15ハクション アフターカーニバル

「フンフンフ~ン♪」


 花菜はご機嫌だった。

 ずっとニコニコ。鼻唄まじり。

 肌もツヤツヤして調子はすこぶる良さそうだ。


「あっした~は♪ にゅうがっくっしっき♪」


 オリジナルソングまで歌い出す始末。軽快にパイプ椅子を並べていく。


 4月5日。

 北高では新3年生と生徒会役員が登校して翌日の入学式の準備をする日だ。

 蒲ちゃんの指揮のもと、手分けして体育館のセッティングを進めていた。


「ふぁ~……ねむ」


 ウキウキの花菜とは対称的に俺は寝不足と自己嫌悪で憂鬱だった。クマも酷いし、寝てないから体の節々が痛い。


「稲村! あくびの前に手を動かせ!」


「へ~い」


 蒲ちゃんから注意を受けるが俺の頭は切り替わらない。力のない返事しか返せなかった。


 昨日の唇の感触が今も残り続けて。

 昨日の花菜の匂いが頭から離れなくて。

 必死に煩悩を振り払おうとするけど、次は罪悪感が押し寄せてくる。


 花菜が上機嫌なのが唯一の救いだ。


 俺とのキスであそこまで笑顔になるのだ。

 ならば俺のやることはたった一つで、至って明確。

 中間テストで一番になって、胸を張って告白して、堂々とキスをする。


 その為に今日の準備は適当にこなして夜の勉強に力を温存しておこう。

 なに、俺が手を抜いてもご機嫌の花菜が3人分ぐらい働いている。それに花菜の仕事っぷりに触発されたのか、皆きびきびと動いていた。

 これなら予定より早く準備も終わるだろうと思われたが、突然放たれた花菜のくしゃみ爆弾が時を止めてしまう。


「フフフ~ン♪ ハッ、ハッ、『春太郎にキスされちゃった!』」


 ガタガタガタガタガタ!!!


 まるでコントの様に全員が一斉にパイプ椅子を落とし、騒がしい音が体育館に響いた。そして全員の視線が俺に突き刺さる。

 目で真偽を問い詰めてくるが、頷く事も首を振る事も出来ず俺は固まってしまった。

 しばらく沈黙が続いたが、痺れを切らしたように花菜の近くにいたギャルっぽい同級生の大曽根おおぞねさんが問い掛けた。花菜とは特に仲が良い訳ではなかったと思うが、この場にいる全員がギャルグッジョブと心の中で親指を立てていることだろう。


