第一話 代行者、或いは『死神』

 ああ、またこの夢だ。俺は、僕は、何度この夢に苦しめられるんだ。


 目が眩むほど眩しい炎の壁がごうごうと音をたてながら僕を包囲している。十三歳の頃にまで戻ってしまった身体が溶けてしまいそうなほど熱い。

 僕は『炎の中』にいた。とても見覚えのある光景。トラウマ。絶対に忘れられない過去。

 僕は『僕のおうち』にいた。

 みんなが寝静まりきった深夜、誰もがそれを予期していなかっただろう。僕のおうちは何者かによって放火された。僕が目を覚ました頃には手遅れだった。部屋が火に包まれていた。助からない。どうしよう、どうしよう。


「ママ!パパ!助けて!」


 非力で親に頼ることしかできなかった僕は真っ先にママとパパを呼ぶが、それは直ぐに裏目にでた。勢いで吸った息と共に流れ込む煙が喉を焼き、肺を蝕む。けほっけほっ……痛い。痛くて泣きそうだ。

 それでも僕は、パパとママの元へ急いで向かおうとする。しかし、煙を吸った影響か、極度の熱さからか、立ち眩みで視界が歪み、躓いてしまった。もはや肺と喉の痛みと熱さで、転んだ痛みを感じる暇も絶叫する余裕もなかった。

 ああ、だめだ。まともに立てない。熱い。熱い。喉も肺も痛い。もはや僕にできるのは、遠のく意識をギリギリ保ちながら、この灼熱地獄を這い、扉へ向かうことだけだった。


 その時、扉が開いた。その扉の先は、眩しい光だった。


・・・・・・・・・


「はっ」


 最悪な夢から目覚めた。枕元で充電してあったスマートフォンは5月7日(木)23:55と表示している。まぁこういう悪夢はよくあることだが。タチが悪いのは火を見たらこれをフラッシュバックしてしまうことだ。なるべく火を見ないようにはしているが、それでもふとしたきっかけで火を見てしまい、使命の執行に支障が出てしまう。なんとか克服しなければいけないというのに……

 さて、ベッドから起き上がると丁度ドアが開いた。父さん(といっても今の育ての親だが)が着替えを持って起こしにきてくれたようだ。父さんはこの教会を一人で切り盛りしている上、俺の世話と主神の御言葉を聞くために朝早くから夜遅くまで動いている。


「おはよう死生。今日も〇時に御言葉を授かりに行く。それまでに、一通り支度を済ませておけ」


 父さんが死神を彷彿とさせる黒いローブを俺のベッドの上に置く。俺にとっての仕事服みたいなものだ。遺物の鎌にローブ、もし俺がガイコツだったならもはや死神そのものなのだろう。


「今ヒレカツを揚げているところだ。米も炊いたし、キャベツも刻んでおいた。みそ汁も作っているぞ」


 今晩のメニューを伝えた後、父さんは準備をしに行った。俺も立ち上がり、まだ覚めない眠気を起こすため顔を洗いに行くことにした。

 通りかかった食卓からじゅうじゅうと揚げられているヒレカツの匂いとみそ汁の匂いが漂ってくる。基本好き嫌いはしない方だが、実は揚げ物は好物な方だ。なにより揚げたてはさくさくしていて良いものだ。早く顔を洗って着替えてこねば。


 手に掬った冷水を顔に当てたら、水が若干温くなった。あの悪夢のせいか、顔面が少し熱くなっていたのだろう。本当に嫌な気分だ。ふと洗面所の時計を見ると、十一時丁度だった。まだ一時間もあるが、早くこの気分を紛らわしたい。


 寝着を脱ぎ、ベッドの上に置かれたローブを着る。このローブは俺のためにそれ専門の職人が一年に三枚のみ作ってくれる特注品だと聞いたことがある。機能性は抜群で、夜の暗がりに溶け込みやすいだけでなく、とても軽くて丈夫なので動きやすい。光信には「あまり破かないように」と念を押されている。一度も破損したことはないのだが。

