21ハクション ツンデレラ・ハイカップス

 宇野川駅前のビル内にある「私立全部のせ学園」。

 俺も通うこの学習塾は名前こそ狂っているが、「同人灰スクール」や「リン・メイ・ゼミナール」と並んで全国的にも有名な一流の進学塾だ。

 いや、おかしいのは名前だけじゃないな。講師もかなり個性的な人が揃っている。大体、講師全員に二つ名がついている時点でおかしい。

 科学の“マッドネス松戸”講師は最終的に教室を爆破させないと気が済まないし、古文の“たらちね中曽根”講師はフランス語しか喋れない。皆個性的過ぎるが、何故か授業は分かりやすく毎年六大学や京大といった難関大学へ生徒を大量に送り出している。

 俺が通っているのは受験勉強の為、そして花菜に勝つ為も勿論あるが、魅力的な講師陣の授業を動画の参考にしたい部分も大きい。何人か塾公認としてミーチューブに動画をアップしている講師もいる。その生徒達を飽きさせない工夫された授業と語り口は新米ミーチューバーとしても得る物が多い。

 今日は数学講師の“マスマスター桝崎ますざき”によるマスカレードマスカレッジだ。マスクを外す事で益々ますます分かりやすくなった彼女の授業は受講するのがマストだ。ちなみに最近マスカラも変えたらしい。


「こんばんは」


 軽く挨拶をしながら教室へ入り、一番後ろの席へと着く。後ろからの方が生徒達の反応がよくわかるからだ。

 例えばずっと下を向いていた生徒が講師のどんな言葉で顔を上げるのかとか、ノートに書き写しているのにかかっている時間など、観察する事は多い。


(今日もアイツ一番後ろの席だぜ)

(孤高の狼を気取ってるんだよ。何せ一番だからな)

(何で稲村君が文科Ⅲ類なのよ、倍率上がるじゃない。ほんと、イヤミたらしいったらありゃしないんだから)


 挨拶の返事は無く、代わりにヒソヒソと俺への陰口が聞こえてくる。


 私立全部のせ学園に通い始めて1年になるが、他の生徒とは仲良くなるどころか、ずっと距離を置かれている。

 はっきり言うと俺はこの塾では浮いている存在だ。

 このクラスは東大受験を見据えた特進クラスだが、その中でも俺は一番の成績を常にキープしている。一応文系の俺は成績でいうと一番難易度が高く法学部に行きやすい文科Ⅰ類を受験するのが普通だが、俺の大学での後期志望は教育学部だ。だから比較的難易度が低いと言われている文科Ⅲ類を受ける。

 一言でいうと変わり者なのだ。

 まあ、ミーチューバーになる為に東大行くっていうのも他にいないだろうし、変わり者だっていうのは認める。

 それに俺は陰キャだ。北高では泰や萌々といった人気者が友達だから俺も陽に当たるグループだと思われているが、本来は根暗で陰気なヤツなのだ。馴れ馴れしい人間は苦手だし、今だってかげでヒソヒソするくらいならその時間に過去問題の一つでも解いて俺に追い付こうと努力すればいいのに、なんて思ってしまう。

 だからいつも塾では一番後ろの二人用の長机を一人で使っているのだ。


 べ、別に寂しくなんか無いんだからね。


 映画を観に行くにしても、花菜とデートならともかく基本的には一人でどっぷり世界にハマりながら観るのが好きだ。

 というのも、甘々の恋愛映画が好きだ。自分に置き換えてニヤニヤしながら悶えるのが好きなのだ。身体をよじらせながら脳内で「もうメチャクチャにして!」なんて言うのが好きなのである。

 そんな姿は誰にも見せられない。隣に人がいるとピクリとも出来ないから映画は大体一人で観に行く。


 だから今も寂しくなんかないのだ。ぼっち気質だから塾での一人っきりには慣れている。


 しかし、今日は違った。


「ごきげんよう稲村君。隣いいかしら?」


 金色の長い髪をなびかせてレアな挨拶をくれるのはこの塾でも二番目の成績を誇るお嬢様だ。


 東堂院とうどういん美咲みさき


 明治の時代から日本の経済を支えてきた財閥の直系の一人娘らしい。

 母親がイギリス人だそうで、毛先をくるりと巻いたストレートカールの派手な金髪に負けないくらい美しい顔をしている。と言っても海外セレブの様な彫刻みたいな美しさではなく、ハーフらしい日本人にも好かれる様な柔らかい美しさだ。

