14ハクション スイーツスリープスニーズガール

同じベッドで花菜が寝ている。

 

 いや、横になっているというのが正しいか。恐らくまだ眠ってはいないだろう。


 だって、こんなの眠れる訳がない。花菜だって俺と同じなはずだ。


 一緒に寝てもいい? 彼女はそう言った。


 部屋にムカデが出たらしい。

 まだ両親は帰ってなくて、心細くてウチに来たそうだ。「俺が花菜の部屋に行ってやっつけようか?」と提案したけど、「もうムカデがいる部屋には戻りたくない」とさっさと俺のベッドに潜り込んでしまった。


 同じベッドでいいのか少し悩んだが、俺の部屋はそんなに広くない。勉強机とベッドと、筋トレ用のマットとダンベル、それにエアロバイクがあってもう一杯だ。ソファでも置いてあればそっちに寝たかもしれないけど、筋トレ用のマットだって足を伸ばせるほど大きくない。「しょうがない、しょうがないんだ」と自分に言い聞かさせて俺もベッドに入った。


 花菜は窓の方を向いて、俺は扉の方を向いて背中合わせ。

 ベッドだって広くない。

 背中とお尻がちょこんと触れて、足は当たらないようにベッドの外に投げ出した。


「ふあ~ぁ」


 わざとあくびを出してみるが全然眠気が来る気配はない。電気も消して真っ暗にしてはいるが、花菜の息づかいが聞こえてくる度に脳はギンギンになっていく。風呂上がりの花菜から漂うシャンプーのアロエの香りが俺の男心を刺激してたかぶらせる。


 でも我慢だ。


 花菜だって俺を信じているから一緒に寝ると言ったのだろうし、コスプレ好きの変態親父の息子とは言え俺は紳士だ。ギュッと拳を強く握り決して花菜に手を出さないと強く誓った。


 誓ったんだけどなあ。


 背後でモゾモゾと音がして、背中とお尻の感触が無くなった。代わりに、耳元に感じる花菜の吐息。


 どうやら俺の方に向き直したようだ。さっきはふんわりとしか感じなかったいい匂いが更に強くなって、手を出さないと誓ったばかりの俺の意思をまるで心臓に杭を打ち付けるように攻め立ててくる。


「春太郎、起きてるよね?」


 花菜が喋ると風が耳をくすぐって、背筋に電流が走った。


「う、うん」


「スタンド、点けていい?」


「電気? 何で?」


 もう寝るだけじゃないのか。隣に大好きな女の子がいるのも全部気にしないで、同じベッドで眠りにつくだけじゃないのか。


「春太郎の顔が見たいから」


 パチンと音がして、頭上が明るくなる。


「そっち向いてたら意味ないじゃない。こっち向いて」


 そんな事言ったって、花菜の顔は息が掛かるぐらい近くにあって、振り向いたらくっついてしまうよ。


 だから、くっつけようと思って、振り向いた。


 目と花菜の先。すぐそこに彼女の目があって、その大きな瞳に俺が映る。


「お、俺なんかの顔見たって嬉しくないだろ」


 俺は嬉しい。花菜の顔を見るのが、とても、すごく。


「嬉しいよ。カッコいいもん」


「カッコ良くはないだろ。泰ならともかく」


「モモコが聞いたら怒るかもしれないけど、安藤君より断然カッコいいよ。中一の時のマラソン大会、覚えてる?」


 中学のマラソン大会は走るのは男子だけで女子は沿道で応援するのがきまりだった。


「私、びっくりしたんだ。春太郎が中々来なくて、寒い中待っててやっと来たと思ったら小さい男の子を肩車して、この子のお母さんいませんかー?って大声で呼び掛けながら走ってて」


 1年のマラソン大会、走っている途中で3才ぐらいの男の子が道の隅で泣いてるのを見つけた。ほっとけなくて声を掛けたら、散歩の最中にママとはぐれちゃったみたいで肩車して一緒にママを探して回ったんだ。応援の女子の中に男の子の隣に住んでる子がいて、無事にママに連絡がついた。


「男の子が春太郎の顔を引っ張っちゃって、目も吊り上がってて口も広げられちゃったりしてたけど、カッコよかった。他の子はどう思ってるか知らないけど、私にとっては春太郎が一番カッコいいの。だから、顔見るの嬉しいんだよ。とても、すごく」


 生まれてからずっと、花菜はくしゃみをすると心の声が漏れてた。

 小学校の時も「春太郎好き」っていうくしゃみはあったけど、その頃はあくまで幼馴染みの範囲内だった。「大好き!」とか、「イチャイチャしたいよ~!」なんていう赤面必至のくしゃみをするようになったのは中学一年の冬ぐらいからだったと思う。モモが泰に傘を借りた一件で恋に落ちた様に、マラソン大会での俺の行動が花菜の心を動かしたのかもしれない。


「物好きな奴だな」


 ぶっきらぼうに、興味なさげに言った。この雰囲気はまずい。まるで恋人同士の様な甘い雰囲気は歯止めが効かなくなる。我慢が出来なくなる。


「ねえ春太郎?」


「何?」


「チューしよっか」


 これは、まずい。


「な、何で?」


「前もしたじゃん」


 それは答えになっていない。


「前のは興味本意だろ?」


 俺のファーストキスの相手は花菜だ。

 小6の時。二人で一緒にテレビドラマの再放送を見ていて、キスシーンがあった。キスってどんなだろう? って二人で疑問に思って、何の気なしに唇を重ねてみた。暑い夏の日だったからベトベトして、気持ちの良いものじゃなかった。


「だから、今も興味本意だよ」


「興味本意でする様な事じゃないだろ?」

 

「興味があるのはキスにじゃなくて、春太郎に興味があるんだよ」


 まずい。


 頭が論理的思考を手放しそうになる。

 花菜の柔らかそうな唇から目を離せなくなる。


「それは、俺だからキスしたいって事?」


 キスしたいのか。したくないのか。自分の気持ちに結論を出さずに、花菜に答えを出させるような質問をして、そうしなきゃいけない様な状況を作ろうとする俺は卑怯か。


「そうだよ」


 無理。

 我慢出来ない。


 頭を少し持ち上げて、唇を奪った。


「んっ」


 唇が触れあったまま見つめあう。

 お互いの気持ちを探るように、目をしっかりと見て、触れるだけのキスを続ける。


 お互いの気持ちなんて分かりきってるのに。


 10秒程でキスを終えて、顔ごと唇を離した。

 花菜は目を細めて、満足そうに微笑む。


「しちゃったね。2回目のキス」


「ああ。しちゃったな」


「3回目もする?」


「うん、しとく」


「ん」


 花菜は今度は瞳を閉じて、顎をちょっとだけ上げて俺を迎え入れる。

 さっきと同じように唇を重ねて、集中するために俺も瞳を閉じた。


 舌を入れるなんて流石に出来ない。でも、花菜を求める気持ちが止まらなくて、唇だけで花菜の唇をそっと甘く噛んでやる。すると花菜も口を開けて甘く噛み返してくる。


 これがキスなのか、そう思った。


 初めてのキスと全然違くて、少しも嫌じゃなくて、頭も心もとろけそうで、お互いを求めあっているという事実。

 お互いの鼻息が掛かって、睫毛同士が触れあって、体と心の距離がゼロになる。


 ひとつになる。


「プハッ……」


 息を吸うのも忘れるほどに夢中になって、息苦しそうな花菜に気付いて唇を離した。

 花菜の頬はピンク色に上気して、異様に艶っぽかった。


 好きだ。


 そう言ってしまいそうになる。


 だけど、俺はまだ花菜に何一つ勝てなくて。

 胸を張れる物なんてこの一途な想いしかなくて。


 代わりにそっと髪を撫でた。丁寧に、慈しむように、告白するように髪を撫でた。

 花菜も気持ち良さそうに目を閉じて、やがてそのまま寝息を立てた。


 腕の中で眠る花菜がいとおしくて、誘惑に負けてしまった自分が不甲斐なくて、さっきのキスの感触がまだ残っていて。


「好きだ」


 眠る花菜に想いを告げて、まだ赤く染まるその頬にそっと口づけしようとした。

 

 プルルルル! プルルルル!


「うわあっ!」


 部屋に置いてある家電の子機が突然鳴り響いて心臓が飛び出そうになった。


 こんな時間に家電?


 バクバクと騒がしい心臓を落ち着かせようと深呼吸をしていると、やがてドタバタと階段を昇る音がして、乱暴にドアが開かれて部屋に灯りがついた。眩しくて思わず目を細める。


「シュン! 重蔵さんから電話があって花菜ちゃんが家にいないんだって! シュンは何か知らな……い……か」


 花菜の頭に手を置いたまま父さんと目が合う。


 これは、まずい。


「お前ら何しとんじゃー!!」


 

 ◇◆◇◆◇



 俺は居間でおじさんと父さんを前に正座をさせられていた。

 花菜は母さんに連れていかれ、杉野家のリビングで同じように説教を受けている事だろう。


「離してくれ重蔵さん! こいつの頬をぶん殴ってやらないと気が済まない!」


「まあまあ太郎さん。手を挙げるのは絶対に駄目だよ」


 烈火の如く怒り狂う父さんをおじさんが抑えている。本当にぶん殴りたいのはおじさんだろうに。


「すみませんでした」


 床に着くぐらい頭を下げて謝る。

 以前、おじさんにも俺は誓った。テストで一番になってから告白するって。

 それなのに。


「うん、好き合っているのはわかっているし、春太郎君ももう18才だ。そういう関係になってもおかしくないとは思っている。でもね、せめて、付き合っているっていう報告があってからだと思うんだよねえ」


 表情は柔らかく言葉も厳しくないが、その声色は重く険しい。


「その通りです。まだ付き合ってもいません。今後は気を付けます。花菜に相応しい男になるよう精進します」


「うん。で、具体的にはどうするの?」


「一学期の中間で花菜に勝ちます」


 即答する。おじさんの目を真っ直ぐに見つめる。


「プッ、頑固だねえ君は。太郎さん、あんまり責めないでやってくれるかい?」


 普段のおじさんの声に戻る。そこでやっと父さんも握りこぶしをほどいた。


「重蔵さんがそう言うなら私も怒れませんよ。シュン、反省してるな?」


「はい」


「わかった。もう寝ろ」


「すみませんでした。失礼します」


 最後にまた深く頭を下げて居間を出る。

 自分の部屋に戻ったが、ベッドには入らずに参考書を広げた。気付いた時には朝日が昇っていて、結局全然眠れなかった。

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