19ハクション 真摯な昼下がり
週末、昼下がり。
「ふあ~あ。すっかり暖かくなったな」
花菜と二人で出掛けていた。春の陽射しがポカポカと優しくて思わずあくびが出てしまう。
「ホント過ごしやすくなってスイーツ日和だね! アフタヌーンティーセット楽しみだなあ」
どんな天気をスイーツ日和というのかわからないが、好きな人と並んで歩く週末ならそれだけで何でも日和だ。なんだって楽しくなるに決まっている。
「俺アフタヌーンティーって初めてなんだよね。見たら感動しそう」
先日学校帰りに皆で寄った喫茶店「天凰院夢GEN楼」は週末の午後限定でアフタヌーンティーセットを販売しているらしい。スイーツに目がない花菜に誘われてお店に向かって歩いていたところだ。
「私も初めて! 3段だもんね! すごいんだろうな。テンション上がってきちゃった」
アフタヌーンティーセットとはスイーツやフルーツを載せたお皿を3段に積み上げた、何とも豪華でボリューミーなデザートだ。写真では見たことがあるが食べるのは初めてで朝からワクワクしている。特に花菜はお昼を抜いてきて、期待に膨らませた胸とペシャンコになったお腹で準備万端だ。
そんなルンルンな俺達だったが、不意に掛けられた声に足を止めた。
「あの、すみません。道をお尋ねしたいのですがよろしいでしょうか?」
女性が道を尋ねて来た。紺色のキャスケット帽を被り、高級ブランドの大きい丸型サングラスをかけている。
まるで芸能人の変装だ。
服装も水色のブラウスにハイウェストの黒の幅のあるズボン、少しヒールのある黒のパンプスと大人びていてまるでモデルみたいだった。黄色のワンピースに色落ちした古着風のGジャンを羽織った花菜も可愛らしいが、この女性は花菜にはない洗練された雰囲気を
「構いませんよ。この辺りなら大体わかります」
「ありがとうございます。天凰院夢GEN楼という変わった名前の喫茶店に行きたいんです」
垢抜けた雰囲気に合わない、聞き覚えのある甲高い可愛らしい声で彼女は言った。
もう嫌な予感しかしない。
「私達も天凰院夢GEN楼に行くところだったんです。よかったら一緒に行きますか?」
気付いてないのか、花菜はそう清川つぼみに答える。
あれから俺も気になって清川つぼみについて動画を見たり、ネットで色々調べてみた。
今日はトレードマークであるサイドテールではなく髪を下ろして帽子も被っているが、何より特徴的なそのアニメ声が目の前にいるこの女性が清川つぼみであることを主張している。
「本当ですか? じゃあお言葉に甘えて、お願いします」
「はい、ついてきてください。ひょっとしてアフタヌーンティーセットがお目当てですか?」
本当に気付いていないようだ。清川つぼみがこんな所に来る理由なんて一つしかないだろうに。
「いえ、人と待ち合わせをしていて。アフタヌーンティーセットが有名なんですか? 私甘いもの大好きなんです!」
考えてみれば笹原が女の子と会うお店なんて知っている訳がないのだ。彼女が芸能人という事を考えればいくら変装しているとは言えファミレスみたいな騒がしい所は選べないだろうし、その点天凰院夢GEN楼は静かで落ち着いた雰囲気だ。店の奥には仕切られた半個室みたいなスペースもあるし、確かに清川つぼみと会うのに適していると言える。
「私達もそこのアフタヌーンティーセットは初めてなんです。でもこの間食べたシフォンケーキは美味しかったですよ。スイーツ全部お店で手作りなんですって」
「へえ。これから会う人にそのお店を指定されたんですけど、いいお店みたいですね。意外だなあ。あの人、そういうのに詳しく無さそうだったから」
泰おすすめの店だからな。名前とウェイトレスは変わってるけど、紅茶も本格的だし俺達もこれから通いそうだ。
それにしても、笹原の相手が本当にアイドルの清川つぼみだったとは。
笹原もテレビは殆ど見ないらしいから
しかし、宇野川09は売れなかった。2年ほど活動していたが、新曲を出しても鳴かず飛ばず。そこで9カ月ほど前、メンバーを40人に増やし、グループ名を「
そして応募者の中にいたのだ。
清川つぼみが。
その類い
自己紹介では甲高いキャピキャピとした女の子らしい声だったのに、歌い出すと豹変する。
まるでセイレーンだ。その海鳴りの様なハスキーボイスで聞く人全てを虜にしてしまう。
