6ハクション 荊の騎士

「ふあ~~あ」


 午前八時、特大のあくびを店中に響せる。春休みで寝る時間はあるのだが、いつも夜中に勉強する癖がついているから深夜にならないと集中出来ない。昨日も遅くまで勉強していたのに6時に起きたからすこぶる眠いのだ。


 コーヒーチェーン店「怒濤流どとうる」。カフェは世の中に腐るほどあるが、その中でも俺はここが好きだった。1杯300円とコスパもいいし、店内はそんなにゆったりとしておらず、むしろ席と席の間隔も狭いが、チープな雰囲気が好きなのだ。アンティークで固めた昔ながらの喫茶店もいいが、こういう都会じみたせわしない店の方が俺みたいな高校生が長時間居座って一人で勉強するにはかえってちょうど良かった。


「すみません、隣いいですか?」


「あ、すみません。今どかします」


 不意に掛けられた女性の声に、俺は隣の椅子に置いたバッグを自分の椅子の下に移動させて頭を下げた。店内は朝早い事もあってそれほど混んでいないが、何でわざわざ俺の隣に……あ。


「雛岸……」


 俺の天敵、雛岸ひなぎしいばら。

 一つ下の後輩で北高の生徒会書記を務めており、ポスト杉野として生徒からも信頼されている。

 切りっぱなしのミディアムボブに制服のスカートの丈なんかも花菜と一ミリ単位で揃えていて、花菜に見た目を寄せているのは誰が見ても明らかだ。

 今の服だって、流行りの白のオーバーサイズのニットに茶色のガウチョスカートとガーリーな感じで花菜の好みに合わせていると言える。

 発育は良く、背や胸なんかも花菜よりも大きいし、顔もモデル系の美人タイプでよく見なくとも似てはいないのだが、花菜は自分の真似をしてくれるこの後輩の事が可愛くて仕方ないらしい。


 だが、俺にとってはこれっぽっちも可愛くない。


「あ、すみません。てっきり知り合いかと思って話しかけてしまいました。両思いだってわかってるのに五年間も好きな女の子に告白しないヘタレな先輩と間違えてしまいました。大変失礼しました」


 本当に失礼な奴だな。

 申し訳無さの全く感じられない澄ました表情でそう言うと、俺の隣に腰を下ろした。


「合ってるよ。お前の先輩だよ」


「あら、運動音痴で低血圧で特殊性癖持ちのヘタレだとお認めになるんですね」


「否定するぞ! 確かに運動音痴でヘタレで朝に弱いけど、性癖は至ってノーマルだ!」


 悔しいけどヘタレなのは事実だからな。でも特殊な性癖なんて持ってねえよ。


「え? 道具を使わずに油に手を突っ込んで唐揚げを揚げるSMプレイでしか興奮しないと会長に聞きましたけど」


 特殊にも程がある! 大体唐揚げの前に手が揚がるわ。


「そんな男の事をずっと好きなお前の尊敬する生徒会長も完全にヤベー奴だぞ! ったく、名は体を表すとはよく言ったもんだよ。このトゲ女」


 まさしく「いばら」だ。せっかく薔薇の様に綺麗なのに性格がこうでは台無しだ。もっとも、それは俺に対してだけであり、学校での評価はすこぶる高い。


「先輩だって、レジに並んでいる時すごいあくびが聞こえてきましたよ。ピッタリの名前ですよね、食っちゃ寝ブタ野郎って」


「郎しか合ってねえよ!」


「間違えました。すいません排泄物糞太郎先輩。いい名前ですね」


「もっと酷くなってるよ!」

 

