3ハクション くしゃみのある日常 ~帰り道~

「くあ……ねむ……」


 あくびを噛み殺し、眠気覚ましにグイッと伸びをする。他の利用者の邪魔をしてはいけないし、人のあくびって感染るからな。大きなあくびをするのははばかられる。


 放課後は図書室で勉強するのが日課だ。

 帰宅部の俺は花菜と一緒に帰る為に生徒会の仕事が終わるまでここで勉強していく。


「くあ……あれ? 消えかかってる」


 視界の端に映った学校指定の白いスポーツバッグ。通称北高バッグの前面に、俺はデカデカと名前を書いている。それが薄くなってきていたから黒マジックの極太でなぞり、「春太郎」の文字を主張させる。


「これでよし、と」


 満足げにそう小声で呟いて片付けを始める。そろそろ花菜の生徒会も終わる頃合いだ。


「ハッ、『早く春太郎に会いたい!』」


 タイミングよく部屋の外から聞こえる幼馴染みのくしゃみの音。

 図書室の何人かが俺をチラリと見るが、一瞥するだけで何も言ってくる様子はない。

 ありがたい。

 皆、この学校の人達は先輩も同級生も後輩も冷やかしてきたりしない。ずっと知らんぷりをしてくれている。もっとも、それは俺の為じゃなく我らの生徒会長の為だろう。なんたって花菜はカリスマだ。花菜が毎日その身を粉にして働いて生徒達に楽しい学校生活を送って欲しいと思っているように、生徒達も頑張り屋の花菜には穏やかに過ごしてほしいと願っているのだ。ま、何人かは俺にさっさと告白して付き合えよとか思っているだろうけど。


 カラカラと控え目な音を立ててゆっくりと引き戸が開く。キョロキョロと見渡し、やがて俺の姿を見つけると口の動きだけで「外で待ってる」と伝えてきたから俺も無言で頷く。


 乱暴に参考書と筆記用具を北高バッグに突っ込んで図書室を出た。


「お待たせ春太郎。帰ろ!」


「お疲れ様」


「ありがと。今日寄りたい所があるんだけどいいかな? 眠い?」


 毎日一緒に帰る。たまにスイーツを食べに寄ったり街まで買い物に出たり。ほぼデートだけど、俺と花菜は付き合ってはいない。


 どんなにデートを重ねようとも、どれだけの時間を一緒に過ごそうとも、「付き合ってください」「はい」のやり取りがなければ恋人同士ではない。それが高校生である。

 次のテストこそ花菜より点を取って告白を。そう思って今日も目の下のクマを濃くするのだ。


「いいよ」


 二つ返事で了承する。勉強する時間も大事だが、花菜と過ごす時間もそれはそれは大切で、俺のエネルギー源だ。


「ヒナが教えてくれたんだけどね、駅前に新しいカフェが出来てそこのフルーツパフェが美味しいんだって」


 ヒナと言うのは生徒会書記の一年生で、花菜を尊敬しすぎて髪型とか小物類まで真似しちゃう、花菜曰く「超カワイイ後輩」だ。だけど憧れの先輩の恋の相手の俺への態度は、ちょっと、いや、かなりキツい。


「そうだろうと思って、はい。クーポンゲットしといた」


 伊達に北高で一番のモテ男が親友な訳ではない。お洒落スポットや花菜が好きそうなカフェは常に泰から情報を仕入れていてチェックに余念はない。今回のカフェも花菜から言われなければ俺から誘おうと思っていたところだ。ドヤ顔で「200円オフ」と書かれたスマホの画面を自慢気に見せる。


「さすが春太郎! 今はイチゴのパフェだって」


「そりゃ春らしくていいね。行こうか」


「うん!」


 


 10分ほど歩いて、お目当てのカフェに到着。

 道路に面した壁はガラス張りになっていて、外からでもアンティーク調の家具の焦げ茶色が目を楽しませてくれる。

 オープンしてまだ1週間の店は混雑しており、少し並んだが20分ぐらいで席に案内された。花菜はイチゴのパフェ、俺はチョコレートのパフェを注文した。

 

