第8話 ニードルラビット

―――前門の虎、後門の狼、だったっけ?


 栄人はこの状況を自分がかろうじて知っていたことわざ―――それでもかなり怪しい使い方だが―――に当て嵌める。


 前に進むにはニードルラビットがいて、かといって戻ろうにもそこにもまた別のニードルラビット。獲物の横取りはマナー違反、なんて人間のような決まりがあればいいなと思ったが無いようだ。

 兎にも角にも危険な状況、一対一なら命の危険がなく逃げられると算段をつけていたが二対一なら話は別だ。もしかしたら逃げられないかもしれない。


 ひとまず栄人は立ち上がる。ニードルラビットから遠ざかるように斜め前に脚で地面を蹴りながら勢いよくだ。

 しかしニードルラビットはノロマではない。栄人が立ち上がるのに一秒か二秒。その間に目の前で倒れ込んだ敵に攻撃を下すことくらい容易に行える。


 ひとまずは相手が逃げられないようにしよう、という判断なのかニードルラビットは立ち上がろうとした栄人の脚、その膝より少し上のふくらはぎの辺りを角で突き、それはアッサリと脆弱なゴブリンの身体を貫く。


『グガァ!?』


 今まで平和な日本で生きてきてイジメなども受けていなかった栄人は痛みに慣れていない。一番痛かったのはせいぜい最高速度の自転車から頭から転げ落ちたときくらいだ。勿論脚を貫かれる痛みなど知らない。


 その痛みに身体が硬直しそうになるが、幸いにも立ち上がるために動いていた身体は勢いを完全には殺されない。

 突き刺さった角に引っ張られるようにニードルラビットごとまたも前に倒れ込み、地面に顔面を強打する。

 その際に踏ん張ろうとしたニードルラビットと前へ進もうとする脚の力のベクトルが完全に逆に向いたためさらに角が肉を裂き、栄人の身体を再度痛みが駆け巡る。

 しかし今度は痛みに堪える。少なくとも声は漏らさない。


(こんっ、の──)


 そのまま栄人は後ろを向き、角を突き刺したまま抜けない角に焦っているニードルラビットの位置を確認。上半身を捻りつかみ取り、自分の脚から角を抜く。

 そして手中で暴れるニードルラビットを絞め殺さんとするほどの力で封じ込め、今度こそ立ち上がった。

 そして、両手をニードルラビットの首に回して全力で絞める。

 五秒も経たぬ内にニードルラビットの身体から力が失われる。ガクンと前脚後脚が垂れ、身体が一直線にぶらんぶらんと揺れた。


《ニードルラビットを討伐しました》


(さて、こいつどうしようか)


 アナウンス音によりニードルラビットの絶命を確認した栄人の頭にいくつかの選択肢が浮かぶ。

 一つはこいつを放っておいて追いかけて来るニードルラビットを迎撃するというもの。

 この場合折角倒したニードルラビットを実験に使えず捨てることになる。しかしまだ戦いは終わった訳ではないのだから死体に気を取られるわけにいかないのも事実だろう。

 二つ目はこのニードルラビットを今ここで食べる。

 これなら死体を無駄にせずに実験を行えるが二体目に意識を割けなくなる。その上モンスターの肉を食った結果状態異常が発生し動けないところを殺されるなんて可能性も生まれてしまう。

 三つ目は全力で迎撃なんてチャチなことは言わず自分から二体目のニードルラビットに駆け寄り即効で倒し、一体目の死体が消えない内に実験を開始する。

 しかしこれは栄人の脚の負傷により即座に却下。


(ま、ここは一つ目安定だよな。別にニードルラビットを奇跡的に倒せてもう二度と倒せないなんてわけじゃないんだし。希少性が低いものにこだわって命を危険に晒すなんて愚行が過ぎる)


 この三つの選択肢の内、栄人は迷いなく一つ目のものを選択する。確かにその気になればいくらでも狩れるだろうもの一つに執着するのは愚かだ。

 と、いうわけで栄人はもう三メートルほどの近くまで来ているニードルラビットに腰を低く保った迎撃の姿勢を向ける。


 それからすぐ栄人に正面から襲いかかる、と見せかけて直前に側面へと向かうように進路を変更するニードルラビットに向け、そんなもの分かっているとばかりに進路上に脚を振り下ろす栄人。


(そもそも自分の五倍大きい相手に真正面から向かって来る馬鹿がどこにいるって話だよ)


 そんな馬鹿がいるとすれば、ゴブリンや物語の主人公クラスの存在だろうと栄人は考える。

 その主人公も充分な力をつけた、魔法のような行為が簡単に行えるようになってからだろう。少なくとも普通の人間と同じかそれより弱いだろう状態ではやらない。

 故にゴブリンのように馬鹿でもなく主人公のように強い訳でもないニードルラビットが進路を変更し背後から襲いかかろうとすることぐらい簡単に予測できる。

 そして予測できればその先に攻撃を置いておくことも容易に行える。


 そのまま自分の起動が読まれていた事実と、ニードルラビットからすればだが巨大質量が目の前に落ちてきた衝撃により少々硬直したニードルラビットに拳を振り下ろす。


 ゴブリンとは違いパンチ一発で瀕死状態になったニードルラビットにこいつは敏捷型で耐久が低いんだなと栄人は能力の特徴に当たりを付ける。


(それにしても、スキルを見ずに終わったな。いやそれが一番なんだが)


 少し拍子抜けな気分を味わいながら食べられるかどうかの実験に使うため勝ちが確定した今出来るだけ傷付けないようにと殴るのではなく首絞め戦法でニードルラビットを絶命させる。