当然の様に清川つぼみはオーディションに合格し、再出発した
半年前に清川つぼみをメインボーカルに据えた新曲を発表すると、瞬く間に100万枚のセールスを突破。
そんな歴史があって、
詳しそうに語っているが、俺も知ってた訳じゃない、全部ネットで調べた事だ。ま、俺が言いたい事は一つ。
「ウンコ臭いとしか読めねえんだよ!」
「春太郎?」
やってしまった。つい大声でツッコんでしまった。ツッコミ職人としての血が騒いでしまった。って誰がツッコミ職人やねん。
「字面がおかしいだろ! ゼロがいい仕事しすぎなんだよ! どう見ても
「どうしたの? 何でいきなり
「あ、バレてました? 私もあの字面はヤバいと思ってる一人なんですけど、もうあれで売れちゃいましたからねえ」
苦笑しながらサングラスを外した。凛としたボーイッシュな瞳と眉に花菜もようやく清川つぼみだと気付く。
「あー! 清川つぼみちゃんだ! って事は、オフ会って今日……っと、余計な事言っちゃった」
慌てて口を
「オフ会って、何で知って……あ、北高の人だ! なるほど、どおりで顔見たことあるなあって思ってたんです。稲村さんと杉野さん、ですよね?」
何で俺達の事を知ってるんだよ。笹原は何を話してんだ。
「稲村は俺ですけど、舞鶴の元帥そんな事まで話してるんですか?」
「プッ、学校でも本当に舞鶴の元帥って呼ばれてるんですね。フフフ。実は送られてきた写メがクラスの集合写真だったんですよ。自撮りに自信がないとか言って。ほら」
そう言ってスマホの画面を見せてくれた。確かに俺達のクラス写真だ。中央、満面の笑みで写る蒲ちゃんが鬱陶しい。
「あいつ、俺達の個人情報を……」
悪い事だとも思ってなさそうだな。後で一言注意しておこう。
「学校の事やクラスの友達の事も色々話してくれました。中でも稲村さんと杉野さんは頭いいのに気取ったところがなくて、いつも漫才みたいな事してるって」
「個性的な奴等が多すぎて、ツッコミが追いつかないだけです。舞鶴の元帥も何の変哲もない普通の奴かと思ったら無茶苦茶キャラ濃いし」
「ですよねえ。あの口調は独特ですもの。でも、優しい人です。クラス写真を見せてくれたのも学校の事を話してくれたのも、全部私の為なんです。私、高校中退しちゃってマトモに学校って行ってなかったんです。けど、やめちゃったこと後悔してて。今は仕事があるから無理だけど、本当は高校に行って青春したかったなあって
想像に容易い。糞人さんに喜んで欲しい一心で俺達の事を話したのだろう。あいつよく喋るからな。
笹原に相談を受けたとき、普段糞人さんと話すときはどうしてるのか気になって聞いてみた。すると、インカムを着けると人が変わったようにスラスラと言葉が出てくるようになると返ってきたのだ。意味がわからなくて試しにインカムを着けさせてみたのだけど、凄かったな。マシンガンの様に喋り続けた。あの時の雛岸の実にウザそうな顔が忘れられない。
以下はその時の様子だ。
◇◆◇◆◇
「デュフフ。雛岸殿は健気で本当に可愛いでござるなあ。その毒舌もひとえに稲村氏に頼れる男になって欲しいからでごさろう? フカヌポゥ」
雛岸を対面に座らせて笹原にはインカムを着けさせたのだが、まあ喋る喋る。
嘘みたいだ。完全に人格変わってるぜ。
「はあ? 何言ってるんですかオタク侍! 生まれてくる時代を間違えてますよ」
「コポォ辛辣。いやはや、照れ隠しだと思うとその毒舌も癖になるでござるなあデュッフェルポルスココ」
「もうやだあ! それだけ話せるならもうインカム着けて会えばいいじゃないですか」
すげえ。あの雛岸を困らせてる。
「むむ? それもそうでござるなあ。思えば糞人氏はインカムを着けた拙者としか話したことがないでござるし」
「そうだね。さっき私と練習した時全然話せなかったもの」
雛岸の前に花菜と向かい合わせて練習させてみたのだが、下を向くばかりで見事に一言も話せなかった。
「その節は失礼したでござる。杉野氏の様な可憐な
「はあ? 可憐な会長の前では話せないけど、私は可憐じゃないから話せるって事ですか?」
雛岸が突っかかるが、オタク侍は何食わぬ顔で受け流す。
「確かに可憐ではござらぬな」
「ムキー! どうせ私は可愛くない……」
「雛岸殿は美麗でござる。杉野氏が花なら雛岸殿は月でござるな。杏殿は太陽でござる」
