2ハクション くしゃみのある日常 ~授業中~

「ふぁ~~……っ!」


 つい我慢できなくて大きなあくびをしてしまったが今は授業中だ。慌てて口を塞ぐ。

 

「居眠りする太郎、そんなに俺の授業が退屈か?」


 担任でもある現国教師の蒲田かまた先生、通称カマちゃんが俺を睨んだ。


「いえ、そんな事はありません! とてもわかりやすくて為になります」


 昨晩も遅くまで勉強をしていて布団に入ったのは2時過ぎだった。だから寝不足でついあくびをしてしまったけど、蒲ちゃんの授業はお世辞じゃなく本当に面白い。押し付けがましくなくて、生徒それぞれの感性を重視した授業をしてくれるのだ。アゴヒゲが不潔っぽいと女子生徒からは不評なようだが、体格もよく中々のイケメンで、人気の高い先生だと思う。


「おべっか使っても贔屓はしないからな。こころもいよいよクライマックスだからちゃんと聞いとけよ」


 現国の3学期は夏目漱石の名作「こころ」を勉強してきた。3月に入り、その授業も終盤だ。


 夏目漱石の「こころ」。


 【私】の一人称で彼の恩師である【先生】のかの日の後悔が綴られていく、「坊っちゃん」と並ぶ夏目漱石の代表作だ。

 若かりし頃の【先生】と自殺した友人【K】、そして下宿先の【娘】との三角関係を根っこに展開する少しドロッとした純文学作品である。


「じゃあ今日はまとめに入るぞ。このこころは専門家の間でも色んな解釈があってな。明確な説明がある訳じゃないから、例えどんな解釈になっても間違いじゃない。だから皆の素直な意見を教えてくれ。まずは安藤に聞いてみようかな」


 蒲ちゃんは隣の席の親友を指名した。泰は返事をして立ち上がる。


「はい」


「【先生】は誰を愛していたと思う?」


 泰は少し悩んで、やがて口を開いた。その答えにタイミングよく俺の幼馴染みが盛大なくしゃみを被せる。


「そうですね、【先生】は……」「ハッ、ハッ、『春太郎が大好き!』」


「そうそう、【先生】は春太郎が大好き……って何でだよ! 俺は普通に女の子が好きだよ! 名前は蒲田だけど別にオカマでもオネエでもないのよ!」


 完璧なノリツッコミ。

 今日は暖かくて教室の窓は開けられている。スギ花粉が入り放題だ。


「次! じゃあ杉野! 【私】は何故【先生】の手紙を読んですぐに汽車に乗ったと思う?」


 先程のノリツッコミの勢いそのままに蒲ちゃんは強引に授業を進める。


「はい、えっと、【私】は……ハッ、『春太郎と結婚したい!』」


「まだ出来ねーよ! 稲村は17歳だからな! 俺も出来ねーよ! モテねーからな! ってうるせーよ!」


「先生? 何言ってるんですか?」


 花菜は自分のくしゃみがまさか俺への愛の告白になっているなんて知らないから、蒲ちゃんのノリツッコミが意味不明で首を傾げた。それを受けて先生は慌てて取り繕う。花菜のくしゃみについては本人には内緒、この学校ではそう決めている。


「いや、何でもない。えーと、杉野の隣の席、笹原。【先生】は何故自殺したのだろう?」


 花菜の隣の席、男子の笹原が立ち上がる。笹原は至って普通の生徒で、特徴と言えばギャルゲーの主人公の様な目が隠れるほどの長い前髪くらいだ。クラスメイトからは親しみを込めて舞鶴まいづる元帥げんすいと呼ばれている。


「はい、僕は単なる【K】への贖罪の為とは思いません。今まで幸せに出来なかった【奥さん】を【私】に託したのではないか、そう思いました。つまり、【先生】が自殺したのは……」「ハッ、『春太郎がカッコ良すぎるんだもん!』」


 魔性か俺は。


「稲村、全く、罪な男だなお前は」


 段々と蒲ちゃんの顔が紅潮していく。先生は怒るとマッチ棒の様に顔が真っ赤になる。蒲ちゃんは今年34歳。同期は皆結婚したらしいが彼には彼女もいない。故に生徒達の恋バナが何より憎いのだ。


「に、人間は誰しも罪を背負って生きています。【先生】もその罪に耐えられなかったのだと……」


「上手くまとめてんじゃねえよ。さて稲村に問題です。先週も合コンで撃沈したばかりなのにノロケを散々聞かされた今の俺の気持ちを述べよ」


「わ、わかりませ……」「ハッ、ハッ、『とにかくデートしたい!』」


「大正解だよチクショー! やってられっか!」


 うおおおおおお!! と雄叫びをあげながら蒲ちゃんは開け放たれた窓から外へと飛び出していった。


「また春太郎が蒲ちゃんイジメちゃったよ」

「合コン爆死したばっかの蒲ちゃんは傷つきやすいんだからダメでしょ稲村くん」

「責任とれよ春太郎」


 クラスメイトが口々に俺を責めるが、蒲ちゃんがいじけて教室を飛び出すのはよくあることなのだ。


 はあ、しょうがない。俺のせいと言えば俺のせいだし、代わりをやるか。


「はいはい。俺が授業やればいいんだろ」


 やれやれとぼやきながら渋々教卓に向かうが、俺はこの教師役がお気に入りで楽しんでやっていた。

 案外クラスメイト達にも俺の授業は好評で、我が2年4組の国語の平均点が他のクラスより10点も高いのはひとえに俺の力だと思う。俺は天才じゃない。努力して点数を取ってきた。だからどうすれば理解出来るかよくわかっている。教えるのは得意なのだ。生徒の感性を大事にする蒲ちゃんの授業も素晴らしいが、俺はそれに加えてテストでも点が取れるような授業を心掛けている。

 

「じゃあ舞鶴の元帥。さっき【先生】は【奥さん】を【私】に託すと言っていたけど……」


 たまに聞こえてくる花菜の愛の言葉をバックに、春太郎先生の「こころ」の授業は進んだ。

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