5ハクション 愛情たっぶり半バーグ
気不味い事山の如し。
眠気はあるがあくびをする精神的余裕なんて微塵もなく、借りてきた猫の様に身を縮こまらせていた。
春休みのとある日の夕方。
花菜の家のリビングでソファにゆったりと座り寛いでいた。
やっぱり女の子がいる家だとリビングもお洒落だ。西海岸風に白と水色の家具でまとめられており、ダイニングテーブルも白いペンキの塗られた素朴なテーブルに水色のギンガムチェックのクロスが彩られて可愛らしい。
俺の家なんかちゃぶ台だぜちゃぶ台。
ソファだってふっかふかで、体を完全に預けるとダメになってしまいそうだ。
だけど、俺の気は休まらなかった。
原因はソファの左、革張りの高級そうなロッキングチェアに揺られ、これまた高級そうなワインを嗜む男性の不機嫌そうな表情に他ならない。
花菜の父親、杉野
花菜は父親似で、おじさんは美形というか、若々しい中性的な顔をしている。しかし部下になめられるからと似合わない髭を伸ばし、今も雰囲気作りなのか真っ赤なガウンを着て精一杯のナイスミドルを気取っている。不機嫌そうな顔も、実際に機嫌が悪い訳ではなく、ムスッとしてないと偉そうに見えないのだ。
部下だけでなく、俺にも威厳を示したいのだろう。
「珍しいですね。おじさんがこの時間に家にいるなんて」
大型ショッピングモールの経営会社に勤めていて、なんと役職は店長の上、地域の店舗を何軒も管理するエリアマネージャーだ。
毎日、平日だろうが土日だろうが営業が終わるまで各店舗をまわっていて、家に帰るのは日付が変わってからが殆どだ。
逆に役場の職員である俺の父は毎日6時には帰ってきてビールの缶を開けている。ちょっとは花菜のおじさんを見習って仕事に必死になったらどうかとも思うが、公務員は残業代が出ないからスパッと定時で終わるのが正しい在り方なのだろう。
「上司からも杉野は働きすぎだと言われてね。たまには早く帰って娘とゆっくり食事をするのも大切な事さ」
「す、すいません。親子水入らずの所に俺がお邪魔してしまって」
うちの両親は夫婦二人で温泉旅行に行っている。杉野家と稲村家は特に母親同士の仲が良くて、親が不在の時は片方の家で子供のご飯とかの面倒を見てくれるのだ。
「構わないよ。春太郎君は家族みたいなものだからね」
今の一軒家は俺達が赤ん坊の頃に建てられた物らしい。偶然にも同い年の子供を持つ隣近所はすぐに家族ぐるみでの付き合いとなって、俺と花菜はまるで兄弟の様にずっと一緒だった。
おじさんのこの言葉も本心からだろう。本当によくして貰っているのだ。
だが、もう兄弟みたいに、とはいかない。俺も花菜も、思春期の男女な訳で。
「お父さん、春太郎。もうちょっとで晩御飯出来るから待ってて……ハッ、『私の手料理で春太郎のハートを鷲掴みにしちゃうんだから!』」
キッチンから聞こえる幼馴染みの声と、可愛らしいくしゃみの音。
愛の言葉が聞こえてくる度に俺は肩身が狭くなる。
「花菜の手料理なんて久し振りだからお父さん嬉しいなあ」
今日の献立は俺の好きなハンバーグだ。そして味噌汁の具も俺の好きなジャガイモに、サラダも俺が好きなブロッコリーとトマトとレタス。正に俺を魅了する為のメニューだ。
「うん、楽しみにしてて。うんと美味しい……ハッ、『お父さんジャガイモのお味噌汁苦手とか言ってたけど春太郎優先っ!』」
……。マジか。
「なんかすいません」
謝るのが正解なのかわからないがつい謝罪の言葉が口から出た。年頃の娘を持つ父親なんてどこの家もこんな感じだとは思うが、心の声が聞こえてくるというのはキツいだろう。
「いいよ。慣れてるからね」
マジか。慣れるほど聞いているのか。
「ひょっとして、毎日こうですか?」
そりゃそうだろう、確認するまでもない。この時期の花菜の花粉症は本当に酷いから何十回とくしゃみをするはずだ。同じ屋根の下で暮らしていればそれだけ俺への想いを聞いている事になる。
父親としてどんな想いで花菜のくしゃみを聞いているのだろうか。
「そうだね。5月ぐらいまでずっとさ」
「お、怒ってます?」
ワイングラスが空になっていた。俺は立ち上がって、テレビとかの見よう見まねでグラスにワインを注ぐ。
「嫉妬してないと言ったら嘘になるね。だけど、嬉しいよ」
「嬉しい?」
告白じみた言葉を毎日聞かされるのが、嬉しい?
