っていたようで「どうしたの?」と声をかけてくる。


「いや、何でも」

「そう?」

「……何でも、ない、ことは……ないけど」

「何それ」

 歯切れの悪い俺に才明寺は怪訝そうな顔をする。

 俺の脳裏には『謝罪』の二文字が自己主張してくるけど、いざ話そうにも言葉に詰まる。才明寺は、口をもごつかせる俺にただただ首を傾げる。

 そんな微妙な空気が流れる中、荷物をまとめていた細江は通学カバンを肩にかけて振り返る。

「試験終わってやっと放課後の剣道解禁だぜ」

 そう楽しそうに笑う細江。

 才明寺は「習い事って言ってけど、部活じゃないのに禁止されてたの?」と問う。確かに部活ならともかく習い事は定期試験関係なくありそうなものだが。

 だがそうではないらしく細江は溜息混じりに「センセーがさあ、『勉強しなくても百点取れるのは小学校までだ。中学高校は試験中はこっち来んな』って主義なの。試験前日まで通ってても何も言わないんだから、それなら試験中も行ったって良いのになあ」とぼやく。


「二人は帰んの? 今日は珍しく小テストなかったし、才明寺も直しがないワケだし」

 細江の言う通り、今日は中間試験明け最初の授業だったからか、小テストはなかった。小テストがなければ、才明寺のテスト直しもない。

 珍しく明るい内に帰れるかもしれない。自由な放課後、素晴らしい。

 そんな本来当たり前のはずの放課後に少し感動している俺を余所に、才明寺は細江に含みのある笑みを向ける。

「甘いわね。私は私の幸せな夏休みのため、大森センセーの言う通り今この瞬間から期末への巻き返しを目指すんだから!」

 そう高々と宣言する才明寺。

 俺はその言葉に素直に、才明寺成長したなあ、と感動する。だけど細江には全く別の光景でも見えているのか、まるで誰かに同情するかのような微妙な顔で「へえ、具体的に何すんの?」と問う。

 すると才明寺は俺たちに、後ろ手で隠していた、さっきのホームルームで返却された答案用紙の束を見せてくる。

 細江はやっぱりという顔で俺を見て、俺はこの後の才明寺の言葉がわかって顔を引きつらせる。


「まずは今回の中間の直しから始める! 柵木、お願いね!」


 俺は思わず細江を見るが、その時には「頑張れー、お先ー」と言って教室をさっさと出て行ってしまう。

 うん、まあ、そうだろうな。

 俺は恐る恐る才明寺が掲げる答案用紙の束を受け取ると、ぱらぱらと捲って間違った箇所の多さを思い知る。流石下から十三位。

 才明寺は期待に満ちた目で俺を見ているし、俺としても才明寺の向上心は削ぎたくない。

 コイツに勉強へのやる気があるのは良いことだ。鉄は熱い内に叩けというし、この勉強への熱もいつ冷めるかわからない以上叩ける内に叩くのが良いはずだ。

 俺は諦めたように息を吐くと「試験問題も持って来い」と言って肩をすくめた。

 才明寺は嬉しそうに笑うと「待ってて、すぐ持ってくるから」と急いで取りに行った。


 ……あー、これ、今日だけじゃあ終わんねえなあ。

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