02話.[それとこれとは]

「大体、どうして大原先輩は私のところに来てくれるんですか?」

「それは聖とは関係ないよ、ただ気になっただけ」

「こんなに駄目な人間をですか? 優しい人なんですね」


 席に座ってじっとする。

 なんか慌ててる方が馬鹿らしいと思えてきたからだ。

 そもそもとして、演技でこういうことをする方がおかしい。

 そこまでして笑おうとはしない、そんなに面倒くさいことはしない。


「私は南楓と言います」

「え、なんで急に自己紹介?」

「来てくれるのなら挨拶をするのが当然かなと」

「あははっ、あたしは大原嘉代だよ」


 両親がいないのであればそこまでびくびくとする必要はないのだ。

 ある程度の時間つぶしは必要だけど、相手が姉だけなら上手く対応することができる。

 メンタルの強さには自信があるつもりだ、そうでもなければいま頃とっくに潰れているし。


「あ、もしもし?」


 大原先輩は友達が沢山いそうだ。

 全く知らない人間が相手でも優しくできるぐらいだから当然だろうけど。

 そういうところが私とは違うんだよなあと、他人に優しくとかできないからね。


「うん、じゃあね――聖だった」

「そうですか」


 両親はどこに行ったのだろうか。

 姉は本当なら付いて行きたかったのだろうか?