 スマートフォンは太ももに着けるホルダーにしまっている。こちらもオーダーメイドだ。案外丈夫な作りで、激しく足を動かしても吹っ飛んだりはしない優れた代物だ。もっとも、父さんと連絡する時と時刻確認くらいにしかつかってないが。


 やっとリビングについた。簡易的な仕切りの奥にあるキッチンで、父さんが揚げたてのヒレカツを一口大に切り分けているのが聞こえる。テレビを付けたら、そこには十一時五分という小さな表示を左上に、アイドルの特集を映し出した。


《今夜紹介するのは今人気急上昇中の新人、桜田町出身 桜系アイドル、舞吹雪 桜ちゃんです!》


 もっとも、俺はアイドルなんかに興味はないが。チャンネルを変え、ニュース番組を見ながら朝ご飯・・・の準備をすることにした。


《次のニュースです。五月に入って早一週間ですが、桜田区での不審死、行方不明者などが急増していると、桜田区区長より発表がありました。こちらは会見の様子です》


《えー、今週のデータなのですが、桜田区にて、不審死や行方不明者がですね、先週の約七倍にまで急増している、というデータが、出ています。突然このような傾向が現れるのは、この街に、著しい異変が発生していると、考えざるを得ないでしょう。区民の皆さまには大変申し訳ありませんが、夜は特に急用でもない限りは出歩かず、特に一人では絶対に出歩かないようにしていただき、不審者、また不審な現象などは見つけ次第110番通報等してもらうという形で、区民の皆さまにお願いする次第でございます》


 丁度ヒレカツを皿に移し食卓へと置いた父さんが、やはり、と口を開いた。


「遺物を持っている者達が、今月になって動き始めているようだね」


 そして、冷蔵庫から刻んだキャベツを取り出しながら俺に忠告した。


「何度も言うが気を付けたまえ。そいつらはもしかしたら使命の邪魔をしてくるかもしれない。相手が遺物を持っている可能性もある。いままでのように一筋縄ではいかないだろう」


 俺は大丈夫だ。と油断してはならないのは重々承知だ。そいつらの遺物がどんな能力を持っているかも戦ってみるまでわからないのでそいつらの事は十分に警戒しよう。炊き立てのご飯をよそりながら返答する。


「ああ、わかった。気を付ける」


 ご飯が控え目によそられた茶碗を置き、次はみそ汁をよそいに、ついでに箸を取りに行きながらニュースを小耳にはさむ。


《次はたてつづけに桜田区で発生している窃盗・強盗事件についてです》


 そういえば今月に入って毎日このニュースを聞く。なんでも二人組の犯行で、人の少ない夜間を狙って、貴金属店や宝石店、銀行などから一つ残らず奪い去ってしまうそうだ。銀行の警備員の証言によれば、まるで魔法を使っているようだったとの事。


「これも、遺物によるものなのだろうか」


 そう尋ねながらみそ汁と箸を置くと、光信は半分正解、と言う。


「確かにこれは遺物がないとできない芸当だ。だが、本当に遺物を持っているならこんなに派手なことをするはずがない。やるとしてももっと人目につかないようにするはずだ。見つかったら色々と面倒だと遺物を持つ者なら誰もが思うはずだろう」


「だとすると?」


「……七つの大罪、それも『強欲』の影響だろう」


 七つの大罪……今月に入ってから出現し始めた、危険な存在。人間に取り付いて、力を与える代わりに欲を制御できなくさせるそうだ。もしかしたら今月になって不審死が増えているのも関係があるのかもしれない。まだ誰がどの大罪を持っているのかはわからないが、早く大罪を取り除かねば大変な事になるのは明白だ。


「もしかしたら主神が御言葉によって大罪が何処にあるのか導いてくださるかもしれない。ただ、遺物持ちのように強さは未知数と思え。遺物と大罪を持ち合わせていたとしたら、対処は困難だろう」


 わかった、と返事をしたところで食卓が整った。ご飯にみそ汁、ヒレカツにキャベツだ。


「いただきます」

 