「イチゴ楽しみ、ハッ……『春太郎好き好き!』」


 他愛もない話の間にも、花菜は特徴的なくしゃみをする。その度に他の客や店員の注目を浴びる。


 どうも。俺が春太郎です。


 そう言わんばかりに北高バッグをテーブルの上に置いて「春太郎」の名前をアピールする。


「チョコも一口ちょうだ……ハッ、ハッ、『わーい春太郎とデートだ!』」


 学校では皆事情を知っているから知らんぷりをしてくれるけど、外ではそうもいかない。街の人々は花菜のくしゃみに驚き、ヒソヒソと噂する。


 だけど、俺が北高バッグに名前を書くことで、噂されるのは花菜だけじゃなくて俺も一緒に周囲の視線を浴びることになる。


 好きな女の子を好奇の目に晒したくないが、かといってコソコソする事なく普通のカップルの様にデートもしたい。だから俺は自分の名前をアピールする。「変なくしゃみの女の子」ではなく、「周りの目を気にしないバカップル」として認知されればいい。花菜だけが奇異の目で見られることはない。俺と花菜はセットでいい。


 来週の卒業式の話題で盛り上がっている所にそれぞれ注文したパフェが運ばれてきた。

 花菜は早速大粒のイチゴにフォークを突き刺すと口に放り込んだ。満面の笑みを咲かせて本当に美味しそうに食べる。そんな彼女が可愛くて、つい自分のパフェに乗ったガトーショコラをフォークに突き刺して、花菜の口の前に持っていく。


「はい花菜、あーん」


「あーん、パクッ。あまーい」


 端から見たらバカップル以外の何者でもないが、物心ついた頃から隣の家で、お互い一人っ子だからずっと一緒に遊んで過ごした。こうして食べさせあうのも俺達には自然な事だ。


 どこまでが「幼馴染み」でどこからが「恋人同士」なのだろう。その時が来たら何か変わるのだろうか。


「私のもあげるね……ハッ、ハッ、『あーんとか新婚さんみたい!』……あ」


 イチゴに生クリームをたっぷりつけて俺にくれようとするが、スプーンに盛大にくしゃみをしてしまい花菜は固まってしまう。生クリームだけじゃなく花菜の飛沫しぶきもたっぷりと付いている事だろう。


「ごめんね。これは私が食べるか……」

「いいよそれで」


 花菜がスプーンを引っ込める前に首を伸ばしてパックリと食い付く。うん、美味い。


「ちょっと、き、汚いよ」


「何が? 花菜のくしゃみは汚くないよ」


 俺にとっては、花菜のくしゃみは幸せのカタチなのだ。

 俺の言葉が不意打ちだったのか、顔をイチゴみたいに真っ赤にして俯いてしまった。か細い声でしおらしく謝る。


「ごめんね、くしゃみが止まらなくて。目立っちゃうし、こんな女と一緒にいるの恥ずかしいよね」


「全然」


「え?」


 即座に出た否定の言葉にその可愛い顔を上げてくれた。もう一押ししておこうか。


「花菜のくしゃみは可愛いよ。俺は」


 花菜も鼻炎の薬は飲んでいる。けれどあまり効かないのだ。マスクをしていた時もあったのだが、肌が敏感な様で荒れてしまうからマスクもつけられない。

 でも、仕方ないとか花粉症だからとか関係なしに、俺にとっては嫌どころか、最高に嬉しい生理現象だ。


「好きだよ。花菜のくしゃみ」


 いつか、いや、いつかじゃない。次の定期テストで一番を取って、この台詞もくしゃみじゃなくて花菜の事が好きだってちゃんと言えるようにしよう。花菜の一層真っ赤になった顔にそう誓った。

 


 

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