なんだこいつ。ホストか。
「美麗……そ、そんな事言われたって嬉しくなんかないんですからねっ! 勘違いしないでくださいねっ!」
言葉とは裏腹に雛岸は目尻を下げて実に嬉しそうだ。なるほど、雛岸はお子ちゃまだから誉められるのに慣れてないんだ。フクちゃんは誉め殺しスタイルでどんどんアプローチした方が良さそうだ。
「フハハハ! 私は太陽か! セイヤも良いことを言うな!」
「拙者は客観的事実を述べただけにござる」
何だこいつ、師匠と呼ばせてください。
こうしてオタク侍は俺達の中でジゴロ侍と認識を変え、オフ会ではインカムを持っていくという事に決まったのだ。
◇◆◇◆◇
「さ、着きましたよ」
天凰院夢GEN楼に到着。清川さんも帽子を深く被り直し、店内に入る。
「舞鶴の元帥いるかな?」
店内をキョロキョロと見渡してみるが笹原の姿はまだない。待ち合わせには30分前に来て心の準備をしておけと言ったのに。
「あ、いないと思います。待ち合わせは3時なんで」
まだ2時前だ。いくらなんでも早すぎる。
「舞鶴の元帥さんに会えると思ったら居ても立ってもいられなくて、早いけど来ちゃったんですよねえ。場所もわかるか自信がなかったし」
……何か弱味でも握ってんのか笹原。人気絶頂のアイドルがここまで笹原に入れ込む理由って何だ?
「じゃあ奥の半個室スペースをおさえておきましょうか。そこなら誰にも気付かれずにゆっくり待てますよ」
「ありがとうございます。お願いします」
ウェイトレスさんにお願いして奥のスペースを使わせてもらう。衝立の奥にあるスペースは2人掛けの席が2つ。片方に俺達が座れば清川さんも安心だろう。俺も笹原が来る前に色々聞きたい事があるし。
「アフタヌーンティーセット3つ、紅茶はダージリン2つにアールグレイですね。かしこまりました」
まだ一時間もあるし、清川さんもアフタヌーンティーセットを頼んだ。初対面の男の前でアフタヌーンティーセットを食べるのは勇気がいるから、笹原が来る前に食べてしまおうという算段らしい。俺からしたら好きなものを食べてる女の子を見るのは好きなんだけど、乙女心というのは複雑なものだ。
「今日はつぼみちゃんお休みなんですか? 今ってお忙しいんじゃないですか?」
花菜の疑問も
雛岸によると
「あー、これ内緒なんですけど、今日は体調不良って事でお仕事キャンセルしたんです」
「ええ? 大丈夫なんですか?」
「バラエティー番組の収録にはアゲハさんに代わりに行って貰ったんで大丈夫です。元々アゲハさんバラエティー出たかったみたいで感謝されちゃいました。『ありがと、もっと休んでてもいいよ』って。それに、体調不良っていうのは本当なんです。舞鶴の元帥さんに会えると思ったら熱っぽくなって、息苦しくなって、こんなんじゃ仕事出来ませんから」
アゲハとは宇野川
それにしてもだ。
「あの、失礼ですが、舞鶴の元帥とはどういう関係なのでしょうか? まさかあの清川つぼみがあんな普通の高校生に、その、首ったけになる理由がわからないのですが」
笹原が普通かと聞かれると普通ではないな。今度は「ガンドラ」の世界大会に日本代表として出るらしいし、ゲーマーにとっては憧れの存在かもしれない。それにインカムを着けたアイツは紳士だ。
「舞鶴の元帥さんと出会ったのは私がまだ清川つぼみになる前です。つぼみは本名ですけど、清川は芸名なんです」
公開オーディションでは名前は公表されず番号で呼ばれていた。受験番号771が清川つぼみとして発表されたのは
「私、いわゆる不良だったんです。人様に迷惑かけるような事はしていないつもりですが、親には散々迷惑をかけたと思います。高校もすぐに行かなくなって、しばらくして家出をして、そこで色々あって人間不信になって実家に泣きつきました。それからは家から出ずにずっと引きこもっていたんです。手慰みに『提督ロワイヤル』を始めて、舞鶴の元帥さんと出会いました」
とんでもない事を話す。今や清川つぼみの過去なんて週刊紙
「私、地声がこんなだから男の人がいっぱい寄ってきて、そこでも騙されそうになったんですけど、舞鶴の元帥さんが助けてくれたんです。彼は私の事を別段女扱いしないで、あくまで一人のプレイヤーとして優しく接してくれました」
