サトラレクション!! ~幼馴染み美少女のくしゃみがハクションではなく「(俺の名前)大好き!」と言ってしまう件 なお、本人は気付いていない模様~
ノンハクション!! ~親友たちの心の声が聞こえてきたりして心配になるけど、実はちょっと羨ましかったりする件 なお、自分達はちゃっかりラブラブな模様~
ノンハクション!! ~親友たちの心の声が聞こえてきたりして心配になるけど、実はちょっと羨ましかったりする件 なお、自分達はちゃっかりラブラブな模様~
バターの香りと、スマホからはロックンロール。
エイトビートで卵を混ぜて、そのままのリズムでフライパンへ投入する。
「おはよー。ん~いい匂い!」
キャミソールに短パンというだらしのない格好で姉の
「おはよ。もうすぐゴハン出来る」
オムレツを引っくり返しながら弟の泰が答えた。今月から広告代理店で働いている忙しそうな姉の為に朝食を作るのは
「サンキュ、ふあ~あ」
ダイニングテーブルについてあくびをしながら料理を待つ。
(すっかり泰もエプロン姿が板についてきたなあ)
「はいお待たせ」
コトリと置かれるワンプレート。
ツナのホットサンドとイタリアンドレッシングのかけられた生野菜のサラダ、それにプレーンオムレツ。
「いっただっきま~す! うまっ」
オムレツを口に入れた途端、トロリとした感触が舌に優しく絡んで口中にバターの香りが広がる。
「アンタ料理また上手くなったね」
昔から何でもそつなくこなす弟だったが、最近は洗濯や掃除も文句の付け所がない。
逆に和の部屋には飲みかけのペットボトルにカビが生えていたりする。しかし、だらしない女性もいいじゃないか。気にしなくていい、それなら掃除好きな男と一緒になればいいのだ。
「ああ、専業主夫になるのもいいかなって」
「ぶほっ!」
口の中の物を盛大に噴き出す和。しかしいいじゃないか、気にしなくていい。そのテーブルにぶちまけたモノを美味しそうに食べてくれる男と一緒になればいいのだ。(※春太郎不在の為ツッコミ無しでお送りしております)
「専業主夫って、店はどうすんのよ!」
安藤家の両親はヨーロッパで寿司店をいくつも手掛けている。その為ほとんど日本にはおらず今も家には和と泰しかいない。
「店は継ぐ必要ないって親父も言ってるじゃん」
両親は現地の優秀な社員を育てて店を任せるつもりだと言っていた。勿論、泰が望めば雇ってくれると思うが、跡を継げるかは能力次第だろう。だが、今のところ興味はない。泰の興味は親友の恋の行方と、可愛い可愛い自分の彼女だけだ。自分の進路でさえあまり関心がなかった。萌々がこのまま世界最強として君臨するのをサポートするのが自分の役割だと思っている。
「まあ、萌々ちゃんなら十分稼いでくれるだろうけど。そうそう、聞いた? 萌々ちゃんにテレビの取材が来るって。しかもレポーターは清川つぼみ! 学校生活から密着だって」
ピクンと眉を反応させるが、泰は素知らぬ顔で答える。どうやらあの売れっ子アイドルとは縁があるようだ。
「いや、知らなかった。って事は北高に清川つぼみが来るのか。そいつはまた……」
アイドルの姿を見てみたいといえば見てみたいが、それよりもトラブルを起こさないかそっちの方が気になる。萌々の学校生活を取材するなら当然同じクラスで親友の花菜にも清川つぼみのマイクが向くだろうし、彼女のくしゃみが黙っているとは思えない。
「なんだ、反応薄いなあ。泰も清川つぼみのファンじゃないの? この曲
