22ハクション 打算的アガペリズム

 終業のチャイムが鳴って各々おのおの帰り支度を始める教室。窓の外を見ればまだ茜色に染まってなくて、日の長さに季節の移り変わりを感じた。


「花菜、今日は用事があるから先に帰ってるよ」


 何の用事かは言わない。というより、言えない。


「うん、わかった。また明日ね!」


「ああ、生徒会頑張って」


 花菜は微笑みながら手を振ってくれたから、俺も手を振って微笑み返す。少しだけチクリと刺す胸の痛みから目を逸らした。


 これから東堂院と会う。


 断じて彼女に惹かれた訳ではない。同じ塾に通う仲間として協力するだけだ。そう、これは同情と友情によって突き動かされた強迫観念みたいなもの。そしてほんの少しの個人的な事情だ。


 あの日。

 東堂院に「恋人になって欲しい」と言われたあの日。一方的に断って立ち去ろうとした俺の足をあのしゃっくりが止めた。


「『どうせ演技なんだからさっさと付き合いなさいよ!」』


 花菜のくしゃみと同じ様に、東堂院のしゃっくりも文字通り「本音」だとしたら、俺に告白したのは演技だということ。


 つまり、本気じゃない。


 わざわざ恋愛感情をつついて俺を騙そうとしたのはしゃくさわるが、そこまでして俺と付き合わなければいけない理由があるという事。

 ハアと一つため息をついて、真意を問おうと東堂院の向かいに座り直した。

 以下はそのやり取り。



 ◇◆◇◆◇



「東堂院さん、俺が好きだっていうのは嘘だろ?」


 回りくどい聞き方をしても時間の無駄だ。ズバリ訊ねる。


「う、嘘じゃないわ。私は本当に稲村君の事が……」


「口説き方に品がないんだよ。俺もこの一年間君を見てきたけど、東堂院美咲は高潔の体現者だ。落ちた消しゴムを拾う仕草にさえ気品があって、椿の花の様にいつだってピンとしてる」


 庶民の俺達とは生まれも育ちも違う。彼女は生まれながらの淑女で、お嬢様としての教育をずっと受けてきたのだ。


「あの東堂院美咲がこんな下品な告白はしない。何か必死になる理由があるとしか思えない」


 東堂院に似合うのは短歌を添えた手紙とか、そんな情緒溢れる告白だろう。色仕掛けなんてキャラじゃない。

 そうだ、よく考えれば心の声しゃっくりなんて聞こえてこなくてもわかる事じゃないか。


「頭がいいのね。やっぱり貴方には敵わないわ……『本当に目敏い人ね』。でも、好意を持っているというのは嘘じゃないの。『これっぽっちも好きじゃないわ。勘違いしないでちょうだい』恋人を作らなくてはいけない事情があるのよ」


 合間合間に訂正してくるしゃっくりが悲しくなるわ。何の罰ゲームだよ。

 花菜みたいに普段ツンツンした態度の女の子が心の声でデレてくれるのは最高だけど、表向きは満更でもないような態度なのに心の声で全否定って、ガチで傷付くぞ。 

 だけど、その方が好都合だ。

 俺が好きなのは花菜だからな。恋愛感情が全くないのなら面倒臭い事にはならないだろうし、東堂院に協力するのもやぶさかではない。


「理由を聞いてもいいか?」


「お祖母ばあ様が認知症なのよ」


 目を伏せて、感情を圧し殺した努めて抑揚のない声で言うが、少しだけ震えていた。


 物心ついた頃からずっと自慢のお祖母ちゃんだったそうだ。綺麗で、いつも背筋が伸びて凛としていて、東堂院にとって憧れで、目標にしている女性。祖母に比べれば自分なんてまだまだ淑女とは呼べないと自嘲気味に笑った。


「私が小さい頃からね、お祖母様がずっと言っていたの。私の花嫁姿を見るのが夢だって。自分は結婚式を挙げられなかったけど、孫にはちゃんとウェディングドレスを着て幸せになって欲しいんだって。それを見届けてから死にたいって口癖の様に言っていたの」


 東堂院の祖父母が結婚する際はグループの経営が思わしくなく、徹底的な節約を合言葉に改革を進めていた時期だったらしい。

 本来なら東堂院財閥の跡取りの結婚式は盛大にやるべきだが、痛みを伴う改革の舵取りをしていた者として自身も結婚式を挙げなかったそう。


「きっとお祖母様のウェディングドレス姿は素敵だったに違いないわ。今だってそれはそれは綺麗な人なのよ? でも半年ぐらい前から少しずつ認知症が進行していって、今ではたまに私の事も忘れちゃうみたい」