「す、杉野さん。ご機嫌だね。なんか良いことあった?」


「うん! キ……恋愛関係で進展があったっていうか」


 さすがにキスしたとは言わないが、花菜はぼかしながらも正直に答えた。


「ついに彼氏が出来たって事?」


「ううん、そういう訳じゃないの」


 おい勘弁してください。


「じゃあ告白された? 返事は保留してるとか?」


「ううん、そういう訳じゃないの」


 花菜が返事をする度に同級生の俺を見る目が厳しくなる。男子は恨めしそうに、女子は生ゴミでも見るように。


「えっ? 告白された訳でも彼氏が出来た訳でもないって事?」


 でもキスはされましたよ、と。

 最低ですね。


「うん、でも進展したんだ! あ、ごめんね、相手が誰かは言えないんだけど」


 一体どこのクズ野郎だよそいつは。


 俺だよ。


 女子達が俺を見てヒソヒソ話を始め、男子達は呪詛の言葉を呟いている。針のむしろだ。心の底から帰りたい。

 そんな俺を救ってくれたのは中学以来の親友。


「萌々、花菜ちゃん。外の鉢植えの花の手入れが全然終わりそうにないから手伝って欲しいんだって。行ってくれる?」


 もちろん方便だろう。今のご機嫌な花菜を放っておくとどんなくしゃみをするかわからない。とにかく隔離する必要がある。


「了解した。さあ行こうかハナコ」


「うん、わかった」


 全く疑いもせず、萌々と一緒に体育館を出ていく。


 花菜が出ていったのを確認すると泰はパチンと指を鳴らして指示を出した。


「よし皆、春太郎を囲んでくれ」


 助けてくれた訳じゃなかった。こいつも真相を知りたかっただけのようだ。

 泰の合図でマイムマイムでも踊るみたいに俺を中心にして円を作る。


 まるで魔女裁判だ。


 でも悪いのは俺だ。どんな辛辣な言葉も甘んじて受け止めようとその場に正座する。


「で、春太郎。花菜ちゃんに告白したの?」


「いえ、していません」


「じゃあキスはしたの?」


「し、しました」


 同じベッドの中で2回もしました、なんて言ったら大騒ぎだろうな。

 だけど泰と萌々なんてもう付き合って2年なんだからもっとスゲー事やってるだろ。


「付き合ってもいないのにキスをしたって事?」


「その通りです」 


 俺の返事にアラフォーに片足を突っ込んだ独身貴族のアラサー教師が激昂する。


「稲村ーー!!」


「は、はい!」


「俺はお前を殴る!」


「殴られたい! 俺は先生に殴られたい! でも我慢してください! 生徒を殴ったらクビです!」


 正直殴られてもいい。不甲斐ない俺の性根を叩き直して欲しいところだが、流石に大勢の生徒の前で教師が暴力を振るうなんてのは洒落にならない。

 

「ぐわあーー!! 俺の高校の時なんて女子と言えば購買のオバチャンとしか会話した事ないのにーー!! チックショー!!」


 うおおおお!! と叫びながらどこかへ行ってしまった。蒲ちゃん、泣いてた。


「稲村がまた蒲ちゃんを泣かせたぞ」

「蒲ちゃんはガラスのハートなんだから優しくしなきゃ」


 同級生が口々に俺を責めるが、蒲ちゃんにだって桜子さんという春が来たんだから何も泣くことないじゃないか。しかしあのレストランでの出来事は皆に言いふらさないと約束したからな。誰にも言えない。


「おい」


 殺気。


 先輩に対する敬意も忘れてメーターが振りきれそうな程の殺気を放ちながら、生徒会長と同じ髪型の後輩がゆらりゆらりと迫ってくる。


「このセクハラクズ野郎が。お前にピッタリの名前だなぁおい」


 生徒会書記は激ギレ。こめかみには青筋が2万本ほど浮いていて怖くて顔を見れない。


「そ、その通りです。俺はクズです」


 先輩に何て口の聞き方してんだ、なんて今の俺に言う資格はない。素直に非難の言葉を受け入れる。


「舌は入れたんか?」


「は?」


 何言ってるんだこの人。


「舌は入れたんかって聞いてるんだよ!」


 目の焦点が合っておらず、刃物でも持っていたら即ブスリとやられそうだ。煽りたくはないが、嘘をつける雰囲気でもない。


「舌は入れてません。でも、唇を甘噛みしました」


「うわあーーーーーー!!!!!! おかーさーーーーん!!!」


 バタン!


 泡を吹いて倒れた。憧れの生徒会長が汚されたのがよほどショックだったのだろう。


 いや、付き合ったらもっとスゴい事普通にするからね。

 あ、そうか。俺より過激な話題を槍玉に挙げて矛先を変えてしまえばいいのか。


「泰は?」


「ファッ?」


「モモとはどうなの? 一ヶ月ぶりに会うとやっぱり燃えるの?」


 思えば泰とはそういう話をしない。本音を言うとモモとのファーストキスとか、その先の話とか物凄く興味がある。だけどモモも俺にとって大切な友人だから根掘り葉掘り聞くのは遠慮があるし、気まずかった。


