23ハクション オフセットサンセット
宇野川から3駅程離れた
「ふあ~あ」
リムジンから降りて特大のあくびを放つ。道中で東堂院が着替え終わったから後部座席に移動したのだが、アロマの香りとふかふかのソファのコンボに俺はすっかり眠くなってしまった。
「ちょっと稲村君、退屈そうにされると傷付くのだけど。演技といえどちゃんと恋人っぽくしてもらわないと困るわ」
俺に続いて降りてきた東堂院が呆れているが、これが俺の普段通りだからな。伊達に居眠りする太郎と呼ばれてないぞ。
「ふぁい、ごめんなふぁい」
あくびを噛み殺しながら謝る俺に東堂院は更に顔をしかめた。
「もう。ひょっとして貴方、好きな女の子の前でもだらしなくあくびしてるんじゃないでしょうね?」
え? だったらまずいの?
「してるけど?」
「呆れた! いいわ、今日は貴方のダメな所をいっぱい指摘してあげるから、精々男を磨きなさい!」
間に合ってますと言いたい所だが、チャンスかもしれないな。花菜のくしゃみはいつも俺の事をベタ褒めしてくれるから、自分が男としてどうなのか実際よくわかってない。客観的に見てくれる存在ってのもありがたいのではないか。
しゃっくりの音でコテンパンに傷付く未来しか見えないけどな。
「はあ、お手柔らかにお願いします」
「はあ、じゃないわよ。ほら、早速デート相手に言う事があるんじゃなくて?」
そう言って期待に満ちた表情でくるりと回る。スカートが空気を孕んでふわりと舞った。
なるほど、セーラー服を褒めろと、そういう事か。
宇野川商業のセーラー服は勿論うちの変態親父が母さんに着せて鑑賞するために所持しているものだから、サイズも母さんに合わせてある。背丈は東堂院と同じぐらいだから一見丁度良さそうなのだが、胸の辺りが明らかに窮屈そうだ。なんと言うか、引っ張られている。全体的に前に引っ張られていてぱつんぱつんだ。
どうもありがとうございます。
「ずるいよな。東堂院は可愛いから何でも似合う」
「あ、あら。そうかしら」
催促してきた癖に俺が褒めると顔を赤くして照れた。
恐らく東堂院は綺麗と言われる事はあっても、同年代の男に可愛いと言われるのは滅多にないのではないか。
普段着ることの無い服を着ているのだから、褒め言葉も特別な物にした方が効くハズだ。
とは言え、決して思っていても「ぱつんぱつんで最高だよ!」なんて言ってはいけない。多分、ぱつんぱつんは褒め言葉ではない。
「葵の園の派手な白ブレザーもいいけど、黒い素朴なセーラー服もいいよ。何て言うか、葵の園の制服は天上の女神って感じだけど、今は手が届きそうで届かない地上に舞い降りた天使って感じ」
何言ってんだ俺。バカかよ。
これにはさすがに東堂院もドン引きである。
「そ、そこまで褒めろとは言ってないわよ……『キモ』『キモ』『キモ!』」
うん、キモいよね。知ってた。
あくびをしたら恋人失格と言われ、キザな言葉で褒めちぎればキモいと言われ、デリカシーゼロ太郎の俺は早々に死亡。しかしデートは始まったばかりだ。生まれたての子牛が立ち上がるシーンを思い浮かべ勇気を貰い、自分を奮い立たせる。
「じゃあ行こうか。このビルの2階だ」
「行ってらっしゃいませ」
運転手さんと執事さんとはここでお別れ。文殊四郎さんの深いお辞儀に見送られ雑居ビルの中に入った。
◇◆◇◆
「可愛い! おいで、おいで!」
東堂院がデレた。
雑居ビルの2階にある猫カフェ「ニャンクチュアリ」。猫様と猫好きの為の聖域であるこの店は俺のお気に入りだ。
椅子の無い店内はカーペットが敷かれており、まるで自宅の様に猫様と触れ合う事が出来る。
東堂院も猫様の愛らしい仕草にやられてしまい、オヤツで釣って何とか膝の上に乗って貰おうと必死だ。
この猫カフェにはいつも一人で来る。花菜の母親のすみれさんが重度の猫アレルギーで服に毛でも付けて帰ればそれだけで反応してしまう。だから花菜も猫や犬には触れないので連れてこない。誰か他の人と来るのは初めてだったりする。ちなみに俺は猫派だ。というか、犬は苦手だったりする。
「東堂院はナイトシュバルツが気に入ったみたいだな」
ナイトシュバルツはオスの3歳。白と黒のツートンの毛色で目の上に極太眉毛のような模様があり、いつも眠そうな表情がニャンともいえない。
「だって稲村君にそっくりじゃない。見なさいよこの眉毛」
俺とナイトシュバルツを見比べて笑う。確かに顔は似てるが、ナイトシュバルツは俺と違って愛想がよくサービス精神旺盛な猫様だ。
