第20話 母が入院すると
今朝のことだ。突然に母が入院すると聞かされた。そして兄が、お供として付いていくことになった。「ぼくも行きたい」とせがんだけれども「バイ菌がいっぱいのところだから」 と、残された。それが今、母の傍で、簡易ベッドの上で眠っている。
「ねえ、母ちゃん。あの子、ひどいんだよ。ぼくがね、一生けんめいにね、およいでかえろうとしたのに、じゃまばっかりしたんだよ。お舟のぼうでね、ぼくをしずめようとするんだ。こうやってね、くるりくるりとまわして、さ」
母は辛そうな表情を浮かべながらも、ベッドの上に座って、わたしを傍らに寄せて髪の毛を、わたしの少し茶色がかってきた髪の毛をやさしく撫でながら聞いてくれた。母の身体からはほんのりと母乳の匂いがしていた。母のそんな匂いに包まれて幸せだった。父の膝に乗ったときの、あの煙草のにおいではなくお酒の匂いではなく、甘いおっぱいの香りに包まれて幸せだった。
「でね、でね。こうやってね、うでをね、バシャバシャとうごかしてね。金魚さんみたいにね、お口をパクパクさせて、いきをしたの。でもね、力が出なくなってね。からだがね、しずんでいくの。大じょうぶ、こわくなかったよ。きれいなおねえさんがね、『もうすこしがんばって』って、こえをかけてくれたんだ。あれって、母ちゃんだったの?」
母の返事はなかった。無言の状態がどれほど続いただろうか。時折漏れる呻き声が、何を意味するのか、その時のわたしには分かっていない。よほどに辛かったのだろう。看護婦が入ってきて、わたしがベッドのへりから降ろされると「ごめんね、ごめんね」と何度もつぶやきながら横になった。そして弱弱しい声で
「そうなの、声が聞こえたの。きっと、天使だったのね、あなたを守ってくれたのよ。それにしても、悪い子ね、その子は」と、言ってくれた。嬉しかった。やっと味方ができたのだ。わたしの言い分を聞いてくれる大人がいたのだ。わたしが正しいと認めてくれる大人が出てきたのだ。
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