泰のスマホから流れている曲は笹原から貰った彼と清川つぼみのオリジナル曲だ。一度聴いてからすっかり気に入ってしまい、全曲を貰って毎日聴いている程だ。
アップテンポな曲調が多い彼らの歌は朝から元気を注入するのに丁度いい。
「え? あ、この曲友達から貰ったヤツだから詳しく知らないんだよ」
和はテレビCMを担当する部署に配属されているらしい。清川つぼみの事も話さない方がいいだろう、適当に言葉を濁した。
「ふうん、アタシも
和と泰の間で取り決めているルール「姉弟が家にいるときはエッチな事をしない」。漏れてくる声はとても気まずいものだ。筆者もそれで兄にすんごい怒られた事がある。
「マジで? ラッキー! じゃあ夕方には家に萌々を連れて帰ってこよう」
来月から始まる日本選手権で萌々はデートしている暇なんてなくなる。今の内に目一杯甘えあっておきたい。
「遅くなったらちゃんと送ってくのよ。萌々ちゃんは強いって言っても女の子なんだから。ごちそうさま。もうこんな時間、急いで準備しなきゃ」
流しに食器を運ぶと慌てて部屋に戻っていった。
「萌々が女の子なのは俺が一番わかってるんだよ。さて、俺も早く食べて行く準備しなきゃ」
そう言いつつ、自分で焼いたオムレツに頬っぺたを落とした。
「うまっ。やっぱ俺専業主夫がいいかもしれない」
◇◆◇
バターの香りと、スマホからはロックンロール。
ご機嫌な曲に反して、萌々はしかめっ面でフライパンとにらめっこ。頭の中はさっき見た料理サイトの「ホットケーキの作り方」でいっぱいだ。
「むむ、穴が明いてきたな」
弱火でじっくり、じっくり。
萌々は待つのが苦手だ。空手だって恋だって受け身なのは焦れったくて我慢できない。だけど、料理の基本は時間通りに待つこと。
やがてポコポコと無数の穴が涌いてきて、萌々は息を止めた。
「
クルン、ポフッ。
「ふぅ、出来た」
見事ホットケーキを引っくり返す事に成功。ホッと額の汗を
「何と闘ってるんだよ姉ちゃん」
弟の駿太が降りてきた。
小学5年の駿太は野球少年で地元のリトルリーグに所属しており、今日もチームのユニフォームに身を包んで朝から練習に行くようだ。
「ホットケーキ大魔王だ。もうすぐ決着がつく」
「皆大好きホットケーキを悪の親玉にするなよ」
両親は共に弁護士をしており忙しい。今までは母親が朝食を作ってくれていたが、最近では遠征が多い萌々も自炊出来た方がいいと娘にやらせている。
「出来たぞ」
コトリと置かれるワンプレート。
ホットケーキとカットしたバナナにキウイ、そして可愛らしいカップに入れられたジャム載せのヨーグルト。
「いただきます。うん、美味いよ」
「そうか、それは良かった」
食べる様子をハラハラと見ていた萌々だったが、駿太の言葉にホッと胸を撫で下ろして自分も食べ始める。
元々不器用な人間だ。料理も裁縫も得意ではない。しかし、気にしなくていいのだ。だって泰がやってくれる。もし彼と結婚したら料理も洗濯も掃除も、全部やってくれる。
そう割り切れれば楽だろう。けど、萌々は割り切れない。誰よりも乙女な彼女は誰よりも女の子らしい女の子になりたいのだ。家庭を支える慎ましい女性というものに憧れている。
「あれ? 姉ちゃん
萌々のスマホから流れるアップテンポの曲。一度聴いてからすっかり気に入ってしまい笹原から貰ったのだ。毎日聴いている。清川つぼみの魂に触れてくるような声は朝から活力をくれる。
「ん? ああ、最近のお気に入りだ。このハスキーボイスが癖になる」
「へえ、意外だな。姉ちゃんって泰君と空手以外の物に興味ないかと思った」