「ニャオン」
差し出されたオヤツを一口で平らげると、まるでお礼だと一鳴きしてスッと東堂院の膝の上に移動し、くるんと丸くなった。
「キャッ! ナイトシュバルツが膝の上に来てくれたわ!」
優しく首を撫でると気持ち良さそうに目を細目ながらノドを鳴らす。それがまた可愛くて東堂院はずっとナイトシュバルツを撫で続けた。
「こんな近くで猫を触ったのは初めて! 猫カフェって素敵な所ね!」
お気に召してくれたようで一安心。さて、記憶に残ったところで記録にも残しておこうか。
「スマホ貸して東堂院。写メ撮ってやるよ」
女子高生なのだから映え写真はライフワークだ。まさか財閥のご令嬢がSNSなんてやってないだろうが、ネットに挙げなくても後で見返すだけでも十分楽しい。
「あ、葵の園ではスマホによる撮影ははしたないからと禁止されているわ」
なんだそりゃ、また極端な校則だな。まあ確かに、街中で葵の園のお嬢様方が自撮り棒持ってイエーイなんて周りからギョッとされるか。だけど、葵の園の生徒なんてここにはいない。
「いいんだよ。今の東堂院は宇野川商業の3年生なんだから」
「フフ、そうね。葵の園女学院の生徒じゃないなら校則なんて関係ないわね。スマホを取ってくださる? 鞄のサイドポケットに入っているわ」
宇野川商業3年F組の東堂院美咲はどこにでもいる普通の女の子。週に一度の猫カフェで受験勉強のストレスを発散するのだ。ちなみに俺の中の設定では文学部の部長で好きな言葉は
「ああ……これか?」
身動きが取れない東堂院の代わりに、葵の園女学院指定の高級そうな白色の鞄からスマホを抜き出して彼女に差し出してやる。葵の園では身に付ける物はほぼ白に統一されており、校章が刺繍されたニーハイソックスも有名デザイナーの手掛けた物らしい。ニーソだけで2万円もするそうだ。
ん? どうしてニーソの値段まで知ってるのかって? 親父が買おうとして諦めてたからだよ。
「そのまま持っててちょうだい……はい、あとは画面を押すだけで撮れるわ」
ロック解除のパスワードを入力する所をバッチリ見てしまった。お嬢様もいつぞやのアイドルと同じ様に警戒心が薄れているようだ。ま、俺が信用されているのだと思おう。
「了解。はいチーズ」
合図と共に何枚か撮っていく。ナイトシュバルツは慣れているのかバッチリカメラ目線、一方の東堂院はぎこちない微笑みをレンズに向けた。
もう普通の女の子だ。
勿論染み付いた気品は相変わらず滲み出ているが、猫を抱いて恥ずかしそうに笑う東堂院はどこにでもいる普通の女の子だった。
さて、写真も撮ったし移動しよう。
「じゃあ次の場所に行こう。またなナイトシュバルツ」
「ニャオン」
そう声を掛けるとナイトシュバルツはスッと東堂院の膝の上からどいた。本当に聞き分けがいいというか、プロの猫様である。
「えっ、もう? 入店してからまだ20分ぐらいしか経ってないのだけれど」
「悪いな、まだまだ色んな所に行く予定があるんだ。あまり長居してられない」
6時半までにあと2つデートスポットを巡らなきゃならないからな。多少急ぐ必要がある。名残惜しそうな東堂院を連れて猫カフェを後にした。
◇◆◇
「ど、どうかしら?」
東堂院がテレた。
動画撮影会社社長の沖田さんに紹介してもらった結婚式場、そこのチャペルで清楚なウェディングドレスに身を包んだ東堂院は強烈に可愛かった。
ここでもコネを最大限使って、東堂院のウェディングドレス写真を撮りにやって来た。何も結婚しなければウェディングドレスを着てはいけないなんて法律はない。折角だからお祖母さんの望みは全部叶えてしまえばいい。沖田さんの学生時代の同級生が働いてるらしく、びっくりするぐらい格安な値段で引き受けてくれた。本来なら何万円もするだろうが、高校生のお小遣いでも払えるぐらいの“破格”だ
「綺麗だよ。着てる人間がいいからな」
歯の浮くような台詞だけど、ご機嫌取りで言ってる訳じゃない。イギリス人の血が半分流れている東堂院には本当に純白のドレスがよく似合っている。
出来るだけ派手じゃないドレスをお願いした。飾り気を最小限におさえて、清廉に、お淑やかに。賑やかなドレスは東堂院の美しさの邪魔をするからだ。
「はーい、じゃあ撮っていくんで、ブーケを胸の前に構えて貰っていいですか?」
カメラマンのお姉さんに指示されて初々しい花嫁はポーズを取る。パシャパシャとフラッシュが光って、東堂院の17歳の一瞬一瞬を切り取っていく。
「よし、彼氏さんも一緒に写りましょ!」
は?