《ニードルラビットを討伐しました》


 アナウンスにより絶命を確認することも忘れず、戦闘が終了したことを理解した栄人は実験を開始する。

 即ち、ニードルラビットを食べる。


(落ち着けー、落ち着けー、俺は今ゴブリンだ。だから生のモンスター肉食べても大丈夫だ。そもそも兎だから毒も無いだろうし消えない内にバクッとそれバクッと)


 予定として考えている段階では抵抗が無かったがいざ実証に移ろうとすると途端に湧き出てくる食べて大丈夫なのかという不安に早く食べろという意を含む単語を連発し、己を激励する。


 結果、栄人は実験内容を変えたへたれた。ニードルラビットは死後どの程度の時が経過すればゴブリンやスライム同様塵となって消え去るのか。

 それともそもそもニードルラビットは消えないのか、例外もあったりするのか、いやそもそもスライムやゴブリンの方が例外で消えるという可能性もあるのかという実験に。


 ……まあこの実験も一応は今後の役に立つ。ここで法則性を少しでも見出だしておけば後々このモンスターは消えなさそうだから食料として優先的に狩っておこう、などの判断を下せるようになるかもしれないからだ。

 そう納得させ、栄人は嫌なことから積極的に逃げ出す。元々そんな性格だから勉強もしていなかったのだ、人間の性根はそう簡単には変わらない。

 この状況が簡単かと問われれば首を傾げざるを得ないが毒があるかもという免罪符がある時点で栄人はわざわざ進んで辛い方を選んだりしないのだ。

 ともかくニードルラビットの死体が消えるまでのカウントを始める。


(百を超えても消えなかったらひとまずは消えないということにしておこう。一……二……)


◇◆◇◆ 


(五十一……五十二……なんかダレてきたな)


 カウントが五十を超え、それからさらに数十秒。戦闘では致命的だが日常生活ではあまりにも短い、カップラーメンも作れない時間が経過した。


(九十四……九十五……よし、あと少しで百秒だ)


 栄人がカウントをし始めてからもうすぐ百秒が経過しようとしているがニードルラビットの死体はまだ消えていない。 消える気配も露ほど見せないので消えないようだなと半ば確信を抱かせるような状態であった。


(九十八……九十九……百!)


 百を数え終わったが、やはりというべきか依然として死体は残ったままだ。

 これまでの死体とは違う状況に原因を考える。


(うーん、これは食べられるから消えないってことでいいのか? いや、早計だよな。ひとまず三つ以上は候補を出してからでないと見落としが無いかが怖い)


 では他にどんな可能性が? と考え栄人は一つの光景を思い出す。

 思い出す、というには直近過ぎるのではないかと思うが。

 実際かなりハッキリと記憶に残っているし、数秒と掛からずにそれに思い至ったのだから。


(ゴブリンの死体って、スライムより消えるまでちょっと長く無かったっけ?)


 だったら強さで消滅までの時間が変わるのか? と仮説を立てるが、ゴブリンとニードルラビットにそこまでの強さの差はない。せいぜい一と一.五くらいの差だ。

 しかしゴブリンが消える時間も十秒掛かっていなかったように思える。

 なのにニードルラビットはその十倍以上の百秒を超えてもまだ残るという記録を打ち立ててさらに現在進行形でその記録を伸ばしている。

 なので強さだけでは説明できない。


(うーん、うーん……ん?)


 頭を第二関節で曲げた指でグリグリほぐし、ゆらゆらと揺れながら何かないかと辺りを見回し、違和感に気付く。


 もう一体の死体が、既に消えている。


 どうせ他と似たり寄ったりの結果になるだろうと思っていたために一体分の死体にしか注目していなかったため最初に殺した方は意識の外側にあった。

 故に、見落としていたのだ。

 一体目と二体目を倒したのには時間差タイムラグがあったはずなので、その時間分新たに待ってみるが、二体目の―――出現した順番で言えば一体目だが今回は討伐した順番で先か後かを決めるので二体目だ―――ニードルラビットの死体は消えない。


(こりゃあ、こいつが他とは何か違う、と考えるのが自然か。しかしだとすると、何が違うのやら)


 その様子から、栄人はニードルラビットという種族全体ではなくこの個体が他とは違うのだろうと考える。

 ならばその違いはなにか。

 一つはこれが長く生きた個体であったという可能性。しかしだとすればあんなにもアッサリと倒されてくれる訳が無いだろう。

 二つ目はこれがメタルスライム的存在だった可能性。つまり他とは経験値、この場合は残留時間が別物の個体という可能性。

 しかしこれも一体目と違いが分からないため外れているだろう。というか特殊個体説は諦めるべきだ。

 ともかく外から見た感じや強さには差が見られない。


 ――ならば、外側ではなく内側に何か原因があるのか?


 そう思い、栄人には一つ思い至る原因があった。今回手探りで得たものではなく小説などでよくある設定の一つだ。


(魔石、かな?)


 その可能性に気付いた瞬間、その可能性をこの状況に当て嵌めた瞬間、色々なものに説明がつく。

 強さや外見に差がないのはいわばこれはドロップアイテムのようなもので、それがあるからと言って強さが変わるなんてことはまず無いだろうからだ。

 次に残る理由、ドロップアイテムがあるのにそれを取らない内に消えるのは嘘というものだろう。だから魔石とあう可能性に気付かぬ内に消えるなんてことは無かった。

 これでもう確定したと言ってもいいだろう。

 このニードルラビットの身体の中には、魔石がある。


(なら……うう、やりたくないけどやるしか無いか。はあ、憂鬱だ)


 そう、そこにたどり着いたならやるべきことは決まっている。

 身体の中に魔石があるというのなら。


 ―――解剖の時間だ。

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