 お祖母さんの時代なら白無垢だったかもしれないが、なるほど。完全にボケてしまう前に、結婚は無理でもせめて恋人を紹介して幸せな姿を見せたいと。


「話はわかったけど、何で俺なんだ?」


 葵の園は女子校だから出会いはないかもしれないけど、東堂院ほどの家なら社交パーティーなんかの機会も多いだろう。容姿もいいのだから言い寄られる事だって少なくないはずだ。


「上流階級の人だと本気になられた時に困るのよ。外堀を埋められると断りきれないし。それに東堂院家の弱味を見せる訳にはいかないもの」

 

 ああ、そうかも。家同士がその気になってしまったら別れるのは難しい。その点、一般人の俺なら心変わりしたと一方的に断ってもカドは立たない。


「もう一つ、私より頭のいい男の人なんて数えるほどしかいないわ。お祖父様が『美咲より優秀な男でないと認めん!』っていつも言ってるのよ。両方クリアしてるのが稲村君だったってワケ」


「ふうん、東堂院にとって俺は都合が良かったと」


 口を尖らせて少し不機嫌そうな顔をしておく。俺の純情を弄んだ事に対しては抗議しなければならない。今後の為にも対等な、それこそフェアな関係を築くためにも必要だろう。


「そう言ってしまうと身も蓋もないのだけれど、勉強に対する姿勢は尊敬しているし、見た目が好みっていうのは本当よ……『雑種犬みたいで可愛いわ』」


 雑種犬で悪かったな。どうせ俺は庶民だよワンワン。

 まあいい、東堂院財閥の一人娘に貸しを作るのも悪いことじゃない。


「わかったよ。恋人のフリをしてお祖母さんに会えばいいんだな?」


「そ、それだけじゃなくてね。実は既に稲村君と交際しているってお祖母様に話してしまっているの」


「はあ? 俺の了承も得ずに? それはダメだろ」


 財閥の娘だからってそれは見過ごせない。強い口調で嗜めるとそのキリリとした目を泳がせた。


「わ、悪いと思っているわ。お祖母様が喜んでくれるものだからつい口が滑っちゃって。で、次はデートの詳細を話さなければいけないのよ。だから、その、私とデートして欲しいの。デートなんてした事ないから今のままじゃ嘘でも話せないわ。だから私からのお願いは2つ。お祖母様と会って貰うのと、その前にデートをして欲しいのよ」


 むむ、東堂院とデートか。花菜に対して若干後ろめたいが、イチャイチャする必要はない。デートがどんなものかわかればそれでいいだろう。


「仕方ないな、じゃあ遊びに行こう。庶民的な所でいいんだよな? 上流階級の遊び場なんて俺には想像出来ないぞ」


「普通の所でいいわ。庶民の高校生カップルが遊ぶ所でいい……『わーい!』同級生はクルーザーとか『庶民のデートって憧れだったの!』ヘリをチャーターして夜景を見たりするとか言ってたけど」


 クルージングにナイトフライト? とんでもないな。ま、心の声しゃっくりの通り東堂院は普通のデートをお望みの様だからそうしようか。


「わかった、どこに行くかは考えておく。いつにしようか?」


「ありがとう。ええと、予定を確認するわ」


 こうして俺と東堂院は社会見学デート体験をすることになったのである。


 

 ◇◆◇◆◇



 花菜が生徒会室へ向かうのを見送って俺も教室を出る。


「じゃあな泰、モモ」


「ああ、また明日」

「気を付けて帰るがいい!」


 掃除当番の二人に別れの挨拶をして教室を後にする。足早に歩く俺に舞鶴の元帥が声を掛けてきた。


「稲村、ちょっといいか?」


「悪いけど人と約束しててさ。歩きながらでいいか?」


「ああ、校門までで構わない。お礼が言いたかっただけなんだ。この前はありがとな。糞人くそんちゅさんも道を尋ねたのがお前達で良かったと言っていた」


 並んで廊下を歩き出す。オフ会でどんな話をしたのか気になるが、それを聞くのは野暮か。


「それなんだけど、糞人さん無防備すぎるぞ。俺と花菜は他の人に喋ったりしないから安心していいけど、過去の話を迂闊にするなと彼女には言っておいた方がいい」


 しかも内容が過激だったからな。彼女の地元を調べればすぐにわかる事だろうけど、自分から言いふらす事じゃないだろう。


「そうだな。アイドルだもんな。注意しておくよ。そうそう、ミーチューブ見たよ。やっぱり稲村は教えるのが上手いな」


「色んな授業動画を見て研究したからね。曲使わしてくれてサンキュな」


 舞鶴の元帥にはオリジナルの曲を動画のBGMとして貸してもらった。音楽に関しては本当に著作権が五月蝿くてちまたの曲は使えないから実にありがたい。勿論、糞人さんバージョンではなくアイドロイドバージョンだ。彼女の歌声は特徴的ですぐにバレてしまう。