 さくっ。揚げたてのヒレカツはさくさくしていてとてもおいしい。思わずご飯が進むが、炭水化物は取りすぎてはよくないので控え目によそっているため、すぐ無くなる。代わりにキャベツなどのサラダを多めに食べるようにしている。本来ならば俺のようによく動き回る人はもっと食べた方がいいのだろうが、急に成長してしまうとローブも着れなくなってしまうだろうし、何より細身の方が動きやすい……はずだ。


「ヒレカツは好きだろう。どうだね死生?」


「ん、おいしい」


「よかった。これでこそご飯をつくる甲斐があるってものだ。では私もいただこう」


 朝ご飯・・・は毎日必ず父さんが作ってくれる。なにより使命を果たしに行く前のご飯なので、それに一緒にご飯を食べれる唯一の機会なのでせめて手作りを食べさせたい、という思いで作ってくれている。


・・・・・・・・・


 貴重な団らんもあっという間に終わってしまう。食卓には空のお椀とお皿、箸のみが残った。


「ごちそうさま」


「ごちそうさま。片付けは私がするから、死生は鎌を持ってウォーミングアップでもしてきなさい」


「ああ、わかった」


 十一時二十分。まだ時間はある。山で運動でもしてこよう。


 まずは自室に掛けてある鎌を持ってくる。不思議なことに、三年間使っていて未だに傷一つついてない。

 遺物『刈り取る鎌』十五歳の頃、父さんから授かった遺物だ。これで人を刈ることで罪を取り除く。本来ならばこれは魂を刈るための遺物であるらしい。魂を抜き取られたら当然人間は死んでしまう。しかし、俺は更生の余地があるはずの人間を無意味に殺したくはないのであえて魂ごと刈り取らず、悪しき部分のみを取り除き、その人を悔い改めさせることにしている。最初は父さんは反対していたやり方だが、今となっては渋々認めてくれている。


 鎌を担いで、黒い皮靴を履き、夜の山へと駆け出す。都会には似合わない立派な森が生い茂る山だ。もちろん山としては小さい方だが、身体を動かすには十分な広さをもっている。教会、そして俺たちの家は山の中腹くらいに位置し、そこから頂上までの山道の道のりは300mくらいある。俺の足なら、ざっと二十秒程度でつく。頂上に着いたら、跳躍で6mくらいの木の上に登り、町を見下ろしてみる。深夜だというのにコンビニは光り、ビルの窓はギラつき、近くの高速道路では車が行きかっている。一週間前から異変が起こっている割には代り映えのしない都会の街並み。自然あふれる山から眺めるそれには最初は違和感を覚えたが、三年もたってしまえば慣れてしまうものだ。そう、遺物という、常識を遥かに超えた物質すらも。


 先ずは木々を飛び移りながらの素振りを一秒に二回のペースで五百回だ。これで急襲能力を始めとして、腕力、脚力、またどの木に移ればいいのかなど判断能力などを全体的に鍛える。俺が最初に思いついた練習法だ。今の父さんから聞いた話だが、生まれつき身体能力が高く、常人とは比べ物にならないほどの足の速さや腕力の強さをよく見せていたらしい。無論これで満足するわけにはいかないので、こうやって練習しているのだ。


 次に木を蹴り他の木に飛びながら素振り。先ほどとは違い木の上からではなく腹を蹴って別の木の腹まで行って蹴ってを繰り返している。この練習は脚力と速さを重点的に鍛えている。こちらは一秒五回を目安に千回。


・・・・・・・・・


 と、このように準備運動をしていたら十一時五十五分を教えるアラームが鳴った。もうすぐお告げの時間だ。急いで山を下る。

 

 教会の戸を開くと、既に父さんが静かに主神にお祈りを捧げていた。邪魔にならぬように音を立てずに向かい、跪き、目を瞑り、手を組んで、祈りを捧げる。


 教会の時計から0時を示す鐘が鳴った。いよいよ始まる。父さんが遺物の十字架を掲げて御言葉を乞う。


「時はきたれり。主神よ、御言葉を聞かせ給え。我々は、今宵は誰を戒めるべきか、今一度示したまえ」


 父さんに呼応するかのように、しゃららら、と十字架から光が溢れ出す。その光は目を瞑っていてもわかるくらい眩しかった。まるで、主神がとても大切なことを伝えてくださるかのようだった。しかし、やはりというべきか俺にはその御言葉は聞こえない。主神の声はあの遺物を通して聞こえているのだろうか?それとも父さんの長年の誠実な信仰の賜物だろうか?一つ言えることがあるとすれば、ただ与えられた使命をこなし、罪人を悔い改めさせるだけの俺にとっては、それは暫くは知る由もない話だろう。