 悪態が過ぎるが、これも全て雛岸にとって花菜への愛情の裏返しなのだ。たまにイラッとする事もあるが、後輩のワガママだと思って付き合ってやる。


「これでも控え目に言ったつもりですけど」


 ツンと澄まし顔でカバンから参考書を取り出すと、スマホをいじって俺から遠い方の耳だけにイヤホンを着けて勉強を始める。


「雛岸も花菜の応援だろ?」


「ひなげしの花の菜園?」


「お前わざと聞き間違えてるだろ」


「はいわざとです。何か問題でも?」


「話が進まねえんだよ」


「はあ、仕方ありません。真面目に答えましょう。そうです、会長の応援です。デーモンのはちみつ漬けも作ってきました!」


「それを言うならレモンのはちみつ漬けだろ! お前はエクソシストか! まあ言わなくてもわかってると思うけど、俺も花菜の応援に行くんだ。一緒に行くか?」


 今日は女子バスケ部の春期大会だ。スポーツ万能の花菜は助っ人として出場する。せっかくだから好きな子の勇姿を見ようと俺も街に出てきたのだ。


「変態さんを野放しにする訳にはいきませんから、いいでしょう。一緒に行きましょうか」


「誰が変態だ。口の減らない奴め」


「お互い様です」


 本当に可愛くない。けど、ズコーっとストローで吸い上げる飲み物は女の子っぽい可愛らしい物だった。


「タピオカ入りのミルクティー? そこは花菜の真似でブラックコーヒーじゃないんだな」


 花菜は飲み物でカロリーを摂らない。スイーツは大好きだが、せめてものダイエットとして飲み物だけは気を付けているらしい。


「ににに、苦いのはダメなんですよ」


 どもって顔を真っ赤にしながら答える。なんだ、こういう表情も出来るんじゃないか。


「な、何ですかニヤニヤして」


「いや、可愛らしい所もあるんだなって」


「かわっ……セクハラで訴えますよ芋虫ゲジ太郎先輩」


「俺は無脊椎動物じゃねーよ。これでも骨のある男のつもりだ」


 ちょっとだけ仕返し出来た所で、話を切り上げて勉強に集中した。



 ◇◆◇



 カフェで時間を潰して、試合時刻少し前に体育館に着いた。2階の観覧席の最前列に雛岸と一緒に陣取る。


「もうすぐ試合ですよね。あ、会長いましたよ。会長~! 頑張って~!」


 試合前のウォーミングアップが既に始まっていた。

 花菜は前髪をちょんまげの様に右上の方にちょこんと縛っていて、ノースリーブの青いユニフォームも似合っていて可愛らしかった。

 

 雛岸の大きな声援に気付いて花菜は手を振ってくれた。だけどすぐに視線をコートに戻して練習に没頭する。

 あれ? 雛岸にはいつも甘々だから、もっとキャピキャピと喜ぶと思ったんだけどな。緊張してるのかな。


「花菜の奴、ちょっとおかしいな」


「そうですか? 気合い十分に見えますけど……っと、先輩? どこ行くんですか?」


「花菜のとこ」


「え? もう試合始まっちゃいますよ」


 観覧席から一階の北高のベンチに降りる。一年生の部員に話し掛けてテーピングと黒のマジックを貰ってウォーミングアップが終わるのを待つ。やがて笛が鳴ってベンチに戻ってきた花菜を呼んだ。


「花菜、ちょっと」


「春太郎、来てくれたのは嬉しいけどここはベンチだし、もう試合始まっちゃうから……ハッ、ハッ、『わーい春太郎が来てくれた!』」


 応援の為とはいえベンチサイドに来るのはやり過ぎかもしれない。少し花菜は戸惑って困惑した素振りを見せるが、くしゃみの音は嬉しそうだった。


「すぐ終わるから。左手出して、目をつぶって」


「目を? 何で?」


「いいから。ほら、時間ないよ」


 躊躇いながらも花菜は左手を差し出して目をつぶる。

 左腕にマジックでメッセージを書いて、テーピングで蓋をした。


「もう目を開けていいよ。魔法の言葉を書いておいたから、ピンチになったらテーピングを剥がして。気を楽にして、無理しないで頑張って」


「魔法の言葉?」


 もっと花菜と話して緊張をほぐしてあげたいけど、笛の音が俺達を引き離した。ベンチを離れて、雛岸のいる2階の観覧席へ戻る。


 ほどなくして試合が始まった。やっぱり花菜はすごいな。バスケ部の練習も一週間前からしかやってなくて背も高くないのに、他の部員達に引けをとらないどころかむしろ花菜が引っ張っている。一人でボールを奪って、一人でシュートを決める。


 だけど、一人だった。


 チームワークが取れていないというか、花菜は周りが見えていない。フリーになっている味方がいるのに、自分で突破しようとして囲まれて、苦し紛れにパスを出してボールをとられていた。

 相手チームもそこに目をつけ、花菜がボールを持つと二人がかりでマッチしにいく。花菜は完全に封じられて、点差はどんどん開いていった。点差がつけばつくほど花菜は焦って、がむしゃらに突っ込んでボールをとられた。


「ああっ会長! もう見てられないですよ。他の人達も会長を頼りすぎです!」


 雛岸の言うとおり、チームメイトも花菜がマークされているのに花菜にボールを回しすぎていた。


 アイツの悪い癖だ。


 頼られれば頼られるほど、花菜は頑張る。自分一人で何とかしようとする。弱音を吐かず、人に頼ろうとしない。


 30点差がついたところで顧問の先生がたまらずタイムアウトを取った。

 ベンチに選手が集まるが、皆どうしたらいいかわからずに黙っている。


「ハッ、ハッ、『私が何とかしなきゃ……』」


 くしゃみの音も弱々しい。ここは小さい頃から一緒の幼馴染みの俺の出番だろう。自惚れかもしれないが、花菜が弱音を吐けるのは世界中で俺だけなのだ。

 