「うん。だってさ、こんなにも人を好きになれる純粋な子に育ってくれたんだ。嬉しいよ」
花菜は真っ直ぐだ。ちっともひねくれてなくて、それは俺に対してだけじゃなく、生徒会の仕事にしても、他の運動部の助っ人にしても、何でも一途で無垢で真っ直ぐで。だから周囲もついてくる。花菜の事なら信じられる。
「おまけに、あの子は隠し事が出来ない素直な子だ。自慢の娘さ」
おじさんはそう言うと、威厳を取り繕うのも忘れてだらしなく目尻を下げた。厳しいエリアマネージャーなんかじゃなく、何処にでもいる、娘を溺愛している父親の顔だった。
「俺も、花菜の事が好きです。でも、今の俺には花菜に胸を張れる物が何もなくって、テストでアイツを抜かしたらその時に告白しよう。そう思っています」
「胸を張れる物……ねえ。春太郎君が決めた事ならそれでいいんだけど、男ってのはね、
花菜に相応しい男になる、その決意さえあればそれで十分資格がある。おじさんはそう言ってくれるが、やっぱり確かな結果を手にして自信を持ちたい。これは俺のワガママなんだろうか。
「次のテストで決めるつもりです。これ以上待たせるつもりはありません」
真っ直ぐにおじさんの目を見つめる。俺の真剣な眼差しを受けて、何故か更に嬉しそうに表情を崩した。
「それは頼もしいね。そうなってくれる事を期待してるよ。君になら花菜を任せられる、僕はそう思っているから。でも、あんまり花菜を泣かせたら怒るからね。なんてね、アハハ」
笑っておどけて見せるが、俺には冗談の類いには聞こえなかった。娘を持つ父親の本音として真摯に受け止める。
「はい。覚悟しています」
「お待たせ~! 出来たよ、食べよ! うわ、お父さん顔真っ赤じゃん、ご飯前に飲み過ぎだって」
花菜に呼ばれ、おじさんとダイニングテーブルにつく。
俺の席はいつも花菜の隣、おじさんの向かい。
まっ黄色のとろけたチェダーチーズがトッピングされたハンバーグとジャガイモの味噌汁。ブロッコリーとトマトとレタスにイタリアンドレッシングをかけたサラダ。
俺の好物オールスターだ。
そして俺の前に置かれたハンバーグが一番大きかった。
「殆どね、花菜が作ったのよ。私は片付けを手伝っただけ」
おばさんがコップに麦茶を注ぎながら教えてくれた。
花菜の母親、杉野すみれ。
大和撫子風の美人ではあるが、可愛い系の花菜とは似ていない。髪も花菜とは違いストレートのロングで背も俺と同じくらいある。その代わり、仕草や雰囲気は娘とそっくりで、口を開いたらまるでクローンだ。
「へえ。花菜、いつの間にこんなに作れる様になったの?」
俺は料理する暇があったら勉強してるからな。威張ることじゃないが、目玉焼きとインスタントラーメンぐらいしか作れない。
「私も女の子だからね。これぐらいはレディの嗜みって奴よ。って、誉めるのは食べてからにしてくれない?」
「それもそうだ。じゃあ、いただきます」
ハンバーグに箸を入れると力を入れなくてもスッと切れて、口に入れる前からその柔らかさがわかる。垂れたソースを丁寧にからめて口に運んだ。
「美味い! ジューシーで、肉感がすごい!」
チェーン店の食べやすい味、というよりは専門店の本格的な味だった。きっと色々勉強して試行錯誤したのだろう。
「ほんと? 良かっ……ハッ、『お嫁さんになれる?』」
「なれ……ゴクンッ! ンガングッ」
思わずくしゃみに返事をしそうになって、慌てて言葉ごとハンバーグを飲み込んだら喉に詰まらせてしまった。急いで麦茶で流し込む。
「もう、慌てないで。ゆっくり食べて」
「ああ、あんまりに美味いもんだからついがっついちゃって。ん?」
あれ? おじさんのハンバーグだけ色が違う。
「花菜、おじさんのハンバーグ、ちゃんと火は通ってる?」
赤くはないが、中が白っぽかった。何だろう?
「え? あ、あれは麩だよ。中に麩が入ってるの」
ええ? 家長のおじさんが麩入りのかさ増しハンバーグで、俺が中まで肉ぎっしりの一番大きいハンバーグを食べてるって事?
「お、おじさん! 俺の食べますか?」
いたたまれなくって俺の皿を差し出した。食べかけを渡すなんてとんでもないが申し訳ない気持ちが先に出てしまう。
「違うの春太郎。お父さん最近メタボでひっかかってて。だからヘルシーメニューなの。お肉が半分の半バーグ」
「そうなんだよ。ほら、僕は店で食べる事が多いから、どうしても脂っこい食事ばかりになってしまってね。恥ずかしいけど立派なメタボ予備軍なんだ。だけど、麩が入ってるってわからないぐらい美味しいよ。ありがとう花菜」
おじさんは素直に感謝の言葉を口にするが、それを受けた花菜は素直じゃなかった。
「お父さんにはまだまだ働いていっぱい稼いで貰わないといけな……ハッ、ハッ、『パパ大好き!』」
ツンデレかよ。本当に隠し事が出来ない奴だ。
筒抜けの娘の愛情に、おじさんは花菜そっくりの目を細めて笑った。
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