 暫くして光は収まり、目を開けると、父さんが深刻な面持ちで立ち上がっていた。御言葉を聞き終わったようだが、今回の使命は一筋縄ではいかないようだ。


「気を付けたまえ。今回は、大罪が相手になるだろう『吊られし憤怒、太陽の光に在り』主神はそれのみを言った」


「吊られし憤怒か。わかった。しかし太陽の光というのが引っかかるな。深夜だというのに」


「主神を疑うべからずだ。なに、御言葉の意味はいずれわかるだろう。それに、遺物持ちも暴れている今じゃ、有り得ない事もありえるだろうから、突然太陽が出てくるなんてころもあり得るだろうしな」


「と言われても……仕方ない」


 疑念は代行者には要らない物だが、どうも引っかかってしまう気持ちを抑え、息を一つ吸って、主神への誓いを述べる。


「主神よ。虚 死生は代行者として、吊られし憤怒へと向かい、必ずやそやつを戒めんことを誓います。」


 そして教会から飛び出した俺は、一瞬驚くべき光景を目の当たりにする。


「……ああ、なるほど、あれが太陽の光か」


 本当に一瞬だった。閑静な住宅街の中心から空に向かって扇状に薙ぎ払われた光の柱。雲を切り裂き、その合間から天から返すように光が来そうな、父さんの遺物の光とは違うが神々しさを感じる光。あれはただの光ではない。俺にはわかった。これは太陽の光。即ち遺物だと。


 だとすれば、あそこにいけば吊られし憤怒と戦うことになる。遺物も持っているだろう。警戒しつつ、急いで行かねば。山を急いで下り、住宅街の方へと向かう。


 家々を飛び越えている最中に、また光の柱を二、三本見た。位置は移動していない。もうすぐそこだ。光源の真上であろうアパートの上に立つ。しかし先ほどまで光を発していたとは思えないほど、その裏路地は静かだった。

 どこだ?周りを警戒していたその時だった。


「ぎゃああああぁぁぁっ!!!」


 その静けさからは想像もできない悲鳴が裏路地から響く。少女の声のようだ。もしや……裏路地に降り立ち、音源であろうマンホールを探した。恐らくそこで少女が襲われている!助けなくては!


「ああっ!ぐううぅっ……」


 一つだけ蓋の開いているマンホールがあった!少女の声が弱まっている!急いで中に突入した。そこには……


「死ね!死ね!死ね!死ね!俺の!邪魔を!しやがって!!!死ね!死ね!早く死ね!!!」


 手足と首を絞められている、白い髪の少女がいた。

 それの首を絞めながら、殴り蹴りする、赤髪と狂気的な顔を持つ男がいた

 俺は確信した。この男こそ

 『吊るされし憤怒』だと


「なんだ?テメェまで!死神みてぇなカッコしやがって!!ぶち殺す!殺す!殺す!!」


 憤怒の名に違わぬほどの怒りを感じる。ただ者ではない。だが同時に、俺も怒っていることを感じた。か弱い少女が縛られ、一方的に殴られ、蹴られ、殺されかけている。いつもは感情を晒さないが、今回ばかりはあふれ出そうだ。


「たすっ……けてっ……!」


 まずい、冷静に判断することができなくなってしまう。怒りをぐっと堪え、目の前の標的に集中する。この気配、間違いなく遺物も持っている。このような相手は初めてだ。だが、俺のやることはこいつを戒めること。