「ふあ~~~~あ!」


 特大のあくびを一つ。花菜が俺を見上げた。花菜だけじゃなく、チームメイトも他の客達も、会場全体の視線が俺に集まる。


「ちょ、ちょっと先輩? 緊張感無さすぎですって」


「アホ、うちの連中は緊張しすぎなんだよ。花菜、落ち着け。深呼吸して、テーピングを剥がして」


 俺の言うとおりにスーッと一つ大きく息を吐いて、一気にテーピングを剥がす。俺が書いた魔法の言葉に、花菜の目が点になった。


――勝ったらパフェ食べに行こう。花菜の奢りで――


「何で私の奢りなのよ! 勝利のお祝いに春太郎が奢りなさいよ!」


 思わず花菜は大声で突っ込む。他のチームメイトが何事かと花菜を見つめた。


「ふふっ、もう。力が抜けちゃった。そっか、肩に力が入りすぎてたか。ごめんね皆。私一人でバスケしてたみたい」


 笛の音が鳴って、花菜はチームメイトとコートに戻っていく。さっきまでの鬼気迫る表情は柔らかくなって、まるで憑き物が落ちたみたいだ。

 プレーが再開されると、北高は戦略をガラリと変えた。花菜が司令塔となってメンバーにボールを回していく。ワンマンチームから、連携の取れるチームへと変化していた。

 そうして相手が他のチームメイトにバラけて花菜へのマークが薄くなると、最初の様に花菜が突っ込んでシュートを決める。

 それからは止まらなかった。

 時にはチームプレイ、時には花菜が強引に決めて相手チームを翻弄していく。

 終わってみれば逆に20点差の大勝利だった。



 ◇◆◇

 

 

 試合後、ユニフォーム姿のまま観覧席に上がってきた花菜は俺と雛岸に勝利の報告をしてくれた。


「ヒナありがとね! お陰で頑張れたよ!」


「もう最高でした感動しましたみなぎりました! かっこよくて可愛くて、もう食べていいですか? あ~、ちょんまげがエモすぎるんじゃ~!」


 食べるな拝むなハシュハシュするな。尊敬というが、雛岸の花菜への愛情は俺から見ても怖い。思わず花菜も苦笑いだ。


「あの、北高の杉野花菜さんですよね? 写真撮らせて貰ってもいいですか?」


 キマシタワー建設中の二人に他校の女子生徒が声を掛けてきた。北高は地域の公立高校ではナンバーワンの進学校で、その中でも一番の杉野花菜の名前は他校にも轟いている。おまけに美少女だからこういう輩が時々湧くのだ。


「あー、私、写真とかそういうのはちょっと……」


 花菜は知らない人達に持ち上げられるのが苦手だ。噂話やパッと見だけでちやほやしてくる人間は信用出来ない。

 

「一枚だけでいいんです。お願いします」


 中々引き下がらない女子生徒に花菜は困っていた。根っこにあるのは好意だからあまり邪険にも出来ない。

 そんな花菜と女子生徒の間に雛岸がスッと体を割り込ませた。


「会長が困っています。花菜先輩は芸能人でも何でもありません。お引き取りください」


「でも……」


「お引き取りください」


 食い下がる女子生徒に毅然とした態度でピシャリと言い放つ。

 雛岸の迫力に女子生徒はすごすごと帰っていった。


「やれやれ。ああいう手合いは減りませんね。それも会長の可愛さが故。でもご安心ください。私が会長をお守りしますから」


「いつもありがとうヒナ」


 北高では花菜はくしゃみの事もあって誰もこういう事はしないけど、一旦外へ出ると色んな人が近づいてくる。俺がいるときは勿論俺が守るが、そうでない時は雛岸が守ってくれているのだ。


「じゃあパフェ食いに行こうか。雛岸も来るだろ? 俺が奢るから」


「むしろお邪魔は君だろう先輩が来なくてもいいんですけど」


「それ名前? 完全に文章じゃねーか!」


「ンフフッ、ホント、ヒナと春太郎って仲いいよね」


「「良くない!」」


「だって息ピッタリじゃない。ハッ、『二人とも大好き!』じゃあ私着替えてくるね」


 花菜は笑って観覧席を後にする。雛岸と並んで座って、着替えが終わるのを待った。


「さすが先輩ですね。いつも端的に、的確に、会長の事を助けちゃう。名は体を表すって言いますけど、その通りです。悔しいけど、会長にとって先輩は春のひだまりなんです。きっと、会長が一番落ち着く場所は先輩なんです」


 急にしおらしくなって俺を誉め始める。確かに花菜が暴走して負けそうになった時、雛岸も一緒になって慌てるだけだった。だけど、雛岸はいつも花菜と同じ気持ちになろうと一生懸命だ。俺以外にも、花菜に寄り添おうと頑張ってくれる、ありがたい存在、それが雛岸だ。


「付き合いが長いだけだよ。それに雛岸だっていつも花菜を守ってくれてるじゃないか。名前の通りに、花を守るいばらになって」


 そっか、雛だから、荊の騎士だ。女王を守る、気高き騎士。


「せ、先輩がさっさと告白すれば私がこんな事しないで済むんです! ご自分の不甲斐なさを反省してください」 


「ああ、猛省する。いつもありがとな」


 俺の飾らない真っ直ぐなお礼に、荊の騎士は頬を掻いて照れた。


 

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