そんな事はない。大体の女の子が好きなものは萌々も好きだ。自室には恥ずかしがって泰以外は誰も入れないから家族は知らないが、その部屋はぬいぐるみとピンクの家具で溢れている。萌々が興味を持っているのはふわふわのぬいぐるみや甘々のラブソング、そして長身のイケメン。あ、あと親友の恋の行方か。
「私だって音楽くらい聴くさ。それに清川つぼみとは会わねばならん」
「え? 何? 因縁でもあるの?」
親の仇みたいに言うから駿太もついそんな言葉を返してしまう。萌々は芝居がかった台詞が多い。
「テレビの取材で来るらしいよ。家にも来ると言ってたから駿太も会えるんじゃないか?」
なんたって次のオリンピックから空手が正式種目になる。萌々は金メダル最最最有力候補だ。メディアだって放っておく訳がない。
「マジで? 母ちゃんそんな事言ってなかったのに!」
「駿太に教えたら友達に言いふらすと思ったんじゃないか? 騒ぎになるのはごめんだから誰にも言うんじゃないぞ」
トップアイドルの清川つぼみが来るなんて情報が漏れたらここら一帯パニックになる。だから家族以外には口外しないでくれとテレビ局からも言われていた。
「わ、わかった。誰にも言わない」
「ん? 家にも取材が来るって事は私の部屋も撮影するということか。むう、悩ましいな」
別に少女趣味は隠すことでもないのだが、世間は萌々に対して江戸時代の武士の様なイメージを勝手に作っている。今更説明するのも、泰以外に本当の自分をさらけ出すのも
「ごちそうさま。行ってくる」
「ああ、頑張っておいで」
練習に向かう弟を見送って、萌々もデートの準備を急いだ。
◇◆◇◆
宇野川駅から歩いて5分。UNKバスタービルディングの最上階に作られたUNKバスター水族館は、都心部の真ん中に存在するオアシスとして多くの人々に愛されている。その下の階には
「アベック1枚お願いします」
チケット売り場で泰は少し恥ずかしそうに頼んだ。
バスター水族館がカップルに人気なのはこのアベック割があるからだ。カップルではなくアベックという所に経営者のこだわりを感じる。
「はーい、じゃあチューして貰っていいですか?」
しかしこのアベック割、スタッフにチューを見せる必要があり敷居が高い。別に意地悪をしたい訳でもなく、もっと仲良くなってもらおうという経営者の粋な計らいである。だからかチケット売り場のブース内の壁は柔らかい特殊な素材で作られており、幾らでも殴る事が出来る。
「ほ、頬っぺたでいいんですよね?」
「別にベロチューでも構いませんよ~」
鉄仮面のサキ。このスタッフの通り名である。正直、バスター水族館のチケット売り場は過酷な仕事だ。見たくもないカップルのチューを一日に何百回と見なければいけない。精神を病んでしまい接客の最中に発狂してしまった同僚もいる。でも鉄仮面のサキはいつもニコニコ、安心安全。笑顔の仮面を着けた様に常に穏やかな笑みを浮かべている。
(ベロチューなんかしたらその舌べら引っこ抜く妄想を今夜の晩酌のつまみにしてやるわ)
しかし彼女も女神ではない、普通の人間だ。内心ではカップルをぶち殺しながら接客をしている。それが泰級のイケメンであろうと同じこと。いや、むしろイケメンであればあるほど妄想はエスカレートする。そう、彼女は昔ホストに騙され金を貢いだ過去がある。イケメンは憎い。
「ヤ、ヤス君、本当にこんなところでチューをするのか?」
(ケッ、カマトトぶりやがって。家ではもっとスゲー事してるだろメス豚……ん?)