 大して仲も良くないから一緒に出ていってくれても構わなかったんだけど。


「お姉ちゃんは私と違って両親に愛されていました」

「あー、まあそうしたくなる気持ちは分かるよ」

「そうですか」


 けど、それとこれとは別だ。

 ポジティブな方向に考えるとしても、姉の味方ばかりする人とはいられない。


「今日はこれで失礼します」

「待って、あたしも帰るよ」

「大原先輩といたくありません、あなたはお姉ちゃんの手先みたいな存在ですからね」


 もっと別の場所を考えなければならなさそうだ。

 とはいえ、公園などの場所はそこそこリスキーなので家の敷地内で時間つぶし、になるだろうか。

 で、実践してみた結果、


「うぅ、ずずっ……」


 風邪を引いた形となる。

 心配した風の姉にはさっさと学校に行くように言って、私は外で快適に過ごせるように設備を整えた。

 後ろは壁があって誰にも見られない感じになっているのがいい。

 そこにテントを設置して、中には寝袋だとかを入れておく。


「おぉ、暖かい……寒い……」


 寒いので寝袋に入って寝っ転がってみた。

 自分の体温が高いのかあっという間に寝袋内は暖まって良かった。

 だからぐーすかぐーと調子が悪いのもあって寝ていた結果、


「馬鹿じゃないの!?」


 と、真剣な感じの姉に怒られて困惑。

 いつの間に帰ってきたんだ、横には大原先輩とこの前の明るい人もいるし。

 でも、寝袋内から出たらそれこそ寒いから反対を向いて続けておくことにした。


「楓、部屋に戻ろうよ」


 話しかけてくれたのは姉の手先である大原先輩。

 名前呼びをされても嬉しくないなあ、心配してほしくてやっていることでもないし。


「嘉代、由愛ゆめ、戻るわよ」

「え、楓ちゃんはいいの?」

「いいわよ、そんな子は放っておけば、ここまで馬鹿だとは思っていなかったもの」


 いいし、別に気を引きたくてやったわけじゃないんだから。

 これからも食事や入浴を済ませたらここで寝るんだからしょうがない。

 そのための予行演習みたいなものだ、姉の顔を私が見たくなかった。




 そんなことを続けたからかずっと体調が悪いままだった。

 あれから姉は1度も来ていない、私も意地を張っているのもあるからだ。

 どうせ学校に行ったって嫌われているんだし無理しなくていいよね。

 友達だっていない、誰も心配なんてしていないんだから。


「あー、あー……あれ?」


 左耳が完全に聞こえなくなっているような気がした。

 まあ、悪口とか聞かなくて済むならそれでいいのかも。

 両親からも求められていないんだからどうなっても構わない。


「楓」


 大原先輩は毎日来てくれている。

 でも、寝ているふりとかを繰り返して無視を続けていた。

 私なんか放っておけばいいんだ、それに満足にお風呂にも入れてないから臭いだろうし。


「意地張ってないでさ、ちゃんと家の中に戻ろうよ、下手したら死んじゃうよ?」

「……それならそれでいいですよ」

「あ、やっと喋ったっと思ったらそんなこと言ってっ」


 この距離にいられるのは困るからお湯を溜めてお風呂に入ることにする。

 何日かぶりのお風呂は凄く気持ち良かった、ふわふわするぐらいにはね。


「あ……」


 段差に足を引っ掛けて転びそうになったところを大原先輩が支えてくれた。


「こんなときに言うのもなんだけどさ、聖が言うように楓は馬鹿だよ」


 どうでもいいよ、自分が馬鹿だろうと。

 自分の足で立たせてもらって適当に拭いていたら駄目になった。




「うっ……」


 気づいたら洗面所とは別の場所にいた。

 服も着ているし、ズボンも履いていることから着させてくれたんだと思う。

 なんか凄く頭が痛い、あとはなにも食べていないのに気持ち悪さを感じていることだろうか。


「ん……あ、起きたの?」

「……風邪を引いてしまいますよ」

「それは楓だよ、いきなり素っ裸のまま倒れるんだから」


 残念、私は元々風邪を引いていたんだからいまさら風邪を引けません。

 内で冗談を言うのはこれまでにして、流石にこれ以上はやめておいた方が良さそうだ。

 第一、姉を不機嫌にしてしまったのが致命的すぎる。

 姉のおかげでこの家で過ごせているようなものなのに短慮だった。

 謝ろうにもまだ帰ってきていないということだし、タイミングが悪いというか……。

 え、待って、なんでこんな遅い時間なのに帰ってきてないの?


「大原先輩、お姉ちゃんはどうしたんですか?」

「ああ、最近はあたしの家に泊まっているんだよ」

「え……あ、そうなんですか」


 もしこの情報が両親にいったら今度こそ私は終わる。

 しまったなあ、両親がいないからって調子に乗りすぎていたようだ。


「あの……謝りたいんですけど」

「ん? 分かった」


 携帯をすぐに貸してくれた。

 耳に当てると「嘉代?」と聞いている姉の声が。


「お、お姉ちゃん」

「……楓」

「あの、ごめんなさい……」


 表面上だけでも申し訳無さそうにして戻ってきてもらわなければならない。


「いつ学校に行けるの?」

「多分、明後日かな」

「いまはちゃんと家の中で寝ているのね?」

「うん……さっき倒れた、えへへ」


 姉の手先でも大原先輩がいてくれて良かった。

 もしそうじゃなかったらあのまま地獄へ旅立っていたかもしれない。

 残念ながら天国に行ける程、いいことはしていないからね。


「は? はぁ……今日は嘉代にいてもらいなさい」

「いいよ、ひとりでも大丈夫だから、それじゃあね」


 通話を終わらせて持ち主に返した。

 そこからは大人しく何日ぶりかの布団の中にこもって顔だけを出す。


「ありがとうございました」

「あたしもいるよ、聖に頼まれてなくてもいるつもりだったから」

「それだとお姉ちゃんがあなたのお家で緊張するじゃないですか」

「大丈夫、聖はあたしの両親とも仲がいいから、あんたのところの両親とは違うんだよ」


 あのような両親が沢山いたらそんなの嫌だな。

 でも、お金を出してくれている時点でこんなこと言える立場にないんだけど。

 だけど憧れてしまう、そんな優しい両親だったら毎日が楽しかっただろうなって。


「それよりあんた、なんであたしが話しかけたときだけ顔を傾けるの?」

「ああ、左耳が聞こえなくなってて」

「は!?」


 なんか違和感はあるけど問題はなかった。

 あれだろう、現実逃避しすぎて脳がシャットダウンしてくれているだけなんだ。


「なんて、冗談ですよ、そんな訳がないじゃないですか」

「はぁ、よ、良かった、なんにもなくて」

「大原先輩は優しいんですね」


 仮にこれが病気だとしても病院に行くお金なんかないからしょうがない。

 なにかが残っても自業自得ということで片付ければいい。

 50歳まで生きれればそれで十分だ、しかも目が見えないとかよりは遥かにマシだから。


「楓、ごめんね」

「え?」

「わっ!」


 顔を近づけられたことに凄くびっくりした。

 あと、やっぱり片耳だけしか聞こえないようだ。


「ねえ、本当に聞こえているの?」

「ごめんなさい、嘘を付きました」

「も、もしかして本当に聞こえていないの?」

「聞こえていたらいまので驚いていますよね」


 聞こえにくくなり始めたのは数ヶ月前からだ。

 そのときもただの現実逃避によるもので脳が器用に対応してくれているって喜んでいただけだったけど、目の前の大原先輩が物凄く焦っているところを見ると良くないことだとはわかる。

 慌てて姉にも連絡していたし、なんならその日に病院に行くことになった。

 ただ、保険証の場所とか分からないから高額になるのではないのかと恐れていた自分。

 が、そこは流石姉、一切問題はなく。

 でも、放置しすぎて完治することはほぼないだとか。


「ちょ、なんでふたりがそんなに深刻そうな顔をしているの?」


 現実逃避ではなかったらしいというだけじゃないか。

 両耳が聞こえないというわけでもないのだからそこまで悲観はしていない。

 だけどあれだな、ストレスを感じる生活だったからな。

 両親にも嫌われ、学校に行けば生徒にも嫌われる生活じゃそりゃこうなるよ。

 なんかふたりが絶対に動こうとしないからひとりで帰ることにした。


「あ、単純にまだお金を払っていなかっただけか」


 それでもいいや、鍵も持っているからさっさと帰ってしまおう。

 正直に言って、普通にまだ体調も悪いからしょうがない。

 あ、音楽とかイヤホンをつけたときは楽しめなくなるなあ。

 メインの部分が聞こえなくなったりしたらつまらないな。

 それ以外で困ることってあるだろうか、いきなり左からなにかが来ても気づけないとか?

 ……考えれば考える程、不安になっていく。

 それでも、わざわざ言うことじゃなかったんだよなあと。

 仮に姉、もしくは両親に伝えててもなんにも変わらなかった。

 気の所為だとかそういう風に躱されて終わっていたことだろう。

 そんな無駄なことをしなくて本当に良かったと思うって――ほんとはちょっと後悔しているけども。

 だって好きな人ができてさ、左側を歩かれていた場合は聞こえないってことでしょ?