「お、俺の事はいいだろ! 今は春太郎が告白する前にキスをしたって話で……」


 慌てて話を戻そうとするが、俺も退かない。


「モモは乙女願望が強いからオクテそうだし、もちろん泰がリードしてるんだよね?」


「いや、意外にも萌々の方が積極的で初めての時はアイツが……って何言わせるんだよ!」


 ほう、モモの事だから恥ずかしがるだけだと思ってたんだけどなあ。今度泰とパジャマパーティーを開催して詳しく聞いてみよう。


「へえ、泰もやることはやってんじゃん」


「うっ、俺達よりも大曽根さんの方が色々やってんだろ?」


「ファッ?」


 急に話を振られた同級生ギャルの大曽根さんは目を白黒させる。


「大曽根さんて大学生の彼氏がいるんでしょ? じゃあ俺達より全然大人な関係なんじゃない?」


 明るめの茶髪ロングに制服も着崩していていかにも遊んでそうだが、意外にも彼氏一筋の一途な子らしい。


「違うし! 遠恋だから安藤君と杏さん以上に会えてないし! 同じ大学行く為に必死で勉強中だし!」


 なんと。まさか勉強する理由が恋の為だとは。ひょんな所に同士がいたものだ。そう言えば成績も毎回学年上位だったなあ。急に親近感が湧いてくる。


「なんだ、そんな格好してるのに純情なんだね」


「ち、違うし! 私は見ての通りのギャルだし! クラブ行きまくりだし! パーティーピーポーだし!」


 取り繕って必死にギャルアピールをするが後の祭りだ。大曽根さんは純情ファッションギャルとして認識された事だろう。


「っていうか、皆やってるし! 三沢みさわさんなんて小学生の彼氏いるし!」


「「「「えっ?」」」」


 三沢さんとは綺麗な長い黒髪が印象的な、見るからに清楚な感じの大人しい女子だ。

 衝撃の事実にその場にいる全員が愕然とした。まるで豆鉄砲を喰らったハト。目を丸くして驚きの声を挙げる。


 無理もない。まさか三沢さんがショタコンだったとは……。

 

 皆、三沢さんを凝視するが、彼女の口から更なる爆弾発言が飛び出す。


「あ、天野君なんて実の妹さんと付き合ってるんだから!」


 ぶほっ! っと野球部の天野が盛大に噴いた。いや、それはアカンだろ天野。


「なななな、何を言うんだ! そんな事言ったら佐藤だって塾の講師と付き合って……」


「俺は関係ないだろ!」


 暴露合戦が始まってしまった。なんだ、意外に皆ちゃんと恋してるんだな。妹さんは流石に不味いと思うが、まあ、恋する気持ちばっかりはしょうがないからなあ。


 皆が醜く言い争ってる間に包囲網をするりと抜け、俺は体育館から抜け出したのだった。



 ◇◆◇


 体育館を出て一息つく。 

 ふう、自業自得とは言えとんでもない目にあった。皆の恋バナが聞けてちょっと楽しかったけど、ああいう魔女裁判はもう遠慮したいなあ。


 外では花菜とモモが楽しそうにキャピキャピと鉢植えに水を撒いていた。

 校門から続く桜並木の、満開の桜の花を背景に背負せおった彼女は妖精みたいで壮絶に可愛くて、俺の心にも花が咲いていくのを感じた。

 友達と交わす自然な笑顔を見る度に、俺の心は化学反応を起こして、ポカポカと暖かくなって、そしてキュンと締め付けられる。


 愛しい。


 苦しい。


 あいくるしい。


「花菜」


「あ、春太郎」


 花菜は俺に気付くとホースをこっちに向けて「かけちゃうぞー」とふざけて笑う。


「かけていいよ」  


 かけてもいいよ。


 ホースが向けられてるのも構わずに花菜に近付いていく。手を伸ばせば届く距離まで近付いて、抱き締めそうになるのを我慢して止まった。


「冗談だよ、今日は風が強いもん。風邪ひいちゃうよ」


 かけていい。かけてもいいんだ。

 君のためなら、俺の人生をかけてもいい。


「あ、桜の花びら」


 ひらひらとピンクの花弁が舞い落ちて、花菜の唇の端に引っ掛かってとまった。

 反射的に手を伸ばして、それを取ろうとした時、彼女の唇にこの手が触れた。

 瞬間、昨日の事ベッドの中でのキスがフラッシュバックする。


「しゅ、春太郎?!」


 花菜もそうだったのだろう。顔を真っ赤にして、俺の手を振り払おうとする。でも彼女の手にはホースが握られていて、水が勢いよく跳ねた。


「ちょっと花菜! ホース!」


「えっ? うわっ!」


 驚いて咄嗟にギュッと握り締めるもんだから暴発してしまって、結局花菜は頭から水を被ってしまった。髪も服もビショビショだ。


「うわぁやっちゃった……春太郎大丈夫? ハッ、ハッ、『またキスしたいよ~!』ハッ『春太郎ラブラブ!』ハッ『早く春太郎とイチャイチャしたい!』」


 4月とはいえまだ風が冷たい。花菜はくしゃみが止まらなくなって、冷えた花菜とは対称的に俺の頬はどんどん熱くなって決して冷める事はなかった。


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