第19話 よわむしおばけに
(父ちゃん、違うってば。そいつは悪い奴なんだ)。
大きな声で叫んだ。しかし父の耳には聞こえていない。そうだった。わたしはその場所には居なかった。父と兄の二人だけで出かけていた。二人だけで行かせることをわたしは恐れていた。父が兄を叱るのではないか、今度はお説教だけではなく手を出すのではないか。わたしに対してすら手を出したのだ。軽くとはいえ、げんこつで頭を殴ったのだ。兄にはもっとひどいことをするのではないか。いや、きっとする。するに決まっている。もしも怪我をしたら……。足なり手なりを追ってしまったら。児童虐待などという言葉は、というじには存在しない。すべてが躾けという言葉に隠れてしまう。
しかし、父が兄を叱ることはなかった。どころか、帰り道に砂地に足を取られて転びそうになった兄に向かって「叱ってばかりですまなんだな」と謝っていた。
(父ちゃん。なんで、なんで、どうしてだよ!)
わたしの言葉は、もう父には届かない。届かなくなってしまった。怒りの思いでいっぱいになった。わたしの味方だとばかり思っていた父が、わたしを裏切った。信じられないことに、わたしを悪者にしたのだ。わたしを見殺しにしそうになったあいつを、いや見殺しにしたあいつを許すどころか、褒めている。そして兄といえば、ひと言も発することなく、ただだまってうなだれている。
(何か言ってよ、お前が弟をころしかけたんだ、そう言ってよ)
何度も兄をこずいた。しかしなにもしてくれない、言ってくれない。
(知ってるだろ、いつもじゃまにしてたことを。あっちに行けと、ぼくをじゃけんにしたことを)
(うらぎられた、兄にも。父だけでなく、兄もまた、ぼくをみすてた)
どす黒い澱が、胸に渦巻いている。ドロドロと心臓の中で廻っている。やがてそれは身体中を駆け巡って、頭の先から足先にまで届き、爪が黒くなり頭の毛からは腐った鼠が放つような悪臭を放ち出す。そしてすぐに白目すら黒くなり、耳からはコールタールがあふれ出て、最後には[よわむしおばけ]になってしまう。
(どうして、どうしてなの。ぼくがおばけになってしまってもいいの? そんなのいやだ。あいつだ、あいつがわるいんだ)。
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