「お安い御用だ。早速チャンネル登録者もついたみたいだし、滑り出しは上々って所か」


「えっ? チャンネル登録?」


 若葉ちゃんの編集が終わって動画をアップしたのが昨日の夜。今朝見た時は再生回数もわずか5回でチャンネル登録はおろか好評価もついていなかった。スマホを開いて慌てて確認する。


「おお……チャンネル登録4人に好評価10件。コメントはないけど、すごいんじゃないか」


 好評価は全部呪いのダンス動画に集中してるが、この際贅沢は言ってられない。他のSNSで宣伝もしていけばもっと見て貰えるだろうし、ワクワクしてきた。思わず頬が弛む。


「こういう感じの曲が欲しいってリクエストしてくれれば打ち込みでチャチャっと作るから言ってくれよ。っと、荷物持とうか?」


 右手に北高バッグ、左手に紙袋を抱えて下駄箱の扉を開けられないでいたら舞鶴の元帥が紙袋を持ってくれた。しかし、その中身を見て固まる。


「い、稲村? 何だよこれ?」


「何って、見たまんま。宇野川商業の女子制服。ありがとう、もういいよ」


 上履きからスニーカーに履き替えて紙袋を受け取る。舞鶴の元帥が疑問に思うのももっともだが、説明するのは面倒くさい。呆気にとられて立ち止まる舞鶴の元帥を置いてそのまま校舎を出た。トトッと小走りで追い付いてくる。


「お前ヤバい事やってるんじゃないだろうな?」


「ヤバいどころか人助けだよ。ほら、あれがクライアント」


 両手が塞がっているから校門の方を顎でしゃくった。そこには大きなリムジンと気を付けの姿勢で俺を待つ執事の姿。


「リ、リムジン? やっぱりヤバい事やってんだろ!」


 俺が近付くと重厚な音と共にドアが開いて、真っ白な制服に身を包んだお嬢様が登場。スカートをちょこんと摘まんで恭しく礼をくれた。

 下校時間の校門は人通りも多い。皆ジロジロと見てくるが、当のお嬢様は素知らぬ顔。


「ごきげんよう稲村君。迎えに来たわ。早速参りましょうか」


「ああ。これ、宇野川商業の制服。着替えるといい」


 乱暴に紙袋を放り投げる。ポスンとキャッチして中身を確認するとお嬢様は表情をほころばせた。


「キャッ、庶民の制服ね!『本当に持ってるなんて気持ち悪い……』」


 しゃっくりの音が相変わらず辛辣だ。


「だから親父の持ち物だって。とりあえず前に乗ればいいか? 車の中で着替えるだろ?」


 葵の園女学院の制服姿でデートするのもマズイだろうと思って親父のコレクションから持ち出してきた。庶民的なデートがしたいと言っていたし、格好から入るのも大事だろう。うちの親父の事はほっといてくれ。


「そうね、じゃあ運転手に行きたい所を言ってちょうだい。その間に着替えておくわ」


 セレブ御用達のリムジンは後部座席が完全に個室みたいになっていて、それも普通の座席ではなく対面式のソファが置いてあったりとまるでリビングだ。広い室内は着替えるのにも適しているだろう。


「では稲村様は助手席に乗ってください。私はお着替えを手伝わせて頂きます」


 そう言って文殊四郎さんが助手席のドアを開けてくれた。男のような格好をしているが文殊四郎さんは女性だ。背も高く髪もオールバックでいつも狼みたいな表情をしているから男にしか見えないが、東堂院曰く「ちゃんとすれば美人なのよ」との事。

 ちなみにフクちゃんの叔母さんだそうだ。そりゃ文殊四郎なんて名前そういないよな。世界は思ったより狭い。


「それじゃお願いします。笹原、また明日な」


 あんぐりと口を開けて呆然とする笹原を尻目に、少し緊張しながらリムジンへと乗り込んだ。

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