震えていた。カップルの女の子がプルプルと震えていたのだ。
見ると顔は真っ赤だ。デカい図体に似合わず羞恥心で顔を赤く染め、イヤイヤと首を小刻みに振っている。
(フン、しょうがない。ウブな子には特別サービスだよ)
これ見よがしにチューをするバカップルは反吐が出るほど嫌いだ。実際このバスター水族館に来る客はチューを見せつけてくる様なカップルも多い。だからこういう恥ずかしがるカップルは希少なのだ。一種の清涼剤、世の中も捨てたもんじゃないな、サキは初々しいカップルを見る度にそう思うのである。
「手でも大丈夫ですよ」
「本当ですか! 良かった、萌々、手を出して」
サキの助け船に泰は心底ホッとしたように表情を崩すが、萌々はゴクリと生唾を飲み込むと覚悟を決めた。
「いや、大丈夫だ。ヤス君の事は大好きだ。これは愛の深さを試されているのだ。め、目を閉じてくれ」
「ええ? 萌……わかった」
折角ハードルを下げてくれたのにと泰は食い下がろうとしたが、萌々の真剣な表情を見たら何も言えなくなってしまった。素直に目を閉じる。
「い、いくぞ」
恐る恐る顔を近付け、萌々の唇がチュッと泰の頬に触れた。
「ハックション! あ、すみません見てませんでした。もう一度お願いします」
ちょうど盛大なくしゃみが出てしまいサキは見ていなかった。勿論わざとである。
「はあ? そりゃないでしょ、折角萌々が頑張ったのに……んっ」
抗議する泰の頭をガシッと掴み、強引に自分の方へ向けると萌々はその唇を豪快に奪った。今度は絶対に見逃されないように長く、時間をかけて。
「プハッ……これなら文句ないだろう」
茹でダコ。郵便ポスト。この世の真っ赤な物より更に顔を真っ赤にして少女は虚勢を張った。鉄仮面も思わず表情を崩す。
「は~い、ごちそうさまです! いってらっしゃい!」
そんなバカップルとサキのやり取りに、後ろで順番を待っていた独身彼氏ナシ週末に水族館に来てペンギンを見るのが唯一の癒しであるOLの夏子が(あ、今日の晩御飯は冬虫夏草にしよ☆)と現実から目を逸らした。
◇◆◇
「はい拍手~!」
アシカのお姉さんの言葉に会場は拍手で包まれた。
バスター水族館はビルの最上階にあるからイルカのショーは無理だが、代わりにアシカのムスカ君 (3歳)と館長 (63歳)のショーを開催している。
「じゃあ次はムスカにこの輪っかをくぐった後で館長に思いっきりビンタをしてもらいま~す!」
ムスカの館長ビンタはショーでも一番人気の演目だ。毎回館長の眼鏡が信じられないほど飛ぶのだ。それをムスカが拾いに行って自分にかけてドヤ顔するまでが一連の流れである。ちなみに普通のビンタでは眼鏡はそこまで吹っ飛ばない。ひとえに館長とお姉さんの努力の賜物である。館長は夜な夜なお姉さんにビンタされ眼鏡が一番遠くへ吹っ飛ぶ角度、力、心構えを研究してきたのだ。お陰で館長がSMに目覚めてしまったがそれはまた別のお話。
「オウ! オウ! オウ!」
館長が元気に叫ぶとムスカが勢いよく滑り出して華麗にジャンプ。お姉さんの持つ輪っかを見事くぐった。そして椅子に縛られた館長目掛けて一直線。その頬に強烈なビンタを放つ。
ゴキッ。
洒落にならない音がして眼鏡が4メートルほど吹っ飛んだ。
だらりと力なく両手を下げる館長には目もくれず、ムスカは眼鏡を拾い上げスチャッと自分にかけるとニカッと笑った。
「「あはははははは!」」
会場は大爆笑。館長も体とプライドを張った甲斐があるというものだ。
「すごい! ムスカは可愛いなヤス君!」
「ああ、ムスカは賢いな(意訳、館長はアホだな)」
萌々と泰のカップルも興奮気味に手を叩いて喜ぶ。基本カワイイ物に萌々は目がない。おどけるムスカが可愛くて仕方がなかった。
(ああ、ナデナデしてみたいなあ)
「さて、館長が死んだ所でお客さんにもショーに参加して貰いまショー!」
