カミツキレイニー「月夜にうひひとカタツムリが笑う(試し読み版)」【七味唐辛紙「先輩と後輩」収録】
七味唐辛紙
月夜にうひひとカタツムリが笑う
「世界を壊すなんて簡単さ。必要なら、一瞬で終わらせることだってできるよ」
映画雑誌のインタビュー記事で、そんなことを話していた監督は誰だったか。
僕らの世界を壊すもの。日常を破壊し、非日常へと誘うもの。
それは月のように大きな隕石だったり、太古より蘇った怪獣だったり、マッドサイエンティストに作られた生物兵器であったりする。
なるほど僕の日常は、いとも簡単に壊れてしまった。ただしその原因は、隕石でも怪獣でも生物兵器でもなく、スターバックスで出会った〝やけに唇の赤い女〟だったけれど。
あの日。
午前の講義を終えた僕は、サンエー那覇メインプレイスにいた。そのデパートに併設された映画館で、新作を観るためだ。
予定よりも早く到着してしまって、一階のスタバで時間を潰すことにした。アイスコーヒーを一杯。ただそれだけを注文し、人混みを避けてテラスへ出る。日は沈み始めていたけれど、外はまだ蒸し暑かった。
歩道を行き交う人々の雑踏と喧噪。夕方は特に車が混み合う。
車道で渋滞が発生し、クラクションが茜色の空に響いていた。
僕は歩道側の席を陣取って、スマホで映画のレビューサイトをのぞいていた。
ネタバレに気をつけながら、これから観る映画の評判をチェックする。と、そんな時だ。テーブルを挟んだ向かいの椅子が引かれたのは。――ギッ。
「ねえあなた、石、要らない?」
「……へ?」
素っ頓狂な声も出よう。僕の向かいに座ったのは、まったく見知らぬ大人の女だった。ツバの広いUFOみたいな帽子に、タイトな黒のワンピース。真っ赤な唇に目を惹かれる。大きなサングラスで顔の半分を隠していたけれど、美人であることは感じ取れた。
夏の熱気をはらんだ風が吹き、お姉さんのウェーブがかった髪がそよぐ。ふんわりと、花のような香りがした。
「……あの、人違いでは?」
「いいえ。私はあなたを知っているわ。あなたに受け取って欲しいの」
頬杖をついて、こちらを見つめる大きなサングラスに、ごくりと固唾を飲む僕の顔が映る。
セレブだ。まごう事なきセレブだ。しかし悲しいかな、先ほども述べた通り僕にそのような知人はいない。
他人なのだ。何かを譲られる筋合いがない。
「ええと、石……ですか?」
「そう、石。とっても、とっても大事なものよ。大切にできる?」
女性がハンドバッグから取り出したのは、レースのハンカチに包まれたカタマリ。口紅と同じ真っ赤な爪先で丁寧にハンカチをめくり、僕に中身を確認させる。手の平サイズの、黒曜石みたいな石だった。
「これ。誰にも渡さないでよ?」
「……え。要らないんだけど……」
「要るの! いい? 絶対に手放さないで。肌身離さず持っておくように。いいわね?」
その人は僕の手を取って、無理やりハンカチを握らせる。
滑らかなレースの手触りの向こうに、しっかりとした石の重みを感じた。
女性がぐいと顔を近づけてきて、サングラスに映る僕の顔がグニャリと歪む。
甘い香りがいっそう強くなり、鼻先を吐息が触った。
「これ、大事にしてくれる?」
「……あ、じゃあ、はい」
僕がしぶしぶ頷いたのを見て満足したのか、その人は笑った。
クールでセレブな格好とは不似合いな、屈託のない笑い方で――うひひっ。
「あ、やばっ」
僕の背後を見て、女性は身を縮める。
なんだろうと振り返れば、「あっちだ」「いやこっちだ」「追え」「逃がすな」「回り込め」――スーツ姿の男たちが、インカムでやり取りしながら、こちらへと向かってくる。
「何事……?」と、視線を戻した先に女性はいない。
コッコッコッ――。ピンヒールの足音をテラスに響かせて、彼女が向かった先は外ではなく、店内だった。
直後にバタバタと男たちが駆けてくる。
なんだ、なんだと戸惑う人々の目には一切気にせず。二手に分かれて一方がテラスを横切り、店内へと入っていった。いかにも、逃げ出した要人を追いかけているSP的な……。いや、あまりにもそれっぽ過ぎて、逆に嘘くさい。
「ドッキリ……?」とテーブルの下を覗いてみる。
辺りを見回してもみたけれど、どこにもカメラのようなものはない。
そもそも、一介の貧乏学生にすぎない僕である。ドッキリを仕掛けられる理由がない。
「……じゃあ、ホンモノ?」
夕空にパトカーのサイレンが響いていた。
嘘くさいSPたちはあっという間にいなくなった。
けれど僕の手の中には、確かに。
〝やけに唇の赤い女〟から渡された謎の石と、それを包むレースのハンカチが握られていた。
(※この続きは12月30日発売の合同誌『七味唐辛紙「先輩と後輩」』本編でお楽しみください)
カミツキレイニー「月夜にうひひとカタツムリが笑う(試し読み版)」【七味唐辛紙「先輩と後輩」収録】 七味唐辛紙 @red_h_c_papers
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