 さっきはあんなことを言ったけど、いまさらながらに絶望感が出てきたのだった。




 テント生活をやめて1週間。

 体調も治ったのになんとも言えない時間を過ごしていた。

 やっぱり両耳の聴力がしっかりしているのは良かったんだなと気づいたからだ。

 けど、後悔してもどうしようもないからしょうがない。


「楓」

「あ、大原先輩」


 事情を知っている大原先輩は必ず右から話しかけてくれる。

 ただ、あれからなんかかったい表情のままだから困ってしまっていた。

 別に先輩が理由というわけじゃないのにさ、この人はあんまり踏み込みすぎない方がいい。

 他人のことでいちいちそんな顔をしてしまうのは疲れてしまうからだ。

 あ、そういえば先輩が来てくれるようになってから周りが少し変わった。

 なんか姉と先輩はそこそこ有名な人らしい、よくわからないけれど。


「元気?」

「はい、問題ないですよ」


 あんな馬鹿なことをしても意味がないと分かった。

 誤解されてしまうかもしれないけど、同情を引きたくてやったわけではないのだ。

 だから春になって暖かくなり始めたらもう1度寝るつもりだった。


「楓……」

「どうしたんですか?」


 左側面を撫でながらそんな顔をされても困る。

 私は大丈夫と伝えるために先輩の手を両手で挟んで笑ってみせた。

 笑うということが少なかったからちゃんとできているのかは分からない。

 でも、何度も言うけどこの人がこんな顔でいる必要はないから。


「嘉代、ここにいたのね」

「聖」


 姉が来たことによって余計にざわつく。

 右側はちゃんと聞こえているから分かる。


「そんな顔をしないの、楓だって気にしてしまうでしょう?」

「でもさ……」

「あなたのせいではないわ」


 そうそう、姉はやっぱり代弁してくれる人だ。

 同情されたくて放置したわけではないのだから。

 それになんでこの人が私のところに来てくれるのかが分からない。

 最初からそうだった、そんなにちっぽけな人間に見えたのかな?

 放っておいたら潰されるような人間だと思われている?

 おいおい、私が何年耐えてきたと思っている。

 あの家で過ごすために、小中高と外で過ごすためにどれだけの工夫をしたと思っている。

 先輩は知らないからしょうがないかもしれないけど、ずる休みをしたことはなかった。

 ……この前のテント泊は慣れるためにしたためであって、寝袋で悪化するとは……。

 とにかく、私はそこまで弱い人間ではないということを知ってほしい。

 あ、放課後に居残る生活というのは続けているけど。


「楓は昔から勉強をするのが好きね」

「これしかやることがないからだよ」


 たださあ、姉が残っちゃったら意味ないじゃん?

 あとこの姉、あれからべったりなんだよなあと。

 これまではしょうがなく母に言われたからって感じだったのに、いきなりさ。

 別に不仲よりはいいけどさ、なんか違うじゃん?

 相手になにか異変が起きてから近づくって哀れんでいるというか同情とかじゃん。


「先に帰っててよ」

「駄目よ、危ないじゃない」

「いやいや、大丈夫だって」


 通学路は車通りが多いわけじゃない。

 細道を上手く利用すれば特に問題もなく帰れる。

 おまけに暗いのは得意なのだ、何年も外で過ごしてきたからこそのそれ。

 私はひとりに慣れすぎたから誰かといるのが逆に嫌だった。

 だってどうしても集まったら会話をするでしょ? そのときにいいこと言えないもん。


「ごめんなさい……」

「お姉ちゃんも大原先輩のこと言えないじゃん」


 余命宣告などをされたわけだとかじゃないんだからさ。

 はぁ、逆にこっちがその度に大丈夫だって言わなくちゃならないから疲れるよ。

 これならひとりでいた方がいいよ、多分誰だってそう思うはず。


「わっ、手を掴まれたら書けないじゃん」

「もう帰りましょう、家でやればいいじゃない」

「あ……分かったよ」


 が、そのまま手を掴まれたままとなった。

 どれだけ心配しているのか、確かに聞こえづらいけどさ……。


「今日、大原先輩は?」

「先に由愛と帰ってもらったわ」

「いつも一緒に帰っているんだ?」

「お互いに忙しいこともあるから別々も多いけれどね」


 忙しいのに毎日来てくれていたのか、今度なにかお礼をしなければならないな。

 でも、私は先輩のことをなにも知らないままだ。

 出会ってからが超展開すぎた、知ろうとする努力が必要かもしれない。

 大体、あそこまでしてくれる人を疑っているままなんて馬鹿のすることだろう。

 姉の友達だからって壁を作っていたら誰もこっちのことなんか気にしてくれなくなる。


「倒れたときにお世話になったからさ、大原先輩にお礼がしたいんだけど」

「そもそも、熱が出ているときに入るなんておかしいわ」

「うっ……しっかり寝ていたから大丈夫だと思ったんだよ」

「風邪を引いたときにテントで寝るような馬鹿だとは思わなかったわ」


 うっ、このことは自分で考えることにしよう。

 これ以上口にすると馬鹿馬鹿口撃にやられてしまうから。

 それとこれとは別と言いたげな姉の顔は外気と同じく冷たかった。

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