 

「どうぞ。珍しいね。俺に何か用?」


 この塾で目立ちたくはないのだが、断るのもカドが立つ。隣の椅子を引いて彼女が腰を下ろすのを見届けた。


「ありがとう。意外に紳士的なのね。もっと無愛想な人かと思っていたわ」


 彼女についてある程度の事は知っているが、ただ風評を耳に挟んだに過ぎない。お互いちゃんと話すのはこれが初めてだ。

 

「そりゃ天下のあおいその女学院のお嬢様には媚びへつらうさ。俺も自分が可愛いからね」


 今だって他の生徒達の視線は俺達に釘付けだ。俺なんかは勉強が出来るだけの一般ピープルだが、東堂院美咲は本物のご令嬢で味方も多い。彼女自体も敵に回したくないが、失礼な態度を取れば多くの敵を作る事になるだろう。


「あら、それを言うなら天下の稲村春太郎ではなくて? 私は生まれた家がたまたま東堂院だっただけよ。一度も貴方に勝った事はないわ」


 その生まれた家が凄すぎるんだよ。大体、葵の園女学院は成績が良いだけじゃ入れない。生徒は財界や政界の箱入り娘ばかりだ。東堂院が着ている白を基調に紫のラインが入った制服もイタリアの有名デザイナーが手掛けた1着50万円以上する代物らしいし、本当なら俺が口をきけるような人物じゃないだろう。


「この塾で1番でも、北高では2番だし全国じゃもっと下だよ。で、何でまた俺の隣に?」


 謙遜しておくが、実際俺の方が上なのだから謙遜し過ぎてもかえって彼女を貶める事になってしまう。程々にして話題を戻した。


「相談があるの。講義が終わってからお茶でもしない? 奢るわ」


 俺なんかに相談? 勉強で行き詰まってるのか?

 思えば俺と花菜は北高でも頭一つ抜けていて、同じ学力の人間と話した事ってないんだよな。花菜は頭の作りが違うから参考にならないし、たまには近いレベルの同学年と話すのもいい刺激になるかもしれない。


「わかった。そんなに遅くならなければいいよ」


「本当? ありがとう」


 俺の返事にニコリと笑う。

 財閥の娘っていうレッテルがあるからもっと高飛車で取り付くシマもないかと思っていたけど、話してみるとそうでもないんだな。


「はーい皆さんこんばんはー! マスタークラスの授業を始めますよー!」


 お茶の約束をした所でマスマスター桝崎がニジマスのなますにマスタードをマスキングしながら登場。インパクト絶大な彼女の授業に俺も東堂院もすぐにのめり込んでいった。



 ◇◆◇


 マスマスター桝崎の講義が終わり、俺は放心状態。


 凄かった。


 まさかマスメディア対応まで視野に入れたマスプロ教育とは……まるでマスゲームを見ているかのような講義だった。今も余韻が残って麻酔銃を撃たれたかのように頭はポーッとしている。


「稲村君」


 ああ、マスマスター桝崎先生は動画を挙げてないんだよな。見てみたいなあ彼女の動画。マスクメロンの様に甘く、マスカットの様に爽やかな授業は高評価がつくに違いないだろう。


「稲村君!」


 おっと。隣に東堂院さんがいたのを忘れていた。彼女のピンと張った琴の音色の様な声が俺の意識を戻す。


「あ、ごめん。ボーッとしてた。じゃあ行こうか」


 北高バッグに勉強道具を突っ込んで立ち上がる。彼女の後ろをついていこうとするが、彼女も俺の顔を見るばかりで動かない。


「ご免なさい、私この辺りのお店は詳しくないのよ。出来ればエスコートしてくださると有り難いのだけど。勿論普通のお店でいいわ」


 そりゃそうか。東堂院財閥のご令嬢が駅前のカフェなんて行く訳がないのだ。


「ああごめん、こちらこそ気が利かなかった。俺がいつも勉強に使ってるカフェでいいかな?」


「ええ、構わないわ。お願いします」


 そう答えると彼女はスッと俺の腕に両手を回した。


 ファッ?