それから笹原と清川さんはチームを組む様になって仲良くなったという。そしてある日、自作の曲を送ってくれたのがターニングポイントになった。
「舞鶴の元帥さんの曲にすっごい感動して、思わず一緒にゲームやってる時に口ずさんだ事があるんです。それを聴いてくれた舞鶴の元帥さんが『ござるござるござる!』って誉めてくれて!」
ござるって誉め言葉なんだな。
「それから元帥さんの曲に歌を入れさせて貰う様になったんですけど、歌ってたら不意に思い出しちゃったんです。そう言えば私、幼稚園の頃アイドルになりたかったなあって。フフッ、笑っちゃいますよね?」
小さい頃の夢なんて他愛もない笑い話だ。俺なんて錬金術師になりたかったからな。
「でも元帥さんは笑わなかった。『なれるでござるよ!』って普通に言うんです。その言葉に背中を押されて、私は久しぶりに自分の部屋を出て宇野川09のオーディションを受けました」
宇野川09を選んだのは公開オーディションだったのが大きな理由らしい。テレビでオープンにされる事で騙される事もないのではないか、そう考えたようだ。
「元帥さんが作って私が歌った曲、聴いてくれました?」
「は、はい。スゴかったです。個人的には
「フフ、嬉しい。元帥さんがいなかったら清川つぼみはいなかった。あれが清川つぼみの原点なんです。だから、元帥さんは特別な人なの」
キラキラと輝くその目は見た事がある。
モモが泰の事を話すときと同じ。そしてたまに花菜が俺に見せてくれる眼差し。
「なるほど、無粋な事を聞きました。すみませんでした」
「いえ、照れちゃいますね。オフレコでお願いしますね。元帥さんも私の事をそういう対象として見てくれてると嬉しいんだけどなあ。無理かなあ」
とっくに笹原は清川さんに夢中になってる。けど、それは俺が伝える事じゃない。笹原の口から伝えなければ意味がない。
「お待たせしました、アフタヌーンティーセットになります」
俺達の前に3段の豪華なデザートプレートが置かれ、花菜は心底嬉しそうに目を細めた。昼御飯を抜いてきたからもう理性が保てないのだろう。「いただきます!」と手を合わせて勢いよくスコーンを口に運んだ。
「おーいし~!」
花菜は満面の笑みを見せるが、清川さんは食べずに固まっていた。その視線は店の入り口に固定されている。
想い人が到着したようだ。
笹原はまさかもう清川さんが着いてるとは思ってないから、キョロキョロしてどこに座ろうか考えている風だった。その様子にあのツッコミ職人のウェイトレスが気付いてこちらへと案内する。
やがて仕切りの奥へとやって来た笹原は俺と花菜に気付いて驚いた。
「稲村と杉野? 何でお前らがここに?」
「偶然清川さんに道を尋ねられたんだよ。俺達の事はいいから、ほら」
早く清川さんにその顔を見せてやれと顎をしゃくる。
笹原はハッとして、ソファに座った清川さんに向き直った。
「あっ……あの、
「は、はい! 糞人こと、
清川さんも立ち上がって、気をつけで挨拶を返した。2人とも酷く緊張している。
「お、俺も会えるのを楽しみにしていました。座ってください」
どうやらインカムを着けていないみたいだ。忘れたのだろうか。
「あ、あの、糞人さん。俺はゲームをやってると口調が変わるというか、別の人格みたいになってしまうんです。でも、本当の俺は口下手で、女性と話すのが苦手です」
そうだ。だからインカムを着けて会うんだって決めたじゃないか。
「だけど、貴女には本当の俺を知って欲しい。その、上手く話せないかもしれないけど、頑張って話すから、よろしくお願いします」
恥ずかしい。
俺は自分が恥ずかしかった。きっと花菜もそう思ってるだろう。
勿論、インカムを着けた笹原だって笹原には違いない。だけど、本人は本当の自分で延田つぼみと向かい合いたいのだ。必死に言葉を考えて、自分の想いを自分の言葉で伝えたいのだ。
「花菜、席変えてもらおうか」
「うん、そうだね。スミマセーン!」
ウェイトレスを呼んで引っ越しの準備だ。ついでに奥のスペースに他の客を入れないようにお願いしたら快諾してくれた。この店は本当にいい店だ。
「い、稲村?」
「俺達が聞いていい話じゃないだろ。じゃあ、ごゆっくり」
精一杯カッコつけた後、親指をビッと立てて友の武運を祈った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます