12ハクション 桃から生まれたかぐや姫

「ふあ~……っ!」


 朝、ベッドから上半身を起こし特大のあくびをしようとしたが、ゾクッと背筋せすじに悪寒が走った。

 

 この部屋に獣がいる。


 ああ、春休みで惰眠を貪られると思っていたのに。さようなら俺のバケーション。


「おはようハルの字!」


 部屋の隅で正座をする大柄な女性。顎を引き、背筋をピンと伸ばすその姿は一分の隙もない。泰の彼女で、花菜の親友で、そして俺の筋トレの師匠。


 からもも萌々もも


 花菜と並ぶ北高のスーパースターだ。


「お帰りモモ」


「ああ! 帰ってきた! これは土産だ!」


 そう言うと俺目掛けてベッドにダイブ。勢いよく抱きついてきた。


「ドイツの空気を味わうがいい!」


 俺の頭を抱えるもんだから、その豊満な胸が鼻先に触れそうで慌てて引き剥がそうとする。しかし、178㎝の恵体は簡単には離れてくれない。


「物で寄越せ。っていうか、ドイツの空気って事は空港から直で来たのか?」


 ドイツで行われた空手の世界大会。その女子68キロ超級で見事モモは優勝した。

 今の格好も空手協会のロゴと日の丸の入った白い日本代表ジャージだ。恐らく自宅にも寄らずそのまま俺の家に来たのだろう。うちの親も俺が寝てるのに部屋に通すんじゃないよ全く。


「ああ。ハルを鍛えなければいけないからな!」


「俺なんかより真っ先に泰の所に行けよ」


 泰とモモは付き合ってもうすぐ2年になる。最近では空手の出稽古だ大会だと世界中を飛び回っているから中々一緒にはいられないようだが、二人でいる時はそりゃもう仲睦まじくて、誰もが認めるバカップルだ。


「ヤス君はお姉さんの大学卒業祝いの家族旅行で明日まで帰ってこないぞ。でなければこんなとこには来ない」


 そういえばそんな事を言ってたな。泰には5才上のモデルみたいな美人のお姉さんがいる。弟には厳しいらしいが俺にはとても優しい素敵なお姉さんだ。


「こんなとこで悪かったな。いい加減離れろ。泰にも花菜にも悪い」


「む? ヤス君はわかるが、ハナコには何が悪いんだ? 付き合ってもいないんだろう?」


 そう言いつつも俺から離れてキャスター付きの椅子に腰を下ろした。顔は無表情だが、彼女のトレードマークである高い位置で結ばれたポニーテールはまるで散歩に行く前の犬の尻尾の様にブンブンと大きく揺れている。どういう原理か知らないがモモはご機嫌だとポニーテールに反応が出るのだ。

 くそ、わかってて言ってるなこいつ。


「す、好きだからだよ。花菜を待たせてるからだ」


 俺の赤裸々な告白にモモは快活な笑い声を挙げた。


「フハハハ! ならば一刻も早くハナコに相応しい男にならねばならんな! 早速走り込みだ! 先に玄関に行っているぞ! フハハハ!」 


 高笑いしながら階段を降りていく。ハナコとは花菜の事で、二人はお互いをハナコ、モモコとあだ名になっているのかよくわからない名前で呼びあっている。

 俺を鍛えるのがモモの使命らしい。いわく、「貧弱な男にハナコは任せられん!」との事で、専属トレーナーとして俺にスパルタ教育を施している。お陰で運動神経はないから球技なんかはてんでダメだけど、体力と持久力は人並み以上についた。

 はあ、仕方ない。のんびりとした休日は諦めるとしよう。覚悟を決めてジャージに着替え、モモとランニングに出発した。


 

 ◇◆◇◆◇


 

  

 花菜と初めて違うクラスになった中学一年。

 今までずっと一緒だった幼馴染みと離れて俺が泰とよくつるんでいた様に、花菜も同じクラスのモモと仲良くなったそうだ。

 一年の時から体は大きく既に空手のジュニアチャンプだったから、目立つ者同士、気があったのかもしれない。


 直接な接点は無かったが、花菜の友達として顔は見たことがあったし、何より「北部中の桃太郎」と言えば知らない者はいない。杏萌々からももももっていう名前から桃から産まれた桃太郎を連想したのだろう。世界大会で外国人選手をバッタバッタとなぎ倒す姿が鬼と対峙する桃太郎に見えたのかもしれない。誰が言い出したか知らないが学校では桃太郎と呼ばれていた。花菜はこれを「女の子に付けるあだ名じゃない!」と怒って「モモコ」と呼ぶ様になったらしい。けど、1年生の間は話した事もなかった。


 俺達が今みたいに「ハル」「モモ」と呼ぶ様になったのは2年になってから。2年生の時は花菜と泰、俺とモモが同じクラスになった。

 稲村とからももだから、五十音順で隣の席だった。最初の英語の授業で隣同士で自己紹介をした時からお互いファーストネームで呼び合うようになったのだ。

 ちなみに「シュン」ではなく「ハル」なのは駿太という弟がいてややこしいからだそうだ。

 竹を割ったような豪快な性格はカラッとした夏の空みたいで話しやすくて、すぐに打ち解ける事が出来た。

 だから花菜の親友であると同時に、俺にとっても大切な友人なのである。



 ◇◆◇


 モモは強い。


 並んで数キロ走って、閑静な住宅街に差し掛かった時だ。突然女性の悲鳴が響いた。


「キャー! 暴れ牛よ!」


 前方からドドドドと重機の様な足音を轟かせ、角を振り乱しながら巨大な牛が迫ってきていた。その姿はテレビて見るような黒毛和牛みたいに大きく真っ黒で、手入れされているのか毛艶も良く実に美味しそうだ。目を真っ赤に血走らせて酷く興奮している。


 っていうか何で住宅街に暴れ牛が出るんだよ!


「また牛沢さんとこのアンジェリークが逃げたぞー!」


 近所の住民らしいおじいさんが叫んだ。牛から隠れるように家の門を閉め、塀の内側から顔を覗かせる。


(牛沢さんが牛を飼うとか安直なのに牛に付ける名前は凝りすぎだろ! フランスの令嬢かよ!)


 全力でツッコミを入れたいが、危険が迫っている状態なのでグッとこらえる。


「おーい兄ちゃん達! 危ないぞー! アンジェリークは今まで9回も牛沢さんを病院送りにしてるんじゃ! 逃げろー!」


(さっさと手放せよ! 何回も逃げてるのに牛沢さんしか犠牲になってないなら逆に俺達は大丈夫そうだよ!)


「さっさと手放せよ! 何回も逃げてるのに牛沢さんしか犠牲になってないなら逆に俺達は大丈夫そうだよ!」


 我慢できるかっ!


 アンジェリークは目前に迫っているが俺は余裕の表情。何故ならモモがいるから。


「やれやれ、今日は筋力トレーニングの日ではないのだがな」


 一つ、深く息を吐いて俺を庇うようにモモは一歩前へ出る。女の子の後ろに隠れるなんて男がすたるが、モモに対してそんな心配は逆に失礼というものだ。


 世界で一番強い少女、それが杏萌々という女の子なのだ。


「ンモォォォオオオ!!!!」


 アンジェリークは構えもせずに腕をだらりと下げたままのモモ目掛けて一直線。俺よりデカイモモだが、流石に黒毛和牛よりは小さい。

 しかし世界最強に大きさなど関係ない。


――ガァァァァアアン!!――


 高層ビルから鉄骨が落下したのかと思うような凄まじい轟音が耳をつんざくが、目の前にあるのは信じがたい光景だった。


 人差し指一本。


 眉間に添えられたそれだけで、アンジェリークは動きを止めた。


「な……? なんじゃ……? 何が起こっている! 小僧! あの子は何者じゃー!?」


 じいさんは腰を抜かし、体を小刻みに震わせ入れ歯がカタカタと滑稽な音を立てた。


「何って、見たまんまだよ」


「見たままじゃと?」


 じいさんの問いに俺はエア眼鏡をクイッと上げ、したり顔で答える。


「少し体が大きくてポニーテールがトレードマークの、ただの世界一の女子高生さ」


 ズギャァァァアアアン!!(心の効果音)


「可哀想だがアンジェリーク嬢、ここらで逃走劇は終わりだ」


 トン、と軽くこめかみに手刀を入れるとアンジェリークはコロンと道路に倒れこんだ。

 

「さて、ランニングを再開しようか」


 何も無かったかのように颯爽と走り出す。

 後には尻餅をついてわなわなと唇を震わせるじいさんと、スヤスヤと気持ち良さそうに寝息を立てる黒毛和牛がのこるだけだった。



 ◇


 モモはカッコいい。


 2時間程走り、冷たい物でも飲んで休憩しようとカフェのオープンテラスで寛いでいた。

 

「お待たせしました。ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノのお客さ……キャッ!」

 

 ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラッペチーノを運んできた店員が躓きベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラッペチーノをモモのジャージにぶちまけてしまった。


「ああっ! すみませんお客様! ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラッペチーノがお召し物に!」


 俺が頼んだチョコレートクリームチップショットヘーゼルナッツシロップバニラシロップキャラメルソースチョコレートソースエクストラホイップエクストラチップカプチーノもテラスの床に無惨に飛び散ってしまっている。


「ああ、汚れてしまったな」


 モモは気にしない風で紙ナプキンでジャージにかかったベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラペチーノを拭きはじめる。


「すみませんお客様! タオルをお持ちします。あと店長に言ってクリーニング代を……」


 店員はあわてふためくが、モモはなだめるように柔らかく微笑みかけた。


「構わない。洗えばそれで済む事だ。今から帰るだけだし、代わりの飲み物が貰えればそれでいい」


「でもそれでは!」


「いいんだ。誰でもミスはする」


 モモは体だけでなく、その心の器も大きい。まさしく竹を割った様な性格の持ち主。


「あ、ありがとうございます! すぐにベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンドキャラメルエキストラホイップキャラメルソースモカソースランバチップチョコレートクリームフラッペチーノとチョコレートクリームチップショットヘーゼルナッツシロップバニラシロップキャラメルソースチョコレートソースエクストラホイップエクストラチップカプチーノをお持ちいたします!」


 さっきまでの青ざめさせていた顔をパッと明るくさせて店員は店の中へと戻っていく。

 サバサバとして男気溢れる性格のモモは誰からも好かれる。友人だということが誇らしくなるほどに。



 そして、モモはカワイイ。


「あ、モモ。じっとしてて」


 モモの肩に手を伸ばす。


「何だ?」


「毛虫」


「けけけけけ! 毛虫!?」


 うわあああっ! と声を挙げて取り乱し、椅子から転げ落ちてしまう。

 大体の女の子が苦手な物がモモも苦手だ。

 オバケが苦手で、雷が苦手で、虫全般が苦手。


 空手の世界大会、その組手部門にて1回戦の相手を眼力だけで降参させてしまう世界チャンピオンも普通に女の子なのだ。


 ちなみに2回戦はポニーテールを結び忘れて行ったらそれを本気を出す合図だと勘違いした相手が降参、3回戦は瞬きの間に新しい宇宙が誕生していた。


「取って! 取って取って取って!」


 手足を凄まじい勢いでジタバタさせてカマイタチを発生させる。それをかいくぐって距離をつめた。


「わかったからジッとしてろ。すぐ取るから」


 紙ナプキンで武装した右手でひょいっと取って、床の木目の隙間から落としてやる。


「もういない? 毛虫いない?」


「もう大丈夫だよ」


「本当? ああ怖かった」


 眉を下げて胸を撫で下ろすその弱々しい姿はついさっき牛を指先一つで受け止めていた人物とはまるで思えなくて、つい笑ってしまった。


「プッ、相変わらず姫だな」


「姫か。そんな事を言ってくれるのはハルぐらいだよ。私のキューピッドのハルだけ」


「モモはいい奴だからな。そりゃ応援するさ」



 中学3年の時。花菜と俺は同じクラスになれたけど、泰やモモとはバラバラになった。モモと話す機会も大分減っていったけど、夏休みが明けてから花菜が俺に相談をしてきた。


――安藤君にモモコを紹介して欲しいの――


 モモ本人を交えて詳しく聞いてみると、にわか雨が降ったある夏の日、傘を持ってきていなかったモモは校舎の玄関で途方に暮れた。空手の稽古まで時間がないが、試合を控えていていて雨の中を走って濡れて風邪をひくわけにも行かない。おまけに雷も鳴って不安だった。そんなモモに黙って傘を押し付けて雨の中を走って帰っていった男子生徒がいた。それが泰だという。


 一発で恋に落ちた。


 カッコいいなとは以前から思っていたらしいが、ただそれだけで夢中にはなってなかった。だけど、雨の日以来泰の事しか考えられなくなったらしい。傘も直接渡せなくて、下駄箱にかけて返した。それを後悔していて、直接お礼が言いたい、そして出来ればデートに誘いたいと。

 恥ずかしそうに話すモモは今までのさっぱりとした男前のモモじゃなくて、ただの中学三年生の女の子で、可愛かった。


 今思うと、知らなかったとはいえ2年の時に花菜を好きだった泰に他の女の子を紹介するなんてとんでもないが、友達であるモモの頼みだ。二つ返事で了承してモモを連れて昼休みに泰のクラスの教室に向かった。

 イケメンの泰はモテた。その時も2年の女子達が泰の机を囲んでいて、強引に割り込んで泰に「杏萌々が話したいんだって」と単刀直入に言った。

 だけど、泰が返事をする前に周りの2年女子が騒ぎ立てたのだ。

 「うわ、桃太郎だ」「何? 安藤先輩に決闘でも申し込みに来たの?」「ちょっと桃太郎が安藤先輩に話とか無謀にも程があるんですけどー?」とか、酷いもんだった。

 当然、友人をバカにされた俺は面白くない。バンッ! っと机を叩いて声を荒げた。


「桃太郎じゃねえ! その竹を割った様な性格の奥の奥には! 可愛くていじらしくて、どこからどう見ても乙女にしか見えないかぐや姫がいるんんだよ!」


 それでも「キモ」とか「何ムキになってんの」とか2年女子はヒソヒソと悪態をついていたが、俺の言葉が背中を押したのかモモは2年女子を押しのけて泰に言った。


「傘を貸してくれてありがとう。お礼がしたいんだ。二人で遊びに行かないか?」


 そりゃあもう、男前にキッパリと、女の子っぽく丁寧に。あの時のモモは壮絶に可愛かった。

 それから何度かデートを重ねて、卒業式の日に泰からモモに告白して二人は晴れて恋人同士になったという訳だ。



「感謝してる。だから、私にもキューピッドをやらせてくれ。と言ってもこればっかりはハル次第か」


「まあね。そうだ、一度聞きたかったんだけど、モモが思う花菜に相応しい男のレベルってどれくらい?」


 しばらく思案していたが、何かを思い付いた様にニヤッといやらしく笑ってモモは楽しそうに答えた。ポニーテールが左右にブンブンと揺れている。


「私に空手で勝てたらかな」


「はあ? 無理難題にも程があるだろ! ほんっとにかぐや姫だな!」


「フッ、だから私をかぐや姫と呼ぶのはハルだけだと言っている」


 顔を見合わせて笑い合う。春の風は桃の香りを運んできて、二人の笑い声を絡めとって流れた。



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