「と、東堂院さん?」


「エスコート、してくれるんでしょ?」


 上流階級のエスコートってのはぶっ飛んでやがるな。渋々彼女を伴って教室を出る。周囲の視線を二人占めだ。

 はあ、目立ちたくないんだけどなあ。

 それに、あのね、近いんだよね。いい匂いがするんだよね。きっとシャンプーなんかも高級なスゴいヤツなんだろうね。否が応にもドキドキしてしまうのね。だってね、当たってるのよね。


「東堂院さん、その、当たってるんですが」


「何が?」


 おっぱいが当たってるんだよ金髪巨乳お嬢ビッチが! なんて言えるはずもない。


 だって、当の本人が素知らぬ顔。何食わぬ表情。どこ吹く風。


 へもん。


 そう、へもんだ。


 俺の腕に押し当てられたその豊満な胸はへもんと形を潰している。


 潰れるほど、あるのだ。

 だって無いものは潰れないからな。起業してなければ会社だって倒産もしないし、梱包マットのプチプチも中に空気が入ってなければ潰れやしない。

 

 間違いなく、東堂院の胸には夢と希望が詰まっている。


 俺は花菜が好きだ。花菜の自己主張しない胸が大好きだ。普段変態じみた発言は自粛しているが、俺だってヤりたい盛りの高校生だ。付き合ったら花菜のおっぱいだって揉みしだきたい。慎ましやかな幼馴染みのおっぱいだって大変に魅力的なのだ。それは間違いない。


 だけど巨乳は別腹なんです。


 恐らくモモと同じくらいだと思うが、モモをそういう目で見たことはない。しかし、東堂院は明らかに俺を男として認識し寄り添っている。どうしても反応してしまう。


 無だ。


 心を無にして階段を降りる。

 

 俺は僧なのだ。花菜道に一生を捧げた僧。煩悩は邪魔でしかないのだ。


「稲村君、ちょっと止まってくださる?」


 ビルを出た所で俺の腕からパッと手を離し、立ち止まる。


「お帰りなさいませお嬢様」


 ビルの真正面の道路に堂々と駐車する黒塗りのリムジン。如何にも執事といった格好の青年がドアを開けて東堂院を待っていた。俺に気付いて少しだけ目を細める。


文殊四郎もんじゅしろう、1時間後に迎えに来なさい。友人とお茶をしてくるわ」


 文殊四郎という変わった名前に嫌な予感しかしないが、俺の知り合いの文殊四郎フクちゃんとは全然似ていなかった。髪をオールバックにして目付きも鷹の様に鋭く、恐らく警護の役も兼ねているのだろう、隙のない人物だった。