 その赤い髪、赤い眼差しをした、怒り溢れる男は俺に指を向け

 死刑の執行を宣言した。


「絞首刑っ……執行ぅぅ!!」


 突然、ぶぉんと首の周りに麻縄が現れた。とっさに後退しながら縄を切った。縄は切られた物同志で勢いよくぶつかり合い、鈍い音を立てた。あんな勢いで首を絞められたら窒息ではすまない。真っ直ぐ挑めば間違いなく絞首刑となるだろう。


 下水道の壁を走り、憤怒、いや、少女へと接近する。戦っている間にあの女の子が死んでしまうかもしれない。まずは縄を解かねば。


「来ると思ってたぜぇ?そこぉ!」


 しまった!罠!縄が全方位から飛び掛かってくる!鎌でとっさに切るが、左腕に一本絡まってきた。まずい。焦るな。強く縛られ、腕が潰れそうだ。だが今切ろうとすると間違いなく襲ってくるだろう。


 この腕のまま、行くしかない!


 次は真っ直ぐ突撃し、意表を突く


「はいそこも罠ぁっ!死ねぇ糞死神ィ!」


 と見せかけて、床からの跳躍で上方向からの縄を断ち、そのまま天井を蹴り、少女の縄を切りに行く


「ははははははっ……なっ!?どこだ!後ろかっ!?てめぇよくも、ぶち殺す!!!」


 縄が追いかけてくる。腕がさらにきつく締まり、縄の方へ引っ張ろうとする。構わず、縛られた少女を助けようとする。


「じっとしてろ。今切る」


 しかし



「助けなんて、必要ないわ」


 

 さっきまで白かったその髪は黒く変貌する。服の色すらも、黒く染まっていく。か弱き少女の面影は消失し、代わりに甚大な殺気と闇のオーラが溢れだす。怒りではない。殺気だ。憤怒よりも、危険な気配が俺に襲い掛かる。


 来るっ!俺は身構えた。


あの子の身は、私が守る」


 瞬間、全方位に放たれた黒い線が下水道を抉る。なんとか鎌で身を守ったが、彼女を縛っていた縄は一つ残らず散り散りになってしまった。その隙に鎌で自分の腕の縄を切る。


「戦えるのか?」


 俺の単刀直入の問いに対し、彼女は冷たく、短い答えを出した。


「黙って」

 

 憤怒は突然の変貌に驚いていた。しかし無駄口を叩くことなく立て直し、俺に見せていた狂気的な表情から真剣な表情へと変え、縄を展開した。彼はきっと理解したのだろう。次は自分が、やられる番だと。こいつは、ヤバいと。


「無駄」


 闇がジェットのように彼女の足から噴出し、一瞬で憤怒へと肉薄した。思わずだろうか、憤怒は縄に引っ張られ後ろへ飛び、展開された大量の縄は、獲物を見つけた蛇のように襲い掛かる。が、


「無駄だといってるの」


 黒い少女が空中で縦に半回転、仰向けになったと思った彼女の身体は横に回る。手からぶつんと。黒いエネルギーが三百六十度に一回転半、炸裂する。汚水が激しくしぶきをあげ、壁は削り取られ、縄は一つ残らず消え去ってしまった。作ってくれた隙にすかさず俺が追撃をかけ、彼の心臓に目掛けて鎌を振るう。


 シャキン、大罪が鎌に移るのを感じる。


「お前の大罪、憤怒を取った。もう罪を犯すな。悔い改めろ」


 その瞬間、彼は正気を取り戻したようだ。まるで人が変わったようだ。


「あ、ああ、僕は、何てことを」


 憤怒だった者から怒りの感情はすっかり消え去り、先ほどのあの狂気的な顔からは想像もできないほど穏やかな表情となった。

 