「い、いや、俺は彼氏じゃ……」
咄嗟に否定するが、今日に限っては塾の仲間ではない。
「あら、今は私の恋人でしょ? 私だけ恥ずかしいなんてダメよ。道連れにおなりなさいな」
くっ、仕方ないか。お祖母さんに見せる写真の為だ。覚悟を決めて東堂院の隣に立ち、精一杯微笑んでフラッシュを浴びた。
◇◆
写真撮影を終えて、小さい頃によく通っていた喫茶店に向かって歩いていた。腕こそ組んでいないが、東堂院との距離は近い。二人の影が歩道に長く伸びて、残り時間が少なくなっていることを知らせる。
「ねえ稲村君、今日は全部お金を出して貰ってるけどいいのかしら? 私がお願いしたのだから払うわ」
「いいよ。ニャンクチュアリは来店ポイントが貯まってたから一人分タダだったし、写真も信じられないくらい安かったから」
来週末もスタジオを千円で貸して貰う約束をしているし、本当に沖田さんには頭が上がらないな。やっぱり人との繋がりっていうのは力で、めぐり逢いっていうのは奇跡だ。
「殿方がそう言うなら甘えておくけど、何故そこまで私にしてくれるのかしら? 貴方にメリットがあるとは思えないのだけど」
花菜と違い俺はお人好しなんかじゃなくて、奉仕活動するようなキャラじゃない。天下の東堂院に貸しを作るという下心が少しはあるが、それだけではなくて個人的な理由がある。
「ま、俺にも事情があってね。後で話すよ。さ、着いたよ」
喫茶店「あいあむ」のドアを開けると扉に付いた鈴の音がカラカラと懐かしい音を立てた。ここに来るのは6年ぶりになる。
「いらっしゃい……春ちゃん? 春ちゃんかい? 大きくなったねえ!」
壁一面の本棚には古い漫画が敷き詰められて、昔ながらの喫茶店の雰囲気に思わず表情が弛む。迎えてくれた店長のおばさんも多少シワが増えているが、ほぼ変わっていない。
「久し振りおばさん。ばあちゃんの事思い出したら懐かしくなってさ。来ちゃった。この店もおばさんも変わってなくて嬉しいよ」
この店は母さんの実家に近くて、ばあちゃんと二人で手を繋いで何回も来たんだ。
「変わってないって、お世辞が言えるようになったんだねえ。彼女かい? ものすごいべっぴんさんじゃないか」
「べっぴんさんだろう? でも彼女じゃなくてただの友達。チョコレートパフェ2つね。東堂院、あそこに座ろう」
「え、ええ。どこでもいいわ」
一番陽の当たる窓際の席がばあちゃんのお気に入りだった。俺は決まってチョコレートパフェを頼んでいた。さくらんぼの乗ったクリームたっぷりのパフェが大好きで、花菜も連れてきたことのない俺とばあちゃんの特別な場所。出来れば自分だけで占有しておきたかった、大切な思い出。
「おや、3つじゃなくていいのかい?」
「そんなに食べれないよ」
「アハハ、すぐ作るから待っててね」
椅子を引いて東堂院を座らせる。すっかりこの紳士の真似事も板についてきたな。
「ありがとう。随分お店の人と親しいのね。よく来るのかしら?」
「ばあちゃんとよく来たんだ。孫は俺一人だったからそりゃあ可愛がられて、いつもチョコレートパフェを食べさせてくれた」
「お祖母様がいらしたの?」
「そりゃいるだろ」
俺の母さんはキャベツ畑で産まれた訳じゃねえよ。
「そういう意味じゃないわ。優しいお祖母様だったのね」
「優しかったよ。ねえおばさん、ばあちゃんいつも2つもチョコレートパフェ頼んでくれたもんね」
キッチンのおばさんに声を掛けると嬉しそうに大きな声で返事が返ってきた。
「そうそう! 春ちゃんがまだ小さかった頃チョコレートパフェが2つ食べたいってワガママ言ってね」
「結局2つも食べきれる訳なくて残しちゃうんだけど、俺バカだったから来る度に2つ頼んで、毎回残して、それでもばあちゃんはいつも2つ頼んでくれてさ」
「稲村君のワガママを聞くのが楽しみだったのね」
だと思う。パフェを
「ああ。東堂院のおばあさんの話を聞いたら懐かしくなって、ここのパフェを食べたくなったんだ」
「お祖母様はご健在なの?」
「6年前に死んだよ」
「そう。じゃあここは大切な場所なのね。連れてきてくれてありがとう」
