第2話


8畳のワンルーム。

ただでさえベッドで圧迫されている上、床には物が散らばっていて、足の踏み場もない。もはやゴミ屋敷一歩手前だ。

その真ん中に置かれた小さなテーブルを挟んで、澪と男は座っていた。

男は入ってきたときからニコニコしていて、若い女性の部屋とは思えぬ佇まいを見ても、その笑顔を崩さない。


お届け物だという男に「立ち話もなんですので」とよくわからないことを言われ、仕方なく家に上げることにした。

冷静に考えれば明らかに怪しい。

届け物ならその場で渡すのが普通だし、真心便なんて聞いたこともない。すぐにチェーンを掛けて追い返すべきだ。

でも、今の澪には元気も気力もなかったし、そんなことはどうでもよかった。

その男が発した名前だけが、澪をつき動かしていた。


「申し遅れましたが、わたくし、こういう者です」


 男はショルダーバッグから名刺を取り出し、慣れた手つきで差し出した。


「しののめうんそう まごころか……」

「はい。しののめ運送 真心課の桂木壮一と申します。本日は、空田賢一さんからの真心便のお届けで伺いました」

「あの、賢一さんからって、どういうことなんですか」


だって、あの人は――

思わず身を乗り出す澪を、桂木は「まあまあ」と押しとどめた。


「お気持ちは大変よくわかります。その前に、ご説明をさせていただけますでしょうか」


身長は170くらいだろうか。ひょろりと細長い体つきに、天然パーマ気味の癖っ毛。ニコニコと笑顔を絶やさない顔だちは端正と言っていいレベルだったが、気を抜くとすぐに顔を忘れてしまいそうな――存在感の薄さがあった。

あらためてまじまじと見ると、身に着けているシャツ以外にあの人との共通点はない。なぜ一瞬でも似ていると思ったのだろう。そんなことを澪はぼんやりと考えていた。


「私は、運送会社のしののめ運送の真心課で働いております。ご存知ですか、しののめ運送」

澪は無言で頷いた。


しののめ運送はここ数年で急拡大した運送会社だ。大手が独占している業界ながら、先代の社長が地道な営業努力で各所に食い込みその地盤を築いた。新しい社長はさらにやり手で、独自の流通網やコストカットなどを駆使して、ここ数年で急成長を遂げた……とテレビで見た覚えがある。


「ありがとうございます。弊社は個人や企業様の配送を主な事業としておりますが、それ以外に特殊な事業を手掛けております。それが真心便で、その業務を担っているのが、私が所属する真心課です」

淀みない説明を聞きながら、「まごころ……びん」と呟いた。


「はい。真心便は先代社長が立ち上げた事業で、こちらも運送業ではございます。ただ、お届けする物は、物ではございません。私たちがお届けするのは」

桂木は少し微笑み、もったいを付けて言った。


「お客様の、真心です」


何を言ってるんだろう、この人。

驚きもせず、呆れもせず、無反応な澪だったが、桂木は気にすることなく言葉をつづけた。


「今回お伺いしたのは、空田賢一さんよりご依頼いただいた、真心便をお届けするためです」


鞄の中から書類ケースを取り出す。よれたショルダーバッグだったが、書類ケースは高級そうな革のもので、少し意外に感じた。

「こちらがお預かり証です」と紙を取り出し、テーブルの上に置く。

つい手の動きに釣られて視線を落とし、

名前が、目に入った。 


空田賢一


流れるような筆遣いで、全体的に右上がり。筆圧が薄くて少し読みにくい。


あの人の字だ。

もう動くことはないと思っていた心が、騒めいた。

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