「勝手に殺すな」
「チッ!」
黙れと言わんばかりにお姉さんは館長を足蹴にする。「オウ!」と嬉しそうに鳴いた。
「ではカップル一組にステージに上がって貰おうかな! そこのイケメンなお兄さんと背の高いポニーテールの彼女のお二人様!」
「ええ? 俺達?」
泰と萌々は目立つ。ショー的にも見栄えがいい方が都合がいい。
「そうです! ムスカ君がお迎えに上がりますのでついてきてください」
オウオウと声を挙げてムスカが観客席に上がってきた。泰と萌々の前で立ち止まり、ペシペシと泰の足を叩く。
「ここまでされたら出ない訳にはいかないな、しょうがない。行こうか萌々」
泰はやれやれと重い腰を上げるが、一方の萌々は嬉々として立ち上がった。ステージに上がればムスカにも触れるかもしれない。
「ああ! ムスカにお願いされたら行くしかないな!」
渋々な泰と意気揚々な萌々。カップルらしく手を繋いでステージに上がった。
「お、二人とも背が高くて体格がいいですね! お兄さんは何かスポーツやられているんですか?」
「あ、サッカーをやっています」
「お、実はムスカもサッカーが得意なんです! じゃあお兄さんにはムスカとリフティングをして貰いましょう! ボールをムスカに蹴ってくれればムスカがヘディングで返してくれます。10回交互に出来たら皆さん拍手をお願いしますね!」
「わかりました。頼むなムスカ」
始めは乗り気がしなかったが、アシカとパスなんて滅多に出来ない経験だ。折角だから楽しもう、そう頭を切り替える。
「リフティングが終わったら、彼女さんは思いっきり館長にビンタしてください」
「うむ、任せておけ」
ブンッ、ブンッとビンタの素振りをする萌々。カマイタチが発生し館長を縛り付けているロープを切り落とした。
「おお! 彼女さんすごいビンタですね! 何かやってます?」
「空手を少々
わざわざ世界一だと言う必要もない。控えめに答えた。
「そうなんですね! じゃあグーで殴って貰いましょう!」
今日は死人が出る。泰はそう思った。
「はい、じゃあリフティングいっくよ~! せーの!」
お姉さんがボールをふんわりと投げた。華麗に泰がトラップし、ムスカにぽーんとパスを出す。
「オウオウ!」
「上手いもんだ、そら」
ポーンポーンとパスを繰り返す。ムスカが頭だけじゃなく尻尾でも打ち返すと会場はワッと湧いた。
「はい10回! みんな拍手~!」
大きな拍手が泰の健闘を称えた。次は萌々の番だ。
「よし、今日は
やる気満々の萌々から不穏な何かを感じ取ったのか、お姉さんが土壇場で演目を変えた。
「ス、ストップ! か、彼女さん、折角なんでムスカと遊びましょう!」
(この子ヤバイわ。きっと館長が死ぬ……別に館長が死ぬ分にはいいけどこの子の人生に汚点を残すわけにはいかない)
「む、そうか! 出来たら私もムスカに触りたいのだ!」
「そうしましょう! では彼女さんにこの輪っかを持って貰って、ムスカにくぐって貰いま~す! じゃあ胸の前でピーンと腕を伸ばしてあげてくださーい」
萌々も小さい頃イルカショーやアシカショーのお姉さんに憧れていた。ドキドキしながら輪っかを掲げ、ムスカがくぐるのを待つ。
だが。
「オウオウオウ」
ムスカは動かない。申し訳なさそうに鳴くばかりだ。
「む、どうした?」
「ご、ごめんなさい彼女さん。その、彼女さんの背が高すぎて輪っかが上がり過ぎちゃってるみたいで、少し下げて貰えますか?」
どっ、と笑い声が挙がった。
「これは失礼した。これでいいだろうか?」
胸の位置にあった輪っかを腰まで下げる。何でもないような顔をしているが、一瞬その表情に
「ムスカ! お前なら翔べる! お嬢さん、胸の高さでいい! 君は悪くない!」
「館長? 何を……」
「オウ! オウオウ!」