 しかし、そこに黒い少女はとどめを刺そうとする。復讐なのか。本能なのか。


「あ、ひ、ひいっ!!」


「殺してはだめだ。彼の罪はもう刈り取られた。もう大丈夫だ。だから殺すな」


「どかないのね。貴方の事はなるべく気にしないと思ってたけど、気が変わったわ。庇うなら」


 彼女は右手を俺の顔に向ける。その手に闇のオーラが集ってくる。当たったら死ぬ。分かっている。だが退くわけにはいかなかった。


「殺す」


 鎌を振るおうとするより一瞬早く、闇の力が解き放たれようとしていたその時だった。


「だめっ!!!」


 一瞬で、そのオーラは白くなった。髪色も服の色も、元に戻っている。彼女は右腕を抑えている。ああ、成る程。光の正体がわかった。白い方の少女は光を操るはずだ。


「殺しちゃだめ!悪い人じゃない!」


『なんで!愛ちゃんを殺そうとした奴を庇ったんだよ!』


「だめ!この人たちは、悪い人じゃないからっ!」


 もしや二重人格か?一人の会話は暫く続き、なんとか黒い子が落ち着きを取り戻したようだ。男は深々と頭を下げる


「本当にありがとう、死神のお兄さん、あとそこの子も。僕は憤怒に任せ大量の人間を殺してしまった。罪を償うために今から警察に出頭することにする。この遺物は君にあげるよ」


「いい心構えだ。しっかりと罪を償うといい。主神は悔い改めた者を赦してくださる

 

 マンホールから上がり、赤髪の似合わぬ彼はとぼとぼと警察へと向かって歩いて行った。少女は先ほどの事を詫びる。


「あの、死神のお兄さん。さっきは壊ちゃんが、ごめんなさい」


「いいんだ。名前は何ていうんだ?」


「えっと、苗字は双葉で、私が愛、お姉ちゃんが壊です」


 お姉ちゃん、そうか。黒い方がお姉ちゃんか。


「そうか。俺は虚……


 その瞬間、彼女は一瞬にして黒くなり襲い掛かってきた。


「虚!おまえ、虚だと!!」


「ま、まて!人違いだ!いった」


「違わない!お前の事、さっき殺すべきだった!」


『だめっ!本当に人違いだって!酷い人じゃないから!」


「とめないで愛ちゃん、こいつは殺さなきゃならないの」


 虚という名前に反応したようだ。俺は彼女達の事を知らないが、虚の名前の人に因縁があるらしい。もしかしたら父さんが何か知っているかもしれない。だがまずは彼女を止めなくては。


「……許せ。少し気を失ってもらう」


 鎌を振って彼女達から気力を刈り取る。少々寝てもらうことにした。


「虚!!お前、今度はいったいなに……を……したんらぁ……」バタン


 成る程、寝ると白い方に戻るのか。まぁいいだろう。今の内におんぶして、教会へ戻ろう。父さんがまだ起きてるといいが。父さんは御言葉を俺に伝え、見送った後、明日の教会の運営のために寝てしまう。いつもなら朝に帰ることになるが、今日はまだ一時だ。もしかしたら起きているかもしれない。いそいで戻る。


・・・・・・・・・



「くー。すー」


 ああ、帰ったらすぐこのローブを洗わなければ。肩に少しよだれがかってしまっている。ああ、おんぶするんじゃなかった。


 さて、山の中腹、教会のある場所まで登り終えたところで俺は驚いた。父さんが、入口で待っていたのだ。もう寝ているはずだったのに。まぁ今起きてくれていたのはうれしいが。


「きたまえ。今から主神に大罪を捧げに行く。大罪は私でないと扱いが難しい。だからこうして眠気を我慢して帰りを待っていた」


 なるほど、大罪を捧げるためにまっていたのか。明日の事もあるというのに、本当に苦労人だ。しかしその前に父さんにこの子の事を伝えなければ。


「ほう、女の子を連れて帰ってきたのか」


「この子は『双葉 愛』という子で、光の力を操ると思われる。太陽の光という暗示も、この子の事だったらしい。もう一つの人格として、闇の力を操る『壊』がいる。なぜだかその子は虚という名前に因縁があるらしく、名前を言おうとしたら襲われてしまった」