「かしこまりました。ですがお嬢様、先程の様な距離感はご友人に対するものではございません。周囲の目もありますのでご注意ください」


「知らないわそんなもの。私は私の好きなようにやるだけ。それに、稲村君は私より優秀よ。お爺様の持論で言うと私が敬うのも当然じゃなくって?」


 強いな東堂院。執事さんはぐうの音も出ない様子。


「失礼しました。では一時間後にまたこちらにお迎えにあがります。ご友人、くれぐれもお嬢様をお願い致します」


 深くお辞儀をしたまま固まる。多分俺達の姿が見えなくなるまで頭を下げ続けるのだろう。


「わかりました。東堂院さんから相談を受けるだけなので安心してください」


 なんたって今の俺は僧だからな。おっぱいを押し当てられても後で思い出すだけだ。うん、思い出すよ。だって別腹だもん。


「じゃあ、行こうか」


「ええ」


 また同じ様に俺の腕に手を回してこようとするが、サッと離れてそれをかわす。


「上流階級では当たり前なのかもしれないけど、やっぱり初めて話す間柄でこれはおかしいと思う」


 よし、言ってやったぞ。東堂院にとっては挨拶みたいなものなのかも知れないが、俺が好きなのは花菜だ。他の女性には目もくれないのだ。


「あら、そうなのね。世間知らずで恥ずかしいわ」


 そう言って切れ長の目を更に細めて、小悪魔っぽく微笑した。ちっとも恥ずかしそうではない。

 その微笑みの真意が見えないまま、密着していた先程とはうってかわってわざとらしく一人分距離を開けて歩く。


 だめだ、俺はもう意識してしまっている。

 これはきっと、誘われている。


「さあ着いたよ。注文の仕方はわかる?」


 怒濤流どとうるに到着。本当に庶民的なカフェに来てしまったが大丈夫だろうか。


「大丈夫よ。ここは初めてだけど、葵の園では社会見学でこういうお店に皆で来るのよ」


 怒濤流が遠足なのか。すげえな葵の園。


「お決まりでしょうか?」


 東堂院はメニューを凝視して悩んでいる。先に注文してしまおう。


「ベンティバニラアドショットチョコレートソースアドチョコレートチップアドホイップマンゴーパッションフラッペチーノをツーフィンガーで」


 春らしく爽やかなマンゴーのフラッペにしよう。


「かしこまりました! ベンティバニラアドショットチョコレートソースアドチョコレートチップアドホイップマンゴーパッションフラペチーノをツーフィンガーですね! 450円になります!」


「え? 呪文?」


「いや、普通に飲み物の名前だけど?」


「庶民の飲み物って難しいのね、見くびっていたわ。ご免なさい、おすすめを教えてくださる? わからないからそれにするわ」


 生まれながらのお嬢様だからな。仕方ないだろう。


「えーっと、コーヒーがいい? 紅茶がいい? 俺はマンゴーのジュースにしたんだけど」


「紅茶がいいわ」


「甘いの? 甘くないの? 甘い方がおすすめだけど」


 ここの飲み物はとにかくトッピングを入れまくってワケわかんなくするのが美味いのだ。


「せっかくだから甘いのにするわ」


「了解。すみません、ソイオールミルクアドリストレットショットノンシロップチョコレートソースアドホイップフルリーフチャイティーラテをシングルショットで」


「かしこまりました! 合計で1080円になります!」


 注文するのにこれじゃあ会計だって出来ないだろう。無言で財布を取り出すが、東堂院が俺をいさめる。


「困るわ稲村君。私が奢ると言ったのだから奢らせてちょうだい。東堂院の人間に二言はないの」


 そう言ってスマホを出すとリーダーにかざしてピッと支払ってしまった。なるほど、便利な世の中になったものだ。


「キャッ、楽しい! 光ったわ! 実はお店で支払いするのって初めてなのよ」


 東堂院は無邪気に笑う。不覚にもその姿を可愛いなんて思ってしまった。


 これはまずい。

 気を引き締める。心の奥に、そっと花菜の笑顔を思い浮かべる。


「奥のソファ席が空いてるみたいだからそこで話そうか」


 相談、と言っていたし、なるべく聞かれない方がいいだろう。飲み物を受け取って奥のソファに向かい合って座る。


「いただきます。うん、美味い」


 断ってからストローを吸い上げる。マンゴーのフラッペにチョコチップやホイップクリームなんて合わないと思うかもしれないが意外に合うのだ。マンゴーの強烈な香りがトッピングに負ける事なく主張し続ける。


「こういう飲み物も初めてだから緊張するわ……ん! 美味しい!」


 東堂院は不安そうに口をつけるが、やがて眉を上げて喜色を浮かべた。良かった、どうやらご令嬢の口にもあったようで一安心だ。


「だろう? ただでさえ香りが高いチャイティーラテにカルダモンと八角をブレンドしたフルリーフティーをチョイス、そしてシロップの代わりにチョコソースを入れる事で甘さにコクを持たせてあるし、それに本来は水とミルクで淹れる所をオールミルクにする事で濃厚に仕上げてあるんだ。不味い訳がない」