花菜の祖父母は4人ともまだ元気で、何となくうちのばあちゃんの話はしづらかった。だけど、俺もずっと誰かに知ってほしかったのかもしれない。ばあちゃんとの思い出を、あの海の様な深い優しさを。
「はい、チョコレートパフェお待たせ! 彼女さんもどうぞ」
「おばさん、だから彼女じゃないんだって。いただきます」
小学生の時に食べていたのと同じパフェが目の前に置かれた。
思い出をすくう様にそっとスプーンを入れてたっぷりのクリームを口に運ぶと、ばあちゃんの笑顔と一緒に舌の上で溶けた。
夢中で食べた。デートしてるのも忘れて夢中でばあちゃんとの思い出の味をかっこんだ。
放置してるのに文句も言わず、東堂院は俺の食べる様子をまるでばあちゃんみたいに目を細めて眺めていた。
◇
「ちょっと稲村君、まだなのかしら?」
あいあむの隣にある雑居ビル。その非常階段を屋上目指して登っていた。9階建てでしかも結構階段が急だから登るだけでもキツい。モモに鍛えられてる俺はともかく、ガリ勉のお嬢様は息をきらして辛そうだ。手すりに寄り掛かりながら何とか屋上に辿り着いた。
良かった。間に合った。
「わあ……綺麗ね」
真っ赤な夕焼けが視界に飛び込んできた。このビルからはちょうど遮る物も無くて、自分と空だけの世界になる。
「ヘリとかクルーザーから見る景色も素敵だろうけど、キツい思いして自分の足で見る夕焼けも悪くないだろ」
単なる庶民の負け惜しみだ。
でも、そんな負け惜しみにも東堂院は深く頷いてくれた。
「ええ。疲れなんて吹き飛んでしまうわ」
鮮やかな赤が世界を染める。街も雲も東堂院の綺麗な顔も、俺のセンチメンタルさえも全部平等に染め上げて、夕焼けはいつだって優しい。
「俺のばあちゃんさ、すっげー俺の事甘やかしてくれて、パフェもそうだし、小遣いも会う度にくれたんだ」
じいちゃんに先立たれて寂しかったのもあるんだろうな。目に入れても痛くないとばかりに可愛がってくれた。小学生の頃はプラモデルにハマってたから、ばあちゃんに貰った小遣いは殆どそれに消えた。
「でも6年生の時に、母さんがばあちゃんを叱ったんだよ。あんまり俺を甘やかさないでくれって」
プラモの中には一万円を超える様な物もあったし、母さんが心配したのも
「でもその時の俺は母さんから止められてるなんて知らなくて、ばあちゃんを責めたんだ。欲しいプラモがあってさ、小遣いがないと困るんだよ、金くれよって」
ばあちゃん自身もよくない事だって気付いたんだろう。俺がどれだけ駄々をこねてもばあちゃんが首を縦に振る事は無かった。
「
後悔した。酷い事を言ったと後悔した。優しくていつも俺の事を一番に考えてくれて、大好きなばあちゃんなのに。その日の夜は眠れなくて、初めて俺は自分が嫌いになった。
「でも本心じゃなかったんでしょ? ちゃんと謝ったら許してくれたでしょう」
「次の日に心筋梗塞で死んじゃったんだよ」
「……そう。残念ね」
すぐ病院に駆けつけたけど、もうばあちゃんの意識はなかった。目を開ける事はなかった。
「ベッドの上のばあちゃんに何度も何度も謝ったけど、結局届かなかった。俺は不孝行の孫で終わった」
涙が一筋流れたのは、きっと夕陽が目に染みたせい。女の子の前で泣くなんてみっともない、だから心の中で強がった。でも、東堂院はそんな風に思わないみたいで、シルクのハンカチで俺の頬をそっと拭いてくれた。
「そんな事ないわ。だって、稲村君は優しいもの」
「東堂院に色々してるのはただの罪滅ぼしだよ。出来なかったおばあちゃん孝行を東堂院のおばあさんにしようっていう、俺の自己満足さ」
俺は優しくなんかない。いつだって自分の事しか考えてなくて、独り善がりでワガママな奴だ。
「それを優しさって言うんじゃなくて? 悲しい気持ちを思いやりに変える事が出来る、貴方は優しい人だわ」
「……そうかな?」
「そうよ」
東堂院がそんな優しい言葉をくれるもんだから、折角拭いたのに更に夕陽が目に染みてしまった。
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