 なぜ、虚に反応したのだろうか。しかも黒い方だけ。そこだけがどうしても気になってしまう。


「幸い愛の方が壊を止めてくれたので事なきを得たが。でも俺は本当にこの子とは初対面で、何もわからないんだ。父さん、何か心当たりはないだろうか」


 すると、父さんは懐かしいような目で俺の背中でぐっすりと寝ている双葉を見て、小声で言った。


「……これは、運命の出会いと言うべきなのかな」


「まさか、知っているのか?この子を」


 父さんが珍しくため息をつく。


「……正直に言おう。昔この子と会ったがある。だが私もこの子に恨まれるような事はしてないはずだ。とりあえず、この子を一旦起こさないことには話は進まないだろう」


 俺は先ほど刈り取った気力を彼女へ戻す。刈り取った物は鎌の中に保存される。罪を刈り取った場合、主神にその罪を捧げる。それが神の代行者として、与えられた鎌を振るう者としての義務だ。ただこのように罪や魂だけでなく気力だけを奪い取ることも可能だ。専ら罪だけを刈り取っていたため、こういうことは殆どやったことは無いのだが。俺らしくないが、上手くできてよかったと少し安心している。


「ん、むにゃ、ふわぁぁぁ~~っ」


 さっきまで俺の後ろでよだれを出しながら寝ていた愛は、大あくびをかきながら目覚める。


「あれ、ここ、どこ?」


 眠たい目をこすりながら訪ねる。


「おんぶはここまでだ、立てるか?」


「ふぁ、あ、うん。ちゃんと立てるよ」


 どうやら壊は起きていないようだ。よかった。ここでひと騒動起こされるのはとてもじゃないが困る。


「ようこそ、桜田教会へ。彼は死生、私は光信だ」


「えっと、ここはさくらだ、きょーかい?って言うんですね。光信さん、死生さん、よろしくおねがいします」


 ああ、律義な子だ。と父さんが頭をなでる。少し父さんの手から光があふれ出ているのが見えた。


「君、お家はあるのかい?」


「お家?えーっと、うーんと……わからないです」


 お家がわからない?おかしい。この子は十五はあるはずだ。家を覚えていないなんてことはないだろう。記憶喪失なのだろうか?じゃあこの子はずっとこの街を彷徨っていたのだろうか?はたまた産み捨てられた子なのだろうか?俺にも父さんにも事情はわからない。


「うーむ、仕方ない。今晩はあそこにある私の家に泊まりなさい。死生、この子については明日話し合おう」


「わかった。双葉、俺の部屋は家に入って廊下を進んだら左にある。そこで待っててくれ」


「うん、わかった」


 双葉はとことこと歩いて家へと向かった。俺と父さんは大罪を捧げるため、教会へと向かう。


・・・・・・・・・


 相変わらず静かな教会。父さんが十字架を持ち、主神に祈りを捧げる。俺もその横で鎌を持ち、祈りを捧ぐ。


「ああ、我が主よ。一つ目の大罪、憤怒を今、光信と死生の名の元に捧げましょう」


 またも光が十字架からあふれ出す。その光は今度は俺の鎌へと纏わりつき、憤怒の大罪を天へと運んで行った。

 大罪は昇天し、徳へと生まれ変わる。憤怒ならば、それは忍耐の徳へと。

 あの男は、大量の人間を殺したと言っていた。彼はいずれ死刑に処されるであろう。迫りくる死でさえも耐え、罪を命を持って償い、今度は忍耐強い人間として生まれ変わってほしい。彼ならきっと、できるはずさ。


「大罪は無事、天へと届けられた。よくやった、死生」


「ありがとう、父さん」


 さて、双葉が待っている。家にいそがねば。双葉は孤児かもしれなから、きっとこれから共に暮らすのだろう。家の事とか、教会の事とか教えてあげねば。なんだか、少し楽しみにしている俺がいる。













――――――――――――――――――――――――


「ああ可哀想に、吊られた男は悪魔に殺された。でも、用済みになってしまったら退場するまでだ」


 スカイツリーの上で、りんごをかじりながら俯瞰する者、一人。


「太陽と月は、死神と出会った。面白い事になるぞ」


 彼は、この世の理から外れた者。彼は、この世に混沌をもたらした者。


「さぁ、これからどうする?教皇、光信。俺はお前に期待しているぞ」


 彼は、愚者。


「俺の物語を盛り上げろ!僕の事をもっと楽しませてくれたまえ!」


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