「へえ、素敵ね」


「ああ。意味もなく名前が長い訳じゃないんだ。ちゃんとそれぞれ意味があって、ツーフィンガーっていうのは……」


「違うわ。飲み物じゃなくて、素敵なのは貴方」


「ファッ?」


 薄々感じてはいたが確信に変わる。


 俺は誘惑されている。


「だって、私なんかに気を使ってくれてるって事でしょう。話すのだって初めてで、注文の仕方もわからない様な変な女、普通ならイヤでしょうに」


 そんな事はない。客観的に見て彼女は魅力的だ。住む世界はちょっとズレてるかもしれないが、それを差し引いてもお釣りがくるぐらいに、東堂院は可愛い。


「そ、相談って何?」


 これ以上は危険だ。さっさと相談に乗ってサヨナラすべきだ。


「単刀直入に言うけど、私と恋人になって欲しいの」


 ほら、来た。

 想定内の、予想外。


「な、何で?」


 思わず声がうわずってしまう。


 毎日花菜に告白くしゃみされている俺だが、花菜以外の女性に口説かれるのは初めてだったりする。耐性なんてない。


「稲村君が好きだからよ」


「何で? 話したのも今日が初めてだろ?」


「私はずっと稲村君を見つめていたわ」


 恥ずかしがる素振りも見せず、キッパリと言い放つ。

 やっぱり自分に自信があるのだろう。下手な小細工をせずに真っ向勝負が一番効果的だとわかっているのかもしれない。

 ただありのままに好きだと伝えるのが彼女の最強の矛なのだ。

 上目使いでテーブルの上に腕を組んで、その上に胸を乗せて豊満なバストを強調する。

 世間知らずに見えて、策士。

 お嬢様は実にしたたかで、可愛い。べらぼうに可愛い。


 でも、花菜の方がもっと可愛い。


「東堂院さん。悪いけど、俺にはずっと好きな女の子がいるんだ」


 一瞬だけ表情が曇る。けどすぐにお嬢様ぜんとした凛々しい顔に戻る。


「好きな子がいるって言い方だと、まだ恋人じゃないんでしょう?」


「今の俺は彼女に相応しくないんだ。けど、俺の人生は彼女に捧げたいと思ってる。来月にはその資格を手に入れて、告白するつもりでいる。もう何年も頑張ってきたんだ。彼女の為に俺が存在するんだと思っている。君とは付き合えない」


 ハッキリと、キッパリと。

 俺の意思を明確に伝える。


「それは私の評価ではないわ」


 でも、引き下がってくれない。


「それはそうだけど、今の俺には他の女の子なんて見えないんだよ」


 花菜が全て。大袈裟でも何でもなく、俺の生きる理由。


「イヤよ。私に問題があるならそうですかと納得するけど、巡り会うタイミングの話なら納得出来ないわ。せめて、私という人間を知ってからちゃんと振って欲しい。じゃないとフェアじゃないわ」


 フェアもなにも、恋愛なんて思い込みで独りよがりでただのエゴだ。フェアなんて言葉、こと恋愛に関しては実に滑稽でナンセンスだ。


「大体、俺なんかをどうして東堂院さんが好きになるのさ」


 わかっている。人を好きになるのに理由なんてないって事は。けど、人はそれを言葉にしなきゃ気がすまない生き物な訳で。


「頭が良いもの。付き合うなら私より頭が良いっていうのが最低条件。でも稲村君はそれなのにちっとも偉そうじゃなくて、今の自分に満足しないでずっと高みを目指しているでしょう? 素直に尊敬するわ。それに、見た目だって好みなのよ?」


「見た目? 別に特に秀でてる訳じゃないだろ?」


「あら、濃い眉も男らしくて、だけど目はパッチリで可愛らしくて、実に誠実そうよ。私は好きだわ」


 好意を伝えられるのに慣れていない。まして、容姿を誉められるなんて耐性が有る無しどころの話じゃない。

 それでも花菜への想いが揺らぐ事はないが、一ミリでも裏切る訳にはいかない。


 俺にとっての一番は花菜で、唯一。


「とにかく、俺の気持ちは変わらない。キツい言い方だけど、君になびく事はない。自分の分は払うよ」


 500円玉をテーブルに置いて席を立つ。そして急ぐように東堂院に背を向けた、その時だった。


「待って、まだ話は……『どうせ演技なんだからさっさと付き合いなさいよ!』」


「え? 何て言った?」 


 東堂院の言葉に大きな違和感。デジャブの様な違和感に思わず振り返る。


「ご免なさい、しゃっくりが出てしまった……『私と付き合えるんだから喜びなさいよ庶民!』私、1度しゃっくりが出ると止まらなくなっ……『いいから私を愛しなさい!』」


 まさか。


 暑い訳じゃないのに頬を冷や汗がタラリと流れる。


 そう、しゃっくりをすると心の声が漏れてしまう、東堂院美咲は特異体質だったのである。

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