館長の檄を受けてムスカも吼えた。首を上下に動かして萌々に輪っかを上げる様に促す。
「こ、これでいいのか?」
館長とムスカは察した。
きっとこの子は自分の大きい体をコンプレックスに感じているに違いないと。
きっと今までも笑われてきたんだと。
きっと今回も顔で笑って心で泣くんだと。
しかし今はショーだ。
俺達のショーで女の子が悲しむなんて耐えられない。
「オウオーーウ!」
「翔べー! ムスカー!」
ムスカは翔んだ。1メートル50以上ある高さをムスカは翔んだのだ。
泰は本物のエンターテイメントに出会い、そして感謝した。
◇◆
水族館を後にし、UNKバスタービルディング内のショッピングモールにあるレストランで少し遅めの昼食を取ることにした。
「まさかショーに出る事になるとは思わなかったけど、いい思い出になったね」
泰はローストビーフ丼、萌々はロコモコ丼を注文。カップル用のトロピカルジュースも頼んで1つのグラスに2本のストローで楽しそうに飲むが、楽しそうなのは泰だけ。萌々の顔色は優れなかった。
「ごめんねヤス君」
「何が?」
「デカい女で恥ずかしいだろう」
何を今更。そんな事は付き合う前からわかってる。それに、萌々よりも泰の方が背が高い。たった2センチだが泰にとってそれは、胸を張れる2センチなのだ。
「萌々は可愛いよ」
「背だけじゃない。私は肩幅だって広いし、筋肉も付きすぎてる」
肉付きがいいのも萌々の魅力の1つだ。豊満な胸も、鍛えられた腹筋も泰は大好きだった。
「萌々ほど自慢の彼女なんていないよ」
「ハナコに比べれば私なんて女の子らしさの欠片もないだろう」
はあ。泰は心の中で溜め息をついた。そりゃ花菜ちゃんは可愛いし、完璧な女の子かもしれない。だけど、俺が選んだのは萌々だ。それだけは自信を持ってくれなければ彼氏としても困るし、寂しい。
泰も萌々も、親友カップルが羨ましかった。まだ告白してないから厳密にはカップルではないが、春太郎と花菜が羨ましかった。
だって彼らは歴史が違う。物心ついた時から二人は惹かれ合って、愛を育んできた。そして心の声だ。あれは反則だ。何があっても、あの心の声が二人を絶対的な鎖として離さない。
でも、どうやっても彼らは彼らで、自分達は自分達だ。
ふう、と息をついてスマホを取り出し電話をかける。
「あ、舞鶴の元帥? え? オフ会って今日なの? 悪いねそんな時に。ちょっと聞きたい事あってさ。うん、あの……」
通話を終了させると泰はスッと立ち上がった。
「ちょっと行ってくる。10分ぐらいで戻ってくるから待ってて」
「え? ちょっとヤス君?」
萌々は困惑するが、泰はそのままレストランを出ていってしまった。
一人残されると余計に不安になる。
「やっぱり私とは一緒にいたくないのかな……」
ついそんな風に思ってしまう。泰は自慢の彼女だと言ってくれるのに、彼氏の言葉を信じられずこうして自分を卑下してしまう事が更に自己嫌悪を引き起こす。
本当に自分がイヤになる。
「クス、何あの人……スゲーTシャツ」
「うわ、オタクだよオタク。イケメンなのにもったいねえ」
しばらくすると周囲から失笑が聞こえてきた。
入り口に目をやるとどこかで買ってきたのか、新しいピンクのTシャツに着替えた彼氏の姿。
「お待たせ萌々」
「ヤ、ヤス君。その服は一体?」
「俺の気持ち」
Tシャツの胸には大きいハートマーク。そしてその中に「萌」の一文字。
笹原には近くにオタクショップがないか聞いていたのだ。さすが
「萌って、私の事?」
「花菜ちゃんのくしゃみほどじゃないけど、俺の意思表示だよ」
「プッ、ハハハ。イケメンが台無しじゃないか。ププッ、アハハハハ」
ずっと曇っていた彼女がやっと笑ってくれて、泰もつられて笑った。
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